総大会
「わたしにつながっていなさい。そうすれば,わたしはあなたとつながっていよう。それゆえ,わたしとともに歩みなさい。」
2023年4月総大会


13:26

「わたしにつながっていなさい。そうすれば,わたしはあなたとつながっていよう。それゆえ,わたしとともに歩みなさい。」

つながっているという救い主の約束は真実であり,回復された主の教会の聖約を守るすべての会員に与えられます。

旧約聖書,教義と聖約,高価な真珠に記されている古代の預言者エノクは,1シオンの町の建設に貢献しました。

エノクの召しに関して,聖文にこう記されています。「彼は天から声が告げられるのを聞いた。『わたしの子エノクよ,この民に預言し,彼らに言いなさい。「悔い改めなさい。『……彼らの心はかたくなになり,その耳は聞こえにくく,その目は遠くを見ることができない。」』」』2

「エノクはこれらの御言葉を聞いたとき,……地に伏し,主の前に語って言った。『わたしがあなたの目にかなったのはなぜでしょうか。わたしは若者にすぎず,すべての人はわたしを憎みます。わたしは口の重い者だからです。どうしてわたしはあなたの僕なのでしょうか。』」3

エノクが召されたとき,彼は自分の力不足と限界を痛感していたことに注目してください。だれもが教会の奉仕で,一度はエノクと同じような気持ちになったことがあるのではないでしょうか。しかし,エノクの切実な問いかけに対する主の答えは,今日のわたしたち一人一人に当てはまる教訓です。

「主はエノクに言われた。『行って,わたしがあなたに命じたように行いなさい。 そうすれば,あなたを刺し貫く者はだれもいないであろう。あなたの口を開きなさい。そうすれば,それは満たされるであろう。わたしはあなたに語る力を与えよう。……

見よ,わたしの御霊があなたのうえにあるので,あなたのすべての言葉を,わたしは正しいとする。山々はあなたの前から逃げ去り,川はその流れを変えるであろう。あなたはわたしにつながっていなさい。そうすれば,わたしはあなたとつながっていよう。それゆえ,わたしとともに歩みなさい。』」4

最終的に,エノクは力強い預言者となり,神の御手に使われる道具として,偉大な業を成し遂げましたが,最初からそのように働いたわけではありません!彼の能力は,御子につながり,御子とともに歩むことを学ぶにつれて,高められていったのです。

主がエノクに与えた助言と,それが今日の皆さんやわたしにとってどのような意味があるのかともに考えるに当たり,聖霊の助けがあるよう切に祈ります。

あなたはわたしにつながっていなさい

主イエス・キリストは御自分につながっているよう,わたしたち一人一人を招いておられます。5しかし実際に,どうやって学び,主につながるのでしょうか。

「つながる」にあたる「abide」という単語は,「固定される」,「安定している」,「屈することなく耐える」という意味です。ジェフリー・R・ホランド長老は,「abiding」が「永久にとどまる〔こと〕」を意味すると説明しました。「これは……世界中のすべての人に対する福音のメッセージの呼びかけです。来てください,そしてとどまってください。確信と忍耐をもって来てください。皆さん自身のためにも,そして皆さんに続く後のあらゆる世代の人たちのためにも,永久にとどまるつもりで来てください。」6このように,良い時も悪い時も,贖い主とその聖なる目的のために固い決意をもって自らをささげるとき,わたしたちはキリストのうちにいます。7

わたしたちは,自らの選択の自由により,回復された福音の聖約と儀式を通して主のくびきを負うときに,8主につながり始めます。天の御父と復活された生ける御子との聖約によるつながりは,物事の見方や希望,力,平安,永続する喜びの究極の源であり,わたしたちの人生を築くべき堅固な基です。9

わたしたちは,天の御父と御子との聖約のきずなを強めるために絶えず努力することによって,主とつながります。例えば,愛する御子の名によって永遠の御父に心から祈ることは,御二方との聖約によるつながりを深め,強固にします。

わたしたちは,キリストの言葉を心から味わうことによって,主につながります。救い主の教義は,聖約の子供であるわたしたちを主のもとに引き寄せ,10なすべきことをすべて教えてくれます。11

わたしたちは,聖餐の儀式に参加するために熱心に備え,聖約で交わした約束を思い返し,反省し,心から悔い改めることによって,主につながります。ふさわしい状態で聖餐にあずかるとき,わたしたちは神聖な儀式に参加する短い時間の後も,進んでイエス・キリストの御名を受け,「いつも御子を覚え」12ていられるように努力することを神に証明します。

そして,神の子供たちに仕え,兄弟姉妹に奉仕することで神に仕えることにより,主につながります。13

主は言われました。「もしわたしのいましめを守るならば,あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので,その愛のうちにおるのと同じである。」14

わたしは,わたしたちが救い主とつながることを可能にする様々な方法の中から,幾つかを簡単に説明しました。そして,主の弟子であるわたしたち一人一人が,すべての行動においてキリストを生活の中心とするその他の有意義な方法について,自ら尋ね,求め,たたき,聖霊の力によって学ぶようにお招きします。

そうすれば,わたしはあなたとつながっていよう

わたしたちが救い主につながるなら,救い主もわたしたちとつながってくださいます。しかし,キリストが一人一人と,個人的につながることは,ほんとうに可能なのでしょうか。声を大にして言います。もちろん可能です!

モルモン書には,苦難のためにやむを得ずへりくだっている貧しい人々へのアルマの教えと証が書かれています。アルマはその中で,御言葉を,植えて養い育てなければならない種にたとえ,その「御言葉」はイエス・キリストの生涯,使命,贖いの犠牲であると述べています。

アルマはこう言いました。「神の御子を信じるようにしなさい。神の御子が将来,御自分の民を贖うために降臨されること,御子がその民の罪を贖うために苦しみを受け,死なれること,御子が死者の中からよみがえり,復活をもたらされること,終わりの裁きの日に,すべての人が各々の行いに応じて裁きを受けるために神の御子の御前に立つこと,これらのことを信じてほしい。」15

この「御言葉」についての説明を基に,次にアルマが指摘する霊的なつながりについて考えてください。

「さて,わたしの同胞よ,あなたがたがこの御言葉を心の中に植えて,それがふくらみ始めたら,あなたがたの信仰によってそれを養い育ててほしい。そうすれば見よ,それはあなたがたの心の中で生長して,永遠の命をもたらす木になるであろう。そのときに,神があなたがたのために,神の御子の喜びによって重荷を軽くしてくださるように。これまで述べてきたことは,もしあなたがたにこれを行う意志さえあれば,すべて行えることである。」16

わたしたちが心の中に植えるよう努力すべき種は御言葉,すなわちイエス・キリストの生涯と使命と教義です。そして,御言葉は信仰によって養われ,わたしたちの中で永遠の命をもたらす木となります。17

リーハイの示現に出てくる木は,何を象徴していたでしょうか。この木は,イエス・キリストを表していると考えられます。18

愛する兄弟姉妹の皆さん,御言葉はわたしたちの中にあるでしょうか。救い主の福音の真理は,わたしたちの心の板に書き込まれているでしょうか。19わたしたちは,主に近づき,徐々に似た者となっているでしょうか。キリストの木は,わたしたちの中で成長しているでしょうか。わたしたちは,主にあって「新しく造られた者 」20になるよう努力しているでしょうか。21

このすばらしい可能性こそ,アルマが次のように尋ねた理由かもしれません。「あなたがたは,霊的に神から生まれているか。あなたがたの顔に神の面影を受けているか。あなたがたは心の中に,この大きな変化を経験したか。」22

わたしたちは,エノクに対する主の教えを常に覚えておく必要があります。「あなたはわたしにつながっていなさい。そうすれば,わたしはあなたとつながっていよう。」23つながっているという救い主の約束は真実であり,回復された主の教会の聖約を守るすべての会員に与えられることを証します。

それゆえ,わたしとともに歩みなさい

使徒パウロは,主を受け入れた信者に対し「〔主〕にあって歩きなさい」24と諭しました。

救い主にあってともに歩むことは,弟子としての重要な二つの特質を明確にします:(1)神の戒めに従うことと,(2)わたしたちを御父と御子につなぐ神聖な聖約を思い起こし,尊ぶことです。

ヨハネはこのように言っています。

「もし,わたしたちが彼の戒めを守るならば,それによって彼を知っていることを悟るのである。

『彼を知っている』と言いながら,その戒めを守らない者は,偽り者であって,真理はその人のうちにない。

しかし,彼の御言を守る者があれば,その人のうちに,神の愛が真に全うされるのである。それによって,わたしたちが彼にあることを知るのである。

『彼におる』と言う者は,彼が歩かれたように,その人自身も歩くべきである。」25

イエスはわたしたち一人一人に,「わたしに従ってきなさい」,26「わたしとともに歩みなさい」27とおっしゃっています。

信仰を持って力強く進み,主の「御霊の柔和な道」を歩むならば,28力,導き,守り,そして平安を受け,祝福されることを証します。

証と約束

アルマは,生きるすべての人に対する主の愛にあふれた切実な願いについて述べています。

「見よ,主はすべての人を招き,憐れみの御腕を伸べて,『悔い改めよ。そうすれば,わたしはあなたがたを受け入れよう』……。

……『わたしのもとに来なさい。あなたがたは命の木の実を食べるであろう。あなたがたは価なしに命のパンを食べ,命の水を飲むであろう』〔と言われる。〕」29

わたしは,救い主の願いがすべての人に向けられていることを強調し,お伝えします。地球上で今生きている人,かつて生きていた人,そしてこれから生きる人をすべて,恵みと憐れみをもって祝福することを切望しておられるのです。

一部の教会員は,カンファレンスセンターの壇上から,あるいは世界中の地元の集会で,繰り返し教えられる教義,原則,証を真実として受け入れてはいるものの,これらの永遠の真理を自分の生活や状況に具体的に当てはめることができるという信仰が得られずにいるかもしれません。彼らは心から信じ,忠実に仕えてはいますが,御父と贖い主である御子との聖約によるつながりが,まだ現実に彼らの生活に変化をもたらすものにはなっていないのです。

わたしが伝えようとしている福音の真理が,あなた個人のためにあることを,聖霊の力によって,感じ,知ることができると約束します。

イエス・キリストが,愛にあふれる生ける救い主,贖い主であられることを喜びをもって証します。主につながっているなら,主はわたしたちとつながり,ともに歩んでくださいます。30そして,主にあって,ともに歩むとき,わたしたちは祝福され,多くの実を結ぶでしょう。主イエス・キリストの神聖な御名により証します。アーメン。

  1. 創世5:18-24教義と聖約107:48-57モーセ4:6-7参照

  2. モーセ6:27

  3. モーセ6:31

  4. モーセ6:32,34;強調付加

  5. ヨハネ15:4-9参照

  6. ジェフリー・R・ホランド「『わたしにつながっていなさい』」『リアホナ』 2004年5月号,32

  7. ヨハネ15:10参照

  8. マタイ11:29-30参照

  9. ヒラマン5:12参照

  10. 3ニーファイ27:14-15参照

  11. 2 ニーファイ32:3参照

  12. モロナイ4:35:2

  13. モーサヤ2:17参照

  14. ヨハネ15:10

  15. アルマ33:22

  16. アルマ33:23;強調付加

  17. アルマ26:13参照

  18. わたしは,2017年のディボーショナルでこの原則を説明しています:

    「〔アルマは〕『会堂や彼らの家に入り,人々に神の言葉を宣べ伝え始めた。彼らはまた,通りでも御言葉を宣べ伝えた。』(アルマ32:1;強調付加)アルマはさらに,神の言葉を種にたとえています。

    『さて,もしあなたがたが心の中に場所を設けて,種をそこに植えるようにするならば,見よ,それがほんとうの種,すなわち良い種であり,またあなたがたが主の御霊に逆らおうとする不信仰によってそれを捨てるようなことがなければ,見よ,その種はあなたがたの心の中でふくらみ始めるであろう。そして,あなたがたは種がふくらみつつあるのを感じると,心の中で次のように思うであろう。「これは良い種,すなわち御言葉は良いものに違いない。これはわたしの心を広げ,わたしの理解力に光を注ぎ,まことに,それはわたしにとって味わい深いものとなり始めている。」』(アルマ32:28;強調付加)

    興味深いことに,良い種は心に植えられると,ふくらみ,芽を出し,成長して木になります。

    『そして見よ,が生長し始めると,あなたがたは,「この木が根付き,生長し,わたしたちのために 実を結ぶように,十分に注意して養いを与えよう」と言うであろう。さて見よ,あなたがたが十分に注意して養いを与えれば,それは根付き,生長し,実を結ぶであろう。

    しかし,もしあなたがたがその木に構わず,養い育てることに心を配らなければ,見よ,それが根付くことはないであろう。そして,太陽の暑さが及んでその木を熱すると,その木はまったく根がないので枯れてしまうであろう。そこであなたがたは,その木を抜いて捨てる。

    さてこれは,種が良くなかったからでもなければ,実が好ましいものでなかったからでもない。ただ,あなたがたの土地がやせているためである。あなたがたがその木に養いを与えようとしないので,実を得ることができないのである。

    このように,もし信仰の目をもって実を期待しながら御言葉を養おうとしなければ,あなたがたは決して命の木の実を得ることができない。

    しかし,あなたがたが御言葉に養いを与えようとすれば,つまり,その木が生長を始めるときに,非常な熱意と,忍耐を伴う信仰を働かせてその実を期待しながら養いを与えようとすれば,それは根付くであろう。そして見よ,それは成長して永遠の命をもたらす木になるであろう。』(アルマ32:37-41;強調付加)……

    リーハイの夢の中心となっているのは,『神の愛』(1ニーファイ11:21-22参照)を表す命の木です。

    『神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである。』(ヨハネ3:16

    主イエス・キリストの誕生と生涯,そして贖いの犠牲は,神の子らに対する神の愛の最大の現れです。ニーファイが証したように,この愛は『どんなものよりも好ましいもの』であり『最も喜ばしいもの』(1ニーファイ11:22-231ニーファイ8:12,15も参照)です。ニーファイ第一書の11章にはさらに,命の木は救い主の生涯と教導の業と犠牲の象徴であり,『神が御自身を低くされること』(1ニーファイ11:16)を示していると記されています。命の木はキリストを表していると考えられます。

    木の実に対する一つの考え方は,それが贖罪の祝福の象徴だということです。その実は『人を幸せにする好ましいもの』(1ニーファイ8:10)であって,大きな喜びをもたらし,その喜びをほかの人と分かち合いたいという望みを抱かせます。

    意味深いことに,リーハイの示現で最も強調されていることは(1ニーファイ8:19参照),モルモン書の包括的なテーマである,すべての人をキリストのもとに招くということです(モロナイ10:32参照)。」(“The Power of His Word Which Is in Us” [address given at seminar for new mission leaders, June 27, 2017], 4–5)

  19. 2コリント3:3参照

  20. 2コリント5:17

  21. アルマのたとえは,信じたいという願いがわたしたちの心に種を植え,その種をわたしたちの信仰で養うことで命の木が芽を出し,木を養うことで木の実が実り,それは「どんな甘いものよりも甘く」(アルマ32:42),「神のあらゆる賜物の中で最も大いなるもの」(1ニーファイ15:36)であると教えています。

  22. アルマ5:14

  23. モーセ6:34;強調付加

  24. コロサイ2:6

  25. 1ヨハネ2:3-6;強調付加

  26. ルカ18:22

  27. モーセ6:34

  28. 教義と聖約19:23参照

  29. アルマ5:33-34;強調付加

  30. ヨハネ15:5参照