教会歴史
年表


教義と聖約の歴史的リソース:年表『教義と聖約の歴史的リソース』

年表『教義と聖約の歴史的リソース』

年表

この年表には,教義と聖約に記されているそれぞれの啓示が,選ばれた教会歴史の主要な出来事に照らして並べられています。

1805-1823年

1805年12月23日

ジョセフ・スミス・ジュニア,バーモント州シャロンにて,ジョセフ・スミス・シニアとルーシー・マック・スミスのもとに生まれる。

約1812年

ジョセフ・スミスが腸チフスにかかる。合併症により,感染した骨を足から除去するための手術が必要になる。

1816年冬-1817年

ジョセフ・スミス・シニアとルーシー・マック・スミス,家族とパルマイラ村の2マイル(3.2キロメートル)南にあるニューヨーク州マンチェスターに移り住む。

1820年春

最初の示現:「神に願い求める」ようにというヤコブの招きを読み,それについて深く考えたジョセフ・スミスは,自宅近くの森で祈り,永遠の父なる神と御子イエス・キリストが御姿を現される。

1823年9月21-22日

天使モロナイ,ジョセフ・スミスを訪れ,近くの丘に隠されている完全な福音が記された古代の記録について告げる。ジョセフ,記録を託すことができるようになるまで毎年に丘に戻るよう命じられる。

教義と聖約2章預言者ジョセフ・スミスがニューヨーク州マンチェスターの父の家に住んでいたときに受けた,天使モロナイの言葉に関するジョセフ・スミスの歴史からの抜粋。

1823年11月19日

ジョセフ・スミスの兄,アルビンが死去する。

1827-1828年

1827年1月18日

ジョセフ・スミス,エマ・ヘイルとニューヨーク州サウスベインブリッジで結婚する。二人はその後,ニューヨーク州マンチェスタータウンシップに移り住む。

1827年9月22日

ジョセフ・スミス,モロナイより金版を受け取る。

1827年12月

ジョセフ・スミスとエマ・スミス,マンチェスタータウンシップから130マイル(209キロメートル)のペンシルバニア州ハーモニータウンシップに引っ越す。

1828年2月

マーティン・ハリス,モルモン書の版から写した文字を記したものをニューヨーク州ニューヨーク市とアルバニーの学者のところに持って行く。

1828年4-6月

ジョセフ・スミス,筆記者のマーティン・ハリスとともに,リーハイの書として知られている記録の一部を翻訳する。

約1828年6月14日

マーティン・ハリス,モルモン書の翻訳原稿を家族に見せるために,ニューヨーク州パルマイラに持って行かせてほしいとジョセフ・スミスを説得する。ジョセフ・スミス,1828年7月初めにマーティンが原稿を紛失したことを知る。

1828年7月

教義と聖約3章ペンシルベニア州ハーモニーで預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。モルモン書の最初の部分から翻訳された116枚の原稿の紛失に関するもの。版は一時的にジョセフ・スミスから取り去られる。

1828年9月22日

版と翻訳の力がジョセフ・スミスに回復される。

1829年

1829年2月

教義と聖約4章ペンシルベニア州ハーモニーにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して父ジョセフ・スミス・シニアに与えられた啓示。

1829年3月

教義と聖約5章ペンシルベニア州ハーモニーにおいて,マーティン・ハリスの求めに応じて預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1829年4月7日

ジョセフ・スミス,モルモン書の翻訳をモーサヤ書から本格的に再開する。オリバー・カウドリ,4月5日にペンシルベニア州ハーモニーにあるジョセフ・スミスの自宅に到着し,筆記者を務める。

1829年4月

教義と聖約6章ペンシルベニア州ハーモニーにおいて,預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに与えられた啓示。

1829年4月

教義と聖約7章ペンシルベニア州ハーモニーにおいて,預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに与えられた啓示。

1829年4月

教義と聖約8章ペンシルベニア州ハーモニーにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してオリバー・カウドリに与えられた啓示。

1829年4月

教義と聖約9章ペンシルベニア州ハーモニーにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してオリバー・カウドリに与えられた啓示。

約1829年4月

教義と聖約10章ペンシルベニア州ハーモニーにおいて,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。恐らく1829年4月ごろの啓示であるが,一部は1828年夏にはすでに与えられていたと思われる。

1829年5月

教義と聖約11章ペンシルベニア州ハーモニーにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して彼の兄ハイラム・スミスに与えられた啓示。

1829年5月

教義と聖約12章ペンシルベニア州ハーモニーにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してジョセフ・ナイト・シニアに与えられた啓示。

1829年5月15日

バプテスマのヨハネ,ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリにアロン神権を回復する。

教義と聖約13章ペンシルベニア州ハーモニーの近くで行われた,預言者とオリバー・カウドリのアロン神権への聖任について述べている,ジョセフ・スミスの歴史からの抜粋。ジョセフとオリバー,神権を受けた後,バプテスマのヨハネの指示に従って互いにバプテスマを施す。

約1829年6月1日

デビッド・ホイットマー,ジョセフ・スミスに会い,オリバー・カウドリとともに,ニューヨーク州フェイエットタウンシップのホイットマーの農場に引っ越すのを手伝う。エマ・スミスはその後ジョセフ・スミスの後を追う。

1829年6月

教義と聖約14章ニューヨーク州フェイエットにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してデビッド・ホイットマーに与えられた啓示。

1829年6月

教義と聖約15章ニューヨーク州フェイエットにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してジョン・ホイットマーに与えられた啓示。

1829年6月

教義と聖約16章ニューヨーク州フェイエットにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してピーター・ホイットマー・ジュニアに与えられた啓示。

1829年6月

教義と聖約18章ニューヨーク州フェイエットにおいて,預言者ジョセフ・スミス,オリバー・カウドリ,およびデビッド・ホイットマーに与えられた啓示。

1829年6月

教義と聖約17章ニューヨーク州フェイエットにおいて,モルモン書の記録が刻まれた版を見せられる前に,預言者ジョセフ・スミスを通してオリバー・カウドリ,デビッド・ホイットマー,マーティン・ハリスに与えられた啓示。

1829年6月下旬

神の天使,版を三人の証人に見せる。ジョセフ・スミス,八人の証人に版を見せる。

約1829年夏

教義と聖約19章ニューヨーク州マンチェスターにおいて,ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。1829年夏に与えられたものと思われる。

約1829年7月1日

ニューヨーク州フェイエットタウンシップで,モルモン書の翻訳が完了する。

1829年8月25日

マーティン・ハリス,ニューヨーク州パルマイラにて,自分の農場を担保にモルモン書5000冊の印刷代としてE・B・グランディンへの支払いを請け負う。

1830年

1830年初頭

教義と聖約74章ニューヨーク州ウェイン郡において,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。

1830年3月26日

ニューヨーク州パルマイラにて,モルモン書の初版が購入可能となる。

1830年4月6日

ニューヨーク州フェイエットのピーター・ホイットマー・シニアとメアリー・ホイットマー夫妻の家で,キリスト教会が正式に組織される。

1830年4月

教義と聖約20章ニューヨーク州フェイエットまたはその付近において,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた,教会の組織と管理に関する啓示。この啓示の一部は,1829年夏にはすでに与えられていたと考えられる。

1830年4月6日

教義と聖約21章ニューヨーク州フェイエットにおいて,預言者ジョセフ・スミス与えられた啓示。この啓示は,ピーター・ホイットマー・シニアとメアリー・ホイットマー夫妻の家で教会が組織された際に与えられた。

1830年4月16日

教義と聖約22章ニューヨーク州マンチェスターにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1830年4月

教義と聖約23章ニューヨーク州マンチェスターにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してオリバー・カウドリ,ハイラム・スミス,サミュエル・H・スミス,ジョセフ・スミス・シニア,ジョセフ・ナイト・シニアに与えられた5つの一連の啓示。

1830年6月

教会の支部がニューヨーク州コールズビルで設立される。

1830年6-7月

ジョセフ・スミス,「モーセの示現」を書き取らせる。これは後に『高価な真珠』に収められ,聖書を霊感訳に改訂する大規模な取り組みの一端を担うことになる。

1830年6月9日

教会の第1回大会がニューヨーク州フェイエットで開かれる。大会の参加者,教会の「規定と聖約」を全会一致で支持する(教義と聖約20章)。

1830年6月30日

サミュエル・スミス,キリスト教会初の宣教師の一人として,ニューヨーク州メンドンやリボニアといった地域に赴く。

1830年7月

教義と聖約24章ペンシルベニア州ハーモニーにおいて,預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに与えられた啓示。

1830年7月

教義と聖約25章ペンシルベニア州ハーモニーにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。この啓示は,預言者の妻エマ・スミスへの主の御心を示している。

1830年7月

教義と聖約26章ペンシルベニア州ハーモニーにおいて,預言者ジョセフ・スミス,オリバー・カウドリ,ジョン・ホイットマーに与えられた啓示。

1830年8月

教義と聖約27章ペンシルベニア州ハーモニーにおいて,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。

1830年9月

教義と聖約28章ペンシルベニア州フェイエットにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してオリバー・カウドリに与えられた啓示。

1830年9月

教義と聖約29章ニューヨーク州フェイエットにおいて,大会が開かれる数日前に,6人の長老が同席する場で預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1830年9月26日

教会の第2回大会がニューヨーク州フェイエットで開かれる。ジョセフ・スミス,教会のために啓示を受けて書き留める責任に任命される。

1830年9月

教義と聖約30章ニューヨーク州フェイエットにおいて,3日間の大会が開かれた後に,預言者ジョセフ・スミスを通してデビッド・ホイットマー,ピーター・ホイットマー・ジュニア,ジョン・ホイットマーに与えられた啓示。

1830年9月

教義と聖約31章ニューヨーク州フェイエットにおいて,1830年9月の大会直後,預言者ジョセフ・スミスを通してトーマス・B・マーシュに与えられた啓示。

1830年10月上旬

教義と聖約32章ニューヨーク州マンチェスターにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してパーリー・ P・プラットとザイバ・ピーターソンに与えられた啓示。

1830年10月

教義と聖約33章ニューヨーク州フェイエットにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してエズラ・セアとノースロップ・スイートに与えられた啓示。

1830年10月29日

オリバー・カウドリ,ザイバ・ピーターソン,パーリー・P・プラット,ピーター・ホイットマー・ジュニア,ミズーリ州の西の,未開の地へ伝道に向かう途中,オハイオ州ジアーガ郡に到着する。オハイオ州に数週間滞在し,そこでシドニー・リグドンやフレデリック・G・ウィリアムズを含む100人以上に教えを説き,バプテスマを施す。

1830年11月4日

教義と聖約34章ニューヨーク州フェイエットにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してオーソン・プラットに与えられた啓示。

1830年12月7日

教義と聖約35章ニューヨーク州フェイエットまたはその付近において,預言者ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンに与えられた啓示。

1830年12月9日

教義と聖約36章ニューヨーク州フェイエット付近で,預言者ジョセフ・スミスを通してエドワード・パートリッジに与えられた啓示。

1830年12月

教義と聖約37章ニューヨーク州フェイエット付近で,預言者ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンに与えられた啓示。オハイオ州に集まるよう聖徒たちに命じている。

1831年

1831年1月2日

教会の第3回大会がニューヨーク州フェイエットで開かれる。

教義と聖約38章ニューヨーク州フェイエットにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。教会の大会中の出来事。

1831年1月5日

教義と聖約39章ニューヨーク州フェイエットにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してジェームズ・コベルに与えられた啓示。

1831年1月6日

教義と聖約40章ニューヨーク州フェイエットにおいて,預言者ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンに与えられた啓示。

1831年2月4日

ジョセフ・スミスとエマ・スミス,オハイオ州カートランドに移り住む。

1831年2月4日

教義と聖約41章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して教会に与えられた啓示。調整事項を指示し,エドワード・パートリッジを教会初のビショップに召している。

1831年2月9日;1831年2月23日

教義と聖約42章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して二部に分けて与えられた啓示。

1831年2月

教義と聖約43章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年2月下旬

教義と聖約44章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンに与えられた啓示。

1831年3月

パーリー・P・プラット,未開の地への伝道からオハイオ州カートランドに戻る。

1831年3月7日

教義と聖約45章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して教会に与えられた啓示。

1831年3月8日

教義と聖約46章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して教会に与えられた啓示。

1831年3月8日

教義と聖約47章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年3月10日

教義と聖約48章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年4月9日

ジョン・ホイットマー,オハイオ州カートランドで開催された教会の長老たちの特別集会において,教会記録と歴史を保存するよう任命される。

1831年5月

ニューヨーク州コールズビルの支部からの聖徒たち,オハイオ州トンプソンに到着する。

1831年5月7日

教義と聖約49章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してシドニー・リグドン,パーリー・P・プラット,およびリーマン・コプリーに与えられた啓示。

1831年5月9日

教義と聖約50章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年5月20日

教義と聖約51章オハイオ州トンプソンにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年6月3-6日

オハイオ州カートランドにおいて教会の大会が開かれ,大祭司の職への聖任が初めて行われる。

1831年6月6日

教義と聖約52章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して教会の長老たちに与えられた啓示。

1831年6月8日

教義と聖約53章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してアルジャノン・シドニー・ギルバートに与えられた啓示。

1831年6月10日

教義と聖約54章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してニューエル・ナイトに与えられた啓示。オハイオ州トンプソンの会員たち,リーマン・コプリーの農場を離れ,ミズーリ州に移るよう指示される。

1831年6月14日

教義と聖約55章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してウィリアム・W・フェルプスに与えられた啓示。

1831年6月15日

教義と聖約56章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年6月19日

ジョセフ・スミス,ほかの人々とともに,シオンの地を指定するためにミズーリ州インディペンデンスへ赴き,1831年7月14日に到着する。

1831年7月20日

教義と聖約57章ミズーリ州ジャクソン郡シオンにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年8月1日

教義と聖約58章ミズーリ州ジャクソン郡シオンにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年8月3日

ジョセフ・スミス,シドニー・リグドンをはじめとする人々,ミズーリ州ジャクソン郡インディペンデンスにおいて,シオンの町と神殿用地を奉献する。

1831年8月4日

ジョセフ・スミス,ジャクソン郡コータウンシップで開催された,ミズーリの教会初の大会を管理する。

1831年8月7日

教義と聖約59章ミズーリ州ジャクソン郡シオンにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年8月8日

教義と聖約60章ミズーリ州ジャクソン郡インディペンデンスにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年8月9日

ジョセフ・スミス,ミズーリ州インディペンデンスを去る。1831年8月27日,オハイオ州カートランドに到着する。

1831年8月12日

教義と聖約61章ミズーリ川のマクイルウェインズ・ベンドの岸で,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年8月13日

教義と聖約62章ミズーリ州チャリトンのミズーリ川の岸で,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年8月30日

教義と聖約63章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年9月11日

教義と聖約64章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して教会の長老たちに与えられた啓示。

1831年9月12日

ジョセフ・スミスとエマ・スミス,オハイオ州ハイラムタウンシップのジョン・ジョンソンとアリス(エルサ)・ジョンソンの農場に引っ越す。

1831年10月13日

Ohio Star,オハイオ州ラベンナに住む元末日聖徒エズラ・ブースが,教会と預言者を批判した9通の手紙の1通目を掲載する。

1831年10月25-26日

ジョセフ・スミス,オハイオ州クヤホガ郡オレンジタウンシップの大会を管理する。この大会で,15人の長老が大祭司に聖任される。

1831年10月29日

教義と聖約66章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年10月30日

教義と聖約65章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた,祈りについての啓示。

1831年11月1日

オハイオ州ハイラムで開催された大会で,ジョセフ・スミスの啓示を戒めの書として出版することが承認される。

教義と聖約1章長老たちの大会において,主の啓示のはしがきとして預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年11月初旬

教義と聖約67章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。啓示の出版に関する特別集会において。

1831年11月1日

教義と聖約68章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。オーソン・ハイド,ルーク・S・ジョンソン,ライマン・E・ジョンソン,ウィリアム・E・マクレリンについての御心を明らかにするよう求める祈りにこたえて授けられる。

1831年11月3日

教義と聖約133章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。この章は,最初付録として加えられたが,後に章の番号が割り当てられる。

1831年11月11日

教義と聖約107章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた神権に関する啓示。この啓示は,1835年4月に受けた啓示と統合され,107章に収められる。

1831年11月11日

教義と聖約69章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1831年11月12日

教義と聖約70章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。ジョセフ・スミス,マーティン・ハリス,オリバー・カウドリ,ジョン・ホイットマー,シドニー・リグドン,ウィリアム・W・フェルプス,ジョセフ・スミスの啓示の管理人に任命される。

1831年12月1日

教義と聖約71章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンに与えられた啓示。オハイオ地域で伝道し,元教会員のエズラ・ブースにより公開された手紙が引き起こした,教会に対する悪感情を静められるよう,聖書の改訂を延期するよう指示される。

1831年12月4日

教義と聖約72章オハイオ州カートランドで預言者ジョセフ・スミスを通して同日に与えられた三つの啓示を編さんしたもの。ニューエル・K・ホイットニー,オハイオの教会の実務を監督するようビショップに任命される。また,ビショップの務めの概要が示され,シオンの集合に関する指示が与えられる。

1832年

1832年1月5日

オリバー・カウドリとジョン・ホイットマー,ミズーリ州インディペンデンスに到着する。そこで印刷するための啓示の原稿を携えて行く。ウィリアム・W・フェルプス,同月下旬にオハイオ州シンシナティで購入した印刷機を携えて到着する。

1832年1月10日

教義と聖約73章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンに与えられた啓示。

1832年1月25日

オハイオ州アムハーストで総大会が開かれる。ジョセフ・スミス,大神権の大管長として支持され聖任される。

教義と聖約75章オハイオ州アムハーストにおいて,そこで行われる大会に関連して預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1832年2月16日

教義と聖約76章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンに与えられた示現。

約1832年3月

教義と聖約77章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。

1832年3月1日

教義と聖約78章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1832年3月7日

教義と聖約80章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してスティーブン・バーネットに与えられた啓示。

1832年3月8日

オハイオ州ハイラムタウンシップにおいて,ジェシー・ガウスとシドニー・リグドン,大神権の大管長会におけるジョセフ・スミスの顧問として選ばれる。これは,大管長会の正式な組織への一歩となる。

1832年3月12日

教義と聖約79章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1832年3月15日

教義と聖約81章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。大神権の大管長会におけるジョセフ・スミスの顧問に関するもの。ジェシー・ガウス,顧問として最初に召される。割り当てにふさわしい形で続けることができなかったため,召しはフレデリック・G・ウィリアムズに移る。

1832年3月24-25日

ジョセフ・スミスとシドニー・リグドン,オハイオ州ハイラムタウンシップで夜中にタールを塗られ,羽根を付けられる。

1832年4月1日

ジョセフ・スミス,オハイオ州カートランドからミズーリ州インディペンデンスに向かい,1832年4月24日に到着する。

1832年4月26日

教義と聖約82章ミズーリ州ジャクソン郡インディペンデンスにおいて,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。ジョセフ・スミス,シドニー・リグドン,オリバー・カウドリ,ジョン・ホイットマー,マーティン・ハリス,ウィリアム・W・ヘルプス,エドワード・パートリッジ・ニューエル・K・ホイットニー,アルジャーノン・シドニー・ギルバートの9名の男性たちに,一つとなって後に共同商会として知られるようになるものを作るよう指示が与えられる。

1832年4月30日

教義と聖約83章ミズーリ州インディペンデンスにおいて,預言者ジョセフ・スミスがほかの指導者とともに評議会の席についていたときに与えられた啓示。

1832年5月6日

ジョセフ・スミス,ミズーリ州インディペンデンスからオハイオ州カートランドに向かい,1832年6月に到着する。

1832年8月29日

教義と聖約99章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してジョン・マードックに与えられた啓示。

1832年9月12日

ジョセフ・スミスとエマ・スミス,家族を連れてオハイオ州ハイラムからカートランドに移り,ニューエル・K・ホイットニーの商店の2階に住み始める。

1832年9月22-23日

教義と聖約84章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1832年10月上旬

ジョセフ・スミス,商品を購入し,伝道するために,ニューヨークシティやアメリカ東部の都市にニューエル・K・ホイットニーとともに赴き,1832年11月6日に戻る。

1832年11月27日

教義と聖約85章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。この章は,ミズーリ州インディペンデンスに住んでいたウィリアム・W ・フェルプスにあてた預言者の手紙からの抜粋である。

1832年12月6日

教義と聖約86章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1832年12月21日

サウスカロライナ州,連邦税に反対し,合衆国から脱退すると脅す。

1832年12月25日

教義と聖約87章オハイオ州カートランドまたはその付近において,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた,戦争に関する啓示と預言。

1832年12月27日

オハイオ州カートランドにおいて,大祭司の大会が開催される。

1832年12月27-28日,1833年1月3日

教義と聖約88章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。この啓示は,多くの真理と戒めを含んでいるのに加え,オハイオ州カートランドに神殿を建設し,預言者の塾を設立するよう聖徒に指示している。

1833年

1833年1月22-23日

オハイオ州カートランドにおいて,預言者の塾初の集会が開催される。

1833年2月27日

教義と聖約89章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。知恵の言葉として知られるようになる食事に関する規範。

1833年3月8日

教義と聖約90章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。この啓示は大管長会を確立するに当たっての継続的な一段階である。

1833年3月9日

教義と聖約91章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1833年3月15日

教義と聖約92章オハイオ州ハイラムにおいて,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。

1833年5月6日

教義と聖約93章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた,キリストの性質と真理に関する啓示。

1833年6月1日

教義と聖約95章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。主の宮を建設するための神からの指示が引き続き与えられ,建設を開始しなかった聖徒が懲らしめられている。

1833年6月4日

教義と聖約96章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。シオンの町やステークの秩序を示している。

1833年6月6日

末日聖徒たち,カートランド神殿の建設を始める。

1833年7月2日

ジョセフ・スミス,オハイオ州カートランドで聖書の改訂の作業を終える。

1833年7月20日

ミズーリ州ジャクソン郡から立ち退くよう末日聖徒に求めていた自警団,インディペンデンスの印刷所を破壊し,未完成の『戒めの書』のページを道にばらまく。数十冊が破損を免れる。エドワード・パートリッジとチャールズ・アレン,タールを塗られ,羽根を付けられる。

1833年7月23日

ミズーリ州ジャクソン郡の末日聖徒,郡から出ていくことに無理やり同意させられる。

1833年7月23日

ジョセフ・スミス,カートランド神殿の定礎式に出席する。

1833年8月2日

教義と聖約97章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。ミズーリ州ジャクソン郡シオンにおける聖徒の問題を特に取り上げている。

1833年8月2日

教義と聖約94章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1833年8月6日

教義と聖約98章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。ミズーリ州における聖徒の迫害の結果として与えられる。

1833年8月9日

オリバー・カウドリ,ミズーリでの攻撃についての詳細な報告書を携えて,オハイオ州カートランドに到着する。

1833年9月下旬

ミズーリ州ジャクソン郡の末日聖徒,不当な扱いの是背を,ミズーリ州知事ダニエル・ダンクリンに歎願する。10月19日,ダンクリン,裁判所を通して問題の解決を図るよう助言する。

1833年10月5日

ジョセフ・スミス,オハイオ州カートランドを離れ,アッパーカナダ,マウント・プレザントへの伝道に赴く。1833年11月4日に帰還する。

1833年10月12日

教義と聖約100章ニューヨーク州ペリーズバーグにおいて,預言者ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンに与えられた啓示。

1833年10月31日

自警団,ミズーリ州ジャクソン郡の複数の地で末日聖徒を襲う。一人の末日聖徒と二人の敵対者が死亡する。聖徒に対抗して,郡の民兵が招集される。11月8日までに,聖徒たち,ジャクソン郡から逃れ,おもにミズーリ州クレイ郡に移り住む。

1833年12月16-17日

教義と聖約101章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。

1834年

1834年2月17日

教義と聖約102章オハイオ州カートランドにおける教会の最初の高等評議会の組織に関する議事録。元々オリバー・カウドリとオーソン・ハイドが記録した議事録は,翌日預言者により改訂され,高等評議会により全会一致で承認される。

1834年2月24日

教義と聖約103章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。組織された遠征(後に「シオンの陣営」または「イスラエルの陣営」として知られる)に,ミズーリ州ジャクソン郡から追い出された聖徒たちを救出し,彼らの土地を取り戻すよう指示している。

1834年4月23日

教義と聖約104章オハイオ州カートランド,またはその付近で,預言者ジョセフ・スミスに与えられた,共同商会に関する啓示。共同商会の会員の評議集会で書き取らせたものかもしれない。

1834年5月5日

ジョセフ・スミスにより率いられたイスラエルの陣営(「シオンの陣営」),ミズーリ州ジャクソン郡の聖徒たちの土地を回復するという使命を帯びて,オハイオ州カートランドを出発する。

1834年6月15日

パーリー・P・プラットとオーソン・ハイド,ミズーリ州知事のダニエル・ダンクリンは,ジャクソン郡の自分たちの土地に戻る聖徒たちに付き添う州兵を招集することを断ったことをジョセフ・スミスに報告する。

1834年6月19日

イスラエルの陣営,クレイ郡のフィッシング川に到着する。そこには,暴徒が襲撃しようと集まっていた。暴徒,豪雨のため企てを諦める。

1834年6月22日

教義と聖約105章ミズーリ州フィッシング川において,預言者ジョセフ・スミスに与えられた,シオンの贖いと,ミズーリ州での暴行への対応に関する啓示。

1834年8月16日

ジョセフ・スミス,ジャクソン郡の聖徒たちに対する連邦政府の保護を求める,ミズーリ州知事ダニエル・ダンクリンへの請願書に署名するよう,ミズーリ州高等評議会に強く勧める。

1834年9月24日

カートランド高等評議会,ジョセフ・スミス,オリバー・カウドリ,シドニー・リグドン,フレデリック・G・ウィリアムズを,啓示を整え,出版する委員会として任命する。

1834年11月25日

教義と聖約106章オハイオ州カートランドにおいて,ジョセフ・スミスを通してオリバー・カウドリの兄ウォレン・A・カウドリに与えられた啓示。

1835年

1835年2月14日

オハイオ州カートランドにおいて,ジョセフ・スミス,オリバー・カウドリ,デビッド・ホイットマー,マーティン・ハリス,十二使徒を選ぶ。

1835年2月28日-3月1日

イスラエルの陣営の参加者,七十人の会員として選ばれる。

約1835年4月

教義と聖約107章約1835年4月に,オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた,神権に関する啓示。60-100節には,1831年11月11日にジョセフ・スミスを通して与えられた啓示が組み込まれている。

1835年5月4日

十二使徒,オハイオ州カートランドを出発し,遠く離れた教会支部を監督するためにアメリカ東部とアッパーカナダに向かう。

1835年7月

人々の助けを得て,ジョセフ・スミス,エジプトのミイラとパピルスをオハイオ州カートランドのマイケル・チャンドラーから購入する。

1835年8月17日

オハイオ州カートランドの教会の総会,教義と聖約の初版の出版を承認する。

教義と聖約134章オハイオ州カートランドで開かれた教会の総会において全会一致で採択された,政府と法律全般に関する所信の宣言。

1835年9月

教会,オハイオ州カートランドで教義と聖約を出版する。啓示を出版する取り組み,1833年のミズーリ州における暴徒の襲撃により中断していた。

1835年秋

ジョセフ・スミス,1835年7月にエジプトのパピルスを購入したことにより始まったアブラハム書の翻訳に定期的に取り組む。

1835年11月12日

ジョセフ・スミス,オハイオ州カートランドにおいて,洗足の儀式と来るべきエンダウメントの儀式に関して使徒たちに指示を与える。

1835年12月26日

教義と聖約108章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。この章は,ライマン・シャーマンの要請により与えられる。

1836年

1836年1月13日

ジョセフ・スミス,オハイオ州カートランドにおいて指導者の集会を管理し,その集会において,カートランド・ビショップ評議会とカートランドとミズーリの高等評議会が完全な形で組織される。

1836年1月21日

教義と聖約137章オハイオ州カートランドの神殿において,預言者ジョセフ・スミスに与えられた示現。この示現が与えられたのは,神殿の奉献に備えて儀式を執行していたときのことである。

1836年初旬

教会がA Collection of Sacred Hymns,for the Church of the Latter Day Saintsを出版する。オハイオ州カートランドにおいて,エマ・ヘイル・スミスにより讃美歌が選ばれ,W・W・フェルプスにより教会印刷所で準備される。讃美歌に記載されている出版の日付は1835年となっているものの,1836年初頭まで手に入らなかったようだ。

1836年3月27日

カートランド神殿が奉献される。

教義と聖約109章オハイオ州カートランドの神殿の奉献式でささげられた祈り。預言者の記録によれば,この祈りは啓示によって彼に与えられたものである。

1836年4月3日

教義と聖約110章オハイオ州カートランドの神殿でジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに現わされた示現。イエス・キリストが御姿を現わして神殿を受け入れられ,モーセ,エライアス,エリヤは神権の鍵を授ける。

1836年7月1日

ミズーリ州の教会指導者,聖徒にミズーリ州クレイ郡を去ってもらいたいという住民の要請に同意する。

1836年7月25日

ジョセフ・スミスとほかの人々,移動しながら福音を宣べ伝え,ニューヨークシティでビジネスを行い,マサチューセッツ州セイレムの教会が利用できる資金が潤沢にあるという報告書について調査する。1836年9月中旬,一行が戻る。

1836年8月6日

教義と聖約111章マサチューセッツ州セーレムにおいて,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。教会指導者の借金について,またその借金を返済するために資金を集めようとして,ジョセフ・スミスとほかの人々が向かったニューイングランドへの旅についてのもの。

1836年11月2日

カートランド安全協会銀行の株主,規約を承認する。ジョセフ・スミス,「現金出納係」に選出される。1837年1月初旬,銀行が開業し,手形の発行を開始する。1837年2月10日,銀行設立免許を求める請願がオハイオ州議会により却下される。

1836年12月29日

ミズーリ州知事リバーン・W・ボッグス,コールドウェル郡を末日聖徒の居住地とする議案に署名する。

1837年

1837年5月

銀行が倒産し,その結果不景気に陥ったため,アメリカは経済恐慌に見舞われる。

1837年5月

ウォレン・パリッシュ,十二使徒定員会の一部の会員を含む人々を先導して,ジョセフ・スミスを痛烈に非難する。

1837年5年28日

ジョセフ・スミス,カートランドで開かれた日曜日の集会において教会員に語り,パリッシュの批判に対して自己弁護する。

1837年6月11-13日

ジョセフ・スミス,イングランドへ赴く宣教師として,使徒のヒーバー・C・キンボールとオーソン・ハイド,祭司のジョセフ・フィールディングを任命する。2日後,一行,ウィラード・リチャーズとともにオハイオ州カートランドを出発する。

1837年7月7日

ジョセフ・スミスとシドニー・リグドン,カートランド安全協会の役員を辞職する。ジョセフはその一か月ほど前に,銀行内に保有していた株を売却していた。

1837年7月23日

教義と聖約112章オハイオ州カートランドにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通してトーマス・B・マーシュに与えられた,十二使徒,大管長会,伝道活動,神権の鍵の義務についての啓示。

1837年9月27日

ジョセフ・スミス,ミズーリ州北西部に趣き,そこの教会を整え,聖徒が定住する場所を指定する。1837年12月,ジョセフ・スミス,オハイオ州カートランドに戻る。

1838年

1838年1月15日

オハイオ州カートランドの教会印刷書,放火犯により破壊される。

1838年3月14日

ジョセフ・スミスとエマ・スミスとその家族,オハイオ州カートランドからミズーリ州コールドウェル郡ファーウェストに到着する。

1838年3月

教義と聖約113章ミズーリ州ファーウェストまたはその付近において,イザヤの記した事柄に関する質問に対して預言者ジョセフ・スミスにより与えられた答え。

1838年4月11日

教義と聖約114章ミズーリ州ファーウェストにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1838年4月26日

教義と聖約115章ミズーリ州ファーウェストにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。その地を築き上げて主の宮を建て,教会を末日聖徒イエス・キリスト教会と命名することについての神の御心を知らせる啓示。

1838年5月18日

ジョセフ・スミス,ファーウェストからミズーリ州デイビーズ郡を通って,聖徒が定住する新たな地を選びに赴く。

1838年5月19日

教義と聖約116章ミズーリ州デイビーズ郡ワイツフェリー付近のスプリングヒルと呼ばれる地において,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。

1838年7月6日

約500人の聖徒たち,オハイオ州カートランドを出発し,ミズーリ州へ向かう。1838年10月2日,ミズーリ州ファーウェストに到着する。

1838年7月8日

教義と聖約117章ミズーリ州ファーウェストにおいて,ウィリアム・マークス,ニューエル・K・ホイットニー,およびオリバー・グレインジャーの当面の務めに関して,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。

1838年7月8日

教義と聖約118章ミズーリ州ファーウェストにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。これは,十二使徒定員会に関するジョセフ・スミスの願いに応じて与えられたものである。

1838年7月8日

教義と聖約119章ミズーリ州ファーウェストにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。これは,什分の一に関するジョセフ・スミスの願いに応じて与えられたものである。

1838年7月8日

教義と聖約120章ミズーリ州ファーウェストにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。これは,第119章で指示された,什分の一として納められた財産の配分について知らせるものである。

1838年10月9日ごろ

ミズーリ州知事リバーン・W・ボッグス,ミズーリ州北西部において日増しに加熱する,聖徒に対する敵対心への介入を拒否する。

1838年10月25日

ミズーリ州北西部における緊張が高まり,レイ郡の民兵1人と使徒デビッド・W・パッテンを含む3人の末日聖徒,ミズーリ州ログクリーク近くの小競り合いで死亡する。この出来事は「クルックト川の戦い」として知られるようになる。

1838年10月27日

ミズーリ州知事リバーン・W・ボッグス,同州からの末日聖徒の排除または撲滅を認可する命令を出す。

1838年10月30日

自警団,ミズーリ州コールドウェル郡ハウンズミルにおいて,辺境に位置する末日聖徒のコミュニティーを襲撃し,死者17人,負傷者14人を出す。

1838年10月31日

ミズーリ州民兵隊,平和会議の名目で,ミズーリ州ファーウェスト郊外において,ジョセフ・スミスを含む人々を捕える。彼らは,まずミズーリ州インディペンデンスで,その後リッチモンドで拘束される。

1838年12月1日

ジョセフ・スミス,ハイラム・スミス,シドニー・リグドン,ライマン・ワイト,カレブ・ボールドウィン,アレクサンダー・マクレー,リッチモンドからミズーリ州クレイ郡リバティーの監獄に移送される。

1839年

1839年2月

ミズーリ州からの末日聖徒の大規模な避難が始まる。大半の聖徒たち,イリノイ州に移住する。

1839年3月20日

教義と聖約121章ミズーリ州リバティーの監獄において,囚われの身であった預言者ジョセフ・スミスが教会にあてた手紙に記された祈りと預言。

1839年3月22日ごろ

教義と聖約122章ミズーリ州リバティーの監獄において,囚われの身であった預言者ジョセフ・スミスに与えられた主の言葉。この章は3月20日の手紙の続きである。

1839年3月22日ごろ

教義と聖約123章ミズーリ州リバティーの監獄において,囚われの身であった預言者ジョセフ・スミスにより書かれた,迫害者に関する聖徒たちの務め。この章は3月20日の手紙の続きである。

1839年4月6-8日

ジョセフ・スミス,デイビーズ郡で犯したとの申し立てのあった犯罪のかどで大陪審の審理を受けるため,リバティーの監獄からミズーリ州ガラティンに移送される。

1839年4月16日

ジョセフ・スミスと同行者,審理のためにミズーリ州ブーン郡コロンビアに移送中,ミズーリ州チャリトン郡に逃れることを許される。

1839年4月22日

ジョセフ・スミス,イリノイ州クインシーにある,ジョン・クリーブランドとサラ・クリーブランド夫妻の自宅に住んでいたエマ・スミスと子供たちに再会する。1839年5月,スミス一家,コマース(後にノーブーとして知られる)の丸太造りの家に引っ越す。

1839年4月26日

十二使徒定員会の会員たち,ファーウェストの神殿用地に集まり,教義と聖約118:5の戒めに従い,その場所から外国へ伝道に赴く。この集会は,その地域における迫害のため,ひそかに開催された。

1839年4月30日

教会の代理人,コマース(後のノーブー)に聖徒のための土地の購入を開始する。その夏,イリノイ州とアイオワ準州で区画を買い増しする。

1839年7月22-23日

ジョセフ・スミス,イリノイ州におけるマラリアの流行中に,イリノイ州コマース(後のノーブー)の内外で,病人の末日聖徒に癒しの祝福を授ける。

1839年8月8日

ジョン・テーラーとウィルフォード・ウッドラフ,イギリス諸島に向けてイリノイ州を出発し,十二使徒定員会の海外への伝道を開始する。1839年9月,ブリガム・ヤングとヒーバー・C・キンボール,後に続く。

1839年11月29日

ジョセフ・スミスとエライアス・ヒグビー,アメリカ大統領マーティン・バン・ビューレンと会合をもつ。大統領,ミズーリでの不当な扱いの是正を求める請願を即座に拒否する。

1840年

1840年3月23日

合衆国上院,ミズーリで受けている不当な扱いの是正を求める教会の請願を却下する。

1840年4月21日

アメリカ郵便局長,イリノイ州コマース郵便局の名称をイリノイ州ノーブーに正式に変更する。

1840年5月

イギリス伝道部を導いていた使徒たち,イングランドでMillennial Starの出版を開始する。教会歴史上最も長期間出版された刊行物であり,最終号は1970年に出版される。

約1840年7月19日

ジョセフ・スミス,ノーブー神殿の建設の重要性を強調する講話を行う。1840年9月初旬,神殿の正式な計画を発表する。

1840年8月15日

イリノイ州ノーブーにおいて,ジョセフ・スミス,シーモア・ブランソンの葬儀において説教中,死者のための身代わりのバプテスマの教義について述べる。

1840年10月4日

ジョセフ・スミス,イリノイ州ノーブーで開催された総大会で死者のためのバプテスマについての講話を行い,その後ミシシッピ川において,その目的で100人にバプテスマを施す。

1840年12月16日

イリノイ州知事トーマス・カーリン,ノーブーの町を合併し,ノーブー軍とノーブーにおける大学の創設を認可する法令に署名する。

1841年

1841年1月19日

教義と聖約124章イリノイ州ノーブーにおいて,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示。これは,ノーブーを「シオンの隅石」として指定し,神殿とノーブーハウスの建設を指示するものである。

1841年2月1日。

イリノイ州ノーブーにおいて,新たな市の憲章下で初めての総選挙が行われる。その週に市議会が組織される。

1841年3月1日

ノーブー市議会,「あらゆる宗派や宗教団体は,信教の自由および平等な特権を有する」という条例を可決する。

1841年3月

教義と聖約125章イリノイ州ノーブーにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた,アイオワ準州に集合していた聖徒たちに関する啓示。

1841年 6月 5日

ジョセフ・スミス,前ミズーリ州知事リバーン・W・ボッグスからの引き渡し要請に基づき,イリノイ州ベアクリークで逮捕される。6月10日,イリノイ州モンマスの裁判所,逮捕令状の無効を言い渡す。

1841年7月9日

教義と聖約126章イリノイ州ノーブーにおいて,預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。ブリガム・ヤングに,遠方へ旅をすることは今後不要であるとの助言と,家族とともにいるようにという助言が与えられる。

1841年10月24日

オーソン・ハイド,「ユダヤの散らされた残りの者」が帰る地としてパレスチナを奉献する。

1841年11月8日

ノーブー神殿の地下にある木製のバプテスマフォントが奉献される。ジョセフ・スミス,奉献式に出席する。

1842年

1842年3月1日

以前にシカゴの新聞編集者であるジョン・ウェントワースに送られた,教会歴史および基本的信条の概要についてのジョセフ・スミスの話が,ノーブーのTimes and Seasonsに掲載される。これが信仰箇条の元となる。

1842年3月17日

ジョセフ・スミスは,初代会長のエマ・スミスとともにノーブー女性扶助協会の組織に参加する。

1842年5月4日

ジョセフ・スミス,イリノイ州ノーブーの自分の商店の二階で,「エンダウメント」として知られる神聖な儀式と教えを,ハイラム・スミス,ブリガム・ヤングなどの人たちに示す。

1842年5月6日

前ミズーリ州知事リバーン・W・ボッグス,ミズーリ州ジャクソン郡インディペンデンスの自宅において銃で撃たれ,重傷を負う。

1842年7月22日

ミズーリ州知事トーマス・レイノルズ,リバーン・W・ボッグスを撃ったかどで告訴されたジョセフ・スミスとオリン・ポーター・ロックウェルの引き渡しを要請する。

1842年9月1日

教義と聖約127章預言者ジョセフ・スミスからイリノイ州ノーブーの末日聖徒にあてた,死者のためのバプテスマについての指示を含む手紙。

1842年9月6日

教義と聖約128章預言者ジョセフ・スミスから教会にあてた,死者のためのバプテスマについての追加の指示を含む手紙。

1843年

1843年1月6日

リバーン・W・ボッグスを撃った罪で逮捕されていたジョセフ・スミス,放免される。

1843年2月9日

教義と聖約129章イリノイ州ノーブーにおいて,預言者ジョセフ・スミスによって与えられた,仕える天使と霊の正体を見分けるための三つの大いなる鍵を明らかにした教え。

1843年4月2日

教義と聖約130章イリノイ州レイマスにおいて,預言者ジョセフ・スミスにより与えられた教えの数々。

1843年5月16日-17日

教義と聖約131章イリノイ州レイマスにおいて,預言者ジョセフ・スミスにより与えられた教え。

1843年7月12日

教義と聖約132章イリノイ州ノーブーにおいて預言者ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示。結婚聖約の永続性と多妻結婚の原則を含む,新しくかつ永遠の聖約に関するもの。この啓示が記録されたのは1843年であるが,預言者がこの啓示に含まれている原則の一部について1831年の時点ですでに知っていたことは,証拠から明らかである。

1844年

1844年3月11日

ジョセフ・スミス,五十人評議会を組織する集会を管理する。五十人評議会とは,「民事において人々を司るため」に地上に神の王国を設立することを目的とした教会の組織である。

1844年4月7日

ジョセフ・スミス,イリノイ州ノーブーの教会の大会において,キング・フォレットの葬儀の説教をし,前世および神の性質について説明する。

1844年6月7日

Nauvoo Expositorの初版が出版される。これは,ノーブー憲章の取り消しを強く求め,ジョセフ・スミスと聖徒たちに対する不利な,挑発的な虚偽の主張をするものである。

1844年6月10日

ジョセフ・スミス率いるノーブー市議会,Nauvoo Expositorを公的不法妨害であると宣言し,印刷書の破壊を命じる。

1844年6月12日

ジョセフ・スミス,Nauvoo Expositorの印刷所の破壊の罪で逮捕され,その後ノーブー地方裁判所により放免される。6月17日に再度逮捕され,放免される。

1844年6月24日

ジョセフ・スミスはノーブーを離れ,イリノイ州カーセージにおいて,Nauvoo Expositorを破壊した罪で告訴される。ハイラム・スミスと数人が同行した。彼らは捕えられ,カーセージの監獄に投獄される。

1844年6月27日

ジョセフ・スミスとハイラム・スミス,イリノイ州カーセージの監獄で拘留中に,武装した暴徒に殺される。ジョン・テーラーは重傷を負う。

約1844年7月

教義と聖約135章1844年6月27日,イリノイ州カーセージにおける預言者ジョセフ・スミスとその兄である祝福師ハイラム・スミスの殉教に関する発表。この文書は1844年版の『教義と聖約』の最後に収録された。この版は,ジョセフ・スミスとハイラム・スミスが殺害された時点で出版の準備がほぼ整っていた。

1844年8月8日

集まった聖徒たち,シドニー・リグドンとブリガム・ヤングの話を聞き,十二使徒定員会が教会を導くことに賛意を表明する。

1845年

1845年1月29日

ノーブー憲章がイリノイ州議会により取り消される。数か月にわたり,代わりの憲章を得ようとするも,失敗に終わる。

1845年3月1日

五十人評議会,イリノイ州ノーブーにおける対立の悪化に伴い,聖徒の新たな住処を見つけるために,ルイス・ダナとともに使節団を西部へ派遣する。遠征隊,1845年4月23日に出発する。

1845年3月28日

ライマン・ワイト,ウィスコンシン準州の一団を率いてテキサス州で定住地を探す。

1845年5月30日

ジョセフ・スミスの殺人の罪で公判中だった5人の男たち,イリノイ州カーセージのハンコック郡巡回裁判所の陪審により無罪を言い渡される

1845年8月28日

ブリガム・ヤングとイリノイ州ノーブーのほかの教会指導者たち,1846年春にカリフォルニア北部への遠征を計画し始める。

1845年9月1日

ダニエル・スペンサーとチャールズ・シャムウェイ,ルイス・ダナと相談して,「インディアン領地」への伝道からイリノイ州ノーブーに帰還する。

1845年9月9日

1846年春,五十人評議会,イリノイ州ノーブーを出発して西部へ移動する移民団を組織することを投票により決定する。

1845年9月20日

イリノイ州知事のトーマス・フォード,イリノイ州ハンコック郡に平和を回復するよう州兵に命じる。

1845年9月24日

ブリガム・ヤングとウィラード・リチャーズ,平和が回復され,末日聖徒が土地の売却に支援を受けられるならば,イリノイ州を離れる意志があることを宣言する文書を発表する。10月1-2日,イリノイ州カーセージにおいて,聖徒に反対する周辺の郡の代表者が会議に集まり,提案を受け入れる。

1845年10月5日

聖徒たち,ノーブー神殿の1階のアッセンブリールームに集まり,教会の総大会に備えて,建物のその部分を奉献する。

1845年10月6日

教会の総大会,翌春に西部へ移動するという決定を承認する。会員たち,西部に移りたいと望んでいる人を一人も残していかないと誓う。

1845年11月30日

教会指導者たち,ノーブー神殿の中二階を奉献する。

1845年12月10日

教会,ノーブー神殿においてエンダウメントの執行を開始する。1846年初頭,使徒たち,この世と永遠にわたる夫婦の結び固めを開始する。

1845年12月18日

ブリガム・ヤングとほかの指導者たち,偽造の嫌疑をかけられ,無実の罪で起訴される。

1846-1847年

1846年2月4日

ノーブーを出発する最初の一団,ミシシッピ川を渡り,アイオワ準州に入る。

1846年2月8日

教会指導者.ノーブー神殿で何日もほぼ休まずに儀式を執行し続けた後,儀式を中止する。彼らは祭壇の前にひざまづき,西へ向かう人々の上に神の祝福を祈る。

1846年2月15日

ブリガム・ヤング,ミシシッピ川を渡ってアイオワ準州に入る。

1847年1月

教義と聖約136章アイオワ州カウンシルブラッフスの近くのミズーリ川の西岸,ウィンタークォーターズで,ブリガム・ヤング会長を通して与えられた主の言葉と御心。

1847年7月24日

ブリガム・ヤングと聖徒たちから成る先陣,ソルトレーク盆地に入る。

1847年12月27日

ブリガム・ヤング,アイオワ州ケーンズビルで開かれた大会で,教会の第2代大管長として支持される。ヒーバー・C・キンボールとウィラード・リチャーズ,大管長会の顧問に支持される。

1877-1898年

1877年4月6日

セントジョージ神殿,大管長会顧問のダニエル・H・ウェルズにより奉献される。

1880年10月10日

ジョン・テーラー,総大会において教会の第3代大管長として支持される。ジョージ・Q・キャノンとジョセフ・F・スミス,大管長会の顧問として支持される。

1884年5月17日

ユタ州ローガン神殿,ジョン・テーラーにより奉献される。

1888年5月17日

ユタ州マンタイ神殿,ロレンゾ・スノーにより奉献される。

1889年4月7日

ウィルフォード・ウッドラフ,総大会において教会の第4代大管長として支持される。ジョージ・Q・キャノンとジョセフ・F・スミス,大管長会の顧問として支持される。

1890年10月6日

公式の宣言一「声明」として知られるようになる文書。ウィルフォード・ウッドラフ,教会が多妻婚を中止すると発表する。

1893年4月6日

ソルトレーク神殿,ウィルフォード・ウッドラフにより奉献される。

1898年9月13日

ロレンゾ・スノー,十二使徒定員会により教会の第5代大管長に支持される。1898年10月9日に総大会で支持される。ジョージ・Q・キャノンとジョセフ・F・スミス,顧問として支持される。

1901-1978年

1901年10月17日

ジョセフ・F・スミス,教会の第6代大管長に任命される。1901年11月17日の特別大会で支持される。ジョン・R・ウインダーとアンソン・H・ランド,顧問として支持される。

1918年10月3日

教義と聖約138章ユタ州ソルトレーク・シティーにおいて,ジョセフ・F・スミス大管長に与えられた示現。総大会で,スミス大管長は,それまでの数か月間に,死者の贖いについて何度も神聖な交わりを受けたと宣言する。総大会の終了後に文章にしたためられ,1918年10月31日,大管長会,十二使徒評議会,祝福師が全会一致で承認した。

1918年11月23日

ヒーバー・J・グラント,教会の第7代大管長として聖任され,任命される。翌総大会で支持されたが,大会はインフルエンザの流行により1919年6月1日まで延期される。アントン・H・ランドとチャールズ・W・ペンローズ,顧問に支持される。

1919年11月27日

ハワイ州ライエ神殿,ヒーバー・J・グラントにより奉献される(7番目の神殿;合衆国本土以外の最初の神殿)。

1923年8月26日

アルバータ州カードストン神殿,ヒーバーJ・グラントにより奉献される(8番目の神殿;合衆国以外の最初の神殿)。

1927年10月23日

アリゾナ州メサ神殿,ヒーバー・J・グラントにより奉献される(9番目の神殿)。

1945年5月21日

ジョージ・アルバート・スミス,教会の第8代大管長に任命される。1945年10月5日の総大会で支持される。J・ルーベン・クラークとデビッド・O・マッケイ,顧問として支持される。

1945年9月23日

アイダホ州アイダホフォールズ神殿,ジョージ・アルバート・スミスにより奉献される(10番目の神殿)。

1951年4月9日

デビッド・O・マッケイ,総大会で教会の第9代大管長として支持され,任命される。スティーブン・L・リチャーズとJ・ルーベン・クラーク,顧問として支持される。

1955年9月11-15日

スイス・ベルン神殿,デビッド・O・マッケイにより奉献される(11番目の神殿;ヨーロッパ初の神殿)。

1956年3月11日

カリフォルニア州ロサンゼルス神殿,デビッド・O・マッケイにより奉献される(12番目の神殿)。

1958年4月20日

ニュージーランド・ハミルトン神殿,デビッド・O・マッケイにより奉献される(13番目の神殿;南太平洋初の神殿)。

1958年9月7日

イングランド・ロンドン神殿,デビッド・O・マッケイにより奉献される(14番目の神殿)。

1964年11月17日

カリフォルニア州オークランド神殿,デビッド・O・マッケイにより奉献される(15番目の神殿)。

1970年1月23日

ジョセフ・フィールディング・スミス,教会の第10代大管長として任命される。1970年4月4日の総大会で支持される。ハロルド・B・リーとN・エルドン・タナー,顧問として支持される。

1972年1月18日

ユタ州オグデン神殿,ジョセフ・フィールディング・スミスにより奉献される(16番目の神殿)。

1972年7月7日

ハロルド・B・リーが教会の第11代大管長に任命され,1972年1月6日の総大会で支持される。N・エルドン・タナーとマリオン・G・ロムニー,顧問として支持される。

1972年2月9日

ユタ州プロボ神殿,ジョセフ・フィールディング・スミスにより奉献される(17番目の神殿)。

1973年12月30日

スペンサー・W・キンボール,教会の第12代大管長に任命され,1974年4月6日の総大会で支持される。N・エルドン・タナーとマリオン・G・ロムニー,顧問として支持される。

1974年11月19日

ワシントンD・C神殿,スペンサー・W・キンボールにより奉献される(18番目の神殿)。

1978年6月8日

公式の宣言二それまで神権の聖任と神殿の儀式に適用されていた,人種に関する制限が取り除かれるという啓示が発表される。この啓示は,1978年9月30日の総大会で提示され,全会一致で支持された。

1978年10月30日

ブラジル・サンパウロ神殿,スペンサー・W・キンボールにより奉献される(19番目の神殿;中南米初の神殿)。