「わたしに近づきなさい」『支援ガイド:立ち直ろうとする人の配偶者と家族への助け』
「わたしに近づきなさい」『支援ガイド:立ち直ろうとする人の配偶者と家族への助け』
原則4
わたしに近づきなさい
「わたしに近づきなさい。そうすれば,わたしはあなたがたに近づこう。熱心にわたしを求めなさい。そうすれば,あなたがたはわたしを見いだすであろう。求めなさい。そうすれば,与えられるであろう。たたきなさい。そうすれば,開かれるであろう。」(教義と聖約88:63)
神の導きと指示に頼る
わたしたちは,自分の能力や理解力を超えた,克服できそうもない問題にぶつかることが,何度もあります。助けが必要になり,愛にあふれる天の御父に導きと指示を求めることもあるでしょう。わたしたちは次のように勧められています。「あなたがたのうち,知恵に不足している者があれば,……神に,願い求めるがよい。」(ヤコブの手紙1:5)主はわたしたちの祈りにこたえたいと思っておられ,聖霊を通してわたしたちに語られます。リチャード・G・スコット長老(1928-2015年)は次のように教えています。「御霊から来る考えは,差し迫った祈りの答えとして,あるいは求めなくても必要なときにやって来ることがあります。例えば,知らないうちに危険な状況に陥ってしまったときなど,積極的に求めなくても,主が現実を明らかにされる場合があります。」( 「霊的な導きを得るために」『リアホナ』2009年11月号,8参照)
啓示を受けるには,受ける側の努力が必要です。ハロルド・B・リー大管長(1899-1973年)は,こう言っています。 「わたしたちは訓練によって自分の霊を成長させます。……肉体を訓練するのと同じように,霊を訓練しなければなりません。」リー大管長は,「毎日の生活の中で,聖くなるための時間を取ってください」と勧告しています(『歴代大管長の教え—ハロルド・B・リー』181,182)。時間を取って瞑想し,深く考え,心を天に向けることが大切です。そうすると,聖霊の促しを受け,認識し,理解することができるようになります。
わたしたちは,愛する人を今すぐ助けなければならず,答えや指示を必死に祈り求めたくなる状況に追い込まれることがあるかもしれません。緊迫感を持ち,霊的な助けがすぐに与えられることを期待することもあります。主の答えがすぐに与えられることもありますが,啓示は「規則に規則」を加えて与えられると聖文では教えられています(イザヤ28:10)。忍耐強く「主を待ち望〔み〕」(イザヤ40:31),主が語りかけてくださることを信じましょう。これは,忍耐力と人格を磨く一つの方法です。3度聞こえるまで,ニーファイの民には「自分たちに聞こえたその声の告げる意味が分からなかった」ように(3ニーファイ11:3参照),個人の啓示が認識できるようになるまでには,時間がかかることもあるのです。
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愛する人との関係について,あなたは主の導きや指示をどのような形で受けてきましたか。
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啓示を求めて主に導いていただくために,あなたは何をしたいと思いますか。
神の言葉を調べる
わたしたちが行うよう主が望んでおられることを知りたいと思うとき,わたしたちは聖文を調べ,聖文について深く考えることができます。モルモン書の中でニーファイは次のように教えています。 「キリストの言葉はあなたがたがなすべきことをすべて告げる……。」(2ニーファイ32:3)リチャード・G・スコット長老は次のように言っています。「聖典は,わたしたちの心を照らし,高い所から導きと霊感を受ける備えをさせる光の小包みのようなものです。聖典は天の御父とその愛する御子イエス・キリストと交信するための扉を開く鍵になり得ます。」 (「聖文の力」『リアホナ』2011年11月号,6)聖文は,平安と癒しの道を歩む際に主の言葉と助けを受けるための手段となるのです。生活の中で聖文とその教えについてよく考えるとき,わたしたちは,救い主からの癒しを求める方法を理解できるよう御霊の導きを求めることができます。
聖餐を受ける
聖餐は,深く考える時間です。わたしたちは,イエス・キリストがわたしたちのためになされた贖いの犠牲を記念し,また聖約を新たにするために,聖餐を受けます。自分の意思を神の御心に一致させ,従わせ,そして霊的に強めるために,聖餐を神聖な時間とすることができます。そのために,愛する人のことを考えるのを一時中断して,自分自身の霊的な力に心を注ぐ必要があるかもしれません。聖餐の間に愛する人のことを考えたり,そのことで自分がどれほど悩んでいるか思い巡らしたりするのは自然なことではありますが,聖餐の間は,自分と神との関係,自分と救い主との関係を堅固なものにするために時間を取る必要があるのです。そのように行うと,救い主イエス・キリストの持っておられる,人に能力を授ける力を通して,わたしたちは霊的に強くなります。主と交わした聖約を新たにする以外のことは考えないようにすることが大切です。愛する人の行動や選択のことすら,考えるべきではありません。
愛する人がキリストのもとに来て癒されることをわたしたちは望みますが,これは本人が自分でしなければならないことです。天の御父は,彼らがキリストを信じる信仰を働かせて立ち直りに必要な行動を起こすのを,忍耐強く待っておられます。わたしたちも忍耐強くあって,自分の意思を神の御心に添わせなければなりません。聖餐は,わたしたちが信仰をもって堪え忍びながら,天の御父に従う意思のあることを示す機会なのです。自分の望みを抑えて神の御心を信頼するならば,それはある意味で,キリストの御名を受け,いつもキリストを覚えるということになります (教義と聖約20:77,79参照)。
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聖餐の儀式から,わたしたちはどのように力を得ることができるでしょうか。
神殿に参入する
愛する人が一緒に行けないことを理由に,神殿に行くことをためらっている人がいるかもしれません。しかし,愛する人の弱さや選択のせいで,配偶者や家族が神殿に参入する権利を奪われることはありませんし,自分は神殿に参入するにふさわしくないと感じるべきでもありません。神殿で礼拝し奉仕することによって,わたしたちは,前進し,永遠の観点から物事を見るために必要な力と祝福を得ることができます。ボイド・K・パッカー会長(1924-2015年)は,次のように言っています。「神殿は,教会の霊的な強さの中心です。敵は,教会全体やわたしたち個人が聖なる霊感あふれる業に参与しようとするときに,それを妨げようとするでしょう。 」(「聖なる神殿」『リアホナ』2010年10月号,35参照)神殿に参入しようとすると問題が出てくるかもしれませんが,主の宮で主に近づき,信仰と希望を持って前進する主の力を受けることができます。
パッカー会長は,続けてこう言っています。「悩み苦しむとき,また重大な決断に迫られるとき,教会員はたいてい,神殿に参入します。神殿は,心配事を持って行くのにとても良い場所です。神殿の中では,霊的な目を持てるからです。……問題を抱えて気が動転していることもあると思います。 そのような場合は一気にどっと不平不満が湧き上がってきて,何もはっきり考えられず,見ることもできないものです。神殿では,混乱する心の中に舞い上がったほこりも地面に降り,霧やかすみもうそのように晴れて,混乱した心のままではとうてい見いだせなかった道も,善悪の区別がつかなかった物事も,はっきりと『見る』ことができます。」( 「聖なる神殿」35参照)
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神殿での礼拝から,あなたはどのような祝福を頂いてきたでしょうか。現在の問題に取り組むために,神殿に参入することで,どのように力が得られるでしょうか。
聖霊を伴侶とするように努める
わたしたちが決断を下すときに,聖霊はわたしたちを導き,物理的また霊的な危険から守ることがおできになります。聖霊を通して,わたしたちは自分と自分が愛し仕える人に益をもたらす御霊の賜物を受けることができます(教義と聖約46:9-11参照)。確かに,聖霊は慰め主であられます(ヨハネ14:26参照)。愛にあふれる親の優しい声が泣く子をなだめるように,御霊のささやきは恐れを静め,しつこく苦しめる人生の不安を解消し,悲しむときに慰めを与えてくれます。聖霊は,わたしたちの心を「希望と完全な愛」で満たし(モロナイ8:26),「王国にかかわる平和をもたらす事柄を〔わたしたち〕に教え」てくださいます(教義と聖約36:2)。
御霊のささやきを識別するのは難しいことがあります。愛する人のことで心が乱れているときは,特にそうです。感じているのが自分の感情なのか御霊の促しなのか分からない時があるかもしれません。デビッド・A・ベドナー長老は次のように教えています。「聖霊を常に伴侶とすることを心から願うのであれば,従順さと行いによって生活の中に聖霊の影響力を招き入れてください。そして,小さな促しがあったら,直ちにそれを行うのです。そうすると,自分の感情が自分の聞きたい事柄を告げているのか,自分に必要なことを聖霊が告げておられるのかを区別することができるようになります。わたしはこのことを証し,約束します。」(“Receiving, Recognizing, and Responding to the Promptings of the Holy Ghost” [Brigham Young University–Idaho devotional, Aug. 31, 1999], byui.edu)わたしたちが導きを求め,信仰を持って前進するときに,聖霊は平安と指示を与えてくださいます。
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あなたが苦しんでいるとき,聖霊はどのようにあなたを慰めてくださいましたか。
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あなたはどのようにして聖霊の促しを認識することができるようになりましたか。
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あなたはこれまで,聖霊からどのような促しを受けましたか。あなたはその促しにどのように従うつもりですか。