第27課
堅固な基:イエス・キリスト
目的
キリストを生活の堅固な基とするように決意する。
導入
本書の最後にあるキリストの絵を掲示する。生徒に絵を見せてから,30秒間目を閉じるように言う。そして,自分が救い主のみ前にいる様子を想像させる。救い主イエス・キリストに対する理解を深めるために次の話をすることを説明する。(この体験談を話す前に霊的な雰囲気を作り上げる。)
メルビン・J・バラード長老が宣教師として,北アメリカインディアンの間で伝道していたときのことである。バラード長老は,主の
「部屋に入ると,一段と高くなった玉座に至上の栄光に輝く御方が座っておられた。わたしがかつて目にしたことのある御方,あるいは永遠の世に存在しておられると確信していた御方である。わたしが進み出て紹介されると,その御方は立ち上がってわたしの方に歩み寄られた。
救い主の必要性
この地上に来る前に,わたしたちは天の御父とともに住んでいた。そこで,救いの計画が発表された。わたしたちはその計画を受け入れて,喜びの声を上げた(ヨブ38:1-7参照)。
救いの計画によれば,わたしたちは天の御父のもとを離れ,死すべき体をもって地上に生まれる必要があった。ここでわたしたちは,肉体的,霊的に天の御父から切り離されるのである。そして,神の戒めを守るか否か,自分で選択できるように選択の自由が与えられることになった。
しかし,罪を犯す道を選ぶならば,汚れた者となる。これはだれか罪のない者がわたしたちの罪の代価を支払わなければならないことを意味する。汚れた者は神の王国に入ることができないからである(1ニーファイ15:34参照)。
天の御父は,わたしたちがみもとへ帰れるように,わたしたちを
イエス・キリストはわたしたちの堅固な基であられる
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堅固な基とは何だろうか。
堅固な基とは,しっかりとした基盤のことである。強固で揺れ動かず,壊れることのない基盤であり,その上で安らぎを得ようとするものをしっかりと支えるのである。例えばビルを建設する場合,できるだけ土台を頑丈にして長期間の使用に堪えられるように注意を払う。同じように,堅固な基の上に生活を築き上げれば,人生の苦難に遭っても耐えることができる。
救い主イエス・キリストは,わたしたちの生活の堅固な基となる唯一の御方である。預言者ヒラマンは次のように述べている。
「あなたたちは,神の御子でありキリストである
イエスは救い主となるように神により予任されていた堅固な基であられる。
ニーファイは「イエス・キリストのほかに,人に救いを与えることのできる名は天下に与えられていない」(2ニーファイ25:20)と断言している。イエス・キリストの
救い主から助けを得るには,まず主を堅固な基として生活しなければならない。そうすれば,チャレンジに遭うときに主の助けを得て,重荷を負う力が増し加えられるであろう。救い主を通して,困難な仕事を遂行する力が得られる。こうして,主はわたしたちの信頼する友となられる。わたしたちは喜びや悲しみを主と分かち合い,主が寄せられる愛と関心を感じ取ることができる。
キリストを基とする
贖い主の堅固な岩を基として生活を築き上げるには,贖い主について知らなければならない。聖典には,キリストを知ることはその戒めを守ることであると記されている(1ヨハネ2:3参照)。主の戒めを守るならば,次第に神に似た者となって,神のみもとに帰ることが許されるのである(ジョセフ・フィールディング・スミス『救いの教義』2:6-7参照)。
キリストを基にして生活するには,どうすればよいだろうか。(表「キリストを堅固な基とするには」を掲示するか,黒板に書く。)
キリストを基にして生活するには,以下の方法を用いるとよい。
聖文を学ぶ
聖文には,救い主の生涯の出来事,教義,訓戒などが明らかにされている。主は「わたしについてあかしをする聖典を調べなさい」と命じられた(ヨハネ5:39参照)。聖文を学ぶと,救い主が人々にどう接してあられたかが分かり,わたしたちが互いにどのよに接するべきかが分かる。
聖文の中で,主は福音を
すなわち,キリストの福音を基とするならば,サタンの力に打ち負かされることはなく,ついには
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聖文の勉強は救い主について知るうえでどのような助けになるだろうか。
祈りと断食をする
祈りと断食により,わたしたちは主に近づくことができる。断食をして静かな場所で祈るならば,救い主の愛を感じるであろう。そして,心の中の思いを主に打ち明けて,慰めと安らぎを受けるのである。
ある女性は,祈りを通して天の御父と救い主について理解を深めることができた。
彼女は教師だった。ある日のこと,家から電話を受けて,息子が
その後,彼女にはすばらしい慰めが与えられた。彼女は次のように述べている。「わたしが心の思いをすべて打ち明けて御父に祈ると,御父はわたしの祈りを聞いてくださり,
聖餐 にあずかる
主の
わたしたちはバプテスマや確認の儀式を受けた後も,ふさわしい状態で聖餐を取ることにより,主の御霊とともにいることができる(教義と聖約20:77,79参照)。
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聖餐を取るときに,何について考えるべきだろうか。
生ける予言者に従う
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生ける予言者に従うことは,キリストを基として生活するうえで,どのような助けになるだろうか。
教会の大管長は,地上における神の代弁者であり,現代のわたしたちに対する神の御心を明らかにする。したがって,預言者の勧告に従う人は,神とその御心に従っているのである。このようにして,従順について学び,経験を積み,主に対する信仰をはぐくんでいく。そしてこの信仰が心の「
主を愛し,仕える
ベニヤミン王は民に向かって次のように述べた。「あなたがたが
キリストのように生活する
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さらにキリストに近い生活を送るには,どうすればよいだろうか。
主の戒めを守り福音に従うときに,わたしたちはキリストのように生活し,さらにキリストに似た者となるのである。
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割り当てておいた生徒に,モーサヤ書の第4,5章について3-5分で報告してもらう。
ベニヤミン王の言葉を聞いた民は,神の御霊に促され,常に戒めを守るという約束を神と交わした。ベニヤミン王が守るように勧告した戒めには,神の偉大さを知る,へりくだる,毎日祈る,傷つけ合わない,子供たちに愛し合うことを教える,貧しい者に自分の持ち物を施す,思いと言葉と行いを清くする,などが含まれていた。ベニヤミン王の民はこれらの勧告に従ったので,さらにキリストに似た者となった。わたしたちも同じことを行うことにより,救い主にいっそう近づくことができる。
アルマは,キリストに近づくような生活をする人は「顔に神の面影を受けている」と述べた(アルマ5:14,19参照)。この言葉は,わたしたちが神の愛に満たされ,同胞に対して思いやりを抱くことを意味している。また,神の聖約を守り,主の名を受けるにふさわしい者になろうとすることを意味している。
まとめ
聖文を研究し,断食と祈りを行い,聖餐にあずかり,生ける預言者に従い,主を愛し,主に仕え,キリストのように生活するならば,救い主を知るようになり,主に似た者となる。こうして,わたしたちはキリストを堅固な基とすることができる。
わたしたちはキリストの岩の上に生活を築き上げるならば,決して倒れることはないと約束されている。すなわち,イエス・キリストを堅固な基とする生活は,永遠に続くのである。次第に主に似た者となることにより,再び天の御父や御子のもとでともに生活し,御二方が備えられたすべてを受け継ぐことができる。
救い主は次のように約束しておられる。「わたしを受け入れる者は,わたしの父を受け入れる。そして,わたしの父を受け入れる者は,わたしの父の王国を受けるのである。それゆえ,わたしの父が持っておられるすべてが,彼に与えられるであろう。」(教義と聖約84:37-38)
贖い主,救い主であられるイエス・キリストについて証を述べる。時間が許せば,何人かの神権者に証を述べてもらう。
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一人の生徒に,本課の「はじめに」からバラード長老の経験をもう一度読ませる。
チャレンジ
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神権者として救い主を知り,主に似た者となることを決心する。
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自身の生活の中で完全なものとするために,救い主が持っておられる特質を一つ選び出す。その特質を自分のものとするために今から努力する。
教師の準備
レッスンの前に以下のことを行う。
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『福音の原則』第3章「選ばれた指導者,救い主であるイエス・キリスト」と第11章「キリストの生涯」を復習する。
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以下の表「キリストを堅固な基とするには」を作成するか,黒板に書き出せるように準備する。
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贖い主,救い主であるイエス・キリストについて証を述べられるように備える。
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あらかじめ一人の生徒に割り当てを与えて,モーサヤ書第4章からベニヤミン王が民に与えた勧告について,また第5章から王の言葉に対する民の反応について,3分から5分で報告できるように準備してもらう。(報告すべき事柄については,「キリストのように生活する」の項に記されている。)
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レッスンの中で話や聖句を読むよう生徒に依頼する。