「これが人生です」
リチャード・J・アンダーソン(アメリカ合衆国,ユタ州)
ある冬の夜,ビショップとして面接をたくさんした後,遅い時間に帰宅しました。疲れ切っていました。何週間も仕事でストレスが続き,家庭や教会の責任にも押しつぶされそうでした。
その夜は,翌朝職場に行くために車を修理しなくてはなりませんでした。つなぎの作業服を着ると,わたしはビショップから整備士に変わりました。車の下で冷たいガレージの床に仰向けになると,作業を始めました。その日すでにあれほどきつい仕事をした後に,凍える寒さの中,疲れた体で指の関節を痛めつけるようなことをしなくてはならないのはなぜでしょうか。忍耐の限界に近づいていたわたしは,天の御父に泣き事のような懇願の祈りをささげました。
「少しばかり助けていただけないでしょうか。良い父親,良い夫,良いビショップになるため,そして戒めを守って生活するために,わたしは精いっぱい頑張っています。少し休息を頂いた方がよく務めを果たせるのではないでしょうか。どうか,この作業を助けて,わたしが寝られるようにしてください。」
突然,わたしの心にはっきりとある言葉が浮かびました。「これが人生です。」
「何ですって?」わたしは答えました。
すると,同じ言葉がまた浮かびました。「これが人生です。」
考えて,その意味が心で理解できるようになってくると,またその言葉が頭に浮かびました。「これが人生です。」この言葉は,わたしの心に一つのメッセージを届けてくれました。「人生」とは現世の生涯のことで,わたしは天の御父から望まれる人になるために成長の時を経験していたのです。まるで御霊がわたしに,「この現世の旅に苦難がないとでも思っていたのですか」と語りかけているようでした。凍えそうなコンクリートの床から起き上がると,わたしは別人のようになっていました。
受け止め方によって,試練は愛にあふれた天の御父からの贈り物に見えるようになります。試練を経験する機会をお与えになるのは,天の御父に頼ることを学べるようにするためです。御父に頼るとき,わたしたちは祝福されて,学び,霊的に成長するのです。
あの寒い夜,ガレージのコンクリートの床で心に浮かんだ言葉は,35年以上もわたしを祝福してくれています。そしてわたしは,一つたりとも試練を無駄にすることがないように気をつけています。試練とは,ほかのどんな方法でも学べないことを学ぶ機会だと思っているのです。