聖文には,「たとえ」と呼ばれる,霊的な真理を人々にとってより身近なものに例えた物語が数多く載っています。救い主は,種まきのたとえにおいて,種を植えるという隠喩を用いて証について語っておられます。1
このたとえは,種が良い地で育つように,わたしたちも心の中で証が育つよう促すことができるのだと教えています。ダリン・H・オークス管長は,ある説教の中で,この物語の各要素が,現代のわたしたちにとってどのような意味を持つのかを詳しく説明しています。2
- 種まき:イエス・キリストは,このたとえにおける「種まき」です。主こそ,わたしたちに真理の種を与えてくださる御方なのです。
- 種:種は,聖文や預言者のメッセージの中に見いだすことができる「神の言葉」を表しています。
やせ地,すなわちわたしたちが避けるべき態度には,以下のようなものがあります。
- 道ばた:道ばたとは,鳥が種を運び去ってしまえるような硬い地のことです。これは,心がかたくなで御霊に耳を傾けようとしない人に,神の言葉を聞かせることのようなものです。
- 石地:石地に植えられた種は,芽を出すことはあっても,根を張る場所がないためにやがて枯れてしまいます。これは,証を養うのをやめてしまった人が,信仰が試されるような困難に遭ったときに,神に背を向けてしまうようなことかもしれません。
- いばらの地:いばらの地に植えられた種は,ふさがれたり,絡められたりしてしまいます。これは,神の言葉よりも,この世の富(財産や依存症など)に重きを置いてしまった人を表しているのかもしれません。
では,良い地とはどのようなものでしょうか。それは,わたしたちが心掛けるべき態度のようなものです。
- 良い地:イエス・キリストについて学び,イエスに従うために最善を尽くしている人は,心の中に神の言葉を「植え付ける」ことができます。そして,良い選択をし,神聖な経験によって証を養おうと努力し続けるなら,植物が育ち,力強く生長していくように,その人の証は根を張り,より力強く成長していくことでしょう。
考えてみてください。オークス長老のような教会の指導者も,かつては皆さんのような10代の若者でした。わたしたちが証を少しずつ強めることができるように,指導者たちの証も少しずつ強められていったのです。そして,指導者たちも,わたしたちのように,今もなお日々証を養う必要があります。
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注
1.このたとえについては,マタイ13章,マルコ4章,ルカ8章を読んでください。
2.「種まきのたとえ」2015年4月の総大会。
上記の画像は,『For the Strength of Youth-青少年の強さのために』2023年3月の裏表紙にも掲載されています。