粘り強く努力する
粘り強い努力とは,難しい状況に直面し,他人から「無理だ」と言われてもあきらめないことです。
今日七十人第一定員会と第二定員会の会員に召された兄弟たちを歓迎します。彼らは信仰と能力と固い決意を備えており,あらゆる側面から見て,その職を果たすうえでふさわしい人たちです。
愛する兄弟の皆さん,世界各地で神権者として忠実にまた献身的に主の業に携わっている皆さんに敬意を表します。皆さんの熱心な働きと奉仕に感謝しています。教会にとって皆さんは大いなる力です。
この集会にアロン神権を持つ兄弟たちと集えることをうれしく思います。皆さんの年代だったころ,わたしはよく,「この世でどのような働きができるのだろうか。どうしたらそれが分かるのだろうか」と考えました。当時の唯一の明確な目標は伝道に出ることでした。召しが来ると,わたしは一心に働きました。そして伝道の経験は北極星のように,その後の人生を導いてくれたのです。大切な教訓の一つは,教会の召しを最後まで忠実に果たすなら,主は道を開き,考えてもみなかった機会や祝福を与えてくださるということでした。
若い男性の皆さんは,伝道に出ることでこの祝福を得ることができます。最近ある青年から,宣教師の召しを全まっとうすることによってどれほど多くを学んだか聞きました。この青年の経験から,皆さんが学ぶことのできる事柄を幾つか紹介します。これらは機会と祝福をもたらしてくれるものです。
1.時間を賢く管理し,使う方法
2.熱心に働くことの大切さ,つまりまいたものを刈り取ること
3.指導力
4.人との接し方
5.福音を研究することの価値
6.権威を尊重すること
7.祈りの大切さ
8.へりくだり,主に頼ること1
1930年代にソルトレーク・シティーのグラナイト高校に通っていたころ,運動,演劇,音楽,演説の分野で秀でている友達が何人かいました。そのまま人生で成功を収めた人もいましたが,ほとんどは才能や能力に恵まれていながら粘り強く努力し続けなかったため,その能力を生かし切れませんでした。これとは対照的に,同じ学校でそれほど目立たなかったものの,熱心に粘り強く努力し,勉学に励んだ人たちは,優れた医師,エンジニア,教育者,法律家,科学者,実業家,職人,電気技術者,配管工,起業家となりました。
一般的に,成功を収めるには粘り強く努力して,問題にぶつかっても落胆しないことが大切です。ニュース解説者,著述家として有名なポール・ハービーはあるときこう言いました。「いつの日かわたしが世に言う成功者になって,『成功の秘訣ひけつは何ですか』と尋ねられたら,簡単にこう答えたいものです。『転んだら起き上がることです』と。」2
粘り強い努力についてすばらしい模範を示した人物に,マリー・キュリー夫人がいます。キュリー夫人はフランス人物理学者である夫のピエール・キュリーとともに「資金も,外部からの励ましも援助もなく,雨漏りのする古いあばら家で,瀝青れきせいウラン鉱と呼ばれた品質の悪いウラニウム鉱石からラジウムを分離させる研究を続けていました。そして487回目の実験が失敗したとき,ピエールは絶望して言いました。『これは無理だ。きっと100年はかかる。ぼくが生きている間はできないよ。』するとマリーはひるむ様子もなく言いました。『もし100年かかるとしたら,それは残念なことだけど,でもわたしは生きているかぎり何度でも続けます。』」3 キュリー夫人はついに実験を成功させました。彼女の粘り強い努力によって,癌がん患者はその恩恵に浴しています。
粘り強い努力とは,難しい状況に直面し,他人から「無理だ」と言われてもあきらめないことです。1864年,大管長会は,使徒であるエズラ・T・ベンソンとロレンゾ・スノーの二人に,アルマ・スミス,ウィリアム・W・クラフ両長老とともにハワイ諸島へ伝道に赴くよう指示しました。一行はホノルルから小さな船に乗り換えてラハイナの小さな港へ向かいました。ところが浅瀬に近づいたときに波が高くなり,船は大波に襲われて45メートル以上持ち上げられ,波間へ落とされました。そして第2の波がやって来たとき,船は泡立つ海に転覆したのです。
岸にいた人たちは救命ボートを出し,沈みかけた船の近くで泳いでいた3人の兄弟を引き上げましたが,スノー兄弟の姿が見当たりませんでした。このような状況を何度も経験している現地の人たちは,辺り一帯を泳いでスノー兄弟を探しました。すると,ついに一人が水中で何かに触れたのを感じ,スノー兄弟を海面まで引き上げました。体は硬直し,ボートに引き上げたときは死んでいるようでした。
スミス長老とクラフ長老はひざにスノー兄弟を乗せると,静かに癒いやしの儀式を施し,彼が助かり,無事に家族のもとへ帰れるよう主に願い求めました。岸に着くと,大きな空たるが置かれている浜辺にスノー兄弟を運びました。そしてたるの上にうつ伏せにすると,体を前後に揺らして海水を吐き出させようとしました。
長老たちはしばらく続けましたが,息を吹き返す様子はありませんでした。見守っていた人たちは,これ以上努力しても無駄だと言いました。しかし,固い意思を持った長老たちはあきらめませんでした。そして主が祈りを聞き届けてくださるという静かな確信とともに再び祈ったのです。
そして長老たちは,当時としては珍しい行動に出ます。スノー兄弟の肺を膨張させるために口移しによる人工呼吸を試みたのです。自然な呼吸ができるまで,空気を吹き入れては吸い出しました。二人はこれを交代で,スノー兄弟の肺が膨らむまで粘り強く行いました。しばらくすると,命が戻って来るかすかな兆しを感じました。「それまでは死人のように開いたままだったまぶたがかすかにまばたき,さらにのどの奥が静かに音を立てたのが蘇生そせいへの最初の兆しでした。兆候は次第に大きくなり,はっきりしてきて,その後に意識を完全に回復したのです。」彼らの粘り強い努力と憐あわれみ深い神の恵みによって,主の僕は4人全員が生き残り,使命を全うしました。4
スノー長老はその後大管長になり,その在任中,会員に什分の一とささげ物をささげるよう強く求めることにより,教会の財政を安定させました。
さらに言うと,この物語に登場したアルマ・スミスは,ハウンズミルの虐殺のときに銃で撃たれ,股間接の辺りを吹き飛ばされたあの少年でした。アルマの母親は,重傷を負った患部に軟膏なんこうを塗って手当てをしました。そして霊感に従い,5週間うつ伏せにしたまま寝かせておきました。すると関節の失われた箇所に軟骨が出てきたのです。こうしてアルマは通常の生活を送れるようになっただけでなく,ハワイで伝道し,教会のために生涯をささげることができました。5
末日の預言者は皆,神権と祈りと働きを通して確固とした決意を示してきました。ジョセフ・スミスは粘り強く努力することによって万物の回復を実現しました。最初の示現について当時の有力な宗派の説教者に打ち明けた瞬間から,ジョセフは軽蔑けいべつとあざけりの生涯を送ることになります。けれども,ジョセフは決してくじけることなく,揺るぎない証を残しました。
「わたしは実際に光を見た。その光の中に二人の御方を見た。そして,その方々が実際にわたしに語りかけられたのである。たとえ示現を見たと言ったことで憎まれ,迫害されたとしても,それは真実であった。……わたしは示現を見た。わたしはそれを知っていた。神がそれを御存じであるのを,わたしは知っていた。わたしはそれを否定できず,またそうする勇気もなかった。」6
ブリガム・ヤングの生涯は堅忍不抜の優れた模範でした。常に忠実であり,固い決意を持っていました。ジョセフ・スミスの死後,ブリガム・ヤングは住み慣れた家と実り豊かな土地を後にして,6万の人々を不毛の地へ導いて行くことを固く決意していました。現代史の中でこれに匹敵する大移動はありません。人々は荷車で,徒歩で,そして手車を引いてやって来ました。そして砂漠に花を咲かせたのです。
1995年,ゴードン・B・ヒンクレー大管長は,教会の大管長として初めて報道機関に紹介されたとき,どのような事柄に焦点を当てるつもりかと尋ねられました。大管長はこう答えました。「『続け,励め,進め』です。わたしたち大管長会の目指すところは,前任者たちが築いてきた偉大な業を推し進めることです。」7 これはわたしたち全員にとっても大いなる目標です。続けて,励み,進んで,最後まで堪え忍ぶ必要があります。
ヒンクレー大管長が現在の職に就いてから成し遂げてきた偉大な事柄の一つは,並々ならぬ粘り強い努力による神殿建設です。教会の大管長に就任して以来,87の神殿が奉献,再奉献,または建設を発表されてきました。神殿建設におけるこの偉業は,世界の歴史に並び立つものがありません。神殿には人を善に向かわせる大きな力があり,世に多くの祝福をもたらしています。ジョージ・Q・キャノン副管長が語ったように,「神殿建設のために礎石が置かれるとき,また主が御自身の聖なる神権者に啓示された秩序に従って神殿が完成するときにはいつも,地上のサタンの力は弱まり,神と神を敬う人々の力が増〔します。〕また,わたしたちのために神の力によって諸天が揺れ動き,永遠の神と神の御前に住む諸天使の祝福がわたしたちのうえにもたらされる」のです。8
わたしたちは命のあるかぎり,神権の召しを忠実にまた勤勉に果たさなければなりません。「いつまでホームティーチャーとして働けばいいのだろう」と考える人もいます。ホームティーチングは神権の召しである,というのがその答えです。ホームティーチャーの召しは,監督や神権指導者ができると判断するかぎり,特権として与えられます。ジョージ・L・ネルソン兄弟を知っている人もいるでしょう。ソルトレーク・シティーの著名な弁護士であり,監督,ステーク会長,祝福師を務めた人です。ネルソン兄弟は教会に対して完全に献身し,100歳になってもホームティーチャーとして働きました。彼は当時こう言いました。「わたしはホームティーチャーとして働くのが好きです。いつまでもホームティーチャーでいたいと願っています。」9 ネルソン兄弟は101歳で亡くなりました。最後まで忠実でした。
バプテスマを受けて教会に入りたいと願う人は「最後までイエス・キリストに仕える決心を」10 するよう主から求められています。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は94歳のときにこう語りました。「わたしはこれまでずっと神権を尊んで大いなるものとするために励んできました。そしてこの世で最後まで堪え忍び,次の世で忠実な聖徒たちと交わることを願ってきました。」11 主がおっしゃったように,もし主の弟子になりたいと思うなら,主の御言葉のうちにとどまっていなければなりません。12 主は教会と会員たちを驚くべき方法で祝福してこられました。それは,会員たちが忠実であり,粘り強く努力してきたからです。神権の聖なる業が神から与えられたものであることを,イエス・キリストの聖なる御名により証します。アーメン。