あまくてすてきな正直
このお話を書いた人は,アメリカ合衆国コロラド州に住んでいます。
「良い行いをしてもらいたい……。」(2コリント13:7)
「弟を見ていてもらいたいんだけど」とお母さんが言いました。「お父さんと一緒に,病気の人を助けに行ってくるわ。」
小さなわが家のゆかをほうきではいていたわたしは,顔を上げてうなずきました。お母さんは扶助協会の会長で,ワードの姉妹たちをよく訪問しに行っていました。
「ありがとう,アリン」とお母さんは言って,わたしの頭のてっぺんに口づけをしました。「ジョンはねているわ。キッチンの台の上で,パンの種がふくらんでいるところなの。さわらないでね。」
お母さんとお父さんがバンでほこりっぽい道を走っていくのを,わたしは戸口から見送りました。お母さんが信頼してくれたことをほこりに思いました。
台所をほうきではく手を止めて,パンの種に目をやりました。今晩お母さんが焼いてくれるのを待ちきれません。わたしたちはたいてい,出来立てのパンに自家製のジャムをつけて食べていましたが,3か月前にジャムが切れてしまいました。
ジャムがあったらなあ!考えていると,あまいものがほしくなりました。たなの高い場所に目をやると,さとうの入ったびんがありました。お母さんがジャムをもっと作るために取ってあるさとうです。
でも,さとうのことを考えれば考えるほど,おなかがすきました。とうとう,キッチンの台の所に椅子を引っぱって来て,たなの上に手をのばしました。指の先がさとうのびんにわずかにふれました。たなのはしまでびんを引きよせると……
びんがたなから真っさかさまにすべり落ちてしまいました。わたしはびんを手で受けようとしましたが,ビンはドサッという大きな音をたててパンの種の真ん中に落ちました。さとうがパンやキッチンの台やゆかに散らばりました。
「あーあ!」とわたしはさけびました。その声で,赤んぼうの弟が目を覚まし,泣き始めました。わたしも泣きたい気持ちでした。ひどいことになってしまって,お母さんは何と言うでしょうか。
弟をなだめると,わたしは一生懸命にさとうをそうじしようとしました。びんを種から引きぬき,あらいました。キッチンの台とゆかにこぼれたさとうをふきました。でも,種からさとうを取りのぞくことはどうしてもできませんでした。
びんをたなにもどそうかとも思いました。お母さんは,びんが空になっていることに気づかないかもしれません。でも,それは正しいことではないと分かっていました。そこで,びんをテーブルの上に置き,お母さんとお父さんの帰りを待ちました。
二人がもどって来ると,お母さんはすぐにさとうのびんに気づきました。
わたしは深く息をすいこみました。「少しだけさとうの味見をしようと思ったんだけど,たなからびんを落としてしまったの。きれいにしようとしたけど,さとうをパンの種から取りのぞけなかったの。」ゆかをじっと見ながら,言葉が次から次へとあふれてきました。
お母さんは少しの間だまっていました。
「ごめんなさい」とわたしは小さな声で言いました。
お母さんはため息をつきました。「きっと,今晩のパンはいつもよりあまくなるわね」と言いました。わたしが顔を上げると,お母さんは少し笑って「何があったかを教えてくれてありがとう」と言いました。
そのばん,あまいパンを食べながら,お母さんとお父さんは正直について話してくれました。
「だれもが生活の中でたくさんの間違いをおかすんだ」とお父さんは言いました。「でも,正直であって,くい改めようとするときに,天父とイエスは喜んでくださるんだよ。わたしたちは,正直でいたらいつも祝福を受けられる。最初は正直になることがむずかしそうに見えてもね。」
さとうをこぼしてしまったことを,まだ悲しく思っていました。自分の失敗のせいで,今年,家族はいつもほどジャムを食べられないかもしれません。でも,ほんとうのことを言ってよかったと思いました。どれほどさとうを食べても感じられないような,あまくてすてきな気持ちがしました。