主の方には
主は,だれが信頼できるかをお知りになる必要があります。
今晩わたしは,主に仕えるよう呼びかけるなじみ深い賛美歌についてお話ししたいと思います。「主の方かたには 誰たれが立つや 恐れず聞かん 時は至る」(『賛美歌』165番)。
この時満ちる神権時代は,キリストの再臨を待ち設けながら,悪との最後の戦いに備える時期であり,そのため,だれが主の側にいるのかを知ることは大変重要なのです。主は,だれが信頼できるかをお知りになる必要があります。
神権者の皆さんは,主の軍勢の一員としてふさわしくありたいと願っていることでしょう。現在,教会の中には,300万人の神権者がいて,アロン神権者と,メルキゼデク神権者の割合は半分ずつです。
残念ながら,年齢に関係なく,あまりにも多くの男性が,無断で外出する兵士のように,姿を消しています。
かつて,彼らも神妙な面持ちでいすに腰かけ,権能を受けた人から頭に手を置かれ,神権を授けられたのです。その日,彼らは一様に,従順と奉仕の聖約を主と交わしました。
この聖約の重要性を理解するためには,「神権とは何か」と自問する必要があります。注意深い執事ならだれでもその答えを知っています。神権とは神の御名において行動する力です。
これは,執事,教師,祭司の皆さんにどう当てはまるでしょう。まず聖餐をパスし,準備し,祝福する権能があるということです。非常に重要なことではありませんか。
現在記録に残っている中で,最初に聖餐式を管理されたのはだれでしょうか。もちろん,それは主イエス・キリストです。その晩キリストは,ゲツセマネの園で苦しみを受ける前に,聖餐を準備し,祝福し,弟子たちに配られました。ですから,この聖なる儀式を行う人は,実は救い主御自身の代理を務めているのです。何と特別なことでしょう。
バプテスマのヨハネは,ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリの頭に手を置いてアロン神権を授け,こう宣言しました。「……わたしはアロンの神権を授ける。これは天使の働きの鍵と,悔い改めの福音の鍵と,罪の赦しのために水に沈めるバプテスマの鍵を持つ。」(教義と聖約13:1)これは幾つになっても,重要な責任です。この責任を受けている人は,明らかに主の側にいます。
メルキゼデク神権の場合はどうでしょう。教義と聖約第84章にはこのように書かれています。「また,この大神権は福音をつかさどり,王国の奥義の鍵,すなわち神の知識の鍵を持つ。」(19節)この神権には,管理し,導き,祝福し,癒いやし,教え,結び固める力があります。奉仕の業に携わる兄弟たちは,明らかに主の側にいて神権を行使しているのです。
神権の結び固めの力を行使した人物として最も偉大な例の一つに,ヒラマンの息子であるニーファイの物語があります。神の御言葉を熱心に説いたニーファイに,主は結び固めの力を授けられました。それは「あなたが地上で結ぶことは何でも天で結ばれ,あなたが地上で解くことは何でも天で解かれる」という力です(ヒラマン10:7)ニーファイは,どの神権時代を生きたとしても,主の軍勢の力強い指導者であったことでしょう。
天の御父は,人を何と信頼しておられることでしょう。御自分の力の一部を人に分け与え,地を満たして転がり進む壮大な業の担い手になれるようにしてくださっているのです。
神権の権能を授ける方法は,非常に注意深く教えられています。12歳になったとき,父のチャールズ・オークスと当時監督だったジョージ・コラードは,わたしの頭に手を置いて,アロン神権を授け,執事の職に聖任しました。
何年か後に,ゴードン・B・ヒンクレー長老が,この,天から指示された同じ方法に従って,わたしを七十人の職に聖任しました。どの聖任も神から信頼されていることの表れであり,主の側に立って奉仕する新たな機会なのです。
軍隊が組織されると,通常戦いは広大な戦場で繰り広げられますが,この霊の戦いはまったく異なります。霊の戦いは日々,個人の心の中で繰り広げられ,主の軍勢は貪欲どんよく,利己心,肉欲といったサタンの力に立ち向かいます。
ヒラマンが率いた2,060人のたくましい若い戦士たちが肩を並べている絵は,この軍勢には非常に堅固な肉体が必要だったことを表しています。しかし,勇敢な心さえあればだれでも,この戦いに参加できるのです。
11歳の孫のアンドリューは,車いすの生活を余儀なくされています。恐らく,一生この状態は続くでしょう。アンドリューは今年の秋,執事に聖任されて,主の神権の軍勢に加わるでしょう。彼の肉体的な障害は,この戦いでは問題になりません。なぜなら,選択という混沌こんとんとした戦場で使う武器は,槍やりや剣ではないからです。
主の武具として不変の価値を持つものは,真理,正義,信仰,祈り,そして神の御言葉です(エペソ6:13-18参照)。これらの武器を操るのは,わたしたちの思いと言葉と行いです。一つ一つの義にかなった思い,言葉,行いが,主にとって勝利となるのです。
ですからこの戦いでアンドリューに不利な点はありません。両親からよく教えを受けてきたアンドリューは,神権者に仲間入りする準備ができています。
この戦いの報酬は非常に高価です。その賞とは,まさに神の息子娘としての霊,つまり,永遠の救いです。このような霊を得るか失うかは,徳高く清らかであるかどうかに懸かっています。慈愛と奉仕,信仰と希望があるかどうかに懸かっているのです。
アンドリューは執事に召され,ワードの執事定員会に入ります。そこでは,聖餐のパスと断食献金を集めることを学びます。まさに互いを思いやるために,神権定員会が存在するわけですから,定員会はアンドリューを大切にしてくれることでしょう。主の神権の軍勢は,まさにそのようにして,定員会に組織されるのです。
わたしは人生の大半を合衆国空軍のパイロットとして過ごしました。わたしが属していた飛行中隊の隊員たちは,40年過ぎた今でも固いきずなで結ばれています。
空軍パイロットとして受けた訓練の基本中の基本は,同じ任務についている仲間の飛行機を守ることでした。彼の背後に敵機が近づいて来ていないか,常に後方をチェックするのです。
飛行戦隊のほかのパイロットを守ることが大切だとするならば,主の側に確固として立つために,定員会の会員が互いに離れず,守り合うことも大切なはずです。だれか群れから迷い出たら,出て行って熱心に探し出すのです。
主の側に確固として立つことは,今日では特に価値があります。今は終わりの時であることを,預言者はいつも指摘しています。わたしたちは,時のしるしによって最後がそこまで来ていることを知っています。サタンもそのことを知っています。サタンとその軍勢は,休むことを知らないようです。
世界神権指導者訓練集会で,ヒンクレー大管長は世の中の不道徳な状態についてこのように述べています。「ソドムとゴモラの時代がはたして現在よりも悲惨だったかどうか,わたしには分かりません。」
続けてこのように言っています。「これら二つの都市とそこに住む邪悪な民は滅ぼされてしまいました。今日,似たような状況が見られ,全世界に蔓延ししています。天の御父は御自身の息子や娘が道をそれていくのを天から御覧になり,悲しんでおられることでしょう。」(「力強く確固として立つ」『世界指導者訓練集会』2004年1月10日,20)
この先預言者は,このような警告をどれほど言い続けなければならないのでしょうか。
ダリン・H・オークス長老は,最近の総大会で,こう言いました。「再臨のしるしは周囲の至る所に見られ,その頻度と激しさは増しているように思われます。……わたしたちは再臨の事実を変えることも,その正確な時を知ることもできません。しかし,自らの備えを進め,周りの人々が備えるうえで影響を与えることはできます。再臨の時に起こると預言されている事柄に対して物質的および霊的な備えをする必要があります。」(「再臨への備え」『リアホナ』2004年5月号,7-9)
この警告はカリブ海地域を襲った未曾有みぞうのハリケーン災害や,東アジアの津波被害が発生するかなり前に発せられていました。
「主の方には」という賛美歌の中に,「時は至る」つまり「今こそ,その時である」という言葉があります。司令官モロナイのように,信仰と福音の原則にしっかり根ざす時が来ています。今こそ,執事,教師,祭司,監督,長老,七十人,大祭司,祝福師が必要です。今こそ,主イエス・キリストの贖いの犠牲に感謝を示す時です。今こそ,純潔の律法,什分の一,知恵の言葉,安息日を聖きよく保つという,基本的な戒めを従順に守ることによって,信仰を示す時です。
今こそ,福音のメッセージを紹介することによって,隣人に警告する時です。今こそ,身だしなみと慎みの模範,徳と清らかさの模範を世に示す時です。人を堕落させ破壊するポルノグラフィーの汚れた泥におぼれて,神権の力を台なしにしてはなりません。
今こそ,バプテスマの水をくぐり主と交わした聖約を顧みる時です。今こそ,主の神権の誓詞と聖約を受けたときに交わした聖約を顧みる時です。今こそ,聖なる神殿で交わした聖約を顧みる時です。今こそ,主の側にいることを示す時です。
兄弟の皆さん,この業は主の業です。イエス・キリストの福音は,預言者ジョセフ・スミスを通して,この末日に完全に回復されました。キリストはこの教会の頭として,生ける預言者ゴードン・B・ヒンクレーを通して教会を導いておられます。キリストは,地上を治めるために将来再びおいでになり,わたしたちはいつの日か,各々主の御前に立って,思いと行いと心の望みに応じて裁きを受けるのです。キリストはわたしたちの救い主であり,贖い主です。このことを主の聖なる御名によって証します。アーメン。