ライブラリー
第7課:総大会の説教を研究する


第7章

総大会の説教を研究する

はじめに

第1章から第6章までは,生ける預言者,聖見者,啓示者の役割についての教義を理解できるようになっています。第7章では,『リアホナ』の大会特集号に掲載された説教を基に学習します。このコースの初めに説明したように,最初の6章に一つの学期全体を当てる必要はありません。むしろ本コースでは,ほどんどの授業時間を,最近の総大会を使った話し合いや学習に充てられるようになっています。教師は授業の中で,一つの説教を採り上げたり,幾つかの説教を部分的に採り上げたりすることができます。

このコースのおもな目的は,生徒が,生ける預言者の言葉から学べるように助けることです。十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老は,宗教の教師は生徒が霊的に自立できるように助ける必要があると,次のように彼らに教えました:

「『魚を与える人は1回分の食事を与えるが,魚の釣り方を教える人は一生分の食物を与える』という有名なことわざがあります。……福音の教師としてわたしたちに課せられた責任は,魚を与えることではなく,一人一人に『魚の釣り方』を学ばせて,霊的に自立できるよう助けることです。……

わたしの人生に大きな影響を与えてくれた教師たちには,共通する特徴があります。彼らは皆,信仰によって学ぶ望みを持てるよう助けてくれました。難しい質問に対して,簡単な答えをくれることはありませんでした。実際のところ,何の答えもくれませんでした。その代わり,自分で答えを見つけられるように,そのための行動を起こせるように,道を示してくれました。教師の取ったそのような方法にいつも感謝していたわけではありません。しかし,やがて様々な経験をするにつれ,人からもらった答えは忘れやすく,短い間しか記憶にとどまらないということが分かってきました。その反面,信仰を働かせて自分で見つけたり,たどり着いたりした答えは通常,生涯にわたって心に残ります。人生で最も大切な教訓は,教えられるものではなく,自分で得るものなのです。」(デビッド・A・ベドナー「信仰によって学ぶ望みを持つ」『リアホナ』2007年9月号,23)

注:生徒に,クラスに毎回『リアホナ』の最新版大会特集号を持って来るよう伝えます。

事前準備:このレッスンの最後に,2009年4月の総大会からのディーター・F・ウークトドルフ管長の説教「偉大な業に携わっているから下って行くことはできない」(『リアホナ』2009年5月号,59-62参照)が二つあります。一つ目は教師用で二つ目が生徒用です。生徒用の説教を生徒の人数分コピーします。

教えるためのアイデア

大会の説教に応用できる聖文研究スキル

生徒に以下の質問をします:

  • 研究と探求は読書とどのように違いますか。

学校の教科書を生徒の前に掲げて見せながら以下の質問をします:

  • 教科書で見つけた事柄を理解して忘れないようにするために使った,具体的な方法は何でしたか。(暗記する,繰り返し読む,重要な部分に印を付ける,そしてメモを取るなどの生徒の答えをホワイトボードに書き出します。)

注:長い時間をかけてこれらの方法を生徒に説明してもらう必要はありません。簡単で短い答えで十分です。

『リアホナ』の最新版大会特集号を掲げて見せながら以下の質問をします:

  • 大会の説教の文章のほかに,『リアホナ』大会特集号のどの部分があなたの研究に役立ちますか。(答えの中には,『リアホナ』大会特集号の初めにある「目次」,「テーマ別索引」,後ろにある「指導者の言葉」や「大会で話された実話や物語の索引」などがあるでしょう。)

総大会の説教の研究は,教科書を勉強するのと同じ方法で,またそれ以上に,聖文を研究するのと同じスキルを使って研究できることを,クラスの生徒たちに説明します。以下の質問をします:

  • 聖文をさらによく理解するために,どのような聖文研究スキルを使ったことがありますか。(生徒の答えをホワイトボードのリストに加えます。それらには,祈る,深く考える,声にして読む,相互参照などがあるでしょう。)

生徒が答えるとき,その聖文研究スキルがどのように聖文の意味を理解する助けとなったかを,簡単に説明するよう励まします。

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聖典を読んでいる女性

生徒に『生ける預言者の教え 生徒用手引き』のセクション7.2を開くように言います。ここで説明されている17の研究スキルを生徒の間で分担してもらいます。割り当てられた研究スキルについて,2,3分間研究するよう生徒に言います。時間が来たら,それぞれ担当した研究スキルについてほかの生徒たちに対して説明してもらいます。生徒が発表する間,前に提案がなかった新しい研究スキルをホワイトボードに書き加えます。

各生徒に,大管長会のディーター・F・ウークトドルフ管長による「偉大な業に携わっているから下って行くことはできない」この章の最後にある)のコピーを配ります。クラスを4つのグループに分けます。以下から一つをそれぞれのグループに割り当て,読みながらその項目を見つけるように言います:

  • 聖典の参照聖句

  • 励ましまたは招き

  • 印象的なフレーズ

  • 繰り返し

注:ディーター・F・ウークトドルフ管長の説教には,生徒に配付するための目印のないものと,教師用にこれら4つの項目に目印が付いたものが用意されています(どちらもこの章の最後に記載されていますが,最初のものが教師用です。)教師用のものには,上記項目が数か所だけ示されています。説教を研究するにつれ,生徒が教師用にないほかの例を見つけるかもしれません。

研究に十分な時間を取った後,それぞれのグループに見つけたことを発表してもらい,研究スキルを使って,どのようにウークトドルフ管長のメッセージの理解を深めたかを説明してもらいます。

『リアホナ』大会特集号の研究を強化するために,コースの最後まで生徒用手引きの第7章で説明されている研究スキルを使うよう,生徒を励まします。またこれらのスキルは,総大会以外の指導者の説教や,教会の機関誌に向けて書かれた指導者の記事を研究するときにも使うと効果的です。総大会のメッセージを研究するときに使ったスキルが,どのように役立ったか,生徒と分かち合うとよいでしょう。

総大会の説教の教え方

クラスで採り上げる説教を,前もって生徒に知らせます。各授業で話し合う説教をリストにした,クラス概要を渡してもよいでしょう。それぞれの生徒が説教のコピーを確実に持てるようにし,クラスの前に読んで研究しておくよう励まします。これによって,生徒がクラスでの話し合いに十分に参加できるようになります。

他のコースと同様に,様々な教え方のテクニックを使うと,生徒が興味を維持して福音によって成長する助けとなります。以下は,総大会の説教を教えるための提案です:

  • 総大会の一部分を見せる。説教のビデオを再生し,生徒にコピーの文章を目で追うように言います。印象深い箇所に印を付けるよう勧めます。ビデオを止めて話し合いたい箇所がある場合は手を挙げるよう,生徒を励まします。具体的な説明箇所または質問の答えを探すよう生徒に勧めます。ビデオを利用できない場合は,大会の説教を読むこともできます。

  • 生徒に発表を割り当てる。どの説教について話し合いを指揮するか,前もって生徒に決めてもらうか割り当てます。また,指導者の略歴をクラスで教えるよう,生徒に割り当ててもよいでしょう。

  • 個人のストーリーを紹介する。指導者が自分自身の経験を分かち合っているビデオを見せます。ビデオを利用できない場合は,それらの経験を読むこともできます。

  • クラスをグループに分ける。生徒を二人一組または小さいグループに分けて,説教の特定の箇所またはそれに関連した具体的な疑問について話し合ってもらいます。グループごとに話し合った内容をクラスで発表してもらいます。

  • 「探す」宿題を出して家で説教を研究できるようにする。家で大会の説教を研究するときは,おもな教義と原則,当てはまる聖文,重要なフレーズや文章を探すよう生徒に言います。見つけたことを自分の言葉で短い文章にまとめるように言ってもよいでしょう。

  • 生徒に研究記録をつけてもらう。クラスの前に霊的な印象を記録してもらうか,その時間をクラスの最後に取ります。

  • 生徒にテーマの概要を書いてもらう。特定のテーマに関する何人かの話者の教えを盛り込んだ,短い作文を書くよう生徒に割り当てます。

  • 今起きている問題に対する指導者の言葉について話し合う。今日世界で起きている出来事について,指導者が総大会説教を通してどう対応しているかを考え,話し合ってもらいます。

  • 説教をクラスで読む。説教を黙読するか,声に出して,二人一組で,または小さなグループになって読んでもらってもよいでしょう。時には,特定の教えを強調したいときに,説教の一部をクラス全体に読み聞かせてもよいでしょう。

  • ストーリーを分かち合う。『リアホナ』の各大会特集号の後ろの部分にある「大会で話された実話や物語の索引」から,総大会で紹介されたストーリーを見直します。なぜそのストーリーが意味深いのかを生徒に発表してもらってもよいでしょう。ストーリーの根本となっている教義と原則を見つけ,それらを聖典と照らし合わせることができるように,生徒を助けます。

十二使徒の略歴

使徒パウロは「兄弟たちよ,わたしたちはお願いする。どうか,あなたがたの間で労し,主にあってあなたがたを指導し,かつ訓戒している人々を重んじ〔なさい〕」(1テサロニケ5:12)と勧告しています。生徒が預言者,聖見者,啓示者に対する証を強めるのを助けるために,これら指導者の簡単な略歴を紹介します。略歴はnewsroom.lds.orgおよび『教会年間』(Church almanac)にあります。配送センターで購入できる中央幹部の写真にも,裏面に略歴が記載されています。

偉大な業に携わっているから下って行くことはできない(教師用)

ディーター・F・ウークトドルフ管長

大管長会第二顧問

『リアホナ』2009年5月号,59-62,強調付加

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ディーター・F・ウークトドルフ管長

愛する兄弟の皆さん,ここ数か月,今日皆さんに向けて話すメッセージについて考えてきました。わたしが言いたいことを分かりやすく伝える物語を探しました。農作物や動物に関する話や,スコット長老に敬意を表して原子工学の話,モンソン長老に敬意を表して鳩を育てる話を探してみました。

最後に,一つの話が頭から離れませんでした。長年わたしの心に焼きついている話です。農作物や動物,原子工学の話や鳩の話ではありません。お分かりの方もいらっしゃるかもしれませんが,航空関連の話です。「電球の話」と呼びましょう。

電球の話,あるいは最も重要なことを見失うこと

36年前の12月の夜,ロッキード1011ジャンボジェット機がフロリダ州エバーグレイドで墜落し,100人以上の死者を出しました。この悲惨な事故は,合衆国史上最悪の墜落事故の一つでした。

この事故の奇妙な点は,飛行機の主要な部分とシステムはすべて正常に機能しており,わずか約32キロ離れたマイアミの目的地に無事に着陸することがたやすくできるはずだったことです。

しかし,着陸態勢に入る最後の段階で,緑色のライトが一つ点灯していないことに乗務員が気づきました。前方の着陸装置が正常に出ているかどうかを示すライトです。パイロットは進入を中断し,真っ暗なエバーグレイド上空で旋回し,着陸まで待機することにしました。そして,問題の調査に注意を向けたのです。

乗務員は調査に気を取られ,機体が次第に暗い沼地へ向かって下降していたことに気づきませんでした。だれかが気づいたときには,惨事を避けるにはもう手遅れだったのです。

事故の後,調査団は原因の究明に乗り出しました。着陸装置は確かに正常に下りていました。機体は物理的には完璧な状態でした。たった一つ以外は,すべてが正しく作動していました。電球が1個,切れていたのです。20セントほどの小さな電球から一連の出来事が始まり,ついには100人を越える死者を出すという悲劇を招きました。

もちろん,切れた電球そのものが事故を起こしたわけではありません。乗務員がその瞬間に重要だと思われたことに注意を向け,最も重要なことを見失ってしまったからです。

最も重要なことに心を向ける

最も重要なことをないがしろにして,つまらないことに注意を向ける傾向は,パイロットだけでなく,だれにでもあります。〔印象的なフレーズ〕わたしたちは皆,その危険を冒します。道路に注意を向ける運転手は,携帯電話でメールを送ることに注意を向ける運転手よりも,事故に遭う危険性はずっと少なくなります。

わたしたちは人生で最も重要なことを知っています。キリストの光はあらゆる人にこの最も重要なことを教えてくれます。信仰深い末日聖徒であるわたしたちには,永遠に価値のある事柄を教えるために,「常に伴侶」1として聖霊が与えられています。今日わたしの声に耳を傾ける神権者はだれでも,「最も重要なこと」というテーマで話を準備するよう頼まれたら,立派に務めを果たすでしょう。わたしたちの弱点は,良心に従って行動することができない点にあります。〔印象的なフレーズ〕

少し立ち止まり,自分の心と思いがどこにあるか確かめてください。最も重要なことに焦点を置いているでしょうか。静かな時間をどのように使っているかを見ればよく分かるでしょう。最終期限に迫られるプレッシャーから解放されたとき,思いはどこへ向かうでしょうか。思いと心の焦点はその瞬間にだけ意味のある一時的なつかの間の事柄に当てられていますか。それとも最も重要なことに心が向けられているでしょうか。〔招き〕

何か恨みを抱いていないでしょうか。夫,父親,息子,神権者としてあるべき姿を知りながら,そうなれない言い訳に固執していないでしょうか。義務を果たすことや,召しを尊んで大いなるものとすること,熱心に働くことを妨げているものは何でしょうか。

注意がそれるのを避ける

時々,心をそらすもの自体は悪くない場合があります。むしろ良い気持ちにさせてくれることがよくあります。

たとえ良いことであっても,過度になる場合があります。〔印象的なフレーズ〕一例を挙げましょう。先祖の系図を調べることやインターネットブログを作成することに何時間も時間を費やしている父親や祖父が,自分の子供や孫と過ごすすばらしく意義深い時間をないがしろにしたり,避けたりする場合があります。別の例を挙げると,雑草を抜くことに日々を費やしている庭師が,自分の心にはびこる霊的な雑草を見過ごしている場合です。

教会のプログラムでさえも,心をそらすものになることがあります。過度に夢中になり,最も重要なものを犠牲にして,多くの時間を使い,気を取られてしまう場合です。バランスの取れた生活が必要です。〔印象的なフレーズ〕

わたしたちは,天の御父とその子供たちをほんとうに愛しているなら,行動を通してその愛を示します。互いに赦し合い,善い行いをしようとします。なぜなら,「わたしたちの内の古き人はキリストとともに十字架につけられた。2からです。〔聖典の参照聖句〕そして,「困っている孤児や,やもめを見舞い,」自らは「世の汚れに染まずに,身を清く保つのです。」3〔聖典の参照聖句〕

愛する神権者の皆さん,わたしたちは末日に生きています。イエス・キリストの福音が地上に回復されています。神権の鍵が再び人間に与えられています。現代は,自分と家族,世界を備えるよう神から託された,期待と準備の時代です。神の御子が「天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに,合図の声で,天から下ってこられ」4,福千年の統治をお始めになる日の夜明けが近づいているのです。

わたしたちは神聖な神権をゆだねられ,天の王の代理人として行動する責任と権能と権利を授かっています。

これらは最も重要なことです。注意を向けるに価する永遠の価値ある事柄です。

神聖な義務から心をそらすような状態になることはできません。最も重要なことを見失ってはならないのです。〔印象的なフレーズ〕

ネヘミヤ

旧約聖書に登場するネヘミヤは,心をそらさず,重要な任務を全うした偉大な模範です。ネヘミヤはバビロン捕囚のさなかを生きたイスラエル人であり,王の給仕役を務めていました。ある日,王はなぜネヘミヤが悲しげな顔をしているのか尋ねました。ネヘミヤは答えました。「わたしの先祖の墳墓の地であるあの町は荒廃し,その門が火で焼かれたままであるのに,どうしてわたしは悲しげな顔をしないでいられましょうか。」5〔聖典の参照聖句〕

これを聞いた王は心を和らげ,エルサレムへ戻り町を再建する許可をネヘミヤに与えました。しかし,この計画を喜ぶ人ばかりではありませんでした。実際,エルサレムの近くに住む数人の支配者は,「イスラエルの子孫の福祉を求める人が来たというので,大いに感情を害し」,6「大いに憤ってユダヤ人をあざけった」7のです。〔聖典の参照聖句〕

恐れることなく,ネヘミヤは反対者のじゃまを許しませんでした。それどころか物資や人材を集め,町の再建に取りかかりました。「民が心をこめて働いたから」です。8〔聖典の参照聖句〕

しかし,町の城壁が高くなるにつれ,反発は激しさを増しました。ネヘミヤの敵は脅し,陰謀を企み,あざけりました。脅迫は単なる脅しではなくなり,威嚇があまりにも強まったので,ネヘミヤは「われわれをおどそうとしたのである」9〔聖典の参照聖句〕と告白しています。そうした危険や絶え間ない侵略の脅威にもかかわらず,再建工事は進められました。緊張の連続でした。城壁を築く人たちは「おのおのその腰につるぎを帯びて築き建て」ていたからです。10〔聖典の参照聖句〕

工事が続くにつれ,ネヘミヤの敵はさらに必死になってきました。4度にわたり,町の安全な場所から離れ,争いを解決するために会見するよう求めてきました。しかし,ネヘミヤはそれが偽りの誘いであり,自分に危害を加えるつもりであることを見破っていました。要請を受ける度に,ネヘミヤは同じ答えを繰り返しました。「わたしは大いなる工事をしているから下って行くことはできない。」11〔聖典の参照聖句〕

何と見事な返答でしょう。そのように明確な目的を心に揺るぎなく掲げ,強い決意をもって遂行したため,エルサレムの城壁は再建され,52日間という驚くべき早さで完成したのです。12

ネヘミヤは,主が望まれたことをなし遂げるのを妨げるものを拒みました。〔聖典の参照聖句〕

わたしたちは下って行くことはできない

今日,これと同じ気持ちと思いを持っている多くの忠実な神権者から,わたしは励ましと霊感を受けています。ネヘミヤと同様,皆さんは主を愛し,受けている神権を尊んで大いなるものとするよう努めています。主は皆さんを愛しておられ,皆さんの心の清さと決意の固さを御存じです。忠実さのゆえに皆さんを祝福し,歩む道を導き,皆さんの賜物や才能を使って地上で主の王国を築いておられます。

しかしながら,すべての人がネヘミヤのようだとは言えません。改善の余地があります。

愛する神権者の皆さん,もしわたしたち全員が,ネヘミヤの民のように,「心をこめて働いた」ら,どのようなことを達成できるでしょうか。もしわたしたちが「幼な子らしいことを捨てて」13,主イエス・キリストの代理人として真の神権者にふさわしくなることに全身全霊を尽くすなら,どのようなことを達成できるでしょうか。〔招き〕

しばらく考えてみてください。個人の生活,職場,家族,ワードや支部の中で,どのようなことが達成されるでしょうか。神の王国が,どれほど地上に進展するでしょうか。想像してみてください。神の神権を持つ者が全員,腰に帯して立ち,真の可能性を実現し,心の底から改心し,神の王国を築くことに全力を尽くす真に忠実な神権者になるなら,世界はどれほど良いところに変わることでしょうか。〔招き〕

心をそらし,一つの切れた電球や,どのような動機であれ,不親切な人が行う無礼な行為に注意を奪われるのはたやすいことです。しかし,考えてみてください。焦点を見失わせ,標準,すなわち神の標準を下げるような誘惑に対して,「わたしは偉大な業に携わっているから下って行くことはできない」と答えるなら,個人として,また神権者の一団として,どれほど大きな力を発揮できることでしょうか。〔繰り返し〕

わたしたちは大きな課題と好機に満ちた時代に生きています。主は,ネヘミヤのような人々を求めておられます。神権の誓詞と聖約を守る忠実な兄弟たちです。神の王国を築く業に勤勉に取り組む堅固な人々を集めておられます。反発と誘惑に遭っても,心の中で,「わたしは偉大な業に携わっているから下って行くことはできない」と言う人々です。〔繰り返し〕

試練や苦難に遭っても,「わたしは偉大な業に携わっているから下って行くことはできない」と答える人々です。〔繰り返し〕

侮辱や非難に遭っても,「わたしは偉大な業に携わっているから下って行くことはできない」と公言する人々です。〔繰り返し〕

天の御父が求めておられるのは,ささいな事柄に永遠の道をじゃまさせることを拒む人々,安易な娯楽に興味をそそられたりサタンのわなにはまったりせず,なし遂げるよう主から与えられた業から注意をそらすことのない人々,自分の言葉どおりに実行し,信念をもって「わたしは偉大な業に携わっているから下って行くことはできない」と言う人々です。〔繰り返し〕

なすべき偉大な業

神が生きておられ,わたしたち一人一人を心にかけておられることを厳粛に証します。神は御手を差し伸べてくださり,奮い立って,栄誉ある神権の責任を引き受ける人々を支え守ってくださいます。この末日にわたしたちに偉大な業を託しておられるからです。

この福音は人間が作ったものではありません。教会の教義は,昔の聖典の意味をだれかがうまく推測したものではありません。神御自身が啓示された天の真理です。ジョセフ・スミスは,彼が見たと述べた示現を見ました。そのことを証します。彼は確かに天界をのぞき込み,天の御父である神と御子,天使たちと言葉を交わしました。

天の御父は,霊と真理において御自分を求める人々に語ってくださることを証します。今日,神は,神の預言者,聖見者,啓示者であるトーマス・S・モンソン大管長を通して語られるのをわたし自身の目で見たことを,喜びをもって証します。

愛する兄弟の皆さん,ネヘミヤのように,わたしたちにはなすべき偉大な業があります。将来を展望しながら立っています。誘惑に負けず,決して標準を下げないように,注意をそらすものがあっても,誘惑がどこから来るかにかかわらず,最も重要なものを見失わないように,一致団結して揺るがずに立ち,主イエス・キリストの旗を雄々しく掲げるように,心から祈ります。

わたしたちが全能の神の聖なる神権にふさわしくなり,頭を上げ,堂々とした声で世の人々に「わたしたちは偉大な業に携わっているから下って行くことはできない」と宣言することができますように,〔繰り返し〕イエス・キリストの聖なる御名により祈ります。アーメン。

  1. 教義と聖約121:46

  2. ローマ6:6

  3. ジョセフ・スミス訳ヤコブの手紙1:27〔英語〕

  4. 1テサロニケ4:16

  5. ネヘミヤ2:3

  6. ネヘミヤ2:10

  7. ネヘミヤ4:1

  8. ネヘミヤ4:6

  9. ネヘミヤ6:9

  10. ネヘミヤ4:18

  11. ネヘミヤ6:3

  12. ネヘミヤ6:15参照

  13. 1コリント13:11

偉大な業に携わっているから下って行くことはできない(生徒用)

ディーター・F・ウークトドルフ管長

大管長会第二顧問

『リアホナ』2009年5月号,59-62

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ディーター・F・ウークトドルフ管長

愛する兄弟の皆さん,ここ数か月,今日皆さんに向けて話すメッセージについて考えてきました。わたしが言いたいことを分かりやすく伝える物語を探しました。農作物や動物に関する話や,スコット長老に敬意を表して原子工学の話,モンソン長老に敬意を表して鳩を育てる話を探してみました。

最後に,一つの話が頭から離れませんでした。長年わたしの心に焼きついている話です。農作物や動物,原子工学の話や鳩の話ではありません。お分かりの方もいらっしゃるかもしれませんが,航空関連の話です。「電球の話」と呼びましょう。

電球の話,あるいは最も重要なことを見失うこと

36年前の12月の夜,ロッキード1011ジャンボジェット機がフロリダ州エバーグレイドで墜落し,100人以上の死者を出しました。この悲惨な事故は,合衆国史上最悪の墜落事故の一つでした。

この事故の奇妙な点は,飛行機の主要な部分とシステムはすべて正常に機能しており,わずか約32キロ離れたマイアミの目的地に無事に着陸することがたやすくできるはずだったことです。

しかし,着陸態勢に入る最後の段階で,緑色のライトが一つ点灯していないことに乗務員が気づきました。前方の着陸装置が正常に出ているかどうかを示すライトです。パイロットは進入を中断し,真っ暗なエバーグレイド上空で旋回し,着陸まで待機することにしました。そして,問題の調査に注意を向けたのです。

乗務員は調査に気を取られ,機体が次第に暗い沼地へ向かって下降していたことに気づきませんでした。だれかが気づいたときには,惨事を避けるにはもう手遅れだったのです。

事故の後,調査団は原因の究明に乗り出しました。着陸装置は確かに正常に下りていました。機体は物理的には完璧な状態でした。たった一つ以外は,すべてが正しく作動していました。電球が1個,切れていたのです。20セントほどの小さな電球から一連の出来事が始まり,ついには100人を越える死者を出すという悲劇を招きました。

もちろん,切れた電球そのものが事故を起こしたわけではありません。乗務員がその瞬間に重要だと思われたことに注意を向け,最も重要なことを見失ってしまったからです。

最も重要なことに心を向ける

最も重要なことをないがしろにして,つまらないことに注意を向ける傾向は,パイロットだけでなく,だれにでもあります。わたしたちは皆,その危険を冒します。道路に注意を向ける運転手は,携帯電話でメールを送ることに注意を向ける運転手よりも,事故に遭う危険性はずっと少なくなります。

わたしたちは人生で最も重要なことを知っています。キリストの光はあらゆる人にこの最も重要なことを教えてくれます。信仰深い末日聖徒であるわたしたちには,永遠に価値のある事柄を教えるために,「常に伴侶」1として聖霊が与えられています。今日わたしの声に耳を傾ける神権者はだれでも,「最も重要なこと」というテーマで話を準備するよう頼まれたら,立派に務めを果たすでしょう。わたしたちの弱点は,良心に従って行動することができない点にあります。

少し立ち止まり,自分の心と思いがどこにあるか確かめてください。最も重要なことに焦点を置いているでしょうか。静かな時間をどのように使っているかを見ればよく分かるでしょう。最終期限に迫られるプレッシャーから解放されたとき,思いはどこへ向かうでしょうか。思いと心の焦点はその瞬間にだけ意味のある一時的なつかの間の事柄に当てられていますか。それとも最も重要なことに心が向けられているでしょうか。

何か恨みを抱いていないでしょうか。夫,父親,息子,神権者としてあるべき姿を知りながら,そうなれない言い訳に固執していないでしょうか。義務を果たすことや,召しを尊んで大いなるものとすること,熱心に働くことを妨げているものは何でしょうか。

注意がそれるのを避ける

時々,心をそらすもの自体は悪くない場合があります。むしろ良い気持ちにさせてくれることがよくあります。

たとえ良いことであっても,過度になる場合があります。一例を挙げましょう。先祖の系図を調べることやインターネットブログを作成することに何時間も時間を費やしている父親や祖父が,自分の子供や孫と過ごすすばらしく意義深い時間をないがしろにしたり,避けたりする場合があります。別の例を挙げると,雑草を抜くことに日々を費やしている庭師が,自分の心にはびこる霊的な雑草を見過ごしている場合です。

教会のプログラムでさえも,心をそらすものになることがあります。過度に夢中になり,最も重要なものを犠牲にして,多くの時間を使い,気を取られてしまう場合です。バランスの取れた生活が必要です。

わたしたちは,天の御父とその子供たちをほんとうに愛しているなら,行動を通してその愛を示します。互いに赦し合い,善い行いをしようとします。なぜなら,「わたしたちの内の古き人はキリストとともに十字架につけられた。」2からです。そして,「困っている孤児や,やもめを見舞い,」自らは「世の汚れに染まずに,身を清く保つのです。」3

愛する神権者の皆さん,わたしたちは末日に生きています。イエス・キリストの福音が地上に回復されています。神権の鍵が再び人間に与えられています。現代は,自分と家族,世界を備えるよう神から託された,期待と準備の時代です。神の御子が「天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに,合図の声で,天から下ってこられ」4,福千年の統治をお始めになる日の夜明けが近づいているのです。

わたしたちは神聖な神権をゆだねられ,天の王の代理人として行動する責任と権能と権利を授かっています。

これらは最も重要なことです。注意を向けるに価する永遠の価値ある事柄です。

神聖な義務から心をそらすような状態になることはできません。最も重要なことを見失ってはならないのです。

ネヘミヤ

旧約聖書に登場するネヘミヤは,心をそらさず,重要な任務を全うした偉大な模範です。ネヘミヤはバビロン捕囚のさなかを生きたイスラエル人であり,王の給仕役を務めていました。ある日,王はなぜネヘミヤが悲しげな顔をしているのか尋ねました。ネヘミヤは答えました。「わたしの先祖の墳墓の地であるあの町は荒廃し,その門が火で焼かれたままであるのに,どうしてわたしは悲しげな顔をしないでいられましょうか。」5

これを聞いた王は心を和らげ,エルサレムへ戻り町を再建する許可をネヘミヤに与えました。しかし,この計画を喜ぶ人ばかりではありませんでした。実際,エルサレムの近くに住む数人の支配者は,「イスラエルの子孫の福祉を求める人が来たというので,大いに感情を害し」,6「大いに憤ってユダヤ人をあざけった」7のです。

恐れることなく,ネヘミヤは反対者のじゃまを許しませんでした。それどころか物資や人材を集め,町の再建に取りかかりました。「民が心をこめて働いたから」です。8

しかし,町の城壁が高くなるにつれ,反発は激しさを増しました。ネヘミヤの敵は脅し,陰謀を企み,あざけりました。脅迫は単なる脅しではなくなり,威嚇があまりにも強まったので,ネヘミヤは「われわれをおどそうとしたのである」9と告白しています。そうした危険や絶え間ない侵略の脅威にもかかわらず,再建工事は進められました。緊張の連続でした。城壁を築く人たちは「おのおのその腰につるぎを帯びて築き建て」ていたからです。10

工事が続くにつれ,ネヘミヤの敵はさらに必死になってきました。4度にわたり,町の安全な場所から離れ,争いを解決するために会見するよう求めてきました。しかし,ネヘミヤはそれが偽りの誘いであり,自分に危害を加えるつもりであることを見破っていました。要請を受ける度に,ネヘミヤは同じ答えを繰り返しました。「わたしは大いなる工事をしているから下って行くことはできない。」11

何と見事な返答でしょう。そのように明確な目的を心に揺るぎなく掲げ,強い決意をもって遂行したため,エルサレムの城壁は再建され,52日間という驚くべき早さで完成したのです。12

ネヘミヤは,主が望まれたことをなし遂げるのを妨げるものを拒みました。

わたしたちは下って行くことはできない

今日,これと同じ気持ちと思いを持っている多くの忠実な神権者から,わたしは励ましと霊感を受けています。ネヘミヤと同様,皆さんは主を愛し,受けている神権を尊んで大いなるものとするよう努めています。主は皆さんを愛しておられ,皆さんの心の清さと決意の固さを御存じです。忠実さのゆえに皆さんを祝福し,歩む道を導き,皆さんの賜物や才能を使って地上で主の王国を築いておられます。

しかしながら,すべての人がネヘミヤのようだとは言えません。改善の余地があります。

愛する神権者の皆さん,もしわたしたち全員が,ネヘミヤの民のように,「心をこめて働いた」ら,どのようなことを達成できるでしょうか。もしわたしたちが「幼な子らしいことを捨てて」13,主イエス・キリストの代理人として真の神権者にふさわしくなることに全身全霊を尽くすなら,どのようなことを達成できるでしょうか。

しばらく考えてみてください。個人の生活,職場,家族,ワードや支部の中で,どのようなことが達成されるでしょうか。神の王国が,どれほど地上に進展するでしょうか。想像してみてください。神の神権を持つ者が全員,腰に帯して立ち,真の可能性を実現し,心の底から改心し,神の王国を築くことに全力を尽くす真に忠実な神権者になるなら,世界はどれほど良いところに変わることでしょうか。

心をそらし,一つの切れた電球や,どのような動機であれ,不親切な人が行う無礼な行為に注意を奪われるのはたやすいことです。しかし,考えてみてください。焦点を見失わせ,標準,すなわち神の標準を下げるような誘惑に対して,「わたしは偉大な業に携わっているから下って行くことはできない」と答えるなら,個人として,また神権者の一団として,どれほど大きな力を発揮できることでしょうか。

わたしたちは大きな課題と好機に満ちた時代に生きています。主は,ネヘミヤのような人々を求めておられます。神権の誓詞と聖約を守る忠実な兄弟たちです。神の王国を築く業に勤勉に取り組む堅固な人々を集めておられます。反発と誘惑に遭っても,心の中で,「わたしは偉大な業に携わっているから下って行くことはできない」と言う人々です。

試練や苦難に遭っても,「わたしは偉大な業に携わっているから下って行くことはできない」と答える人々です。

侮辱や非難に遭っても,「わたしは偉大な業に携わっているから下って行くことはできない」と公言する人々です。

天の御父が求めておられるのは,ささいな事柄に永遠の道をじゃまさせることを拒む人々,安易な娯楽に興味をそそられたりサタンのわなにはまったりせず,なし遂げるよう主から与えられた業から注意をそらすことのない人々,自分の言葉どおりに実行し,信念をもって「わたしは偉大な業に携わっているから下って行くことはできない」と言う人々です。

なすべき偉大な業

神が生きておられ,わたしたち一人一人を心にかけておられることを厳粛に証します。神は御手を差し伸べてくださり,奮い立って,栄誉ある神権の責任を引き受ける人々を支え守ってくださいます。この末日にわたしたちに偉大な業を託しておられるからです。

この福音は人間が作ったものではありません。教会の教義は,昔の聖典の意味をだれかがうまく推測したものではありません。神御自身が啓示された天の真理です。ジョセフ・スミスは,彼が見たと述べた示現を見ました。そのことを証します。彼は確かに天界をのぞき込み,天の御父である神と御子,天使たちと言葉を交わしました。

天の御父は,霊と真理において御自分を求める人々に語ってくださることを証します。今日,神は,神の預言者,聖見者,啓示者であるトーマス・S・モンソン大管長を通して語られるのをわたし自身の目で見たことを,喜びをもって証します。

愛する兄弟の皆さん,ネヘミヤのように,わたしたちにはなすべき偉大な業があります。将来を展望しながら立っています。誘惑に負けず,決して標準を下げないように,注意をそらすものがあっても,誘惑がどこから来るかにかかわらず,最も重要なものを見失わないように,一致団結して揺るがずに立ち,主イエス・キリストの旗を雄々しく掲げるように,心から祈ります。

わたしたちが全能の神の聖なる神権にふさわしくなり,頭を上げ,堂々とした声で世の人々に「わたしたちは偉大な業に携わっているから下って行くことはできない」と宣言することができますように,イエス・キリストの聖なる御名により祈ります。アーメン。

  1. 教義と聖約121:46

  2. ローマ6:6

  3. ジョセフ・スミス訳ヤコブの手紙1:27〔英語〕

  4. 1テサロニケ4:16

  5. ネヘミヤ2:3

  6. ネヘミヤ2:10

  7. ネヘミヤ4:1

  8. ネヘミヤ4:6

  9. ネヘミヤ6:9

  10. ネヘミヤ4:18

  11. ネヘミヤ6:3

  12. ネヘミヤ6:15参照

  13. 1コリント13:11

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