「5月11-17日 モーサヤ18-24章:『わたしたちは聖約を主と交わた』」『わたしに従ってきなさい—個人と家族用:モルモン書 2020年』
「5月11-17日 モーサヤ18-24章」『わたしに従ってきなさい—個人と家族用:2020年』
5月11-17日
モーサヤ18-24章
わたしたちは聖約を主と交わした
トーマス・S・モンソン大管長は,「聖文を読んで深く考えるとき,御霊が優しくささやきかけてくださるのを経験します」と教えています(「決して独りで歩いているのではない」 『リアホナ』2013年11月号, 122)。
印象を書き留める
モーサヤ18章;23-24章に書かれているアルマとその民の話は,「神の羊の群れに入〔る〕」ということがどういうことなのかを示しています(モーサヤ18:8)。彼らはバプテスマを受けたときに,「主に仕えて主の戒めを守る」という聖約を(モーサヤ18:10),神と交わしました。これは非常に個人的な決意ですが,互いにどう接するかにも関係がありました。そうです。天の御父のみもとに帰る旅は個人的なものであり,自分に代わって戒めを守ってくれる人はいません。しかし,だからといってわたしたちは独りではないのです。わたしたちは,互いを必要としています。キリストの教会の会員としてわたしたちは,みもとに帰る道すがら助け合い,奉仕し合って神に仕える,という聖約を交わしています(モーサヤ18:8-10)。アルマの民は,確かに,わたしたち皆と同様,重荷を負っていました。「容易に重荷に耐えられるように」助ける一つの方法として(モーサヤ24:15),一緒に悲しみ,慰めるという約束を自分と同じように交わした聖徒たちの共同体を,主は与えてくださっています。
個人の聖文研究のためのアイデア
バプテスマには,神に仕え,神の証人になるという聖約が伴う。
モーサヤ18:8-10には,バプテスマの聖約,つまり,バプテスマのときに神と交わす約束に関するアルマの教えが書かれています。この聖句を読んで,以下の質問について深く考えてください。
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あなたがバプテスマを受けたときに交わした約束について,この聖句からどのようなことが分かるでしょうか。神はあなたにどのようなことを約束しておられますか。
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あなたはバプテスマのときに交わした聖約を守るために,どのようなことをしていますか。
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バプテスマの聖約を守ることは,「御霊に満たされ」るためにどう役立ちますか(モーサヤ18:14)。御霊は,あなたが交わした聖約を守れるよう,どう助けてくれるでしょうか。
この話から,バプテスマの正しい方式も明らかになっています。14-17節 から,バプテスマの方式についてどのようなことが分かりますか。マタイ3:16;ローマ 6:3-5;3ニーファイ11:21-28;教義と聖約20:72-74を読むと,バプテスマについてほかにどのようなことが分かるでしょうか。
教義と聖約20:37,77,79も参照してください。
神の民は結束するべきである。
アルマとその民が気づいたように,イエス・キリストに従うためには慣れ親しんだ生き方をやめて新しい違ったことをしなければならないことがあります。しかし,アルマの民は,「キリストの教会」の一員としてお互いから力を引き出していました(モーサヤ18:17)。モーサヤ18:17-30で語られている教えのどのような点が,さらに良い教会員になろうとあなたを奮い立たせますか。ワードや支部の会員たちが「互いに和合し,愛し合って結ばれた心を持〔つ〕」ことができるようにするために,あなたには何ができるでしょうか(モーサヤ18:21)。
ヘンリー・B・アイリング「一つに結ばれた心」『リアホナ』2008年11月号,68-71
預言者の言葉は成就する。
アビナダイは,ノア王とその民が悔い改めなければどうなるかを,具体的に預言しました。しかし,ある人々はその預言を信じることができませんでした(モーサヤ12:1-8,14-15 参照)。ニーファイ人は50年近くにわたってレーマン人から自分たちを守ってきたのですから,なおさらです(モーサヤ9:16-18;11:19参照)。しかし,預言者の言葉は成就します。それは,今日でも,アビナダイの時代でも同じです。
成就したとギデオンが宣言しているアビナダイの預言の中で,モーサヤ19-20章に出て来るものにはどのようなものがありますか(モーサヤ20:21参照)。神の預言者の警告や勧告を信じるあなたの信仰と,預言者の言葉に従おうという決意は,この話のどのような点に感銘を受けて強くなるでしょうか。預言者の言葉が現代に成就するのを,あなたはどのようなときに見てきましたか。
神はわたしの重荷を軽くすることがおできになる。
リムハイの民とアルマの民は,理由と状況は異なるものの,どちらも囚われの状態に陥りました。モーサヤ19-22章に出て来るリムハイの民と,モーサヤ18章;23-24章に出て来るアルマの民の話を比較すると,どのようなことが分かりますか。この二つの民がそれぞれ,囚われの状態にどう対応したか,最終的にどのようにして解放されたかに注目しましょう。そうすることによって,自分の人生に応用できるメッセージを見つけるのです。例えば,重荷を負う際に助けになるどのようなことが,この話から学べますか。
わたしは主を信頼することができる。
アルマとその民は,罪を悔い改めたにもかかわらず,囚われの状態にありました。彼らの経験から,主を信頼して主と交わした聖約を守れば必ず苦難がなくなるというわけではないものの,苦難を乗り越えられるような助けが得られることが分かります。モーサヤ 23:21-24と24:8-17を読んで,自分の置かれている状況がどのようなものであれ主を信頼できるようになるために役立つ語句を見つけてください。
トーマス・S・モンソン「わたしはあなたを見放すことも,見捨てることもしない」『リアホナ』2013年11月号,85-87も参照してください。
家族の聖文研究と家庭の夕べのアイデア
家族とともに聖文を読むとき,家族の必要を満たすために,どのような原則を強調し,話し合えばよいかを御霊の助けによって知ることができます。幾つかのアイデアを紹介します。
モーサヤ18:1-4
リンゴの中にある種は数えられるが,一つの種から何個のリンゴが実るかを数えることはできない,ということわざがあります。アビナダイの証を受け入れた人はたった一人でした。しかし,アルマというその人物が,何世代にもわたるニーファイの民に影響を与えたのです。果物の種を使って,この原則を伝えることができるかもしれません。このメッセージは,わたしたちの家族にどう当てはまりますか。自分の証を人と分かち合うために,わたしたちには何ができるでしょうか。
モーサヤ18:8-10
これらの聖句からバプテスマの聖約について何を学ぶことができますか(教義と聖約20:73,77-79も参照)。バプテスマの聖約を交わす準備をするため,あるいは交わした聖約を守るために,わたしたちは何をしているでしょうか。
モーサヤ18:30
霊的な経験をしたために特別な所となっている場所には,どこがありますか。
モーサヤ21:11-16;24:10-15
アルマの民とリムハイの民の囚われの状態を比較すると,どのようなことが分かりますか。
モーサヤ21:15;24:11-15
この聖句は,主が祈りにこたえてくださる幾つかの方法について,どのようなことを教えているでしょうか。
子供を教えるためのそのほかのアイデアについては,『わたしに従ってきなさい—初等協会用』の今週の概要を参照してください。