総大会
「見よ,わたしは奇跡の神である」
2021年4月総大会


14:37

「見よ,わたしは奇跡の神である」

今日,イエス・キリストに従う人々の間に,皆さんやわたしの生活の中に,奇跡,しるし,不思議が数多くあります。

愛する兄弟姉妹の皆さん,今日皆さんの前に立てることは何とすばらしい特権でしょうか。すでにこの大会で話をされた方々とともに,わたしも,イエス・キリストが生きておられることを証します。イエス・キリストは御自分の教会を導き,御自分の預言者であるラッセル・M・ネルソン大管長に語りかけ,天の御父のすべての子供を愛しておられます。

この復活祭の日曜日に,わたしたちは,救い主,贖い主,1大能の神,2平和の君2であるイエス・キリストの復活を祝います。借りた墓の中での3日の後,復活で完結した主の贖罪は人類の歴史上最大の奇跡です。主は,「見よ,わたしは神である。奇跡の神である」と宣言されました。3

モルモン書の中で預言者モルモンは,「キリストは……天に昇って神の右の座に着かれたので,奇跡がやんでしまったのであろうか」4と,問いかけ,こう答えています。「そうではない……また天使たちも人の子らに働きかけることをやめてはいない。」5

十字架の刑の後,イエスの体に香料を塗るために墓にやって来たマリヤとほかの女性たちに主の天使が姿を現して,こう言いました。

「あなたがたは,なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。」6

「もうここにはおられない。……よみがえられたのである。」7

モルモン書の預言者アビナダイは,その奇跡についてこう宣言しました。

「もしキリストが死者の中からよみがえられなかったならば,……復活はあり得なかった。

しかしながら,復活は実際にあるので,墓は勝利を得ず,死のとげはキリストにのみ込まれてしまう。」8

イエス・キリストの奇跡の業について,初期の弟子たちはこう叫びました。「いったい,このかたはだれだろう。お命じになると,風も水も従うとは。」9

初期の使徒たちは,イエス・キリストに従い,イエスが福音を教えておられるのを聞きながら,多くの奇跡を目撃しました。「盲人は見え,足なえは歩き,重い皮膚病にかかった人はきよまり,耳しいは聞え,死人は生きかえり,貧しい人々は福音を聞かされている」10のを,彼らは目にしたのです。

今日,イエス・キリストに従う人々の間に,皆さんやわたしの生活に,奇跡,しるし,不思議がたくさんあります。奇跡は,神の無限の力による神聖な業,その力の現れ,発現であり,神が「昨日も,今日も,とこしえに変わらない御方である」ことを肯定します。11海を造られたイエス・キリストは海を静めることがおできになります。目の見えない人に視力を与えられた主はわたしたちの目を天に向け,重い皮膚病の人を清められた主はわたしたちの病気を治し,歩く力のない人を癒された主は「わたしに従ってきなさい」という呼びかけでわたしたちを立ち上がらせることがおできになります。12

皆さんの多くは,自分で思っている以上に多くの奇跡を目撃しています。イエスが死者をよみがえらせられたことに比べれば,それらは小さく思われるかもしれません。しかし,奇跡はその大きさではなく,ただ神から来たかによって区別されます。奇跡はただの偶然,あるいはまったくの幸運だと言う人々がいます。しかし,預言者ニーファイは,「神の力と奇跡を侮り,自分の知恵と学識を自賛して,利益を求め〔る〕」人々を非難しています。13

奇跡は,「救う力を持つ」御方による神聖な力によって起こされるのです。14奇跡は,神の永遠の計画の延長であり,奇跡は天から地へのライフラインなのです。

昨年の秋,ラズバンド姉妹とわたしは,16の異なる言語で60万人以上を対象に行われるワールドワイドFace to Faceイベントのために,ユタ州ゴーシェンへ向かいました。15そのプログラムは,全世界のヤングアダルトから寄せられた質問とともに,イエス・キリストの福音の回復に伴う出来事に焦点を当てるものでした。ラズバンド姉妹とわたしは,個人的にそれらの質問に目を通していました。質問によって,ジョセフ・スミスが神の預言者であることや,わたしたちの生活における啓示の力,現在進行中のイエス・キリストの福音の回復,さらにわたしたちが大切にしている真理と戒めについて証を述べる機会が与えられました。今日話を聴いている多くの人が,あの奇跡的なイベントの参加者です。

当初,その放送はニューヨーク州北部の聖なる森から行われるはずでした。ジョセフ・スミスが次のように証した出来事のあった場所です。「わたしは筆紙に尽くし難い輝きと栄光を持つ二人の御方がわたしの上の空中に立っておられるのを見た。すると,そのうちの御一方がわたしに語りかけ,わたしの名を呼び,別の御方を指して,『これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい』と言われた。16」兄弟姉妹の皆さん,これは奇跡でした。

ユタ州ゴーシェンのエルサレムのセット

しかし,世界規模のパンデミックのため,ユタ州ゴーシェンからの放送を余儀なくされました。そこは,末日聖徒イエス・キリスト教会が撮影のために昔のエルサレムの一部を再現した場所です。ラズバンド姉妹とわたしは,その日曜日の夕方,ゴーシェンから数キロの所で,目的地の方向から流れてくる濃い煙を見ました。その地域で山火事が発生しており,わたしたちは放送ができなくなるのではないかと心配しました。案の定,放送時間である6時の20分前に,施設全体が停電しました。電気がなければ放送ができません!電力を供給できると思われる発電機が1台ありましたが,施設の高性能な機器に十分にな電力を供給できるという保証はありませんでした。

火事の煙

ナレーターやミュージシャン,技術者など,プログラムの関係者全員,またわたし自身の親族の20名のヤングアダルトさえも,何が起こるのかということに心を捕らわれていました。わたしは,彼らの悲しみと混乱の場所から離れて,主に奇跡を乞い求めて祈りました。「天のお父様,わたしはめったに奇跡を求めませんが,今はそれをお願いいたします。この集会は全世界のヤングアダルト全員のために必要です。御心であれば,イベントのために電気が必要です。」

6時7分に,停電したのと同じくらい早く,復旧しました。音楽やマイクからビデオやすべての送信機器に至るまで,すべてのものが機能し始め,わたしたちは一斉に動き出しました。わたしたちは奇跡を経験したのです。

Face to Faceイベントでの音楽の発表

その夜遅く,ラズバンド姉妹とわたしが車で家に向かっていたときに,ネルソン大管長と姉妹から次のようなメッセージが送られてきました。「ロン,停電したと聞いてすぐわたしたちは奇跡を祈り願いました。そのことを知ってほしいです。」

末日聖典には次のように書かれています。「主なるわたしは,天の力を働かせるためにわたしの手を伸べた。あなたがたは今それを見ることはできないが,もうしばらくすれば,それを見て,わたしがいること,また,わたしが来てわたしの民とともに治めることを知るであろう。」17

まさにそのことが起こったのです。主が御手を伸べて,電気が戻りました。

ネルソン大管長が先ほどの部会で力強く教えたように,奇跡は信仰の力を通して現れます。預言者モロナイは力強く勧めています。「もしも人の子らの中にまったく信仰がなければ,神は人の子らの中で何の奇跡も行うことがおできにならない。したがって,彼らが信じてからでなければ,神は御自身を現されなかった。」

そしてこう続けました。

「見よ,牢を地に倒したのは,アルマとアミュレクの信仰であった。

見よ,レーマン人に変化を生じさせて,彼らに火と聖霊によるバプテスマを受けさせたのは,ニーファイとリーハイの信仰であった。

見よ、レーマン人の中であのように大きな奇跡を行ったのは、アンモンと彼の同僚たちの信仰であった……

どのようなときでも,信じてからでなければ奇跡を行った者はいない。したがって,奇跡を行った者はまず神の御子を信じたのである。」18

その聖文に次の言葉を付け加えることができます。「ユタ州ゴーシェンという遠く離れた映画セットの電力を回復させたのは,熱心なヤングアダルトの出演者と放送の専門家,教会の指導者と会員,使徒,ならびに大きな奇跡を求めた神の預言者の信仰であった」と。

奇跡は祈りへの答えとして起こることがあります。それらは常にわたしたちが求めているものや期待しているものではありませんが,わたしたちが主を信頼するときに,主はそこにおられ,正しくあられます。主はわたしたちに必要な瞬間に奇跡を起こしてくださいます。

主は奇跡を起こし,御自身の力,わたしたちへの愛,わたしたちの現世での経験における天からの影響,最も価値のあることについて教えたいという主御自身の願いをわたしたちに思い出させてくださいます。1831年に主は,聖徒たちに次のように述べられました。その約束は今日も有効です。「わたしによって癒されるという信仰を持っていて,死に定められていない者は,癒されるであろう。」19天において定められた律法があり,わたしたちは常にその影響下にあります。

わたしたちは,愛する人を癒す奇跡や,不当な行為を覆す奇跡,冷酷な人や失望している人の心を穏やかにする奇跡を願うことが時々あります。わたしたちはこの世の目で物事を見て,主が介在して壊れているものを元に戻してくださるようにと願います。信仰によって奇跡が起こりますが,必ずしも,わたしたちの予定表通りであったり,望む方法によってではありません。それは,わたしたちが忠実ではない,あるいは主の介在に値しないということなのでしょうか。いいえ。わたしたちは主から愛されています。主はわたしたちのために御自分の命をささげ,主の贖罪は,わたしたちが悔い改めて主に近づくときに,わたしたちを重荷と罪から解放し続けてくれます。

主は,「わが道は,あなたがたの道とは異なっている」20ということを思い起こさせ,またこう述べておられます。「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。21」それは不安,失望,恐れ,不従順,愛する人についての心配,失った夢あるいは破れた夢からの休息です。混乱や悲しみの中の平安は奇跡です。主の次の御言葉を思い出してください。「わたしはこの件についてあなたの心に平安を告げなかったであろうか。神からの証よりも大いなる証があるであろうか。」22奇跡は,大いなるエホバ,至高者の御子であるイエス・キリストが平安をもってこたえてくださっているということです。

主は,園でマリヤに現れて彼女の名を呼ばれたように,信仰を働かせるようわたしたちに呼びかけておられます。マリヤは,主に仕え,主のお世話をしようとしていました。主の復活は彼女が期待していたものではありませんでしたが,それは偉大な幸福の計画によるものでした。

「十字架からおりてこい」23と,主を信じない群衆はカルバリで主をあざけりました。主はそのような奇跡を行うことがおできになったでしょう。しかし,主は,初めから終わりを御存じであり,御父の計画に忠実でありたいと思われました。その模範をわたしたちは理解しなければなりません。

試練のただ中にいるわたしたちに主はこう告げておられます。「わたしのわきを突き刺した傷跡と,わたしの手と足にある釘の跡を見なさい。 忠実​で​あり,わたし​の​戒め​を​守り​なさい。そう​すれ​ば,あなたがた​は​天​の​王国​を​受け継ぐ​で​あろう。」24それは,兄弟姉妹,わたしたち全員に約束されている奇跡です。

この復活祭の日曜日に,主の復活の奇跡を祝いながら,わたしはイエス・キリストの使徒として,皆さんが自分の生活の中で贖い主の力を感じますように,また天の御父への皆さんの願いが,イエス・キリストがその教導の業を通じて示された愛と献身をもってこたえられますようにへりくだりお祈りします。皆さんが来るべきすべてのことに確固として忠実であるようにお祈りします。わたしたちがゴーシェンで経験したように,それが主の御心であるならば,皆さんに奇跡が伴いますよう祝福します。「預言者たちと使徒たちが書き記してきたイエスを求める」ときに,皆さんの生活の中で天から送られた祝福を探してください。「そうすれば,父なる神と主イエス・キリストと,この御二方のことを証される聖霊の恵みが,とこしえにあなたがたの内にとどまるで〔しょう〕。」25イエス・キリストの御名により,アーメン。