わたしには起こるはすがない
将来、有名になったり財産に恵まれたりすることはないかもしれませんが、もっと永続する、達成感のあるものが得られるでしょう。この世での行いが永遠の世にも影響を及ぼし続けることを忘れないでください。
神の神権を持つ愛する兄弟の皆さん。今晩皆さんにお話しする責任は身に余るものがあります。霊感と導きを求めて祈ってきました。皆さんがわたしの話を理解してくださるよう願っています。
人生における根拠のない大きな思い違いの一つは、人間が自分を不死身だと考えることです。あまりにも多くの人が、自分はどんな誘惑にも堪えられる鋼のような強い人間だと考えます。そして、「そんなこと、自分には起こり得ない」と錯覚してしまうのです。バートランド・ラッセル(訳注—イギリスの哲学者・数学者。1872-1970年)の言葉を借りましょう。「我々は皆七面鳥と同じで、〔感謝祭の〕朝に目覚め、いつもの昼食を期待する。事態はいつでも悪くなり得るのだ。」1兄弟の皆さん、それはいつでも、だれにでも起こり得るのです。人生は、わたしたちが部分的にしか知覚できない影響力で満ちています。
チャールズ・W・ペンローズ副管長はよく、「タイタニック号」の船長の話をしました。船長は「神も人も悪魔も」恐れるに足りないと豪語しました。「タイタニック号」があまりにも堅牢に造られていたために、ほかの船や氷山を含むいかなる物体と衝突しても容易に堪えられると考えたからです。2 事実、「タイタニック号」は長さはフットボールフィールド3つ分、高さは12階で、船体は最上質の鋼鉄でできていました。あの運命の1921年4月14日の夜、ほかの船は氷山を警戒していました。しかし「タイタニック号」はそのまま速度を上げ、冷たい大西洋の海を進んで行きました。見張りが行く手に氷山を見つけたときはもう手遅れでした。船は氷山を回避できずに右舷うげんが氷山に削られる形となり、船腹に幾つもの穴が開きました。こうして、衝突から2時間40分後、真新しい「タイタニック号」は大西洋の底に沈んだのです。1,500人を超える人々が犠牲となりました。
普通、氷山の海面から出ている部分は全体の8分の1です。目に見える部分は非常に小さく、残りの8分の7は海面下にあります。わたしたちにも「タイタニック号」が氷山に遭遇したのと同じことが言えます。しばしば迫り来る危険の一部しか見えていない場合があります。
歴史をひも解くと、才能と能力に恵まれた人物が弱点を露呈して、約束された人生を棒に振る例が後を絶ちません。ダビデ王はその悲劇的な例です。ダビデは見目麗しく勇敢で、信仰深い少年でした。彼は石投げ器で巨人ゴリアテを倒し、王になりました。人が望むものは何でも手に入りました。しかしバテシバを見たとき、人の妻であるにもかかわらず彼女が欲しくなりました。そこでダビデは彼女の夫であるヘテ人ウリヤを亡き者にしようと、彼を戦いの前線に送り込みました。ウリヤは戦死し、ダビデはバテシバと結婚しました。しかしその結果として、ダビデは受け継いできた霊性を失うことになります。3確かにダビデは多くの偉大なことを成し遂げました。しかしその多くは、重大な個人的な問題に屈してしまったために否定されることになったのです。
ある人が息子たちにこう言うのを聞いたことがあります。「わたしならもっとがけっぷちに近い所を運転できるよ。経験が違うからね。」彼はコントロールできると考えていますが、実際は危険を冒しているのです。「経験があるからと安心していると、失敗してその失敗から学ぶということになりかねません。」4 中には、年齢と経験が誘惑に堪える力をつけてくれると考える人がいます。これは偽りです。
J・ルーベン・クラーク・ジュニア副管長がデートに出かけようとしていた子どもに話したことを思い出します。クラーク副管長は時間までに必ず帰宅するように言いました。「いつも父親から同じことを聞かされることにいらだちを覚えたその〔10代の娘〕はこう言いました。『お父さん、何で?わたしを信用してないの?』
次のような思いがけない答えが返ってきて、さぞや娘は驚いたことでしょう。『そうだ、信用していない。自分のことさえ信用できないんだから。』」5
そこで、事が「起こらない」ように、スペンサー・W・キンボール大管長の勧告から学びたいと思います。「同じ誘惑に遭う度に、自分が行うことを決めなくてもよいように、自己を訓練してください。決心は一度だけすればよいのです。同じ誘惑に繰り返し苦しめられた経験がないというのは、何とすばらしい祝福でしょうか。そのような苦しみとは時間の浪費であるばかりでなく、非常に危険なものなのです。」6
中にはこう正当化する人もいます。「薬だって1回だけなら何ともないよ。」もっともらしく聞こえますが、薬の力の強さを理解してください。常用者の声です。「コントロールできる薬なんてありません。コントロールされます。初めは何も感じません。でも、それが薬漬けの始まりなのです。」7
「たばこ1本だけ。どんな感じか試してみよう。」ここには危険が潜んでいます。ニコチンには強い習慣性があるからです。8 ほんの4本たばこを吸うだけで常用者になる、と言われています。9
「缶ビール1本ぐらいいいよ。」自分がアルコール中毒になるかどうかはだれにも分かりません。でも、1本がまた1本となります。初めから手をつけないことの方がはるかによいのです。そうすれば、次に進むことはないでしょう。
「宝くじ1枚。」ほかの中毒と比べて明確ではありません。かけ事は体に入れるものではないので、中毒ではないと考えるかもしれません。でも、ある人が最近こう書いています。「かけ事をする人はお金以上のものをかけている。人生と家族もまた危険にさらしているのだ。」10
「インターネットのポルノグラフィーサイトやいかがわしい雑誌の真ん中に閉じられたグラビアをちょっとのぞくだけ。」何も害がないように聞こえます。でも、わたしたちが見たものは飲んだり食べたりした物よりも体から取り除くのが困難です、多くの犯罪常習者が認めるのは、いかがわしい写真を見たことが犯罪に走るきっかけになったということです。
不適切な娯楽でもたまになら問題ないと言う人がいます。しかし、それが暴力や不適切な性関係、強盗、主の御名をみだりに唱えること、その他の悪行への感覚をまひさせてしまうのです。
これまでは皆さんが自分の身に起こってほしくないにとについて話してきました。次は、皆さんが起きてほしいと望む良いことについて幾つか考えてみましょう。もしも皆さんが成功への代価を支払うならば、良いこと、そして偉大なことが起こり得ます。それも、皆さんの夢や期待を超えたことが起こる可能性があるのです。わたしたちはしばしば、この世から永遠にわたる幸福と達成に関する自分の可能性について見えていないことがあります。それは使徒パウロが言うように、「わたしたちは、今は、ガラスを通して見るようにおぼろげに見ている」11 からです。しかし、そのガラスは聖霊の影響によって明るくなり、水晶のように透き通ってきます。救い主は、慰め主である聖霊についてこう約束してくださっていま魂「あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。」12 「あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。」13
確かに、持って生まれた才能や能力には限界があります。しかし、聖霊による霊感と導きを受ければ、わたしたちの可能性は何倍にもふくれ上がるのです。自分を超えた力から助けを受ける必要があります。そうすれば、驚くほど人々の役に立つことができるでしょう。若人の皆さんは数々の機会に恵まれ、どんな夢や期待をも超えた祝福を受けることができます。将来、有名になったり財産に恵まれたりすることはないかもしれませんが、もっと永続する、達成感のあるものが得られるでしょう。この世での行いが永遠の世にも影響を及ぼし続けることを忘れないでください。
若い男性の皆さんの中には、この教会が神の興された教会であることについてご両親ほど強い証を持っていない人がいるかもしれません。ジョセフ・スミスが父なる神と御子イエス・キリストにまみえたこと、モルモン書が確かに金版から翻訳されたことについてもっと明確な証を持てたらと思っているかもしれません。什分の一の律法や純潔の律法、知恵の言葉について疑いが晴れないかもしれません。これは皆さんのような若い世代には普通にあることです。皆さんはまだ信仰が十分に試されてはいないかもしれません。自分の信条やライフスタイルを擁護しなければならないような状況には立たされていないかもしれません。皆さんには必ず大いなることが起こります。つまり、この教会がイエス・キリストの教会であり、ジョセフ・スミスを通して完全な福音がこの世に回復されたことへの揺るぎない証を得ることができるのです。しかしこの証は、信仰が試されてからでないと得られないのです。14
昔のことですが、二人の十二使徒が非常に若い人を新しいステーク会長に召しました。その新しいステーク会長は召しにこたえて、できるかぎり献身的に働き、ステークの会員たちに自分より献身するように求めたりはしないと言いました。そして彼は福音を心から信じ、福音に添った生活をすると証しました。
昼食のとき、一人の使徒がこの新しいステーク会長に、福音が真実であることを完壁に理解していますかと尋ねました。すると彼は、理解していないと答えたのです。ところが、それを聞いていた先任使徒が、質問をした使徒にこう言いました。「彼はあなたと同じぐらい知っていますよ。違いはただ一つ、彼は自分が知っていることをしらないだけです。間もなく知るでしょうから、……心配には及びません。」
程なくして、この新しいステーク会長は霊的な体験をし、こう証しました。「わたしは感謝の涙を流しました。主がこの業が神の御業であるとの不変で完全で絶対的な証を授けてくださったからです。」15
わたしたちの多くは自分がほんとうは何を知っているのか気づいていません。福音は教わりましたが、主が何をわたしたちの「うちに置き」16、その心に記されたかを完壁には理解していないのではないでしょうか。主と聖約を交わした若人である皆さんは、大いなる約束を受け継ぐ人々で丸「たきぎを切り、水をくむ」17 以上の人になる機会があります。
わたしも福音の原則すべてを完壁に理解しているとは言えませんが、この教会が神の教会、神の権能を持つ教会であることは、はっきりと分かるようになってきました。それは教えに教え、訓戒に訓戒を加えて少しずつもたらされました。今、わたしは自分が何を知っているかを知っています。皆さんも自分が何を知っているかを知るようになるでしょう。その時は必ず訪れます。
知識は信仰を通してやって来ます。わたしたちの時代は、金版に書かれたことの真実性を、金版を見ずに知る必要のある時代です。3人の証人や8入の証人のように、見たり触れたりすることはできません。実際に見たり触れたりした人々の中には教会への忠実さを保てなかった人々もいます。天使にまみえるのは偉大な体験ですが、信仰と御霊の証を通して救い主の神性に関する知識に至ることの方がはるかに偉大です。18
また皆さんは、前世で神の雄々しい息子として何を知っていたかを知ることができます。それは皆さんの身に起こり得ます。しかし、それには努力が要ります。まずは信仰を試す必要があります。霊的な知識を得てそれを常に輝かせておく唯一の方法は、へりくだり、祈り、すべての戒めを熱心に守ることです。
最近閉幕したソルトレーク・シティーでの2002年冬季オリンピックの開会式で、モルモンタバナクル合唱団とユタ交響楽団が壮大な曲を披露してくれました。ジョン・ウィリアムズがオリンピックの公式音楽テーマとして特別に作曲したものです。タイトルは「コール・オブ・ザ・チャンピオンズ」(訳注「勝利者を求む」の意)です。今晩わたしは、皆さんも勝利者になるようお勧めしたいと思います。その感動的な歌詞の出だしは、1924年以来オリンピックの公式のモットーとなっている「シティウス(より速く)、アルティウス(より高く)、フォルティウス(より強く)」でした。
神権を持つ兄弟の皆さん、わたしたちはすばらしい時代に生きていま劣この神聖な業の真実性について、教会の歴史上今ほど証の多い時はありません。もちろん、中傷し批判する人はいます。これまでもそうでした。しかし、教会がこれほどまでに速く、高く、強く、その使命を果たす時代はありませんでした。今はわたしたちが進歩し、前進する時です。神の業にあって、わたしたちもさらに緊急性を感じてより速く、高い霊的な目標を目指してより高く、神の力に頼ってより強くならなければなりません。皆さんにはそのことが起こり得ます。
人生において喜びと祝福を得る確かな道は、現代の預言者であるゴードン・B・ヒンクレー大管長に従うことです。歴代の預言者も多大な貢献をしてくれました。しかし、わたしたちが今日耳を傾けなければならないのはヒンクレー大管長の声です。最良のことがわたしたちに起こるように大管長の勧告に従うのです。このことをイエス・キリストの御名により証します。アーメン。