第2章
預言者ジョセフ・スミスの使命
末日聖徒イエス・キリスト教会は,神が預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示を堅固な礎としています。
ヒーバー・J・グラントの生涯から
預言者ジョセフ・スミスに関するヒーバー・J・グラントの証は,母親と彼女の友人であったエライザ・R・スノーから預言者との個人的な交流を通して得た経験を聞かされていた幼少時代に築かれ始めた。預言者ジョセフに対する彼の証は,さらにブリガム・ヤング,ジョン・テーラー,ウィルフォード・ウッドラフ,ロレンゾ・スノー,ジョセフ・F・スミスの各大管長の証に影響を受けていた。彼らは皆,ジョセフ・スミスと個人的な親交のあった大管長である。グラント大管長は次のように語った。「預言者ジョセフを知っていたわたしの母とそのほか大勢の人々の証,神の御霊によりわたし自身に与えられた啓示によって,わたしはジョセフ・スミスが神の預言者であったことを知っています。」1
ヒーバー・J・グラントは使徒としてまた大管長として教導の業を果たす間,預言者ジョセフ・スミスと福音の回復について証することを常に好んだ。グラント大管長はこのように宣言している。「神が生きておられ,イエスがキリストであられ,ジョセフ・スミスが神の預言者であると知っていると証する真の喜びを,わたし以上に感じている人はほかにいません。それはわたしにとって大きな喜びです。」2
グラント長老が十二使徒定員会で働いていたとき,預言者ジョセフについて語った彼の証が異母兄弟のフレッドの改心を助けることになった。フレッドは「軽率で,無関心で,移り気で,イエス・キリストの福音にまったく関心を持っていませんでした。」3ある日グラント長老はソルトレークタバナクルで壇上に座って,話の準備をしていた。そのときフレッドがタバナクルに入って来たことに気づいた。グラント長老は次のように回想している。
「……タバナクルで初めてフレッドを見たとき,彼がこの業の神聖さについて光と知識を神に求めていることが分かりました。わたしは頭を垂れて祈りました。すなわち,会衆に向かって話をするよう求められたら,主の御霊の啓示によって導いてくださるよう祈ったのです。そして,わたしが生来の能力を超える力によって話し,主の霊感によって話していることを兄に気づかせてくださるよう祈りました。もし話の後でフレッドがそのことを認めたら,『神はこの業の神聖さについてあなたに証を与えられたのです』と兄に伝えられる,わたしはそう考えたのです。」
グラント長考は自分の話す順番が来ると,説教台に歩いて行き,準備した話の要旨が書かれているノートを開いた。そして会衆に向かってこう話した。「理由は申し上げられませんが,わたしは生涯のうちで今日ほど主の霊感を熱心に願い求めたことはありませんでした。」グラント長老は「人々に信仰と祈りを求める」と,自分も引き続き心の中で霊感を求めた。そして30分間話してから,自分の席に戻った。グラント長老は後にこう回想している。
「話を終えて席に戻ると,わたしはノートを開いたまま説教台に置いてきたことに気づきました。ジョージ・Q・キャノン〔第一〕副管長はわたしのすぐ後ろに座っていました。……そしてこう独り言を言っているのが聞こえました。『神様,あの力強い証に感謝します。』この言葉を聞いたとき,わたしは準備してきた話をしなかったことを思い出しました。そして,わたしの目から涙がどっとあふれ出ました。前にかがみ込み,両手で顔を覆いました。子供のように泣いているのをそばにいた人たちに見られないようにするためでした。ジョージ・Q・キャノン副管長のその言葉を聞いたとき,神がわたしの祈りに耳を傾け,こたえてくださったこと,そして兄の心が動かされたことが分かりました。
わたしは30分の間ほとんど,神が生きておられ,イエスがキリストであられるのを知っていると証し,預言者ジョセフ・スミスのすばらしい驚くべき働きについて話しました。ジョセフ・スミスはまさに真の生ける神の預言者であるという,神がわたしに与えてくださった知識に閨して証したのです。
翌朝,兄はわたしの事務所へやって来て,言いました。『ヒーバー,昨日の集会に出席して,君の説教を聞いたよ。』
わたしは言いました。『弟の説教を聞くのは初めてじゃないですか。』
『いや,これまで何度も聞いたよ。たいていは遅れて来て,バルコニーに座っているんだ。そして集会が終わる前に席を立つことが多いのさ。しかし,昨日のような話を聞いたことはなかったよ。君が生来持っている力を超えた話だったよ。主の霊感を受けていた。』これは,わたしが前日,祈りの中で主に述べたのとまったく同じ言葉でした。
わたしはフレツドに言いました。『福音に対する証を得るために今も祈っているのですか。』
『うん。でも,なかなか決心がつかないんだ。』
『昨日,わたしはどのようなことを話しましたか』とわたしは尋ねました。
『自分で話したんだから,分かるだろう』と兄は言いました。
『いや,お兄さんから聞きたいんですよ。』
『預言者ジョセフ・スミスの神聖な使命について話したよ。』
わたしはこう答えました。『霊感によって自分の本来持っている力以上の話をしたのです。昨日のようにわたしが話したのを聞いたことがないでしょう。主が棒を手にしてあなたをたたきのめされるのを待っているのですか。預言者ジョセフ・スミスの神聖な使命について人が証するとき,自分の力以上に語り,神の霊感を受けて話すとすれば,それ以上にイエス・キリストの福音について,どのような証を求めているのですか。』
翌週の日曜日に兄はわたしにパプテスマの申請書を提出しました。」4
ヒーバー・J・グラントの教え
神は預言者ジョセフ・スミスを通して完全な福音を回復された
末日聖徒イエス・キリスト教会が世界に向けて語るメッセージは,神が生きておられること,イエス・キリストは神の御子であられること,御二方が少年ジョセフ・スミスに現れて,ジョセフが真の福音を世に回復するために主の手に使われる者になると約束されたことです。5
イエスが十字架にかけられ,主が選ばれた使徒たちが主の教えられた真理に敵対する者たちの手によって殉教した後,主の使命と教導の業は失敗に終わったかのように見えました。しかし,時が過ぎて,キリストの教えがよりよく理解されるようになると,思慮深い人々は光と力を得るために主を求めました。このようにして主の使命と教導の業に対する信仰が存続し,その結果,キリストの教えは世界の文明と発展に大きな影響を与えるようになりました。
時がたつと,原始教会の内部で意見の衝突が起きました。贖い主によって確立された教会を治める律法は破られ,儀式は変えられ,永遠の聖約は破られました〔イザヤ24:5参照〕。人々は自分の戒めを教義として教え始めました〔マタイ15:9参照〕。キリスト教と呼ばれる礼拝の一形態が確立されましたが,そこには原始教会の特色であった神の力は存在しませんでした。霊の暗黒が地上に広がり,暗闇が人々の心を覆いました〔イザヤ60:2参照〕。
その後,世界の歴史上画期的な時期が訪れました。主によって予任され,預言者たちによって預言されていた時がやって来ました。それは福音の新たな神権時代が到来して,王国の福音が回復され,終わりが来る前に全人類に対する証として全世界に宣べ伝えられるときでした。
再び諸天は喜び,再び天からの使者が地上にいる人々に御父の御心を伝えました。時満ちる神権時代の幕が切って落とされ,人々は喜びを得ました。
ジョセフ・スミスは末日の偉大な業を始めるために主が選ばれた主の代理人です。御父と御子は天よりの示現の中でジョセフを訪れて,永遠の神権の鍵を授け,その鍵をほかの者たちに委譲する権威を与え,御父の目的が成し遂げられるまで神権を地上から再び取り去らないと約束されました。6
わたしは各地で,わたしたちの信仰を研究する人々に会ってきました。ある人たちはこう言いました。「このジョセフ・スミスという人がいなければ,あなたがたの教えをすべて受け入れられるんだが。ジョセフ・スミスが預言者ではなかったと認めさえすればよいのです。」
わたしたちがそのようなことを認める日が来ることは決してあり得ません。わたしたちが生ける神の御子イエス・キリストを否定することもありません。ジョセフ・スミスは確かに神と会い,神と言葉を交わし,神御自身がイエス・キリストを少年ジョセフ・スミスに紹介されました。イエス・キリストは,ジョセフ・スミスが神の手に使われる者になり,いわゆるモルモニズムと呼ばれるイエス・キリストの真の福音を地上に再び築く,と彼に確かに告げられました。これらのことが作り話だと言うことも決してありません。モルモニズムは作り話ではないのです。それは救いをもたらす神の力です。神の指示の下で確立されたイエス・キリストの教会です。世のいかなる不信心な者たちも末日聖徒イエス・キリスト教会に関連した基本的な事実を変えることはできません。
すべての末日聖徒は,神が少年ジョセフ・スミスに御姿を現されたことを信じており,あらゆる末日聖徒は神御自身が確かに「これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい」〔ジョセフ・スミス-歴史1:17〕と語ってイエス・キリストを少年ジョセフ・スミスに紹介されたことを信じています。7
末日聖徒イエス・キリスト教会は,神が預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示を堅固な礎としています。8
ジョセフ・スミスの最初の示現は「驚くべき業と不思議」の幕開けとなった
救い主御白身が地上に住まわれたとき以来,世界の歴史の中で起きた最も輝かしい出来事は,神御自身が愛する独り子であるわたしたちの贖い主,救い主とともに地を訪れることがふさわしいと考えて,少年ジョセフに御姿を現されたことです。9
主の栄光がジョセフ・スミスを覆いました。神は御自身の栄光と主権をもって,独り子であるエホバとともに示現の中で自らを現され,御自身の声をもって,最も偉大な時満ちる福音の神権時代の幕を開けるために御手に使われる者としてジョセフ・スミスを指名されました。
そこには何の虚飾も見せかけも劇的な演出もありませんでした。それは,筆舌に尽くし難いこの上ない栄光と感動にあふれる簡潔で厳粛な出来事でした。
長い沈黙の後,主の声が再び発せられました。何度も繰り返し述ベられてきたその神聖なメッセージが再び与えられました。「これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい。」御父と独り子の実在が再び明らかにされて,人類はあるがままの御二方を知ることができるようになったのです。10
この出来事は,預言者イザヤが予告し〔イザヤ29:13-14参照〕,ダニエルが確認し〔ダニエル2:29-44参照〕,さらに黙示者ヨハネが預言した〔黙示14:6-7参照〕「驚くべき業と不思議」の幕開けとなりました。御父と御子が自ら訪れ,ジョセフを時満ちる神権時代の指導者として選ばれたことによって,この業が始まりました。そしてこの訪れの後に,天使とほかの聖なる使者が訪れ,ジョセフに神権の力すなわち神の名によって行動する権能を授けました。人類に授けられる神の権能によってイエス・キリストの福音を知らせ,神の指示によって末日にキリストの真の教会を組織し,設立するためです。11
わたしたちはへりくだって,またその責任を十分に認識したうえで,世の人々に証します。1820年の早春に御父と御子が預言者ジョセフ・スミスを訪れられたことによって,あらゆる時代の中で最も偉大な福音の神権時代が到来しました。それは神の前から輝き出して,人類の思いを照らし,神の栄光である英知と知識を増し加える光が与えられる時代です。12
預言者ジョセフ・スミスを通して神権の鍵が回復された
「わたしたちは,福音を宣べ伝え,その儀式を執行するためには,人は預言によって,また権能を持つ者による按手によって,神から召されなければならないと信じる。」〔信仰箇条1:5〕
そしてわたしたちは……その権能を持っていることを全世界に宣言します。バプテスマのヨハネとして知られ,世の救い主にバプテスマを施したのとまったく同じ人がこの地上を訪れて,ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリの頭に手を置き,バプテスマを施す権能を有するアロン神権すなわち小神権を授けたことを宣言します。バプテスマのヨハネはこのように二人を聖任してから,互いにバプテスマを施すように告げました。そして,イエス・キリストの使徒であり,キリストが十字架につけられた後に教会の長であったぺテロ,ヤコブ,ヨハネが後に二人を訪れて,彼らに使徒職,メルキゼデク神権すなわち大神権を授けると約束しました。
わたしたちは全世界に宣言します。これらの使者が確かに訪れたこと,わたしたちはその権能を受けていること,世のいかなる不信心な者たちもこの二つの訪れと聖任の事実を変えられないことを宣言します。もしこれらの訪れと聖任が真実であるならば,不信心な者たちはこれらを変えられません。そしてわたしたちはこれらが事実であることを宣言します。13
回復の実はジョセフ・スミスの使命を証する
最初の示現の神性ならびに,最初の示現の後に天使とほかの使者が預言者ジョセフを訪れたことの最大の証拠は,与えられたメッセージと授けられた権能によって実際に生じた成果です。福音は純粋なままに地上に回復されました。この大陸の古代の人々に関するすばらしい記録であるモルモン書が,隠されていたクモラの丘から取り出されました。モルモン書には救い主,主イエス・キリストがこのアメリカ大陸において教えられた完全な福音が記されています。末日聖徒イエス・キリスト教会は1830年4月6日,ニューヨーク州セネカ郡フェイエットの町で組織され,迫害と障害に絶えず見舞われたにもかかわらず……発展してきました。14
知性のある人ならば,ジョセフの生涯について調べ,ジョセフが投獄や追放,迫害を経験し,タールを塗られ羽根を浴びせられたこと,死刑の宣告を受けたことを知ったうえで,教義と聖約に記されているすばらしい事柄を読めば,ジョセフが主の霊感によって数々の偉業を成し遂げたことを認めずにはいられないのではないでしょうか。預言者ジョセフが行った驚くべき業についてじっくりと考えると,わたしは時々,そう思います。
モルモン書はわたしたちの前に100年以上も存続して,その間ずっとあれこれ理由をつけられてあざけりの対象となってきたにもかかわらず,その時代の試しに耐えてきました。主の助けがなくては,だれもこのような書物を生み出すことはできなかったことを,なぜ知性ある人々が考えられないのか,わたしには理解できまサん。ジョセフ・スミスが主の手に使われて翻訳したその書物は,今日燦然と輝きを放っています。今日,それはこの福音を宣べ伝えるための最も偉大な宣教師です。モルモン書に比べられるものはほかにありません。15
この教会は……驚くべき業と不思議です。世界中を探してもこのようなものを見つけることはできません。なぜならば神の御子イエス・キリストがこの教会を設立し,教会の頭として立っておられるからです。またイエス・キリストが預言者ジョセフとオリバー・カウドリ,そのほかの人々に御自身を現されたからであり,さらに神は,福音が宣べ伝えられている全世界の人々の祈りにこたえて,わたしたちが携わっているこの業が神聖なものであることについて各個人に知識と証を与えてこられたからです。16
主の家の山は,もろもろの山の頭として固く立ち,すべての国から人々はそこへ流れて来ます〔イザヤ2:2参照〕。彼らの働きに対して与えられる主の祝福により,砂漠は緑化されて,ばらの花を咲かせます。荒れ野は彼らのために楽しみます〔イザヤ35:1参照〕。都市が築かれ,泉がわき出して乾いた地に命を与え,長年にわたって荒廃と沈黙が支配していた町の通りに音楽と子供たちの声が響き渡ります。
神殿が建てられて,その中で無数の生者と死者のために贖いの業が行われています。……
世の人々の注目を浴びることもなく,きわめて質素な状況で教会が組織され,迫害,貧困,苦難にさいなまれたその後の歴史を振り返ってみると,偉大で驚くべき業が成し遂げられ,主の約束が果たされ,主が手を差し伸べて力を振るわれたことを否定することができるでしょうか。
御子イエス・キリストを通して,栄光と誉れが永遠にわたしたちの父なる神のものとなりますように,神はそのすベての創始者であられるからです。17
わたしが信奉し,あなたが信奉しているイエス・キリストの福音は,まことに命と救いの計画であって,再び地上に現されたものです。これは主イエス・キリスト御自身が宣言された福音と同じものです。……
わたしは神が生きておられ,イエスがキリストであられ,ジョセフ・スミスが神の預言者であったことを知っています。わたしは手を伸ばして,福音の実を摘み,食べました。それらは甘く,確かにどのようなものよりも甘いものです。神は御自身の預言者としてジョセフ・スミスを選び,この業を確立するための指示と権能をお授けになり,天使〔モロナイ〕が約束したように,現在もジョセフ・スミスの力と影響を実感できることをわたしは知っています。ジョセフの名は良くも悪くもすベての国民の中で覚えられますが〔ジョセフ・スミス-歴史1:33参照〕,悪く言われるのはジョセフを中傷する人々の間だけです。ジョセフを知っていた人々,ジョセフの教えを知っていた人々は,彼の生活が清く,彼の教えがまさしく神の律法であることを知っていました。……
もう一度申し上げます。これは主イエス・キリストが宣言されたものと同じ福音です。主はその証に対して御自分の命をささげられました。わたしたちの預言者と祝福師〔ジョセフとハイラム・スミス〕の命は,わたしたちが携わっている業が神聖なものであることの証としてささげられました。いわゆるモルモニズムは,紛れもなく主イエス・キリストの福音です。これらのことについて神はわたしに証を下さいました。18
研究と話し合いのための提案
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預言者ジョセフ・スミスの証はなぜ福音の証の根幹を成すのでしょうか。
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ジョセフ・スミスの神聖な使命について個人としての証を得るには,どうすればよいでしょうか。預言者ジョセフ・スミスに対するあなたの証は,どのようなことによって強められてきたでしょうか。
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預言者ジョセフ・スミスの証を持つことによって,わたしたちの日常生活にはどのような変化が起きるでしょうか。
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最初の示現について深く思い巡らすことにより,天の御父とイエス・キリストに関してどのような真理を知ることができるでしょうか(ジョセフ・スミス-歴史1:11-20参照)。「神御自身が愛する独り子であるわたしたちの贖い主,救い主とともに地を訪れることがふさわしいと考え」られたことを知るのは,あなたにとってどのように助けとなっているでしょうか。
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末日はどのような意味で「光が与えられる時代」と言えるでしょうか。今日の世の中にある光の証拠としてどのようなことが挙げられるでしょうか。
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なぜ神権が回復される必要があったのでしょうか。わたしたちは今日,神権の回復によってどのような恵みにあずかることができるでしょうか。
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混迷した世の中に生きているわたしたちに,回復のメッセージはどのような希望を与えてくれるでしょうか。