CES宗教教育者大会
生徒が自分自身の証に責任を持てるように助ける


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生徒が自分自身の証に責任を持てるように助ける

2024年6月CES宗教教育者大会

末日聖徒イエス・キリスト教会の宗教教育者の歴史的な集まりに、皆さんを歓迎します。何年もの間、わたしたちは年に一度、CESの宗教教育者全員と集まり、「中央幹部との夕べ」と呼ばれるディボーショナルを行ってきました。今晩もその伝統を引き継いで、会の最後に、デール・G・レンランド長老の話を聞きます。これまでブリガム・ヤング大学でも対面式のCES大会を主催してきましたが、今年は初めて教会教育システム全体が一堂に会し、セミナリーとインスティテュート、BYU、BYUアイダホ、BYUハワイ、BYUパスウェイ、そしてエンサイン・カレッジの宗教教育者たちが互いに学び、見識を共有し、より効果的に教えるための取り組みについて話し合いました。合計すると、これらの宗教教育者は、セミナリーに在籍する生徒に加えて、教会全体で約50万人のヤングアダルトを教えています。

なぜそのような努力をするのか理解することは、CESにおける宗教教育の目的そのものに結びついています。わたしは、このシステム内で各学校が果たす独特の役割について、度々話してきました。例えば、わたしがBYUを「大使」と呼ぶのは、招集者、主催者、学者としてシステムと教会を代表しているからです。また、BYUアイダホは教育に特に重点を置いているので、「教育者」と呼びます。BYUハワイは、「アジア—太平洋のかさ石」です。教会でこの地域に貢献し、特化しているからです。エンサイン・カレッジは、入門レベルの職業スキルに焦点を絞った「応用カリキュラム・プロバイダー」です。そしてBYUパスウェイは、安価で高品質なオンライン学習を通じて、ほかのどのキャンパスよりも多くの学生にサービスを提供する「アクセス・プロバイダー」です。もちろん、セミナリーとインスティテュートは、教会の大学に通っていない学生に働きかけ、どこで教育を受けるかにかかわらず、ヤングアダルトにとって霊的なよりどころとなっています。

これらの異なる役割にもかかわらず、各機関は少なくとも2つの方法で統合されています。第1に、教会教育システム自体の使命です。つまり、家庭や教会や地域社会で指導者となるイエス・キリストの弟子を育成することです。それぞれの役割は異なっていても、CESの各機関は、弟子としてのリーダーシップについて共通の使命を持っています。もっと具体的に言えば、わたしたちは宗教教育者として、CES全体でさらなる責任を共有しているのです。2019年6月、教会の教育委員会は、教会教育システムにおける宗教教育の役割について概説した核となる文書を承認し、これは「宗教教育の強化」文書とよく呼ばれています。この責務は、教会教育委員会から直接明確に指示されたものです。文書の冒頭にはこうあります。「宗教教育は、各機関の使命において、特異で大切な役割を果たし、……各機関の目的の中心となっています。」この文書ではさらに、宗教教育の中心となる目標が次のように述べられています。「宗教教育の目的は、聖文と現代の預言者からイエス・キリストの回復された福音を教え、各生徒が天の御父〔と〕……イエス・キリスト、……回復された福音、……〔生ける預言者〕に対する信仰と証を育み、生涯主の弟子となり、……答えを見つけ、疑問を解決し、信仰をもって対応する能力を強化できるように助けることです。」教会教育システム全体における宗教教育の核となる目的のため、今日わたしたちはここに集まっています。この点に意識的に焦点を当てないと、教会がこれらの各機関に多額の投資をする意味を見いだすのが難しくなります。

今日、わたしたちが集まっている理由の一つは、わたしたちがCESの使命を共有し、宗教教育者として証を育み、生徒が主の弟子となり、自分の疑問や信仰に対する答えを見つけるのを助ける共通の責任を負っているからです。また、チャド・ウェッブ兄弟のリーダーシップに感謝します。ウェッブ兄弟は、教会のセミナリーとインスティテュートを指導しています。また、この2年間、教会教育システムの代表者で構成される宗教教育委員会の委員長も務めてきました。わたしたちがCESの教育者として今日集まることができているのは、この委員会のおかげです。また、CESの各学長、すなわちリース学長、メレディス学長、カウヴェ学長、クッシェ学長、アシュトン学長、そしてウェッブ兄弟からのサポートにも注目すべきです。これらの指導者は、各機関の「道徳的、霊的な最高責任者」となるよう求められています。この指示はカウヴェ学長が就任したときに始まり、以降、CESの就任式で毎回繰り返されてきました。ここでは就任したときの写真を見せるだけにしましょう。これはカウヴェ学長です。この指示はホランド会長から伝えられ、その後アシュトン学長、リース学長、そして最近では、メレディス学長に伝えられました。これらの学長が今日ここに集まっているのは、偶然ではありません。彼らはすばらしい指導者であり、この宗教教育者大会を開催するためにリーダーシップを発揮し、献身してくださることに感謝します。

次に、わたしの今日のメッセージの背景を説明したいと思います。わたしは過去2年間の宗教教育者への年次説教の中で、ヤングアダルトに対して預言者が特に強調している事柄に焦点を当てるように、皆さんにお願いしてきました。また、ここで取り挙げるトピックが確実に変化していくことを強調してきました。これらの5つのテーマが取り分け特別なわけではなく、預言者や使徒たち、特にヤングアダルトにかかわる人々から、継続的な指示を受けるにつれて更新されるべきものです。わたしたちの望みは、これらの特定のメッセージを暗記することではなく、わたしたち全員が生徒を助け、彼らが生ける預言者に耳を傾け、そのメッセージを実践する方法を学べるようにすることです。

その精神に基づき、最近わたしが心に留めている預言者の強調点の一つに焦点を当てたいと思います。ラッセル・M・ネルソン大管長はヤングアダルトに、自分の証に責任を持つように勧めています。預言者に従いたいのであれば、2つのことに注意してください。まず、大管長がメッセージを繰り返すときにその点に注目し、次に、わたしたちに嘆願するときには、その点に特に注意を払うことです。ネルソン大管長の「自分の証に責任を持つ」というメッセージには、この両方のパターンが見られます。このメッセージは、2022年5月にヤングアダルトを対象にしたこのディボーショナルで初めて紹介され、大管長はこう述べています。「自分の証に責任を持つよう皆さんにお願いします。そのために努力してください。手に入れて、大切にし、育ててください。真理という養いを与えてください。不信仰な人々の誤った哲学で証を汚しながら、なぜ自分の証が弱まっているのだろうと不思議に思わないでください。自分の証を最優先にしながら、生活の中で奇跡が起こるのを待ってください。」

そして、その年の10月の総大会の説教の中で、ネルソン大管長は、今度は教会全体に向けてほぼ同じ勧告を与えました。「今年の5月にヤングアダルトに求めたのと同じことを、すべての教会員にもお願いしたいと思います。そのとき彼らに強く勧めたように、今回は皆さんに対し、イエス・キリストと主の福音に対する自分の証に責任を持うようにと切にお願いします。そのために努力してください。証を育ててください。真理という養いを与えてください。不信仰な男女の誤った哲学で証を汚さないでください。イエス・キリストに対する証を絶えず強めることを最優先して、自分の人生に奇跡が起こるのを待っていてください。」

ネルソン大管長が自分の証に責任を持つようにと繰り返し招いたことから、わたし自身の証を得るまでの道のりについて少し話したいと思います。これは個人的な表現で、書き留めたものになりますが、堅苦しくない環境で隣に座って話しているように感じていただければと思います。わたしたち一人一人には、信仰に至る独自の旅があります。生徒も同じです。今日は、わたしの経験を紹介しましょう。わたしの信仰への旅は、突飛な出来事から始まりました。わたしはアリゾナ州スコットデールの、末日聖徒がほとんどいない地域で育ちました。高校の陸上競技大会で、わたしはレースの準備をしていたとき、競技場の反対側に若い男性の指導者であるバトラー兄弟がいるのに気づきました。彼がそこにいるのは、とても奇妙でした。互いに共通点があまりないし、競技場で会うことはめったにありません。すると、御霊がこう告げました。「クラーク、教会は真実だ。そうでなければ、彼がここにいるはずがない。彼の信仰には、あなたを支えるために動くという何か深いものがあるにちがいない。」それだけでした。その経験は、聖文を熟読しているときや、証会で起きたのではありません。ひとえにだれかの献身的な奉仕の結果から生まれたのです。その気持ちは今日、あの日と同じくらい鮮明に思い出せます。

数年後に、わたしは日本神戸伝道部に召されました。MTCでの最初の日のことを覚えています。同僚に会い、教師を紹介され、世界中から集まった力を感じて、とても興奮しました。ところが、翌朝6時に目覚ましが鳴ったとき、わたしは起きることができず、一瞬パニックに陥りました。「一体どうしたらいいのだろう。日本語のような難しい言語を学ぶことはおろか、これから2年間、毎日こんなに早く起きられるだろうか。」突然、若い男性の指導者が試合を見に来てくれたという事実は、わたしのこれからの2年間を支えてくれるのに十分とは思えなくなりました。知識をもっと深める必要があり、福音そのものに根をはった証が必要でした。わたしは毎朝、モルモン書を真剣に読むことにしました。朝6時に目覚まし時計が鳴ると、わたしはMTCの机に向かい、椅子に座ってモルモン書を読み、勉強しました。モルモン書の終盤にさしかかったとき、わたしはモロナイ10:3-5にある約束を読みました。セミナリーの生徒のときから、その聖句を知っていました。わたしはひざまずき、信仰の確信を求めて祈りました。しかし、主に尋ねても、最初は何も起こりませんでした。とてもがっかりしました。わたしは椅子に座り直し、モルモン書があと2ページで終わることに気づきました。せめて最後まで読もうと決意しました。モロナイ10章の最後の3節に進むと、モロナイ10:32にこう記されていました。「まことに、キリストのもとに来て、キリストによって完全になりなさい。神の御心に添わないものをすべて拒みなさい。もしあなたが神の御心に添わないものをすべて拒み、勢力と思いと力を尽くして神を愛するならば、神の恵みは……」涙が出てしまいました。すみません。「神の恵みはあなたがたに十分であり、あなたがたは神の恵みにより、キリストによって完全になることができる。」その節を読んだとき、光に包まれ、明らかになりました。わたしは否定できませんでした。心の高まり、温もりで全身が満たされました。その瞬間にわたしは、モルモン書が真実であり、イエスがキリストだと証することがモルモン書の目的だと分かりました。

こうして、この力強い証を携えて日本に向かったのです。その後も自分の証を築く経験をしましたが、MTCでの朝ほど深い経験はありませんでした。ある大雨の夜、寝る準備をしていると、ドアをノックする音が聞こえました。わたしたちは顔を見合わせました。わたしたちのアパートは、伝道本部の裏にありました。こんなに夜遅くアパートに来るなんて、と少し驚きながらドアを開けると、伝道部会長が傘をさして立っていました。「ギルバート長老、着替えてください。松尾長老のところに行きます。」松尾長老のお父さんは、がんで危篤状態でした。わたしはすぐに、何があったのか察しました。しかし、わたしが伝道部の車に乗り込むと、松森会長はわたしに、松尾長老の母親が交通事故で亡くなったことを説明し、そしてこう言いました。「どうしたら彼を慰められるか理解できるように、祈ってください。」わたしは圧倒され、自分の至らなさを痛感しました。わたしたちはワイパーが左右に動くのを見ながら、黙って車を走らせました。突然、御霊により、アルマ7:12が心に浮かんできました。「また神の御子は、肉において御自分の心が憐れみで満たされるように、また御自分の民を彼らの弱さに応じてどのように救うかを肉において知ることができるように、彼らの弱さを御自分に受けられる。」わたしは、イエス・キリストの贖いにより罪を克服できることを知っていました。キリストは復活され、わたしたちが再び生きられるようにしてくださいました。その夜、大阪の高速道路で、イエス・キリストが人生の葛藤や苦難、不公平に直面するわたしたちを慰めてくださることを学んだのです。一人の若い宣教師が何に直面しているのか、わたしが理解できなくても、贖いの奇跡を通して、御存じの御方がおられるのです。伝道を始めて1年経ったあの夜、御霊はもう一度、モルモン書が真実であり、その目的はイエスがキリストであると証することにあると、力強く証してくださったのです。

わたしは帰還すると、ソルトレーク神殿でクリスティーンと結婚しました。そしてカリフォルニアに引越し、その後ボストンに落ち着きました。わたしはその後も繰り返し、自分の証の静かな確信を得てきましたが、あのMTCの朝や、大阪の高速道路の夜ほど、深遠なものはありませんでした。しかし、ある日曜日に、わたしは思いがけなく、力強い御霊の証を受けました。その時わたしは、ほとんどの人が証を築くためには参照しない聖句を読んでいました。それはアルマ30章でした。教会のレッスンで、いわゆる「コリホルの教義」の箇所で、コリホルはキリストを否定し、選択の責任から人を解放し、人は自分の素質によってのみ救われると宣言しました。彼は、今で言う「道徳的相対主義」にとらわれていました。また、他人の信仰を先祖からの愚かな伝統として、攻撃的にけなしました。日曜学校の教師がレッスンを進めていくうちに、わたしは、もしジョセフ・スミスが自分でモルモン書を書いたのなら、コリホルという登場人物を出すのはおかしい、と思い始めました。ジョセフは、イエス・キリストを信じる宗教熱の高まる時代に生きていました。恐らく、モルモン書に登場するコリホルやニーホル、シーレムのような、反キリストの教義を積極的に主張する人物に会うことはなかったでしょう。しかし、モルモン書はわたしたちの時代のために書かれました。わたしは、マサチューセッツ州ケンブリッジの学術的な環境の中で頻繁に出会った人々から、このような主張を頻繁に耳にしました。日曜学校のクラスで先ほどの疑問について考えていると、すでにモルモン書に対する深い証を持っていたわたしに、御霊がこう言いました。「クラーク、モルモン書は真実であり、その目的はイエスがキリストであると証することです。」

こうした経験は、生涯を通じて続きました。ボストンで市内の青少年のために神殿で祈っていたことがありました。わたしがモーサヤ3:17を読んでいると、青少年を助ける唯一の方法はイエス・キリストを通してであると、御霊が教えてくださいました。また、アルマ36章を研究していたとき、息子アルマの贖いの結果を中心とする、その章全体に見られる交差対句法について学びました。驚くべきことに、モルモン書についての証を得るたびに、イエス・キリストについての証も得られるようでした。これは2018年10月総大会の女性部会でも起こりました。ネルソン大管長は教会の姉妹たちに、年末までにモルモン書を読むように、そしてモルモン書の中で救い主について引用している箇所すべてに印を付けるようにと招きました。わたしは妻と6人の娘を応援しようと、自分も招きに従いました。その時のわたしは真新しいモルモン書を入手したばかりでした。わたしはモルモン書の中の救い主に関するすべての記述に印を付けました。何ページにもわたり、イエス・キリストに関する聖句に赤鉛筆で印を付けました。48歳のとき、すでにモルモン書と救い主について深い証を持っていましたが、その年の秋、毎朝この本のページを読んでいた時に、御霊が再びわたしにこう証してくださいました。「クラーク、この書物は真実であり、その目的はイエスがキリストであることを証することです。」

ネルソン大管長のメッセージに戻って、再度引用したいと思います。「自分の証に責任を持つよう皆さんにお願いします。そのために努力してください。手に入れて、大切にし、育ててください。真理という養いを与えてください。不信仰な人々の誤った哲学で証を汚しながら、なぜ証が弱まっているのだろうかと悩まないでください。……自分の証を最優先にしながら、生活の中で奇跡が起こるのを待ってください。」わたしは、これらの奇跡について証します。わたしは生涯を通じて自分の証を優先してきたので、多くの祝福を受けてきました。

兄弟姉妹の皆さん、わたしたちは宗教教育者として、生徒が自分の証に責任を持てるように助けなければなりません。そのことを生徒に教えるための5つの方法に、焦点を当てたいと思います。第1に、選択の自由を行使できるように助ける。第2に、ほかの人々、特に苦しんでいる人の光となるように教える。第3に、信仰をもって質問する。第4に、真理に満ちた情報源に目を向ける。第5に、御霊に頼る、です。

第1に、わたしたちは生徒に、証を育むには選択の自由の積極的な行使が必要であることを教えなければなりません。C・S・ルイスは、頻繁にこの言葉を引用しました。「一番遠い回り道が、一番の近道だ。」信仰と弟子としての意識を強めるには、努力が必要です。それは意識的な行動です。アルマは、証を築くには十分に注意を払う必要があると教えています。「しかし見よ、もしあなたがたが目を覚まし、能力を尽くしてわたしの言葉を試し、ごくわずかな信仰でも働かせようとするならば、たとえ信じようとする望みを持つだけでもよい。わたしの言葉の一部分でも受け入れることができるほどの信仰になるまで、その望みを育ててゆけ。」

生徒が自分の証に責任を持てるように助ける際に教えることができる2番目の原則は、ほかの人、特に苦しんでいる人の光となることです。この世代は、同世代の人や人生の苦難に直面している人のことを深く気にかけています。ネルソン大管長は、苦しみを受けている人を裁いてはならないと次のように教えています。

「友人や家族が教会から離れても、その人を愛し続けてください。自分が忠実であり続けることに対して批判を受けるいわれがないのと同様に、人の選択を裁く資格もありません。

よく聞いてください。皆さんには見えない物事によって生じた疑いを抱く人々のために道をそれないでください。」

疑念や疑いは伝染するかもしれませんが、信仰や希望も同じです。ネルソン大管長は次のように続けました。

「何より、疑念を抱く友人たちに、主と主の福音に対する 皆さんの愛を伝えてください。彼らの疑いの心に皆さんの信じる心を見せてください!

自分の証に責任を持ち、それを育てるときに、主の御手に使われる者としての能力はさらに増すでしょう。」

この最後の点、つまり生徒が主の道具となり、リソースとなるように教えるときに、ヤングアダルトの証を助ける機会があると、わたしは思います。光となるように教えてください。友人となるように教えてください。人々のリソースとなるように教えてください。まだ信仰を見いだしていない人に、奉仕することを教えてください。奉仕活動をしているときに、多くの証がもたらされます。わたしは自分にできることをすべて行っていたので、マサチューセッツ州ボストン神殿で、キリストが青少年の祈りにこたえてくださるという証を得ました。生徒に、光となるように、そうすれば、証が育つことを教えてください。

もちろん、疑問を抱くことは構わないと、わたしたちは教えます。レンランド長老が今晩、この点についてもう少し詳しく話します。ネルソン大管長はこう説明しています。「疑問があれば、あることを望んでいますが、信じたいという強い望みをもって答えを求めてください。」しかし、ジェフリー・R・ホランド会長はこうも指摘しています。「時々わたしたちは、信仰を正直に言い表すよりも疑いを正直に言い表す方が、勇気のある証拠であると勘違いすることがありますが、そうではありません!」病気の子供の父親が、救い主に「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」と嘆願したとき、まず信じる思いがそこにはありました。わたしは十代のころ、信仰のジレンマについて父に尋ねました。当時、父が考えもしないことを思いつくほど、自分が賢いと思っていたのです。15歳のわたしは、父よりも知識があり、どんな議論をしても、父に勝ちました。そして、わたしは父に、難題を出しました。父はその質問に答えずに、簡単にこう言いました。「クラーク、わたしもその質問について考えたことがあるよ。わたしは人生で、2種類の質問に直面してきたんだ。答えを知っている質問と、理解が難しい質問だよ。時間がたつにつれて、知っていることは増え続け、理解できないことはどんどん減っていったんだ。」

皆さんが信仰を持って前進するなら、同じことが起こると約束します。それは、人々の疑問や懸念に対処しないということではなく、わたしたちは彼らが信仰を持って前進できるように助けるのです。ラリー・コーブリッジ長老はBYUディボーショナルでこのキャンパスの学生に対して、「第一の疑問に集中し、第二の疑問は時間をかけて解決するように」と言ったのは、このことだと思います。ネルソン大管長は、証を築くには真理に満ちた情報源に目を向ける必要があると述べています。「〔自分の証に〕真理という養いを与えてください。不信仰な人々の誤った哲学で証を汚しながら、なぜ証が弱まっているのだろうかと悩まないでください。」ヤングアダルトの中には、強固な信仰を持つ唯一の方法は、教会の批評家や敵に頼ることだと考える人がいます。それがどうして、信仰を強固にしてくれるのでしょう。そのような状況下では、生徒が目的の誠実さに目を向けられるように助けるべきです。コリホルやニーホル、シーレムは、信者を啓蒙しようとしたのではなく、自分の誤った選択を正当化し、個人的な政策を主張しようとしていました。生徒に次のメッセージについて教えてください。「一部の情報源は、不信や恐怖、疑いを生むように計算されている可能性さえあります。」彼らが生ける預言者や聖文、信頼できる教会指導者に目を向けられるように助けてください。

わたしたちが頼れる最も重要な真理の源の一つは、聖霊です。聖霊が存在しているときにどのように感じるか理解し、真理でないことが伝えられたときに聖霊が消え去ることを認識できるように、生徒に教えてください。ヘンリー・B・アイリング管長とケオニ・カウヴェ学長が最近BYUハワイで行った質疑応答セッションで、わたしはこのテーマについて貴重な経験をしました。ある生徒が、生活の中で聖霊が必要になるのはどのようなときか、尋ねました。アイリング管長は、ネルソン大管長の次の言葉を引用しました。「導き、指示し、慰める、変わることのない聖霊の影響力がなければ、これから先、霊的に生き残ることはできないでしょう。」それからわたしに、生徒の質問に答えるように言いました。これは、わたしがBYUアイダホの学長として、何百回も答えてきた質問でした。わたしは学生たちに、何を勉強するか、だれとデートするか、どこに住むか、どんな仕事に就くか、そしてヤングアダルトが直面するそのほかの多くの人生上の決断を下すときに御霊が必要だ、と答えました。それからアイリング管長はその学生に、もう一度ネルソン大管長の言葉を読むように求めました。今度は、生き残るという言葉で止めました。アイリング管長は、預言者が生き残るという言葉を意図的に使ったと明言しました。そして、学生たちはサタンが真理を曲げることに長けている時代に生きており、聖霊を伴侶としていなければ、福音の最も基本的な真理について欺かれてしまうだろうと説明しました。ネルソン大管長は、「日の栄えの考え」という説教の中で、次のように断言しています。「敵対者の欺きに終わりはありません。備えてください。信仰がない人々からの助言を決して受け入れないでください。信頼できる人の声から、すなわち預言者、聖見者、啓示者から、そして……聖霊のささやきから、導きを受けてください。」

兄弟姉妹の皆さん、自分の証に責任を持つように、生徒に教えましょう。そのために努力し、証を手に入れて、大切にし、育てるように教えてください。この目的を達成するために、選択の自由を行使し、人々の光となり、信仰をもって質問し、真理に満ちた情報源に目を向け、聖霊に頼ることを学ぶように、生徒に教えましょう。「宗教教育の強化に関する指示」はわたしたちに、確信をもってそれを実行する責任を与えています。皆さんの取り組みはうまくいっています。外からの主張を鵜呑みにしないでください。インスティテュートに参加しているヤングアダルトの数が記録的に伸びています。教会の学校に在籍しているヤングアダルトの数も同様です。困難な時代にあっても、教会全体の信仰は高まっています。学生たちは自分の証に責任を持つことを学び、イエス・キリストに近づいています。わたしは救い主について証します。モルモン書が真実であることを知っています。そしてその目的はイエスがキリストであることを証することであると証します。これらの真理を見いだすように生徒を招きましょう。イエス・キリストの御名により、アーメン。