2016
研究によって,また信仰によって
2016年12月


研究によって,また信仰によって

皆さんが,皆さんの教えによって誰かの人生に影響を与え,天の御父のもとに帰る旅の途上にいる御父の子供の一人を引き上げたと知ることで,喜びと平安を見いだせますように。

teacher standing at a whiteboard

ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は,教会の教義を教えることについて,中央幹部の訓練集会で次のように語りました。「わたしたちはいくら注意してもしすぎることはありません。〔道を〕それないように気をつけなければなりません。独自の,新しい,他と異なる者になろうとして,この回復されたイエス・キリストの教会の基本的な教義とまったく調和しない事柄を教えることがあるかもしれません。……わたしたちはもっと用心深くある方がよいです。……わたしたちは見張り台の上の見張り人とならなければなりません。」1

21世紀にあって教会の教育を推し進める際に,教会の教育者は,大切な若人の人生に揺るぎない信仰を築くには,いかに準備し,どのように教え,何を教えるかについて,変えるべき点を考慮する必要があります。

生徒が質問をし,教師が「それについては心配しないでください」と答える時代は終わりました。生徒が心からの懸念を述べるときに,教師がその問題を避けようとして自分の証を述べる時代は終わりました。生徒が教会を攻撃する人々から守られる時代は終わりました。

幸いにも主は,時宜にかない,時代を超越した次のような勧告を教師に与えておられます。「また,すべてが信仰を持っているわけではないので,あなたがたは知恵の言葉を熱心に求め,互いに教え合いなさい。まことに,最良の書物から知恵の言葉を探し求め,研究によって,また信仰によって学問を求めなさい。」(教義と聖約88:118

これは特に現代に当てはまります。なぜなら,わたしたちの生徒が皆,前途に待ち受けているチャレンジに立ち向かうために必要な信仰があるわけではなく,その多くは既に,インターネットによって,信仰と家族と福音の標準に敵意を抱く世俗化の進む,世を腐敗させる力にさらされているからです。インターネットは全世界のほとんどすべての家庭に入り込んでおり,わたしたちの生徒の手と思いに影響を及ぼしています。

学ぶときに研究と信仰を結合するとはどういう意味かを生徒に教えることで,生徒を助けてください。クラスでこの技術と方法を実際に示すことによって,生徒を教えてください。

ハロルド・B・リー大管長(1899-1973年)は次のように述べています。

「皆さんに念を押します。信仰によって知識を得るのは生易しいことではありません。地道な努力,また信仰による懸命な努力が求められます。……

怠惰な男性〔あるいは女性〕は信仰によって学ぶことができません。実際,ある人が述べたように,そのような過程で必要なのは,精魂を傾けること,心の奥底を呼び覚まし,それを神とつなげることです。正しくつながっていなければなりません。そうして初めて,『信仰による知識』が得られるのです。」2

信仰による知識は,純粋な証を生み出します。そして,これから紹介する3つの話が示しているように,純粋な証には人生を変える力があります。

3つの話

フィービー・カーターは,1830年代に,オハイオにいる聖徒と合流するために,メイン州の家を後にしました。彼女はこう回想しています。「友人たちはわたしの決意を聞いて驚いていました。それはわたしも同じでしたが,内なる何かがわたしを駆り立てたのです。わたしが出発するときの母の嘆きようは堪え難いほどでした。御霊のささやきがなければ,わたしは結局思いとどまっていたに違いありません。」3

フィービーは預言者に従い,オハイオで聖徒たちと合流し,後にユタへ向かいました。その地で,忠実な末日聖徒として,また教会の大管長ウィルフォード・ウッドラフ(1807-1898年)とくびきを共にする妻として生涯を終えました。

マリオン・G・ロムニー(1897-1988年)は,大学生のときに,家族の経済的な事情で伝道に出ることはできないと思い込んでいました。ところがあるとき,メルビン・J・バラード長老(1873-1939年)が話すのを聞きました。伝記にはこう記されています。「自分の人生行路が一瞬にしてすっかり変わることになろうとは,〔マリオン〕は知る由もありませんでした。」

その話はこう続きます。「初めて,マリオンは,……霊感の影響を受けるとは〔どのようなことか〕を完全に理解しました。刺すような,ちくちくする感覚で全身が満たされました。彼は……この新たに召されたばかりの使徒の言葉を聴いているときほど感動を覚えたことはありませんでした。

……その使徒の輝かんばかりの顔と誠実な証により,マリオンは,伝道に出たいという思いを抑えられなくなったのでした。……マリオンは,さらに学業を続けるという計画を延期しなければならないことが分かりました。」4

間もなく,マリオンはオーストラリアへ向かい,そこで忠実に奉仕し,後に力強い使徒となり,大管長会の一員となったのでした。

最後は,十二使徒定員会のボイド・K・パッカー会長(1924-2015年)が述べた,一人の年取った教師がウィリアム・E・ベレットに及ぼした大きな影響についての話です。その教師は,ノルウェー出身の改宗者で,英語をじょうずに話せませんでした。パッカー会長の言葉によれば,ベレット兄弟はその教師についてこう証したそうです。教師には言語の制約があったにもかかわらず,「彼の信仰の火のおかげで,わたしたちは手を暖めることができました。」5

後にウィリアムは,セミナリー,インスティテュート,ならびに教会の運営する学校の管理者となりました。

フィービーとマリオン,ウィリアムは,純粋な証を聞いたことがきっかけとなって,人生が永遠に変わりました。同じことが,皆さんが教える生徒にも言えます。しかし,今日の世界の現状を見ると,純粋な証だけでは必ずしも十分ではありません。フィービーとマリオン,ウィリアムは,霊感を受けた宣教師や教師,指導者から教えを受けたとき,清く,汚れなく,ポルノグラフィーや世俗的な事柄とは無縁でした。御霊が彼らの柔らかな,純粋な心に感動を与えるのは容易でした。

今日の状況は当時とは随分違います。というのも,既にポルノグラフィーや世俗的な事柄の影響を受けた状態で,皆さんのクラスにやって来る生徒もいるからです。

ほんの1世代前には,教会の若人が教会の歴史と教義,慣行についての情報を得る手段は,基本的には,教会が印刷した資料に限られていました。生徒が別の解釈に触れることはほとんどありませんでした。教会の若人は,ほとんど,外部の影響から守られた生活を送っていました。

当時の教会のカリキュラムは,善意から出たものとは言え,現在に対して生徒を備えるものではありませんでした。現在は,あらゆる観点から教会に関するあらゆる事柄についてすぐに情報が入手できる時代です。今日の生徒は,モバイル機器で,信仰を鼓舞するものだけでなく,信仰に疑問を抱かせるようなものも目にします。教会の若人の多くは,福音よりもグーグルのことをよく知っており,霊感よりもインターネットと波長が合い,信仰よりもフェイスブックに深く関わっています。

man typing on a computer

マスター教義

このようなチャレンジを踏まえて,教会教育管理会は,最近,セミナリーで「マスター教義」と呼ばれる取り組みを承認しました。この新しい取り組みは,「マスター聖句」で既に行われてきたことを基に,イエス・キリストを信じる生徒の信仰を築き,深めること,また福音を実践し応用する彼らの能力を増し加えることによって,彼らを強化することに焦点を当てます。生徒は,聖文と預言者の言葉を用いながら,キリストを信じる信仰をもって行動し,主の福音に関する霊的な知識と理解を身につける方法を学びます。また,同世代の人々の間やソーシャルメディア上で毎日見聞きする疑問や難題に対して,キリストの教義と福音の原則を応用する方法を学ぶ機会があります。

この取り組みは,霊感に基づく,時宜にかなったものです。これは教会の若人にすばらしい影響を及ぼすことでしょう。しかしながら,「マスター教義」と教会教育システムにおけるその他全ての学習プログラムが成功するかどうかは,教会の教師に大きく懸かっています。

これらのチャレンジを前にして,21世紀の福音の教師には,どのような機会と責任があるでしょうか。言うまでもなく,教師の皆さんは,主と主の教会,ならびに皆さんの生徒を愛していなければなりません。また,真心を込めて,しばしば,純粋な証を述べなければなりません。さらに,教会のどの時代にも増して,皆さんの生徒は祝福を受ける必要があります。そのために,福音への成熟した,永続する改心と,生涯にわたるイエス・キリストへの献身を経験できるように,研究によって,また純粋な証を伴う信仰によって,教義面と歴史面に関する内容と背景を学ぶ必要があります。成熟した,永続する改心とは,生涯にわたって「船にとどまり,つかまってい〔る〕」ことを意味します。6

woman in Sunday School class

皆さんが,聖文と教会歴史という教義面と歴史面に関する内容と背景を理解するためには,主が指示されたように「最良の書物」から学ぶ必要があります(教義と聖約88:118)。「最良の書物」として,聖典,現代の預言者と使徒の教え,また入手可能な末日聖徒の最良の研究書などがあります。研究によって,また信仰によって,熱心に学ぶ努力をすることにより,皆さんは,生徒が学ぶのを助けることができます。生徒は,自分を高める信頼できる情報か,それとも自分を落ち込ませる教義と歴史と慣行についての半端な真理と誤った解釈かを見分けるのに必要な技術と姿勢を学ぶことができるのです。

永遠にわたる重要性を持つ質問への答えをインターネットに求めるときに直面する問題について,彼らに教えてください。「知恵に不足している者があれば,グーグルで調べるがよい」と,ヤコブは言っていないことを,生徒に思い起こさせてください(ヤコブの手紙1:5参照)。

賢明な人は,情緒的,精神的,肉体的な健康に関わる問題,特に命に関わる問題の原因を探り,対処するのに,インターネットに頼ることはありません。そうではなく,医療の専門家,認可されている公の医療機関から訓練と免許を受けている人を探します。その場合でも,慎重な人はセカンド・オピニオンを求めます。

情緒的,精神的,肉体的な健康の問題を解決するのに,そのような分別ある対処法を取るとすれば,永遠の命が危機にひんしている場合はなおさらです。わたしたちの霊的な命や最も大切な家族の関係,王国における会員としての資格を脅かしかねない問題であれば,思いやりのある,信仰の篤い教会指導者に助けを求めてしかるべきでしょう。また,必要であれば,適切な学問上の訓練を受け,経験があり,専門的知識のある人に助けを求めるべきです。

わたしは,自分で答えられない疑問に対して答えが必要な場合,まさしくこのとおりのことを行います。十二使徒定員会の兄弟たちや,教会の歴史と教義の分野における専門的知識を持っている人に助けてもらいます。

福音の教師は,生徒自身の家族以外で,あまりよく知られていないテーマや論争の的になっているテーマに関して信頼できる情報源を紹介する,最初の一人でなければなりません。それは,生徒が,既に教わっている事柄に照らして,後に聞いたり読んだりする事柄を評価できるようになるためです。

霊的な予防接種

わたしたちは大切な宣教師を伝道地に送り出す前の段階で,彼らに予防接種を施します。彼らがかかる可能性のある病気から守られるようにするためです。同様に,世に送り出す前の段階で,生徒に予防接種を行ってください。それは,福音の教義,聖文,教会の歴史,時折誤解されるテーマについて,信頼できる,思慮に富んだ,正確な解釈を提供することです。

あまりよく知られていないテーマや論争の的になっているテーマを幾つか挙げるとすれば,多妻結婚,聖見者の石,最初の示現についての異なる記録,モルモン書やアブラハム書の翻訳の過程,性別に関する問題,人種と神権,天の御母などがあります。

教会の若人に予防策を施す働きは,しばしば教会教育システムの教師に託されます。そのことを念頭に置き,時間を見つけて,皆さんに与えられている機会と責任について考えるようにしてください。

今日,教会の指導者は,入手できる情報量に際限がないことを十分に自覚しているので,回復の教えについて正確な背景と理解を提供しようと並々ならぬ努力を払っています。この努力の最たる例が,LDS.orgにある11の「福音のテーマの論文」です。7これらの論文は,論争の的となっている,それでいてよく知られていない教会関連のテーマについて,事実に関するバランスの取れた,信頼できる解釈を提供しています。

皆さんはこれらの論文の内容について知っておかなければなりません。もし分からないことがあれば,研究し理解している人に尋ねてください。つまり,「研究によって,また信仰によって学問を求め」,これらの論文の内容に精通することです(教義と聖約88:118)。

また,「ジョセフ・スミス文書」(Joseph Smith Papers)ウェブサイト,8LDS.orgの教会歴史の項,それに忠実な末日聖徒の学者が作成したその他の資料についてもよく知っておかなければなりません。

わたしたちは,生徒がこの情報時代に直面する問題や疑念,信仰の危機を避け,それらに対処できるように生徒を助けなければなりません。その点で,教会の教義と歴史を思慮深く研究することによって福音の透明性と霊的な予防接種を目指す努力が,燃えるような証と結びつけば,最良の対抗手段となります。

教師の皆さんは,教会の歴史や教義,慣行について,今よりもっと理解を深めるためにそれ相応の代価を払うとき,生徒からの質問に思慮深い,慎重な,霊感に基づく答えを提供する備えができます。

youth Sunday School class

皆さんの生徒が何を疑問に思っているか知る一つの方法は,彼らの話に注意深く耳を傾けることです。良い教師は,良い聴き手とならなければなりません。生徒の話に耳を傾けるだけでなく,どんなテーマであれ,クラスで,あるいは個人的に質問するよう生徒に勧めてください。生徒が尋ねる可能性のある最も大切な質問の一つは,「どうして?」という質問です。心から知りたくて「どうして?」と尋ねるとき,それはすばらしい質問です。それは宣教師が求道者に尋ねてほしいと願っている質問です。どうして,わたしたちはこの世にいるのでしょうか。どうして善い人にも悪いことが起こるのでしょうか。どうして祈る必要があるのでしょうか。どうしてキリストに従う必要があるのでしょうか。霊感や啓示をもたらす質問の多くは「どうして」で始まる質問です。天の御父の救いの計画を知ることは,「どうして」で始まる質問のほとんどに答えるのに助けとなります。

質問に答えることについて,最後にもう一つ述べておきたいと思います。生徒にこう伝えてください。福音は人生の最も重要な質問に対して,ほとんどとは言わないまでも,多くの答えを与えてくれます。しかし,現世では答えられない質問もあります。なぜなら,適切な答えを出すための必要な情報が足りないからです。ヤコブ書にこう記されています。「見よ,主の業は大いなる驚くべきものである。主の奥義の深さは何と計り知れないことか。主の道を知り尽くすことは、とても人にできることではない。主の道は,啓示されないかぎりだれも知ることはできない。」(モルモン書ヤコブ4:8教義と聖約101:32-34も参照)

気をつけるべきこと

ここで,気をつけるべきことを申し上げます。生徒の多くがそうであるように,皆さんも,自分は聖文,教義,歴史の専門家だと思い込むことがあるということを認識しておいてください。最近の研究で明らかになったことがあります。「人はあるテーマについて知っていると思えば思うほど,実際に知っている以上に多くのことを理解していると主張する傾向がある。知識があるふりをしたり……情報をでっち上げたりすることすらある。」9

教会の福音の教師は,「過大主張」と称されるこの誘惑を避けなければなりません。「知りません」と言ってもまったく問題ありません。しかし,そう言った以上は,皆さんの生徒から尋ねられた思慮深い質問に対する最良の答えを見つける責任があります(教義と聖約101:32-34参照)。

生徒を教えるときや生徒の質問に答えるときに,信仰を鼓舞する目的であっても,根拠のないうわさ,あるいは教義や慣行に関する一昔前の理解や説明を提供しないように気をつけてください。生ける預言者や使徒の言葉を研究するようにしてください。mormonnewsroom.orgLDS.orgを通して現在の問題,方針,声明に関する最新の情報を得るようにしてください。また真実でない,時代遅れの,あるいは奇妙きてれつな事柄を教えないように,一般的に認められた,思慮深く,忠実な末日聖徒の学者が記したものを参照してください。そうするのがいつも賢明です。

「過大主張」について研究している著者たちは,次のように指摘しています。「専門家意識の高い人に特に見られる過大主張の傾向は,……実は,自らを教育する意欲をそぐ要素となる。とりわけ,自分が熟知していると思っている分野においてはそうである。」10

生涯にわたって学び続けるだけでなく,聖なる御霊の働きかけを促すようなことも個人的に行っていかなければなりません。例えば,日々真心から祈る,信仰をもって断食する,聖文と生ける預言者の言葉を定期的に研究して深く考える,安息日を喜びの日とする,謙遜な気持ちで聖餐を受けていつも救い主を覚える,できるだけ頻繁に神殿で礼拝する,また最後に,周囲の人々であれ世界中の人々であれ,助けの必要な人や貧しい人,孤独な人に手を差し伸べるなどがそれです。

自分に与えられた機会と責任をきちんと果たすためには,教えていることを自分も実践しなければなりません。

恐れることなく,自分の信頼する人,すなわち伴侶や神権指導者,スーパーバイザーに助言と修正を求めてください。主の弟子として個人的にどこを改善したらよいか尋ねてください。何であれ,御霊を退き去らせるようなことは避けてください。

さらに,ときどき自分自身を個人面接し,ニーファイ第二書第26章29節から32節アルマ書第5章14節から30節教義と聖約第121章33節から46節を検討してください。そうすることは,全ての人が直面する可能性のある誘惑を明らかにするのに役立つことでしょう。生活の中で何か変える必要があれば,それを変える決心をしてください。

同じ業に働く人々の動機を疑うという衝動に駆られないでください。そうではなく,自分自身の心をよく吟味し,自分自身の望みと動機を吟味してください。そうして初めて,救い主は皆さんの心を変え,皆さんの望みと動機を主の望みと動機に同調させることがおできになります。

若い世代は,神の救いの計画を知り,理解し,受け入れ,それに参加する必要があります。その計画を理解することで,自分を神の息子や娘とみなす神聖な洞察力が得られ,それにより,ほとんど全ての教会の教義,慣行,方針を理解するレンズが与えられます。

今日,福音の教師は,救いの計画について正しい原則を21世紀の若人に教える機会と責任を受け入れる必要があります。それには,家族に関する宣言の中で明確にされている,神に認められた結婚についての教義と家族の役割も含まれます。11

永遠の結婚の教義

永遠の結婚と家族の教義は,神の幸福の計画に不可欠の要素です。この教義には,日の栄えの王国における天の御父の永遠の家族を成す,神殿で結び固められたわたしたち自身の家族も含まれます。この教義が天の御父の家族と天の御父の霊の子供たちに直接関わりがあることから,創世記にこう記されているのです。「神は……男と女とに創造された。」また,神は父アダムと母エバに「ふえよ,地に満ちよ」と命じられました(創世1:27-28参照)。

幸福の計画は家族に始まり,家族に終わると言われてきました。確かに,家族は前世に始まり,そこでわたしたちは天の両親の家族として住んでいたのです。そしてついには,家族の献身と愛に満ちた関係は,存在し続けるだけでなく,生殖の過程を通して増し加えられるのです(教義と聖約131:1-4132:19参照)。

その全てを結びつけるちょうつがい的な存在,つまり神の計画とわたしたちの行く末を左右し,その計画全体の中心となる御方が,わたしたちの救い主イエス・キリストです。この御方の贖いの犠牲によって,全てのことが可能となります。それには愛と思いやりにあふれる永遠の結婚と家族も含まれますが,必ずしもそれに限定されません。

Portrait of Jesus Christ

「キリストの肖像」ハインリッヒ・ホフマン画,C・ハリソン・コンロイ社の厚意により掲載

主はわたしたちに,義にかなった生活を送っていても,一人だけでは天の御父がその子供たちに用意されている全てを得ることはできないと教えておられます。一人では方程式は成り立たず,日の栄えの王国における最高の階級に入ることはできないのです(1コリント11:11教義と聖約131:1-4参照)。

皆さんの生徒は,死すべき世の目的を理解する必要があります。それは,肉体を得,選択の自由を行使し,以前は天の両親にのみ与えられていた役割,すなわち夫,妻,親としての役割を担うことによって,神に似た者になることです。

ふさわしく,イエス・キリストに頼っていながらも,伴侶と結び固めを受けることができなかった人,あるいは現世で子供をもうけることのできなかった人は,来るべき世において,そのような機会を与えられると,預言者たちは断言しています。

主の教会においては,全ての人が礼拝し,奉仕し,福音における兄弟姉妹として一緒に成長する機会があることを,若人に教えてください。リーハイが教えたように,神の全ての子供に対する神の目標と希望は次の言葉に要約できることを,若人に思い出させてください。「アダムが堕落したのは人が存在するためであり,人が存在するのは喜びを得るためである。」(2ニーファイ2:25

天の御父はわたしたちに,結婚に関する御自分の定義を受け入れ,「ふえよ,地に満ちよ」という第一の戒めを守るよう望んでおられます(創世1:28)。それは,わたしたちが御父の計画を実行するだけでなく,その計画によって息子,娘たちに与えようとされた喜びを見いだすためです。

教会教育者として,神の子供たちに真の喜びをもたらす神の幸福の計画を教会の若人がはっきりと理解できるように助けてください。彼らがそれを知り,受け入れ,実践し,守れるように助けてください。中央幹部としての40年の経験から,わたしは,多くの教会員が,老いも若きも,自分たちの永遠の神聖な行く末に関わる計画をよく理解していないのではないかと危惧しています。

ですから,わたしの同僚である教師の皆さん,わたしたちは,神の偉大な幸福の計画を知ることで将来受ける可能性のあるほとんどの「どうして」で始まる質問に答えられると信じていますが,なぜそう信じているのか,その理由を教義的に,また霊的に説明する機会を求め,楽しまなければなりません。天の父母の霊の子供として住んでいた前世を信じていると述べることで,この地球が造られた理由を説明する機会が生まれます。死すべき世の基本的な目的の一つは,自らその家族の経験を,今度は子供としてだけでなく,親として再現できるということです。わたしたちの永遠の幸福のために定められた天の御父の計画の教義と目的について,皆さんが理解している基本的な事柄を大切にしてください。そして,それを教え続けてください。

まとめ

それでは,最後に,わたしの話の要点をまとめましょう。

  • 研究と信仰によって学ぶことを純粋な証と結びつけるように生徒に教える。

  • 船にとどまり,つかまっているように生徒に教える。

  • モバイル機器を制御し,インターネットよりも聖なる御霊につながることに心を向けるよう生徒に教える。

  • イエス・キリストの福音に見いだされる救いの計画の真理を生徒に植え付ける。

  • 「どうして?」というのが福音の理解につながる大切な質問であることを覚えておく。

  • 「福音のテーマの論文」の内容をマスターする。

  • 過大主張をせず,「知りません」と言うことを恐れない。

  • 生涯学び続ける人になる。

  • 信頼する人たちに助言と修正を求める。

  • 自分の霊的な備えと不断の努力と教えの効果を評価するために,ときどき自分自身との個人面接を実施する。

  • 幸福の計画は家族に始まり,家族に終わることを教える。救いの計画を常に心に留める。

  • 結婚と家族は永続する喜びをもたらすことを教える。

学ぶことを研究,信仰,純粋な証と結びつけることで真の永続する改心がもたらされる,ということを覚えておいてください。何にも増して,主イエス・キリストの贖罪を信じる強い信仰は,わたしたちの霊的な強さと成長に不可欠です。

皆さんが,皆さんの教えによって誰かの人生に影響を与え,天の御父のもとに帰る旅の途上にいる御父の子供の一人を引き上げたと知ることで,喜びと平安を見いだせますように。

  1. 中央幹部訓練集会,ソルトレーク・シティー,1992年9月29日

  2. ハロルド・B・リー。クライド・J・ウィリアムズ編,The Teachings of Harold B. Lee(1996年),331

  3. エドワード・W・トゥリッジ,The Women of Mormondom(1877年),411-414参照

  4. F・バートン・ハワード,Marion G. Romney: His Life and Faith(1988年),62-64参照

  5. ボイド・K・パッカー「教会員への賛辞」『聖徒の道』1980年9月号,94

  6. M・ラッセル・バラード「船にとどまり,つかまっていなさい」『リアホナ』2014年11月号,89-92参照

  7. lds.org/topics/essays参照

  8. josephsmithpapers.org参照

  9. ブレント・W・ウェブ,“Quest for Perfection and Eternal Life”(ブリガム・ヤング大学年次大学大会職員部会,2015年8月24日),10,speeches.byu.edu。スタッブ・アティア,エミリー・ローゼンツワイク,デビッド・ダニング,“When Knowledge Knows No Bounds: Self-Perceived Expertise Predicts Claims of Impossible Knowledge,” Psychological Science, 2015年8月号,1295-1303も参照

  10. “Quest for Perfection and Eternal Life,” 10で引用

  11. 「家族—世界への宣言」『リアホナ』2010年11月号,129参照