6.教会の西部への移動
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フェイエット 1831年1月に,預言者ジョセフ・スミスはフェイエットを発ってオハイオ州カートランドに向かった。1831年4月と5月に,ニューヨーク州の3つの支部(フェイエット,コールズビル,マンチェスター)が,集合するようにという主の命に従った(教義37-38章参照)。
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カートランド 教会の本部は,1831年から1838年まで主としてカートランドにあった。
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インディペンデンス 1831年7月に,主は(ミズーリ州ジャクソン郡の)インディペンデンスをシオンの中心の場所と定められた(教義57:3参照)。1833年11月,暴徒は聖徒をジャクソン郡から強制的に退去させた。
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リバティー 1833年から1836年まで,ジャクソン郡からの聖徒たちがクレイ郡に集合した。1836年,聖徒たちは再びこの地を去るように求められた。預言者ジョセフ・スミスとそのほかの5人が,ここで1838年12月から1839年4月まで不当に投獄された。
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ファーウェスト 1836年から1838年にかけて,ここが聖徒たちの避け所とされた。1838年に,ここに教会の本部があった。1838年から1839年にかけて,聖徒たちはイリノイ州へ逃れるように強いられた。
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ノーブー 1839年から1846年までの教会の本部。預言者と兄ハイラムの殉教後,聖徒たちは西部へ移住した。
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カウンシルブラッフス 1846年6月に,開拓者たちがここに到着した。モルモン大隊の隊員たちは,ジェームズ・アレンの指揮下で1846年7月21日にここを出発した。
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ウィンタークォーターズ 1846年から1848年までの重要な暫定居住地。1847年4月,ブリガム・ヤング会長の指示の下にある先発隊が西部へ向かった。
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フォートレベンワース モルモン大隊は,1846年8月に西への行軍を開始する前にここで旅の準備をした。
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サンタフェ フィリップ・クックがモルモン大隊の指揮を執り,1846年10月19日に,大隊は行軍を開始した
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プエブロ モルモン大隊の,病人から構成される3つの分隊に,健康を快復するまでプエブロにとどまるようにとの命令が下された。その隊員たちは,1846年から1847年にかけての冬の間,ミシシッピから来た聖徒たちとともにここで過ごした。1847年7月に,これらの人々はソルトレーク盆地に入った。
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サンディエゴ 1847年1月29日に,モルモン大隊はこの地で3,200kmの行軍を終えた。
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ロサンゼルス 1847年7月16日に,モルモン大隊はここで解散になった。
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サクラメント 除隊した何人かの大隊隊員が,この地と,アメリカン川のさらに東方のサッター製材所で働いた。彼らがそこにいた1848年1月に金が発見された。
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ソルトレーク・シティー 1847年から現在まで,ここに教会本部がある。1847年7月24日に,ブリガム・ヤングはソルトレーク盆地に到着した。