CES宗教教育者大会
預言者のメッセージを力強く広める組織的な取り組み


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預言者のメッセージを力強く広める組織的な取り組み

2024年6月CES宗教教育者大会

ケリー・ホーズ兄弟:ギルバート長老,ありがとうございます。多少個人的なことを話し,教えてくださり,ありがとうございます。個人,また管理会としてのご指導に感謝します。今日はともに集えて幸いです。ありがとうございます。全員を代表して心から感謝申し上げます。今晩は,皆で長老とレンランド長老のお話を何度も読み返し,その内容をもとに改善し続ける決意でいます。ありがとうございます。

学長の皆さんとともに集えることをうれしく思います。どうすればくつろいでいただけるか分かりませんが,見やすいように移動していただけますか?チャド,こちらに移って,見えるようにしてください。カウヴェ学長が参加してくださるとは思いませんでした。つながりました。カウヴェ学長,聞こえますか?ええ。やあ,ケオニ。お会いできてうれしいです。

夏の朝でソルトレークとプロボは寒いですが,そちらはライエですね。次回はそちらで集まるのも悪くなさそうですね,カウヴェ学長。皆さんを代表して,学長の卓越したご指導,信仰,力強さ,また楽な時も困難な時も誠実であり,証を述べ,ご指導くださることに心から感謝しています。ここにいる全員を代表して申し上げます。愛しています。また,学長たちを代表して申し上げます。あなたは,ここにいる全員を御存じです。この部屋にいる全員を御存じだと思いますし,この放送を見ている人のほとんどを御存じでしょう。学長の皆さんを代表して,指導者たちがどれほど深く感謝しているか,声に出してお伝えしてもよろしいでしょうか?ギルバート長老が言われたように,あなたの教えや,教室の内外での働きかけ,主について証する際の聖霊を招く能力によって,人々の生活が変わってきています。学長の皆さんを代表して,表現が不十分ながら,感謝申し上げます。

預言者の優先順位を力強く広めることについてのパネルディスカッションに参加できてうれしいです。皆さんのご意見を楽しみにしています。はじめに,リース学長とウェッブ兄弟,お二人からよろしいですか?では,リース学長,よろしければ最初で,それから,ウェッブ兄弟で。宗教教育,特に家庭での宗教教育が生徒たちに及ぼした影響,成長,奇跡についてのこれまでの経験や思い,目にしたことを分かち合っていただけますか?現在,また過去に目にした変化や影響について,始めに分かち合っていただければと思います。リース学長。すでにお話しくださった皆さんに感謝します。

シェーン・リース学長:もちろん。まず,カウヴェ学長がカメラアングルの下は短パン姿かどうか知りたいです。どうでしょう。

ジョン・S・K・カウヴェ学長:本物の靴も履いていますよ。

リース学長:ワオ!すばらしい日です。ここにいられて感謝です。ケリー,委員長事務所でのご指導に感謝します。ギルバート長老,あなたとあなたのご指導に感謝しています。ケリー,何から始めたかが重要であったと思います。宗教教育者たちが生徒の生活を変えてくださっていることに感謝しています。実を言うと,わたしがこの質問について考えたとき,ケリーがこれらの質問を事前に共有してくださったので,不意の質問ではありませんでした。

わたしは,ここブリガム・ヤング大学で受けた重要な責務,つまり,この大学を教会教育システムの最重要大学にするようにというクリストファーソン長老から告げられた責務をいつも思い返しています。しかし,恐らくもっと重要なのは,この大学が預言者,聖見者,啓示者が予告したとおりの大学になることへの責務です。この大学では,BYUになることについて話します。それが意味することの重要性,つまり文字どおり,キリストを中心とした,預言者の指導に基づく預言の大学になることの重要性について話します。

「預言者の指導に基づく」という言葉と「預言の」という言葉の二つの用法について,誤解のないように,キンボール大管長はこのキャンパスですばらしい説教をしました。それは「Second Century Address (第2世紀の説教)」と呼ばれています。わたしたちは,預言の大学について語るとき,この大学の将来とその2世紀目に関するキンボール大管長のすばらしいビジョンに直接注目し,焦点を当てます。

次に,「預言者の指導に基づく」とは,預言者,聖見者,啓示者として支持された人々により構成される評議会があるとはどういう意味であるかです。わたしたちやBYUの宗教教育者,BYUの全教職員にとって,そのような大学になるとはどういう意味であるかについて話すとき,それは,二重の立場を受け入れ,専門分野のことと御霊に関することに精通するということを意味します。この二つのことに精通する能力を持たなければなりません。

そのことを考えてきましたがあいにく,わたしは統計学者ですから,専門的な話になってしまいます。生徒の認識を測ることに関連して考えました。生徒から始まり,生徒に終わるからです。この部屋にいる全員にそれが当てはまります。そうでなければ,この部屋にいないでしょう。若い世代は,わたしたち一人一人にとって非常に大切です。ですから,クラスで起こっていることに対する生徒の認識について見てゆきます。ある面でのクラスの知的な成長と,別の面での霊的な強化をどう感じているかを見てゆきます。このキャンパスのすべての学問分野について各クラスを大きな散布図に書き込むと,バナナのような形になります。その目標はすべての教室にあります。この散布図の象限に番号を付けるとしたら,左下は「霊的にあまり強くなっておらず,知的に成長していない」ということで番号は「1」,右上の象限は「霊的にとても強くなっており,知的にとても成長している」です。

このキャンパスの宗教教育者に心から感謝しています。それは,教会教育システム全域で教えている皆さんにも当てはまることですが,例外なく,上部の象限に該当します。それはすばらしい結果です。生徒を鼓舞していることを示しています。皆さんは,証を築くことについてギルバート長老が語った質問をするように,彼らを導き,彼らの証に責任を負い,彼らの知性を鼓舞する方法でそれを行っています。神の栄光は英知であることをわたしたちは知っていますが,皆さんはまた,イエス・キリストの回復された福音に対する彼らの信仰を強めています。何とすばらしい結果でしょう。それが影響や成長であるだけでなく,奇跡だと,わたしは思います。

またわたしは驚くべき奇跡も目にしています。―因みに,チャド,もう少しで一人演説を終えますね。―預言者のメッセージを強調するようにとのギルバート長老の招きに対する宗教教育者の皆さんの対応に,驚くべき奇跡が見られます。彼らがクラスの教科課程を発展させ,教科課程で,授業計画で,クラスで毎日話す中で,預言者,聖見者,啓示者の言葉を力強く広めるときにそれが起こるのを,わたしは目にしています。神殿を生活の中心とするようにというネルソン大管長の招きに応じるときに,それが起こるのを目にしています。

少し時間を取って紹介させていただければと思います。わたしの人生で最も心温まる経験の一つは,評議会の役員たちと会った日のことです。ネルソン大管長がわたしと妻にこの神聖な職務に就くよう勧めてくれたことで,話の流れが一変しました。大管長は言いました。「窓の外を見てほしいです。神殿の基礎が強化されているのが見えます。神殿に焦点を当てることによってこれらの生徒の基礎を強化する必要があります。」

わたしは,このキャンパスの宗教教育者たちが生徒たちを神殿に向かわせるのを見てきました。彼らが自分自身の生活に関連して個人の啓示を受ける能力を強めるようにという預言者の招きに応じるのを,わたしは見てきました。また,もっと重要なことに,それが生徒たちにどのように影響し,どのように祝福をもたらしたかを見ました。ですからわたしは,宗教教育者に,また彼らが受けた招きへの対応に感謝しています。

ホーズ兄弟:ありがとうございます,リース学長。実に洞察力のある,心を鼓舞するコメントです。余談ですが,最近キャンパスで,学長と集会を持ったときだったと思いますが,わたしは早めに来て宗教学の教員のオフィスに立ち寄りました。クラスが始まる30分ほど前でした。彼女を訪ねると,聖典に没頭していました。彼女は生徒たちが証を持てるよう助けることにどれほど力を注いでいるか,数分間話してくれました。それはこの宗教教育で奇跡が起きている証拠でした。ありがとうございます。ウェッブ兄弟?

チャド・H・ウェッブ兄弟:はい,ありがとうございます。ちょっとした思いを2つだけ。一つ目は,ギルバート長老が言われたことを強調したいという思いです。ケリーも先ほどおっしゃいました。教会教育に見られる一致に奇跡が起こっていると感じます。6つの組織ではなく,一つのシステムであることに強い力があります。御存じのとおり,皆さんへの愛をお伝えしました。皆さんは愛を伝えてくださいました。わたしもそう感じました。わたしは学長たちを愛しています。彼らも,ギルバート長老も,またこのシステムを築くために長老が与えている指示も好きです。そこに力があると思います。組織を越えるだけでなく,教会教育に参加する各個人が天の御父の子供たちに祝福をもたらすという共通の理念,共通の目標のもとに一つとなるのです。

ヨハネ17章にある,救い主が祈って,わたしたちが一つになれるようにと言われた,偉大な執り成しの祈りを思い出します。御父はわたしとともにおられ,皆さんもわたしと一つになれるのです。主が,一致して一つになるようにと嘆願しておられる理由は,世を贖うために御父がキリストを遣わされたと世が信じるようになるためです。それは,必要な力を得ること,必要な御霊を受けること,人生を変えること,人々を変える方法で証を述べることの前提条件です。一致が強まっているとわたしは思います。この集会や,ギルバート長老が述べた宗教教育者の委員会,世界のすべての教職員の中に一致の奇跡が見られることに感謝します。人々が自分の望みや計画を脇に置いて,教会教育の核となる使命に焦点を当てるとき,一致と力があり,それは増し加わります。それを見ることができます。

ホーズ兄弟: ありがとうございます。

ウェッブ兄弟:もう一つは,手短に言えば,世界中の宗教学部とセミナリー・インスティテュートの教職員に言えると思いますが,毎日奇跡は起きています。この機会に,セミナリーとインスティテュートの広がりと成長について少しお話ししたいと思います。しかし,同じくらい印象的なのは,その影響です。皆さんのクラスに出席したことで伝道に出た人たち,神殿に参入した人たち,神殿で結婚した人たち,教会に活発であることを選んだ人たち,預言者の教えに従うこと,人を愛すること,救い主に従うことを選んだ人たちがいます。それは毎日起こっています。当たり前のことのように,教会教育という教会のこの眠れる巨人は,人々を祝福しているのです。

今朝,メールを受け取りました。その内容は,フィリピンの学生がインスティテュートのクラスで,宣教師として奉仕するか尋ねられ,こう答えたという短いものです。「自分だけが教会員です。だから分かりません。家族は出てもらいたくないのです。だから,半々です。」別の生徒はこう言いました。「自分も同じ状況ですが,ぜひ行きたいです。家族に祝福となり,家族の模範になるからです。」すると最初の生徒が言いました。「じゃあ,6割だ。」その若い女性はこう言いました。「わたしは伝道から帰ってきたばかりです。とてもすばらしい経験でした。」彼は言いました。「じゃあ,7割かな。」このようなことが続き,とうとう彼はこう言いました。「真剣に学んで祈ります。伝道に行きたいと思うかもしれません。」人々が集まり,聖文を研究し,互いに支え合い,そして御霊と信仰に満ちている愛情深い教師,毎日彼らの生活に祝福をもたらしている教師から学ぶことで,世界中で毎週何千回もそのような状況が再現されます。

ホーズ兄弟:いつでも目を閉じれば,世界のどこかのキャンパスやオンライン,また世界のどこかの建物を通じ,セミナリーのクラスがあり,まさにこのようなことが行われているのを想像することができます。一致に関するご意見にも同意します。わたしたちは皆,総大会やその他の説教台での話から,聖文から,またその他の神聖な場所で,わたしたちがクラスで聖霊の影響を十分に受けるために主は一致を求めておられるということを学んできました。それについてコメントし,わたしたち全員に,その道を進み続けるよう勧めてくださり,ありがとうございます。ありがとうございます。

アシュトン学長,学長と知り合ってから久しく,よく一緒に座って,聖典を開いてきました。わたしは,聖文と教義について学長と語り合うのが大好きで,学長や皆さんもそのようなことが性に合っておられる。アシュトン学長,今日,預言者の優先事項を力強く広めるというこのテーマを紹介するにあたり,ギルバート長老やリース学長,ウェッブ兄弟の話を踏まえてこの呼びかけにどのように応じ,なぜ応じるべきかを考えるうえで,この教義についてお話ししてくださいますか?教義の基盤となるものは何でしょうか? 1 時間分の思いがあることは承知していますが,時間は 3 分しかありません。わたしたちと共有したい思いはありますか?

ブライアン・K・アシュトン学長:まあ,1時間ほしかったですね。たくさんあります。でも,思ったことを少しだけ。

まず第一に,預言者が主の御言葉を語るときには,教義と聖約1章38節が当てはまります。「わたし自身の声によろうと,わたしの僕たちの声によろうと,それは同じである。」

教義と聖約43章もあります。これは2節から3節です。

「見よ,まことに,まことに,わたしはあなたがたに言う。あなたがたは,わたしの手から戒めと啓示を受けるようにあなたがたのためにわたしが任命した者を通して,わたしの教会のために律法として戒めを受けた。

あなたがたは,このことをよく知っておかなければならない。すなわち,……あなたがたのために戒めと啓示を受けるよう任命される者は彼のほかにだれもいない。」

ですから,主の御言葉を聞きたいのであれば,重要なことの一つは,預言者に耳を傾けることです。つまり,ほかの方法はないのです。すると,たくさんの祝福があります。教義と聖約21章で,預言者ジョセフ・スミスとその後継者全員について,主はこう言っておられます。「あたかもわたし自身の口から出ているかのように,彼の言葉を受け入れなければならない。」4節から始めましょう。「それゆえ,わたしの前に聖さを尽くして歩み,彼がわたしの言葉と戒めを受けるとき,あなたがた教会員は,彼があなたがたに与えるそれらのすべてを心に留めなければならない。」預言者に従うようにとの戒めです。「あなたがたは忍耐と信仰を尽くして,あたかもわたし自身の口から出ているかのように,彼の言葉を受け入れなければならない。」

時々,分からないことがあります。預言者の言っていることは主の御言葉であると知るのに,忍耐と信仰が必要なこともあります。しかし,わたしは主の御言葉であると証します。その祝福がこれです。「これらのことを行えば,地獄の門もあなたがたに打ち勝つことはないからである。」わたしたちがこのことを行わなければ,地獄の門がわたしたちに打ち勝つということなのでしょうか?預言者の言葉を生徒たちに伝えなければ,地獄の門が彼らに打ち勝つのでしょうか?「そして,主なる神はあなたがたの前から闇の力を追い払い,また,あなたがたのためと,神の名の栄光のために天を震わせるであろう。」 そうですよね?

神の栄光は英知,言い換えれば,真理と光です。真理と光はあの悪しき者を捨てます。さらに主は言われました。 「人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと,これがわたしの業であり,わたしの栄光である。」 預言者の言葉に従っていれば,そうするのを助けていることになります。彼らに永遠の命を得させようとしておられる神のお手伝いです。

最後に,次の言葉で締めくくります。ほんとうはまだ続けたいところですが。教義と聖約第90章5節にこうあります。「神の神託を受け入れるすべての者に……。」啓示も預言者もです。預言者は神託であり,啓示もそうです。「それらが軽々しいものと見なされることのないように……気をつけさせなさい。」預言者の言葉,特に現在の預言者の言葉を生徒に教えていなければ,それを軽々しいものと見なしているのです。その結果,「罪の宣告の下に置かれ,嵐が襲い,風が吹きつけ,雨が降って彼らの家に打ちつけるときにつまずいて倒れ」ます。

わたしたちが教えなければ,そうなるのは生徒だけではありません。宗教教育者として教えなければ,わたしたちは,主の御言葉を軽々しいものと見なすことになり,罪の宣告の下に置かれ,嵐が襲い,風が吹きつけ,雨が降って家に打ちつけるときにつまずいて倒れます。主の御言葉がなければ永遠の命を得るように生徒たちを助けられない,ということを証しましょう。主の御言葉がなければ,イエス・キリストの弟子にはなれません。

ホーズ兄弟:ありがとうございます,ブライアン。学長,そのとおりです。わたしたちは皆,評議会に参加する機会があります。皆さんもご一緒であればと思います。しかし,教会教育システムを指導する大管長会が同席するときは,「あたかも(主御)自身の口から出ているかのように」その言葉を受け入れるべきであると考えると身が引き締まります。 ですから,そう言ってくださり,うれしいです。預言者と自分を結びつけるならサタンから守られるという,語っていただいた考えは,とても大切な教義の要点です。それを分かち合ってくださり,うれしいです。

リース学長が言われたように,事前に問いかけをしていました。少し台本から外れて申し訳ありませんが,この教義の根底について話し,またブライアンが2,3節引用したように,ほかの皆さんから,教義の根底にあるもの,これに取り組むうえで基本となる教義的な要点について分かち合いたいということはありますか?もちろん,皆さん志を同じくする者同士です。皆燃える証をお持ちでしょうが,ほかに分かち合いたい思いはありますか?

ウェッブ兄弟:わたしたちがこの大会のテーマを選んだことを付け加えます。それはエテル書からで,預言者たちが証したイエスを求めることについてです。世の中の多くの人は,イエスを求めることに関心がないと思います。自分の望みや希望に沿うものを求めることに興味がある人もいます。わたしたちは,預言者たちが証するイエスを求めなければなりません。そうして,イエスの真の本質,真の属性と特質を知り,真の信仰を持つことができるのです。ほんとうにすばらしいことです。預言者は,神の真の本質を教えるという計画全体の中で重要な役割を果たします。

ホーズ兄弟:どうもありがとうございます。

ブルース・C・クッシュ学長:わたしに従ってきなさい』で,息子アルマが伝道するためにさばきつかさの職を譲ったことについて読みました。「純粋な証をもって責める」ことによって道をそれた聖徒たちを救うことについて語っています。 わたしたちが働きかけている人たちの中には,道をそれている人も,探し求めている人もいるかもしれません。しかし,純粋な証を述べ,自分が知っていることや感じたことを述べる力には,強い影響力があると思います。

ホーズ兄弟:クッシュ学長,ありがとうございます。次の質問も続けてお願いします。では,わたしたち全員が全力で取り組んでいることを承知の上で,学長や指導者として,また様々な役割を担っている者として,預言者の教えを力強く広める能力と望みをどのように高められるか,何か考えはありますか?

クッシュ学長:はい。能力望みは興味深い言葉だと思います。ギルバート長老は,選択の自由を行使することについて力強く教えました。預言者の言葉を力強く広めたいという望みは,選択の自由を行使し,義にかなった方法でそれを行うきっかけになると思います。また,選択の自由を義にかなって行使するときに,預言者の言葉を力強く広める能力が増すという霊的な賜物を受ける資格が得られると信じています。それは,選択の自由を行使しようと真心から努力した結果得られるものだと思います。

教義と聖約68章です。主は,福音を宣べ伝えに行く準備をしているオーソン・ハイドやそのほかの人々に,すばらしい啓示を与えておられます。主は言っておられます。

「また,聖霊に動かされるままに語ることは,彼らにとっての範例である。

そして,何であろうと聖霊に動かされて語ることは,聖文となり,主の心となり,主の思いとなり,主の言葉となり,主の声となり,救いを得させる神の力となる。」

ですから,生ける預言者の言葉は聖霊の影響の下で,聖霊の影響と力によって語られるものであり,したがって,聖文であるという推論と結論を出すことができると思います。聖文を研究するように,生ける預言者の言葉も研究するべきです。これらは聖文研究と対を成すものであり,補足ではありません。「大会説教や教えられたことは後で」良いのではなく,福音研究の不可欠な部分であるべきです。それらの言葉を心と魂に宿し,自由に分かち合えるものとすべきです。

また,預言者の役割と彼らの特別な召しと聖任を思い出し,理解を深め続けることも重要だと思います。わたしは,アンモンとリムハイの出会いが大好きです。二人は,預言者たちの美徳やモーサヤが行えること,翻訳に対するリムハイの関心について語り合っています。第8章に次の言葉があります。

「聖見者は過去のことも将来のことも知ることができます。解訳器によってすべてのことが示されるのです。というよりむしろ,秘密のことが明らかにされ,隠れたことが明るみに出るのです。知られていないことが解訳器によって知られるようになり,またほかの方法では知ることのできないことが,解訳器によって知られるようになります。」

ですから,生ける預言者の言葉は,ほかの方法では学んで知ることができないことを学んでいるという思いで,研究して実践するとき,非常に重要かつ不可欠なものとなります。そして最後に,わたしたちの影響力が及ぶ人々,つまり,家族や教える相手,一緒に働く人たちに,あらゆる機会を捉えて,自分が知っていることを分かち合い,経験を分かち合い,預言者が行えることについての証や預言者の言葉の大切さを分かち合うことが大切だと思います。

ホーズ兄弟:クッシュ学長,ありがとうございます。ほんとうにすばらしいです。ありがとうございます。このことは,過去数年間の教会教育システムへのギルバート長老のメッセージと,これらの預言者の優先事項から分かります。メレディス長老,お話ししたことがありますが,このメッセージの目的,ギルバート長老がこのメッセージを繰り返す必要性を感じている理由,預言者の強調点を確認するということについてほかに思っていることを分かち合っていただけますか?

アルビン・F・メレディス3世長老:ギルバート長老の代弁はできませんが,彼は非常に意識的に繰り返しているとわたしは思います。

カウヴェ学長:彼は預言者の教え方のパターンに従っています。

メレディス長老:わたしはいつも子供たちに,繰り返しは学習の母だと,繰り返して2回言っています。ここにいる何人かの兄弟たちが,教義と聖約について話してくださいました。教義と聖約の最初の章で,教会は「まことの生ける教会」であると述べられています。 教会が生ける教会であることには複数の要素がありますが,一つ重要な要素は,啓示が続き,継続しているということです。実際,回復は今も進行中です。ギルバート長老がこれを強調している理由の一つとして,彼自身がこれらのメッセージを暗記することは重要ではない,「それらは必ず変わる」とはっきり言ったことにあると思います。これらのメッセージを生徒に暗記させることはそれほど重要ではありません。メッセージは変わるからです。それよりも大切なのは,生ける預言者の勧告に心を向け,預言者が教えてきたこと,最近教えたことに注意を払う霊的な反射神経を形成するように,そして生ける預言者の勧告に従う確信を育めるように彼らを助けることです。

ホーズ兄弟: ありがとうございます。今日,コニーと車でここに来る途中で,コニーから,「何をお話しするのか教えて」と言われました。わたしは,預言者が強調している幾つかのことを話しました。すると,コニーは,「前回の大会の強調点は,一つだけよ。大会で話されたことはすべて,神殿と聖約と儀式に心を向けるもののようだったわ」と言いました。ギルバート長老の勧めで預言者の強調点が確認されるだけでなく,耳を傾け,探し,預言者の強調点を明らかにして活用することを学ぶ反射神経を発達させるのは,何と大きな祝福でしょう。ありがとうございます。ありがとうございます,メレディス長老。カウヴェ学長,聞こえますか?

カウヴェ学長:はい。ありがとうございます。

ホーズ兄弟:以上のことを踏まえて,カウヴェ学長,わたしたちが反射神経を発達させようと努め,預言者に耳を傾けようとしていることを知ったうえで,今日わたしたちのキャンパスやクラスにいるヤングアダルトが直面しているチャレンジや,目の前の世界の現実において,これが非常に重要な理由について,思いを分かち合っていただけますか?

カウヴェ学長:そうですね,そのことを考えると,基本的に,人々に奉仕の仕方を教える方法についての考えが心に浮かびます。わたしはとても実務的な人間なので,実務的な例について考えます。だれかとサーフィンについて話したり,子供にサーフィンの仕方を教えたりするとき,ボードをうまく操れないことがあります。ボードの扱い方を考えると複雑です。彼らが行っているのを見て,あなたは考えます。「ああ,足の位置が違っている。腰が高すぎる。肩の向きが悪い。手の位置が正しくない。体重がつま先やかかとに適切に分散されていない。」対応はとても複雑なものになり得ます。

ヤングアダルトは,実にいろいろ複雑な課題に直面しています。サタンは,肉体的,知的,霊的に健康である彼らの能力をむしばんでいます。親,教師,指導者として,わたしたちは,現世の知識と霊的な知識のすべてを駆使して最善を尽くし,彼らが何をなすべきか分かるように助けます。彼らに教えるべきことを知るのです。わたしたちはできるかぎりのものをしばしば提供していますよね。足の置き方や,手でどこを持つかなどの詳細に相当することを。

しかし,預言者の指示は大きく異なることがあります。わたしたちが受ける預言者の指示は,要点を突いています。それは,わたしたちの管理の職の範囲にいる人々について主が望んでおられることです。サーフィンの例で言えば,サーフィンをしている人に,細かいことまですべて調整するのではなく,「行きたい方向を見てください」と言うことができます。その重要な原則が分かると,彼らは,指摘され得る点を,もっとシンプルで自然な方法で変えることができます

預言者たちは,まさにヤングアダルトが教わる必要のあることを語っています。彼らが学ぶ必要のあることと行う必要のあることを的確に要約するメッセージを伝えます。非常に率直なことがしばしばです。ですから,管理の職を果たす方法を考えるとき,わたしたちは,それらのメッセージに耳を傾け,それらを力強く広め,管理の職の範囲内にいる人々が理解しやすい方法で繰り返すことによって,ヤングアダルトに仕え,益をもたらすことができます。わたしは,BYUハワイ校でそれを経験しました。

ネルソン大管長の「永遠にわたる決断」とオークス管長夫妻の「真理を擁護する」という説教が思い浮かびます。これらの話はいずれも,わたしがすでに強く意識し,生徒に懸念を抱いていた問題を取り上げたものでしたが,生徒を教えるために必要な方法と,生徒が進む必要のある道を示す重要なメッセージは何かについて明確で正しいパターンを与えてくれました。それで,メッセージを学び,深く考え,自分たちの管理の職で生徒たちにもっと適切に教える方法を見つけ出すことが,モニカとわたしの責任となりました。メッセージを思い出させる方法,特に,わたしたちがそれらのメッセージを選んだのは預言者の指示によるものであり,また彼らが学び,実践するのを助けたいという思いがあるからだと理解してもらう方法を見つけ出すのです。ですから,わたしは,それらの言葉を理解し,自分に託された人々にそれを教える方法を見つけ出すことが,わたしたちの管理の職の重要な部分であると思います。

ホーズ兄弟:カウヴェ学長,あなたとカウヴェ姉妹は預言者たちと使徒たちが強調したことを基にしたメッセージを意識的に選んでいるとおっしゃっています。学長とアドミニストレーターの皆さんがそうしているとお聞きしています。すばらしい模範をありがとうございます。「なぜこれが生徒にとって重要なのか」という疑問を抱くとき,わたしは,ヘンリー・B・アイリング管長がまさにこのような場でかつて教会教育関係者全員に語った言葉を思い出します。彼が語ったことの一部を紹介します。事前にお伝えしていないことですが,ご意見いただければと思います。アイリング管長はこのように言いました。それはブライアン,あなたが言ったことと結びついています。

「さて,わたしは皆さんに証します。預言者はどのような人であるかの伝え方で,若い人々に大きな影響を与えることができます。皆さんが預言者の言葉を読むとき,また預言者の言葉に関する自分の経験を述べるとき,自分の感じた喜びと,神が生ける預言者を通して語りかけてくださると知ることから感じる喜びを彼らに伝えるならば,皆さんは〔生徒たち〕の中に,誘惑と迫害に抵抗する力を築くことになると,わたしは証します。」 メレディス長老。

メレディス長老:妻とわたしは,BYUアイダホ校に赴任して以来,実に3つの強い印象を受けました。第1は,若い世代である学生たちの心を救い主に向けることです。第2は,生ける預言者と使徒の勧告に従うよう励ますことです。第3は,最初の二つを行うことにかかっています。それは,イエス・キリストの福音に従って生活することは喜びに満ちていると教えることです。この若い世代に喜びを教えなければ,彼らを失ってしまいます。預言者がいつ繰り返し,いつ懇願しているかに注意を払うようにというギルバート長老の言葉に倣って,ネルソン大管長が喜びについてどれほど多く語っているか振り返って見てください。それを身をもって体現すべきです。特に預言者の役割について語るときには,言葉と行動で示さなければなりません。

ホーズ兄弟: ありがとうございます。生徒は見ていますよね。どうもありがとうございます。リース学長,続けていただけますか。学長としてあなたが,預言者たちの言葉を引用し,引き出し,強調するのを,わたしは見聞きしてきました。教会教育システムの指導者として,強調したい,これらの言葉を力強く広める機会のある状況や機会はありますか?

リース学長:よい質問ですね。基本的には,ラッセル・M・ネルソンが主の代弁者であることを深く理解するときだと思います。わたしたちは,ネルソン大管長が特に若い人々に向けてすばらしい方法で伝えてきた教えを分かち合う機会をできるかぎりだけ求めていると,わたしは思います。新型コロナ後の最初に起こった出来事を例に挙げると,わたしは,カンファレンスセンターに向かう途中,高速で1時間足止めされました。預言者の声を聴こうとして若者たちが集まってきたのです。彼らは,預言者が主に代わって語る人であり,その教えに従うことで喜びを得られるということを知っていたからです。あらゆる機会を逃さないということです。わたしは,ここにいる学長の皆さんが行ってきた方法を称賛と感謝と尊敬の念を持って見守ってきたとだけ申し上げます。ですから,思いを幾つか分かち合いますが,同僚たちから見て取れたことをお伝えしているに過ぎません。第1に,それは指導者の集会で起こっていると思います。それは教職員集会かもしれません。同僚の教師たちと集まるときかもしれません。家庭で,親しい集まりから始まることを願っています。時には,学長として,もっと公の場でそれを行う機会があります。

カウヴェ学長が先ほど,ご自分と奥様がディボーショナルの話の中で決意を表明したように,妻とわたしも,預言者,聖見者,啓示者,特に今日ネルソン大管長の言葉を力強く広める機会がどこにあるのかについて時間をかけて話してきました。わたしたちは意識的に,預言者の言葉をメッセージに注ぎ込み,それを話したいことのテーマの指針とするように努めてきました。それはすばらしい機会です。わたしは集会の司会をするときには,可能なかぎり,ネルソン大管長が最近教えたことから少しの言葉を取り入れるようにしています。それはギルバート長老が話したとおりです。わたしたちは預言者の5つの強調点について話してきましたが,それらは不変ではありません。ネルソン大管長が近い将来話される際,それがソーシャルメディアに言及したものだったとして,それはわたしたちにとって,強調する必要のあることとなります。率直に言って,皆さんの中にはソーシャル メディアで驚くほど多くのフォロワーを抱えている方もいます。わたしのフォロワーは3人くらいでしょう。それでも3人に,わたしのソーシャルメディアの投稿で強調事項が伝わるよう願っています。ブリガム・ヤング大学学長としてのわたしの管理の職の一つは,預言者の言葉を強調し,力強く広めることだと,わたしは考えています。

ホーズ兄弟: ありがとうございます。すばらしいです。兄弟が実践されているのを見ていますよ。わたしはその3人のフォロワーの一人です。

リース学長:ありがとうございます,ケリー。

ホーズ兄弟:チャド,世界中に教員がいますが,預言者の教えを力強く広める機会についてお考えはありますか?

ウェッブ兄弟:ええ,リース学長の言葉どおりです。教職員集会やディボーショナルなどです。教師のレベルについて考えると,教科課程があり,またレッスンを教えたり,聖文を使って学習の経験を作り出したりする機会があります。教える原則が何であれ,それを探す機会を常に探し続けることができると思います。預言者たちはそれについて何と言っているでしょうか?教科課程を常に最新の状態に保つことはできません。書いて,翻訳して,出版するまでに数年かかります。ですから,生ける預言者の教えに精通するには,生ける預言者の教えに浸る必要があります。すると,伝わるものがあります。教職員集会に行くと,「総大会の話を思い出します。ネルソン大管長が言ったことを思い出します」と言わずにはいられない教師たちがいます。彼らは生ける預言者の教えに浸ってきたことが分かります。わたしにとっても,それ以上ではないとしても,恐らく同じくらい重要なのは,預言者の教えに浸るとき,生徒から質問を受けるとき,クラスであってもオフィスであっても,心に感じる質問を持ってオフィスに来る若者にとってそれは実に重要な瞬間であり,彼らの心を預言者に向けることができれば,預言者の教えで彼らの質問に答えることができれば,彼らを豊かに祝福することになります。

ホーズ兄弟:すばらしいです。ありがとうございます。

カウヴェ学長:それを完全に実践しているのがだれか,付け加えてもよろしいですか?オークス管長と,アイリング管長と,十二使徒全員です。

メレディス長老:彼らがどれほど頻繁にネルソン大管長の言葉を引用しているかを見てください。

ウェッブ兄弟:その一例として,適切であることを願いますが,コーリレーションで奉仕していたときに,ニール・L・アンダーセン長老が「話をするときに,テーマが何であれ,ネルソン大管長が何を教えたかに目を向け,救い主の模範を見つけ,証を述べている」と言うのを聞きました。とても良い模範です。

ホーズ兄弟: ありがとうございます。車を運転中に,コニーも言っていました。わたしが記憶している以上に,皆さんがネルソン大管長の言葉を引用しているようです。すばらしいコメントですね。もう時間ですか?あと10分あります。それが残りの時間です。このことに関するギルバート長老の話の中の,次の言葉に注目していただきたいと思います。「『しもべは聞きます。主よ,お話しください』と口にする方法の一つは,主の生ける預言者を通して明らかにされた主の言葉に耳を傾け,注意深く学ぶことです。わたしたちは」預言者の声を,「繰り返すことができるのです。」 ディボーショナルであろうと,教職員集会であろうと,教科課程が追いつかずともわたしたちが最新の状態を維持するよう努め,テーマが何であっても,預言者の声となるのです。

コメントをありがとうございます。もっと時間があればと思います。この場ではないですが,これから先,時間はたくさんあります。皆さんを愛しています。皆さんに感謝しています。皆さんの模範に感謝します。皆さんの指導に感謝します。この原則に関する皆さんの指導に,また,すばらしい模範を示し,預言者の声となるようほかの人々を励ましてくださることに感謝します。最後に,お二人に,結びの感想と証をお願いできますか?アシュトン学長,お先によろしいですか?その後,メレディス長老,結びの感想と証をお願いできますか?ありがとうございます。

アシュトン学長:少しの感想と証です。わたしたちは学長として,年に一度,教会教育理事会とともにCESの事前会合を行う特権にあずかっています。昨年,ラズバンド長老は,あらゆる場面で主の預言者について証するようわたしたちに勧めました。わたしはそうするように努めてきました。それで,物事に対するわたしの考え方は変わったと言えます。子供たちの考え方が変わりました。BYUパスウェイの人たちの考え方が変わっているよう願っています。昨日,集会で結びの言葉を述べましたが,証を忘れて座り,御霊から,わたしが「うっかりしていた」ことを告げられました。わたしは悔い改めました。証することが重要であることを証できます。

わたしは証します。救いは主イエス・キリストを通してもたらされます。ギルバート長老は今日,そのことについて力強い証を述べました。しかし,主イエス・キリストを信じる信仰は,預言者からもたらされる主の御言葉を信じることと結びついています。主の次の御言葉に耳を傾けてください。エテル4:12にこうあります。「わたしの言葉を信じない者は,わたしを,すなわちわたしが実在していることを信じない。」もう一度読みます。「わたしの言葉を信じない者は,わたしを,すなわちわたしが実在していることを信じない。」主の御言葉は,大部分,今日ネルソン大管長を通して,またほかの預言者,聖見者,啓示者を通してもたらされます。彼らの言葉を力強く広めなければ,生徒もわたしたちも,昇栄に至る信仰を持つことや,イエス・キリストが生きておられることを信じることが難しくなってしまいます。

ケリーが読み上げたアイリング管長の言葉で感動したのは,祝福です。預言者がどのように変わったか,預言者の言葉を研究して生活に応用することによってわたしたちがどのように変わったかを証することができれば,生徒たちがキリストの御言葉を信じる助けとなります。そうすれば,生徒たちは主が生きておられ,主が唯一の救いの源であられることを知るでしょう。わたしは証します。わたしたちは預言者と使徒によって導かれています。ネルソン大管長は主の代弁者です。大管長の言葉を自分の生活に当てはめてきました。それが主の御言葉であることを知っています。それはわたしと家族に大いなる祝福をもたらしてきました。わたしは証します。救い主は生きておられ,あらゆる救いと祝福の源です。このことを,イエス・キリストの御名により申し上げます。アーメン。

カウヴェ学長:アーメン。ありがとうございます。

メレディス長老:モルモンの言葉の直後,アルマは教師たちを送り出し,教会の初期の時代にはジョセフが長老たちを送り出しました。どちらの場合も,命令は同じで,預言者と使徒が教えてきたこと以外は何も教えてはならないというものでした。どちらも,教会の初期の時代のことです。ほかのことを教える必要もあるでしょうが,原則は変わりません。生ける預言者と使徒の教えにしっかりと基を据えるなら,彼らが見張り台の見張り人として立っているので,わたしたちは安全を見いだすでしょう。

わたしは永遠の楽観主義者です。教会だけでなく,世界でもすばらしいことが起こっていると思います。そうは言っても,わたしたちは確かにパウロが預言した苦難の時代に生きており,その苦難の時代に深く入り込めば入るほど,生ける預言者と使徒の教えにしっかりと基を置くことが重要になってきます。アシュトン学長の証と,エテル書で教えられた聖文に感謝しています。そこからなぜ重要なのかが分かります。生ける預言者と使徒の勧告に従うことが,わたしたちの心を救い主に向けるからです。救い主を通して,贖いと救いと昇栄がもたらされます。

わたしたちは今日,預言者に導かれるという祝福にあずかっています。預言者のことを神に感謝しています。わたしはネルソン大管長とこのような場で一緒にいる機会がありましたし,もっと身近な場で一緒にいたこともあります。わたしはネルソン大管長についての証を残します。大管長は,今日の地上における主の生ける預言者です。その勧告に従い,若い世代を彼に導くならば,イエス・キリストの福音に従って生活することで得られる満ちみちる喜びにあずかることができるでしょう。イエス・キリストの御名により,証を残します。アーメン。