総大会
今はわたしたちの時代です!
2021年4月総大会


11:14

今はわたしたちの時代です!

神は,……今,歴史上きわめて重要な時期に,私たちをここに遣わされたのです。

1978年,わたしは6万5000人のファンで埋まったアメフトのフィールドに立っていました。わたしの前には,わたしの頭をもぎ取らんばかりの巨大な敵が立ちはだかっていました。全米プロ・フットボール・リーグで,先発のクォーターバックとして出場する初めての試合であり,スーパーボウルの絶対王者との一戦でした。正直に言うと,自分はフィールドに立つのにふさわしいのか疑問に思っていました。最初のパスをするために一歩下がり,ボールを手放したそのとき,未だかつてないほど強く体当たりされました。その瞬間,巨大な選手たちの山の下敷きになり,自分はここで何をしてるのだろうと思いました。わたしは決断を迫られました。疑念に自分自身を乗っ取らせるのか,それとも起き上がり,続けてプレーする勇気と強さを見つけるのか。

最初のパス

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そのときは,この経験が将来の機会に自分を備えてくれるとは気づきませんでした。困難な状況に直面しても,自分は強く勇気を持つことができると知る必要があったのです。

アメフトの試合は,皆さんが直面する難題ほど重要なものではないかもしれません。ほとんどの場合,大勢の人が見守るスタジアムに立つことはないでしょう。しかし皆さんの勇気ある決断は,永遠に意義を持つのです。

困難を克服できそうにないと感じるときもあるでしょう。しかし天の御父は,わたしたちを,恐れを知らぬ神の王国を築く者としてご覧になっています。ですから,世界の歴史で決定的に重要なこの時に,わたしたちをここに送られたのです。今はわたしたちの時代です!

ラッセル・M・ネルソン大管長が,教会の大管長になった直後に言ったことに耳を傾けてみましょう。「救い主,贖い主イエス・キリストは,今から再びおいでになる時までの間に,最も力強い業を幾つかなされるでしょう。わたしたちは,父なる神と御子イエス・キリストが尊厳と栄光のうちにこの教会を管理されることを示す奇跡的なしるしを見るでしょう。」(「教会のための啓示,わたしたちのための啓示『リアホナ』2018年5月号,96)

最も力強い業?奇跡的なしるし?それらはどのようなものなのでしょうか。わたしたちはどのような役割を果たすのでしょうか。そして何をすべきかはどのように理解できるのでしょうか。すべての答えは分かりませんが,わたしたちが準備できている状態でいることを主が必要とされていることは知っています。神権の力をふさわしく行使することが,かつてないほどきわめて重要です。

神の預言者を信じているでしょうか。自分の行く末を見いだし,全うできるでしょうか。できますし,しなければなりません。今がわたしたちの時代だからです!

モーセやマリア,モロナイ,アルマ,エステル,ヨセフといった,わたしたちより前の力強い神の僕たちの話を聞くと,普通の人間とは思えません。しかし,彼らはわたしたちとさほど変わりません。普通の人々で,困難に直面することもありました。彼らは主を信頼し,きわめて重要な時に,正しい決断をしたのです。そして,イエス・キリストを信じる信仰を持って,その時に必要とされたことを行いました。

預言者ヨシュア

Goodsalt

旧約聖書の英雄ヨシュアについて考えてください。熱心にモーセに従った人であり,歴史上最も偉大な指導者の一人です。モーセがいなくなった後,ヨシュアの時代が来ました。イスラエルの子供たちを約束の地へと導いていく必要がありました。どうやって成し遂げたのでしょうか。ヨシュアはエジプトの奴隷として生まれ育ちました。助けとなる手引きや指導ビデオはありません。スマートフォンもありませんでした!しかし主からの約束がありました。

「わたしは,モーセと共にいたように,あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも,見捨てることもしない。

強く,また雄々しくあれ。」(ヨシュア1:5-6

わたしがまだ召されたばかりの経験の浅い七十人だったとき,大管長会事務局から緊急の電話を受けました。すぐに預言者の代理として病院にいる青年を見舞うようにという依頼でした。この若い男性の名前はザックといいました。彼は伝道の準備をしていましたが,事故に遭い頭部に重症を負ったのです。

病院へと車を走らせながら,頭の中で考えが駆け巡りました。預言者の用向きだなんて,信じられない。わたしは一体どうしたらいいんだ。どうやってこの若者を助ければいいのだろう。わたしには十分な信仰があるだろうか。熱心な祈りと,自分には神聖な神権の権能があるという知識が,わたしの支えでした。

到着したとき,ザックは病院のベッドに横たわっていました。医師が脳への圧力を減らせるように,病院スタッフが手術室へ素早く運ぶ準備をして待機していました。涙ぐんでいる母親とおびえている若い友人が傍に立つのが見え,ザックが神権の祝福を必要としていることがはっきりと分かりました。そのころメルキゼデク神権を受けたばかりだったその友人に,一緒に祝福を行うよう頼みました。へりくだってザックに祝福を与えると,神権の力を感じました。そしてザックは急いで手術のために運ばれ,救い主がご自身の知恵に従って物事を行ってくださるという,穏やかな確信がありました。

医療スタッフが切開前に最後のレントゲンを撮ると,驚くべきことに,手術は必要ないことが分かりました。

長い治療の後,ザックは再び歩いたり話したりできるようになりました。宣教師としての務めを全うし,今はすばらしい家庭を築いています。

もちろん,いつもそのような結果になる訳ではありません。同じ信仰を持って神権の祝福を授けた時に,主がこの世で完全な癒しをお与えにならなかったこともありました。主の目的を信頼し,結果は主にお任せするのです。自分の行動の結果を常に選べる訳ではありませんが,行動できるよう備えておくことは選べます。

皆さんは,生死にかかわる状況で大管長会から,彼らの代理をするよう求められることはないかもしれません。しかし,わたしたちは皆主の代理人として,人生を変える事柄を行うよう召されているのです。主がわたしたちをお見捨てになることはないのです。今はわたしたちの時代です!

救い主の使徒の頭であったペテロは,イエスが水の上を歩かれているのを見たとき,海に浮かぶ舟に乗っていました。一緒に歩くことを願った彼に,主は「おいでなさい」と言われました。ペテロは勇気を持って舟という安全な場所を離れ,奇跡的に救い主の方へと歩き始めました。しかしペテロが荒れ狂う風の方に目をやったとき,彼の信仰は揺らぎました。「恐ろしくなり,そしておぼれかけたので,彼は叫んで,『主よ,お助けください』と言〔いました〕。イエスはすぐに手を伸ばし,彼をつかまえ〔られました。〕」(マタイ14:22-33参照)

手を伸ばすイエス

わたしたちの人生に風が吹きつけるとき,わたしたちは何に焦点を当てているでしょうか。信頼できる,強さと勇気の源が一つ,常にあることを覚えていてください。イエスは,ペテロに差し伸べられたと同じように,その御腕をわたしたちにも差し伸べておられます。わたしたちが手を伸ばすならば,主は喜んで助けてくださいます。わたしたちは主のものなのです。主は言われました。「恐れるな,わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ,あなたはわたしのものだ。」(イザヤ43:1)わたしたちが望むなら,主はわたしたちの人生で勝利されることでしょう。選ぶのは皆さんです。ラッセル・M・ネルソン「神に勝利を『リアホナ』2020年11月号,92-95参照

人生の終わりにヨシュアは民に次のように訴えかけました。「あなたがたの仕える者を,きょう,選びなさい。ただし,わたしとわたしの家とは共に主に仕えます。」(ヨシュア24:15)ヨシュアは主に仕えることを選んだので,その時代の偉大な指導者となりました。親愛なる友人の皆さん,今はわたしたちの時代です!そして,わたしたちの選びが,わたしたちの行く末を決めるのです。(see Thomas S. Monson, “Decisions Determine Destiny” [Brigham Young University fireside, Nov. 6, 2005], speeches.byu.edu)

ビショップとして奉仕していたときのワードのモットーは,「良い選びは永遠に幸せと等しい」でした。青少年は廊下ですれ違う際に「ビショップ,わたし良い選びをしてますよ!」と声をかけてくれました。ビショップとしてとても嬉しかったです。

「良い選び」とは何を意味するのでしょうか。ある人がかつてイエスに尋ねました。「律法の中で,どのいましめがいちばん大切なのですか。」イエスはこう答えられました。

「『心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ。』

これがいちばん大切な,第一のいましめである。

第二もこれと同様である,『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。」(マタイ22:36-39

皆さんはどうか分かりませんが,いちばん大切なこれらの二つの戒めを読むと,第三の戒めが暗示されているのに気づきます。「あなた自身を愛せよ。」

自分自身を愛することを戒めだと考えたことはありますか。自分自身を愛していなかったら,ほんとうの意味で神とその子供たちを愛することができるでしょうか。

最近ある賢明な指導者が,何年もの破壊的な選びを克服しようとしている男性に助言を与えました。その男性は恥じていて,自分はだれかに愛される資格があるのか疑問に思っていました。

指導者は言いました。「主はあなたを御存じで,愛しておられます。あなたのことを,そして,勇気を持って一歩踏み出していることを喜んでおられます。」しかし,こう付け加えました。「自分自身を愛するようにという戒めに耳を傾ける必要があります。そうすれば,〔神の〕愛を感じ,ほかの人を愛することができます。」

この兄弟はその助言を聞いたときに,新たな視点で人生を見つめました。後にこう言っています。「平安を見いだし,受け入れられることを求める人生を送ってきましたが,多くの間違った場所でそれらを探してきました。天の御父と救い主の愛にのみ,慰めを見いだすことができるのですね。御二方がわたしに,自分自身を愛するよう望んでおられることを知っています。実際それが,御二方のわたしに対する愛を感じられる唯一の方法です。」

天の御父は,わたしたちが自分自身を愛することを望んでおられます。高慢になったり,自分本位になったりするためではなく,御父がご覧になるように自分を見るためです。わたしたちは,神の大切な子供なのです。この真理が心の奥深くに染み入ったとき,わたしたちの神への愛が育ちます。心からの敬意をもって自分自身を見るとき,心が開き,ほかの人にも同じように接するようになります。自分の神聖な価値を認めれば認めるほど,次の神聖な真理をさらに理解できるようになります。すなわち,神は,私たちが持っている才能や賜物を使って最大の善をなすことができるように,今,歴史上きわめて重要な時期に,私たちをここに遣わされたのです。今はわたしたちの時代です!(ラッセル・M・ネルソン「本物のミレニアル世代になる」〔ヤングアダルト対象のワールドワイド・ディボーショナル,2016年1月10日〕broadcasts.ChurchofJesusChrist.org参照。)

ジョセフ・スミスは,このように教えました。あらゆる時代のあらゆる預言者たちは「わたしたちが生きている時代を,喜びに満ちた期待をもって待ち望み,……このわたしたちの時代について歌い,書き記し,預言しました。……わたしたちは,末日の栄光をもたらすために神に選ばれている恵まれた民です。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』186)

日々の困難に直面する中にあって,心強いジェフリー・R・ホランド長老の次の言葉を思い起こしてください。「実に多くのことがわたしたちの肩にかかっていますが,これは輝かしく実り多い経験となることでしょう。……この最後の戦いにおける勝利はすでに宣言されているのです。勝利はすでに記録書に記されています。……(その記録書は)聖典です!」(「恐れることはない。ただ信じなさい」〔CES宗教教育者への説教,2015年2月6日〕broadcasts.ChurchofJesusChrist.org)

この美しい週末の復活祭の日に,救い主が再び来られる栄光の日に備えて,私たち全員がそれぞれの役割を認識し,受け入れることができるように祈るよう皆さんにお勧めします。主は,私たちが理解できる以上に私たちを愛してくださり,私たちの祈りに答えてくださるのです。アメフトのフィールドにいようと,病室や,ほかのどんな場所にいようと,わたしたちはこれらの輝かしい出来事の大切な一部になることができます。今はわたしたちの時代だからです!イエス・キリストの御名により,アーメン。