「わたしの福音の原則」
福音の原則は,道徳的選択の自由を正しく行使するための教義を基礎とした指針です。
十二使徒定員会のジョン・テーラー長老は,イエス・キリストの福音の門戸をフランスで開くよう召されました。その働きにはフランスにおける教会の最初の公式刊行物の編集が含まれていました。テーラー長老は教会についてよく尋ねられた質問への答えを準備し,1851年に出版しました。その記事の終わりの方で,テーラー長老は,このようなエピソードを書いています。
「何年か前にノーブーで,ジョセフ・スミスはある議員から,これほど大勢の人々を治め,このような完全な秩序を保つことができるのはどうしてだ,ほかの地域ではそのようなことは不可能だと尋ねられました。スミス氏は,それはとても簡単なことだと述べました。議員は尋ねました。『どうするのですか。わたしたちには非常に難しいことです。』スミス氏はこう答えました。『わたしは人々に正しい原則を教えて,自らを治めさせます。』」1
わたしが回復されたイエス・キリストの福音における原則の重要な役割を強調する際に,聖霊がわたしたち一人一人を教え,教化してくださるよう祈ります。
原則
主は,預言者ジョセフ・スミスに次のことを明らかにされました。「この教会の長老と祭司と教師は,『聖書』と完全な福音が載っている『モルモン書』の中にあるわたしの福音の原則を教えなければならない。」2主はまた,末日聖徒は「理論において,原則において,教義において,福音の律法において,あなたがたが理解する必要のある神の王国に関するすべてのことにおいて,あなたがたがさらに完全に教えられ」なければならないとも宣言されました。3
簡潔に述べられていますが,福音の原則は,道徳的選択の自由を義しく行使するための教義を基礎とした指針です。原則はより広範囲な福音の真理に基づいており,わたしたちが聖約の道を進むうえで方向と標準を示してくれます。
例えば,信仰箇条の最初の3条は回復されたイエス・キリストの福音の教義の根本を明らかにしています。つまり,第1条では神会の本質,第2条ではアダムとエバの堕落の影響,第3条ではイエス・キリストの贖罪によって可能になった祝福が述べられています。4そして,第4条は第一の原則,つまりイエス・キリストを信じる信仰の行使と悔い改めの指針,およびイエス・キリストの贖罪が生活の中で効力を発揮できるようにする第一の神権の儀式を規定しています。5
「知恵の言葉」は指針としての原則のもう一つの例です。次の教義と聖約89章の導入部分の節に注目してください。
「約束を伴う原則として与えられるもので,現在聖徒である,あるいは聖徒と呼ばれ得るすべての聖徒の中の弱い者および最も弱い者の能力に適するもの。
見よ,まことに,主はあなたがたにこのように言う。終わりの時に陰謀を企てる人々の心の中に今あり,また将来もある悪ともくろみのゆえに,わたしはあなたがたに警告を与えており,また,啓示によりこの知恵の言葉を与えることによって,あなたがたにあらかじめ警告するものである。」6
この導入部分に続く霊感を受けた指示は,体と霊の健康のための永続する指針であり,この原則に忠実に従うことによって受けることのできる具体的な祝福について証しています。
福音の原則を学び,理解し,それに従って生活することにより,わたしたちの救い主に対する信仰が強まり,主への献身が深まり,生活の中に多くの祝福と霊的な賜物を招きます。また,義の原則は,わたしたちが現世での様々な状況や困難,決断,経験をする際に,個人の好みや自己中心的な願望ではなく,永遠の真理に基づいた尊い観点を与えてくれる助けにもなります。
正しい原則を教えている現代の例
正しい原則を教えるという言葉は,恐らく預言者ジョセフ・スミスの教えの中でもっとも頻繁に引用される教えの一つでしょう。このように霊感に満ちた力強い教えの例は,主から権能を受けている現代の主の僕の教えの中にも見つけることができます。
人々の注意をそらしてはならないという原則
1998年の総大会でダリン・H・オークス管長は,聖餐の準備と執行に関するアロン神権者の義務についてお話しています。人々の注意をそらしてはならないという原則を説明し,アロン神権者は 体の動きだけでなく外見においても,教会員の心を礼拝や聖約の更新からそらすことがないようにしなければならないと話しました。また,それに関する秩序正しさ,清潔さ,敬虔さ,および厳粛さの原則についても強調しました。
興味深いことに,オークス管長は若い男性にすべきこととすべきでないことの長い項目リストを提示したわけではありません。むしろ,その原則を説明し,若い男性やその両親および教師が個人の判断力と霊感を用いてこの指針に従うことを期待したのです。
そして,こう説明しています。「細かなルールを提案するつもりはありません。全世界の教会のワードや支部の状況はそれぞれに非常に異なり,ある状況に必要だと思われる具体的なルールを決めても,ほかの所にはそぐわないということがあり得るからです。わたしはそれよりも,教義に基づいた一つの原則を提案したいと思います。もしすべての人がこの原則を理解し,それに従った行動をするなら,ルールはほとんど必要でなくなります。個々のケースについてルールや勧告が必要な場合,地元の指導者が教義と関連の原則に一致した指導を与えることができます。」7
しるしとしての安息日の原則
2015年4月の総大会で,ラッセル・M・ネルソン大管長は「安息日は喜びの日」であると教えました。8またネルソン大管長は安息日を尊ぶことについての基本的な原則をどのように理解するようになったかを説明しました。
「どのような方法で安息日を聖別するのでしょうか。わたしがまだ若かったとき,安息日に行うことと行ってはならないことについて他の人々がリストにしたものを学習しました。程なくして,安息日に対する自分の行いと態度が自分と天の御父の間のしるしであると聖典から学びました。そのことを理解すると,もう行うことや行わないことのリストは不要でした。ある活動が安息日にふさわしいかどうか判断する必要がある場合,こう自問するだけでした。『自分は神にどんなしるしを差し出そうとしているだろうか。』この質問は安息日についての選びをきわめて明確にしました。」9
ネルソン大管長の簡潔で力強い質問は,安息日を尊ぶことの意味と,安息日を尊ぶためにすべきことに関する不明瞭な部分をすべて断ち切る原則を強調しています。ネルソン大管長の質問は様々な状況にあるすべての人たちにとって祝福となる指針と標準をまとめています。
進んで神に勝利を得ていただく原則
6か月前の総大会でネルソン大管長は,イスラエルという言葉の意味について新たな洞察に至ったときの喜びを語りました。ネルソン大管長は「イスラエルという名前はまさしく,人生の中で進んで神に勝利を得ていただこうとする人を指す」ということを知り,魂が揺さぶられたと言っています。10そしてネルソン大管長は,この洞察から分かる幾つかの重要な事柄を説明しました。
進んで神に勝利を得ていただくことについてのネルソン大管長のメッセージは正しい原則を教えて自らを治めることができるようにするすばらしい例です。ネルソン大管長は,安息日を喜びの日とすることについての話と同様に,一人一人にとって指針となり,標準となる原則に基づいた質問を投げかけています。
「あなたは人生の中で進んで神に勝利を得ていただこうとしていますか。あなたは人生の中で進んで神を最も重要な影響力としていますか。」
そしてこう続けています。
進んで行う精神はどのような祝福をもたらすでしょうか。もし未婚で永遠の伴侶を求めているならば,『イスラエルの者』となる望みは,デートの相手や方法を決定する助けとなるでしょう。
もし既婚で伴侶が聖約を破ったならば,人生の中で進んで神に勝利を得ていただくことにより,神との聖約を完全なままに保つことができるでしょう。救い主が打ち砕かれた心を癒してくださいます。前進する方法を願い求めるときに天が開くでしょう。さまよったり悩んだりする必要はありません。
福音や教会について心からの疑問がある人は,神に勝利を得ていただこうとするときに,生活の指針となり,聖約の道に確固としてとどまる助けとなる,絶対的な永遠の真理を見いだし,理解できるよう導かれるでしょう。
誘惑に直面するとき,あなたが疲れ切っているときや,孤独を感じたり,誤解を受けたと感じているときに誘惑を受けたとしても,人生の中で神に勝利を得ていただく選択をし,自分を強めてほしいと神に懇願するときにどれほど勇気を出すことができるか想像してください。
最大の望みが神に勝利を得ていただくこと,すなわちイスラエルの一員となることであるとき,多くの決断は容易になります。問題が問題でなくなります!どのような身なりがよいか分かるでしょう。観るものや読むもの,時間を過ごす場所,交わるべき人が分かるでしょう。達成したいことが分かるでしょう。ほんとうになりたいのはどのような人であるかが分かるでしょう。」11
いかに多くの重要な決断や人生の経験が進んで神に勝利を得ていただく原則によって影響を受けるか,考えてください。デートや結婚,福音に関する疑問や不安,誘惑,個人の身だしなみ,何を見たり読んだりするか,どこで時間を過ごすか,だれと交流するかなど,数多くあります。ネルソン大管長の霊感あふれる質問は,わたしたちの人生のあらゆる面に指針を与え,自分を治めることができるようになる簡潔な原則を強調しています。
「ごく小さな舵」
ジョセフ・スミスはリバティーの監獄に投獄されたとき,教会の会員と指導者に向けて指示を与える手紙を書き,「非常に大きな船も,嵐のときにはごく小さな舵に大いに助けられ,風と波に対して進路を保つことができる」ことを彼らに思い起こさせました。12
「舵」は操縦かん,つまりハンドルのことであり,船やボートを操縦するために使用する装置です。「風や波に対して進路を保つ」とは船のバランスを保ち,嵐の中で転覆しないように船の向きを変えることを意味しています。
皆さんやわたしにとって,福音の原則は船の舵のようなものです。正しい原則はわたしたちが闇と混乱の荒れ狂う末日の嵐の中でバランスを失って倒れることのないよう,道を見いだし,堅く,しっかりと,動かされないように立つことができるようにしてくれます。
わたしたちはこの総大会で,主から権能を受けた僕から永遠の原則について学ぶ祝福を多く受けています。今,わたしたち一人一人の責任は,彼らが証をした真理に従い,自らを治めることです。13
証
エズラ・タフト・ベンソン大管長は次のように教えました。「これからの6か月間,『リアホナ』の今回の大会の特集号は標準聖典とともに頻繁に参照していただきたいと思います。」14
わたしの魂のすべてのエネルギーを込めて,わたしたち全員が義の原則を学び,それに従って生活し,その原則を大切にするようお招きします。福音の真理のみが,わたしたちが「力の限りすべてのことを喜んで行い」,聖約の道を前進し,「神の救いを目にし,また神の腕が現わされるのを見ること」を可能にしてくれるのです。15
わたしは,イエス・キリストの福音の教義と原則が,わたしたちの人生の指針と,現世と永遠において永続する喜びを得るための基盤であることを知っています。この栄えある復活祭の日曜日に,わたしは,生ける救い主がこれらの真理が湧き出る泉であることを喜びをもって証します。これらを主イエス・キリストの神聖な御名により証します。アーメン。