2000–2009
清められたのは、10人ではなかったか
2002年10月


清められたのは、10人ではなかったか

天の御父への感謝を適切に表したいのであれぱ,心と,勢力と,思いと,力を尽くしてそれを行う必要があることを覚えてください。

トーマス・S・モンソン副管長が新しく召された七十人の会員と中央若い女性会長会に,壇上に来て座るよう招いたとき,わたしが十二使徒定員会補助に召された,1970年4月の記憶が鮮明によみがえりました。それは思いもよらぬ出来事でした。召しについて知らされたのは,ほんの数時間前だったのです。今では古くなったタバナクルの壇上に上り,赤いいすに腰かけると,聖歌隊は「聖なる贖い主」(O Divine Redeemer)を歌い始めました。その力強い歌詞と美しい調べに耳を傾けながら,心の中で,あるがままのわたしを受け入れてくださるよう,またわたしの欠点や失敗,そして罪を思い出さないでくださいと救い主にお願いしました(詩篇25:7参照)。何とすばらしい日だったことでしょう。先ほどモンソン副管長が堆上に来るよう招いたとき,その思いが脳裏を駆け抜けました。

皆さんとともにしばしの問,このすばらしい御業に対するわたしの証と気持ちをお話しできることを名誉に感じています。

わたしはニール・A ・マックスウェル長老に,杖つえなしで説教壇まで向かうことを告げました。マックスウェル長老はすでに杖を用意してくれていましたが,わたしはこう言いました。「いいえ,杖がなくても歩けますよ。それを可能にする信仰があることをお見せしましょう。」年齢を重ね,歳月が移り行く中で,わたしはこの機会を頂いていること,また,過ぎ去った長い人生の中で与えられてきた福音の恵みについて,立って証する力と望みがあることを誇りに思います。この巨大な会場の中で,わたしが最年長であるという確信はありません。しかし,わたしは今97歳です。今朝,この大会が第172回の半期総大会であると発表されました。若い人たちにとって172という数字は,はるかかなたの遠い先のことのように思えるのではないでしょうか。わたしを見れば,教会が100周年を迎えたときのことを思い出すことができます。その年,ルビーとわたしは結婚しました。1930年のことです。今年は教会の172周年に当たります。そしてわたしたちは結婚して72年になるのです。これは数学の得意な皆さんに172という数字を覚えてもらうためにお話ししただけです。簡単でしょう。

わたしはここで,天の御父をたたえ,感謝を表したいと思います。わたしは善い両親から生まれ,良い家庭で育てられたことによって,多くの祝福を受けてきました。また様々な活動に参加するために各地を訪れたことで,善良な人々と交流を持てたことに感謝しています。善良な人々は,人生を感化します。また人格形成を助け,社会において人々と交わり,正しく生活できるように助けてくれます。善良な人々を通して,わたしたちは価値ある業に携わり,より善い人になることができます。ですから,わたしはこれまでに受けてきた祝福について天の御父に感謝しています。わたしは天の御父について証をします。天の御父はわたしたちのお父様であられ,イエスはキリスト,生ける神の御子,創造主,そして全人類の救い主です。創造の業において,また地上に福音を確立するに当たって,イエスが果たされた偉大なる働きに感謝しています。また,回復された福音に人々が耳を傾けるなら,ふさわしさに応じて,天の祝福について聞き,それを理解して,自分のものとする機会が与えられていることに感謝しています。そして,福音が人生の大きな部分を占めるようになるのです。

初期の時代に教会に入ったわたしの先祖に感謝しています。彼らは,ニューヨーク州北部からノーブーの聖徒たちの群れに加わり,ノーブー神殿の建設に携わり,そして西部へ移住したのです。これらすべての祝福について,ここでお話しできることを感謝しています。

ゴードン・B ・ヒンクレー大管長について話さなければなりません。大管長は今朝,すばらしい話をしました。過去数年間の出来事について触れましたが,特にノーブーでの出来事,そして荘厳なノーブー神殿の再建について話しました。これらすべての出来事は,世界と人類に祝福を注いでいるのです。

ヒンクレー大管長に伝えたいことがあります。わたしはヒンクレー大管長がスペンサー・W・キンボール大管長の副管長に召されて以来,大管長会において務めを果たしてきた姿を注意深く見てきました。ヒンクレー大管長はどれほど成長を遂げ,成熟し,霊感と導きを受けながら務めを果たしてきたことでしょうか。わたしたちはそれを見てきました。わたしたちの多くは,大管長がビジョンを描いていた近年の教会の発展において,多少なりともその一端を担ってきました。その一つに神殿の建設があります。現在,114の神殿で儀式が行われています。これらはすべて,ヒンクレー大管長の霊感あふれる指導の成果です。教会が大きく発展し,世界中でその認識を高め,改善するために力を注いできた大管長に主の祝福がありますように。大管長の今までの働きと,こんにち教会における今日の発展,そして大管長の指導力にわたしたちは心から感謝しています。

ルカによる福音書に記されているように,ある日救い主は,10人のらい病人がいる村に入られました。若い人々は,らい病人についてほとん珍知らないでしょう。らい病はかつて恐ろしく,忌み嫌われていた病気でした。これら10人のらい病人は救い主のもとへ来て,こう言いました。「主よ,わたしたちを憐あわれんでください。恐ろしいらい病を患ったわたしたちに慈悲をお与えください。」すると救い主は10人のらい病人に言われました。「祭司のところへ行きなさい。助けてくれるでしょう。」らい病人はそのとおりにしました。祭司のもとへ向かい,10人全員が清められたのです。そのうちの1人はすぐに戻って来て,手とひざを地につけてひれ伏し,救い主に,祝福してくださったことと,その恐ろしい病気を治してくださったことを感謝しました。すると救い主はその男に言われました。「清められたのは,10人ではなかったか。ほかの9人はどうしたのか。彼らはどこにいるのか。」(ルカ17:11-19参照)

わたしはこの物語を何度も読んできましたが,その度に大きな感動を覚えてきました。皆さんは「ほかの9人」に入りた大会終了後,会場を後にする大管長会を見守る十二使徒定員会会員。いと思うでしょうか。救い主のみもとに戻らず,受けた祝福に感謝しなかった者たちの中に数えられるとはどのようなことでしょうか。戻って来たのは1人だけでした。

わたしたちは生活の中でとても簡単に祝福を受けています。その多くは気づかないことがあります。祝福を通して起こる出来事によって,生活は変わり,向上し,生活の中に御霊が注がれます。けれども,わたしたちは時々,それらの祝福を当然のこととしてとらえることがあります。イエス・キリストの福音が心と霊に与える祝福に,わたしたちはどれほど感謝しなければならないでしょうか。天の御父への感謝を適切に表したいのであれば,心と,勢力と,思いと,力を尽くしてそれを行う必要があることを覚えてください。わたしたちに命と息を与えておられるのは天の御父なのです。天.の御父はわたしたちが現在のように生き,福音に従って生活し,今日,全世界の教会を導いているヒンクレー大管長のような善良な人々の模範に従う機会を与えてくださいました。また,若人が,ヒンクレー大管長という指導者,すなわち,キリストの御霊によって心と霊に注がれる事柄に心を留めて,行動し,実践する指導者を,誇りと感謝の気持ちで見上げることのできる機会を与えてくださいました。その感謝の気持ちがふくらんで,はぐくまれ,大きくなるときに,わたしたちの心と思いと霊は祝福されて,求められている事柄を続けて実行しようとする気持ちに駆られるのです。

わたしたち夫婦の家族は,多くが合衆国とイギリスの少なくとも20か所の地域に暮らしています。わたしは家族に,中央幹部,特にヒンクレー大管長とその副管長を支持する機会があれば,ラジオの前やそのほかの場所であっても,その場に立って,心を込めて手を挙げ,「わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会の指導者を支持している者の一人です」と心の中で言うように勧めました。わたしは今日,幼い子どもたちが手を挙げている姿を想像しました。わたしの愛する,大好きな子どもたちが全世界で手を挙げている光景です。わたしたちは主の御霊とともに,子どもたちにイエス・キリストの福音を学び,知り,福音に従って生活し,それに溶け込むように教えたいと願っています。子どもたちが人格を築き,またほかの人々に手を差し伸べて,その生活を変え,心を高める助けができるよう願っています。

神は生きておられます。神はわたしたちのお父様です。イエスがキリストであり,生ける神の御子であられること,預言者ジョセフ・スミスが回復の預言者であったことを証します。ヒンクレー大管長は,今日全世界に広がるこの教会を霊感によって導いている指導者です。大管長が御業を前進させるために行うことが祝福されるように,また,そのために霊感と啓示とビジョンが与えられるように祈っています。この証をイエス・キリストの御名によっていたします。アーメン。