総大会
目標を目指して走る
2021年4月総大会


8:19

目標を目指して走る

人生でどのような経験をするのかよりも,どのような人になるのかが重要です。

使徒行伝とパウロの書いた手紙を読むと,パウロが愛と感謝を原動力として,仕え,教え,イエス・キリストのことを証していたことに感嘆させられます。大きな苦難を経験していながら,なぜそのような愛と感謝をもって仕えられるのでしょうか。何がパウロを奉仕へと向かわせたのでしょうか。「目標を目ざして走り,キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。」1

目標を目指して走るとは,救い主と天の御父とともに,「永遠の命へ至る細くて狭い道に」忠実にとどまることです。2パウロは自分の苦難など,「やがてわたしたちに現わされようとする栄光に比べると,言うに足りない」ものだと考えました。3パウロが牢屋の中でピリピ人へ書いた手紙は喜びにあふれ,わたしたち皆を,特にこの不確実で困難な時にあって励ましてくれます。わたしたちは皆パウロから勇気をもらう必要があります。「わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに,いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに,わたしはすべてを失ったが,それらのものを,ふん土のように思っている。それは,わたしがキリストを得るためであ〔る〕」4

パウロの奉仕を見てきましたが,わたしたちは今日の「パウロ」によって霊的に鼓舞され,高められています。その人たちは自分や愛する人が困難の中にありながらも,愛と感謝を持って仕え,教え,証しているのです。9年前の経験が,目標を目指して走ることの重要性に気づく助けとなりました。

2012年,初めて総大会指導者集会の場に足を踏み入れたとき,圧倒され,自分では力不足だと感ぜずにはいられませんでした。心の中でで繰り返す声が聞こえました。「ここはあなたの居る場所ではない。重大な手違いがあったに違いない。」座る場所を探して歩いていると,ジェフリー・R・ホランド長老がわたしを見つけ,そばに来て,「エドワード,ここで会えてうれしいよ」と言い,頬を軽くポンポンとたたいてくれました。赤ん坊になったような気分になりました。長老の愛と抱擁に心が温かくなり,自分もこの場の一員であると感じ,兄弟愛を感じることができました。次の日,ダリン・H・オークス長老の頬を,ホランド長老がわたしにしたのと同じように親しみを込めてポンポンとしているのを見ました。オークス長老の方が先輩なのにです。

わたしはその瞬間,わたしたちが預言者,聖見者,啓示者として支持するこれらの男性たちを通して,主の愛を感じました。ホランド長老の思いやりのある自然な行動のおかげで,わたしは自分本位な気持ちや場違いな気持ちを克服できたのです。わたしが召された,人々をキリストのもとに導くという神聖で喜びに満ちた業に集中できるように助けてくれました。古のパウロのように,長老は目標を目指して走ることへとわたしを向かわせてくれたのです。

興味深いことに,パウロは目標を目指して走るようにと勧めると同時に,過去の恐れや,過去に焦点を当てていた事柄,失敗,悲しみなどの過ぎたことは忘れるようにと呼びかけています。パウロは,わたしたちの愛する預言者ラッセル・M・ネルソン大管長と同じように,「より新しく,より神聖な方法」へとわたしたちを招いているのです。5主の約束は現実のものです。「自分の命を救おうと思う者はそれを失い,わたしのために自分の命を失う者は,それを救うであろう。」6

総大会における初めての説教で,わたしは畑仕事をするよう母から教え諭された経験を分かち合いました。母はこう言いました。「決して振り返ってはだめよ。これからまだしなければならない,先を見ていなさい。」7

人生の終盤,がんで闘病していた母は,ナウメとわたしと一緒に住んでいました。ある晩,母が寝室ですすり泣いているのが聞こえました。2時間前にその日最後のモルヒネを服用したばかりでしたが,激しい痛みに襲われていたのです。

わたしは母の部屋に入り,一緒に泣きました。痛みからすぐに解放されるようにと声に出して祈りました。すると母は,何年も前に畑でしたのと同じことをしました。していることを中断し,わたしを教え諭したのです。その時の母の顔を忘れることは決してないでしょう。病気で弱々しく,痛みを抱えながらも,悲しむ息子を憐れみ,見つめていました。涙ぐみながらもほほえみ,わたしの目をまっすぐ見て言いました。「この痛みが無くなるかどうかを決めるのは,あなたでもほかのだれでもなく,神様よ。」

わたしは黙って座っていました。母も静かに座っていました。その情景は心に鮮やかに残っています。その晩,主が母を通して教えてくださったことは,永遠にわたしの中にとどまることでしょう。神の御心をそのまま受け入れると母が示したとき,わたしは,イエス・キリストがゲッセマネの園とゴルゴダの十字架の上で苦しまれた理由を思い出しました。主は言われました。「見よ,わたしはあなたがたに,わたしの福音について告げた。わたしがあなたがたに告げた福音とは,次のとおりである。すなわち,父がわたしを遣わされたので,わたしは父の御心を行うために世に来た。」8

ゲツセマネでのキリスト

愛する預言者ネルソン大管長が前回の総大会で尋ねた,預言に満ちた質問が思い起こされます。ネルソン大管長はこう尋ねました—「あなたは人生の中で進んで神に勝利を得ていただこうとしていますか。あなたは人生の中で進んで神を最も重要な影響力としていますか。……神の声を……あらゆる野心よりも優先させていますか。進んで自分の意志を神の御心にのみ込まれるがままにしていますか。」9母は,感情がこみ上げる中で確固として「はい」と答えたことでしょう。世界中でほかの忠実な教会員も,こみ上げる思いの中で確固として「はい」と答えるに違いありません。ネルソン大管長,預言に満ちた質問を通してわたしたちを霊的に鼓舞し,高めてくださりありがとうございます。

最近南アフリカのプレトリアで,あるビショップと話をしました。彼は,妻と成人した娘を同じ日に埋葬しました。二人の命は,この新型コロナウイルスのパンデミックにより奪われたのです。わたしはビショップに近況を尋ねました。テディ・サベセビショップの答えは,主の預言者,聖見者,啓示者からの言葉と勧告に従おうという,わたしの決意を強めてくれました。サベセビショップは,救い主が人々の痛みを引き受けてくださり,わたしたちを救う方法を御存じであると知っているので,常に希望と慰めがあると答えました。10彼は深い信仰をこめて「救いの計画,幸福の計画に感謝しています」と証すると,わたしにこう尋ねました。「それこそ預言者が前回の総大会でわたしたちに教えようとしたことですよね?」

現世の困難は,形は違ってもすべての人にやって来ますが,「目標を目指して走る」というゴール,つまり「上に召して下さる神の賞与」に焦点を当てましょう。11

決して諦めないよう,へりくだって皆さんにお勧めします。わたしたちは,「いっさいの重荷と,からみつく罪とをかなぐり捨てて,わたしたちの参加すべき競争を,耐え忍んで走り抜〔くように,……また〕信仰の導き手であり,またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ,走」るよう召されています。12

人生でどのような経験をするのかよりも,どのような人になるのかが重要です。目標を目指して走ることには,喜びがあります。主を仰ぎ見るとき,すべてを克服された主が助けてくださることを証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。