デジタル版のみ:信仰の肖像
わたしに頼ればいい
疑問や心配事を父に話すと,父は忘れられない言葉を告げました。
幼いころ,わたしは小さな農場で働く父について行き,一緒に働かせてとねだり,父の抱える多くの事業を手伝おうとしました。父のトラックに乗って,ギアを動かすのを手伝うのが大好きでした。父が子供たちに物語を読み聞かせたり,そり滑り,釣り旅行,キャンプでの冒険に連れて行ってくれたのを覚えています。特に父と一緒に山の中で馬に乗ったことは,これからも特別な思い出です。
高校に入ってから,わたしは福音について教えられたことについて疑問を抱き始めました。何人かの友人の言葉によって,わたしの心に疑問や疑いが生じたのです。
ある晩,わたしは居間に立ち,大きな窓から見える星を眺めていました。遅い時間だったので,みんな寝てしまったと思っていました。でも,お父さんがわたしの隣にやって来て,話し始めました。
わたしは自分の疑問や心配事を父に話しました。返事として,父は福音が真実であることを知っていると証しました。「不可解なこと」にこだわること,それがいかに愚かなことかについて話し合いました。お父さんは,わたし自身が結論を出さなければならないし,それには時間がかかるだろうと言いました。そして,決して忘れられない言葉を告げたのです。疑問や心配事があるときは,父の信仰と証に頼ることができると言いました。
わたしは父を愛しており,父が意図的にわたしを道から迷わせたり,真実でないことを教えたりすることは決してないと分かっていました。父が自分の信じていることに確信を持っているならば,父を信頼すれば良いことを知っていました。
ですから頼ることにしたのです。
仕事をしていた期間,様々な考えや理論,生活様式,信条に直面したとき,わたしは父に目を向け,父に頼りました。妻や母として過ごした期間に,自分の信仰を試す経験に直面したときも,わたしは父に目を向け,父に頼っています。今でも,世の中の現在の状況について考えるとき,父に目を向け,父に頼っています。
昔々のあの晩のことや,お父さんとの会話についてよく考えます。父の穏やかな確信と揺るぎない模範がなければ,わたしの人生はどれほど変わっていただろうかと思います。
子供のころ,生活必需品が足りなかったことはまったくありませんでした。善い両親がわたしを世話してくれました。しかし,両親がわたしに与えてくれたすべての事柄の中で,教えてくれた価値観,与えてくれた福音の堅固な土台,そして二人が送っていたシンプルで模範的な生活に最も感謝しています。
また,一度きりではなく常に,頼れる父がそばにいてくれたことにも感謝しています。父は,最も大切な事柄における偉大な模範でした。それは今も変わりません。お父さんはわたしのヒーローです。