第1課
神権の誓詞と聖約
目的
神権の誓詞と聖約について学び,召しを尊んで大いなるものとするにはどうすればよいか理解する。
導入
リード・スムート長老は,1900年から1941年に死去するまで十二使徒定員会の会員として務めた人である。彼は同じ時期に合衆国の上院議員として活躍した。多くの人々から合衆国の大統領に立候補するように勧められ,そのために宗教を捨てるように忠告された。当時の人々は末日聖徒に投票しないと思われたからである。そのときスムート長老は次のように述べた。「もしわたしが,末日聖徒イエス・キリスト教会の執事になるか,合衆国の大統領になるか,そのどちらかを選ぶ必要に迫られたら,わたしは執事になる方を選びます。」(ブライアン・S・ヒンクレーによる引用,The Faith of Our Pioneer Fathers [1956], 202)
もしあなたが,執事になるか,実業界や政界で有力な指導者になるか,どちらかを選ばなければならない立場に置かれたとしたら,どのような選択をするだろうか。また,それはなぜか。スムート長老がそれほど神権を重視したのはなぜだろうか。
スムート長老は,合衆国の上院議員になるために特定の資格を備えていなければならなかった。同様に,わたしたちが神権を受けるときにも,特定の資格を備える必要がある。神権指導者からの面接を通して,わたしたちは神権を受けるにふさわしく,聖なる神権の義務を進んで受ける姿勢があるかどうか判断されるのである。
神権指導者が面接で尋ねる質問には,どのようなものがあるだろうか。
上院議院として選出されたスムート長老は就任宣言を行い,政府における自分の義務を遂行することを約束した。わたしたちも神権を受けるときに,主に対する義務を遂行することを約束するのである。
神権の誓詞と聖約
わたしたちは「誓詞と聖約」によって聖なる神権を受ける。すなわち,わたしたちが特定の事柄を行うという聖約(約束)を立てるならば,天の御父が神権の力と祝福を授けるという誓詞(保証)を与えてくださるのである。「それゆえ,神権を受ける者は皆,わたしの父のこの誓詞と聖約を受け入れるのである。わたしの父がこれを破られることはあり得ず,またこれが取り消されることもあり得ない。」(教義と聖約84:40)
マリオン・G・ロムニー副管長は,聖約の意味について次のように説明している。
「聖約とは契約であり,契約とは2名以上の当事者間の協定である。もしわたしが皆さんと契約を結ぶとすれば,わたしは,皆さんが約束されることを考慮したうえで何らかの約束をするだろう。わたしがある金額で自動車を購入することに同意し,皆さんがその金額でわたしに自動車を売ることを約束する。そこで契約は成立する。さて,神権の聖約においては,わたしたちが主に約束し,主はわたしたちが主のために行ったことの報酬として何かを約束されるのである。」(Conference Report, Korea Area Conference,1975年,36)
神権の誓詞と聖約は,『教義と聖約』の第84章に説明されている。この聖句には,メルキゼデク神権を受けるときにわたしたちがする約束と,主がされる約束とが明らかにされている。
黒板に「わたしたちの約束」と「主の約束」と書いて,それぞれの約束を列挙する。
主に対するわたしたちの約束
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教義と聖約84:33を読む。
33節から次の部分を読む。「だれでも忠実であって,わたしが語ったこれら二つの神権を得て,自分の召しを尊んで大いなるものとする者は……」(下線付加)
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わたしたちはどのような聖約をするのだろうか。
わたしたちは「召しを尊んで大いなるものとする」ことを聖約する。これは,神権の召しを受け入れて遂行するために全力を尽くすことを意味している。すなわち,わたしたちの奉仕を通して地上における主の王国を拡大し,発展させるのである。また,神権を受けるときに,すべての戒めを忠実に守ることも約束する。
わたしたちに対する主の約束
教義と聖約84:33-38を読む。
主は,わたしたちが聖約に忠実であるならば,「
また「モーセの息子たち,またアロンの息子たちとな」ると約束されている(教義と聖約84:34)。モーセとアロンの息子たちは,イスラエルの子孫のために救いの儀式を執行した。今日わたしたちも,神権を通してこれらの神聖な儀式を執行する特権にあずかるのである。
主はわたしたちが「アブラハムの子孫……となる」(教義と聖約84:34)と約束しておられる。言い換えれば,アブラハムとその子孫に約束された祝福を受けるということである。
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アブラハム2:8-11を一人の生徒に読んでもらう。
神はアブラハムとその子孫に対し,彼らによりすべての国民がことごとく福音の祝福を得ると約束された。これらの祝福は,忠実な神権者の行使する力と権能を通して世の人々にもたらされる。
主はまた,わたしたちが「神の選民となる」(教義と聖約84:34,下線付加)と約束しておられる。すなわち,召しを尊んで大いなるものとし,神権にかかわる聖なる救いの儀式をことごとく受ける神権者は,天の御父の王国においてすべてを受け継ぐのである。
主は次のように述べておられる。「わたしの父が持っておられるすべてが,〔彼ら〕に与えられるであろう。」(教義と聖約84:38,下線付加)
スペンサー・W・キンボール大管長は,この点について次のように説明している。「主が持っておられる力や祝福を数え尽くすことができるだろうか。すべての力,すべての影響力,すべての勢力が皆さんのものになるのである。それは皆さんが受けている聖なる神権の誓詞と聖約によってである。」(Conference Report, Buenos Aires Area Conference,1975年,51)
忠実で従順な人々に対して,主がその約束を果たされることは,疑う余地のないことである。したがって,すべての責任はわたしたちにある。主との約束を守らなければ,主がわたしたちのために用意されたすべての祝福を拒むことになるのである。
神権の召しを尊んで大いなるものとする
わたしたちは天の御父との聖約において,召しを尊んで大いなるものとすると約束した。
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わたしたちの神権の召しとは何だろうか。
アロン神権を受けるときに,わたしたちは執事,教師,祭司のいずれかの神権の職に聖任される。これらの職は,それぞれ特定の義務と責任を伴う召しである。メルキゼデク神権には,長老,大祭司,祝福師,七十人,使徒の職がある(各々の義務については『福音の原則』第14章 73-79ページを参照する)。
「神権とは,人の救いにかかわるすべての事柄を行うために,地上の人に委譲された神の力と権能である。神権の権能を行使するためには,
スペンサー・W・キンボール大管長は次のように述べている。
「この神権は遊びではない。漠然と所有していて,忘れ去ってしまうようなものではない。神権はこの世で最も重要なものであり,わたしたちは誓詞と聖約によってそれを受けるのである。……
主はわたしたちが弱い人間であり,誘惑を受けることを知っておられた。だからこそ,朝晩そしていかなるときにも祈るよう命じられたのである。わたしたちがしばしば自らを振り返ることができるように家庭の夕べを授けられたのである。また,兄弟たちと交わってともに歩み,自分の責任を常に覚えるように神権会を授けられたのである。」(Conference Report, Korea Area Conference,1975年,40—41)
神権の召しを尊んで大いなるものとするには,主がわたしたちに期待しておられることをまず知らなければならない。神権者は最初に「自分の義務を学び,〔それから〕任命されている職務をまったく勤勉に遂行する」のである(教義と聖約107:99)。
キンボール大管長は,執事としてその義務を理解し,その召しを尊んで大いなるものとしたときのことを,次のように語っている。
「わたしは自分が執事であったときのことを覚えている。……わたしは執事になることは,非常に大きな栄誉であると思っていた。父はわたしの責任のことにいつも心を配り,馬車で断食献金を集めることを許してくれた。わたしの責任は自分の住んでいた町の一角で献金を集めて回ることであった。しかし家々を回るとかなりの距離になり,そのうえ小麦粉の袋,果物の瓶詰,野菜,パンなどが集まると,大変重かった。それで馬車を使うと非常に便利で快適であった。……天の御父のためにこの奉仕をすることは,大変な栄誉であった。……この奉仕をすることは依然として大きな栄誉である。
わたしは今も執事である。わたしはいつも自分が執事であることを誇りに思っている。聖会で使徒たちが
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キンボール大管長は神権の召しに対してどのような気持ちで接しているだろうか。神権の召しを尊んで大いなるものとすると,ほかの人々にどのような影響を与えるだろうか。
召しを尊んで大いなるものとするために助けを得る
マリオン・G・ロムニー副管長は次のように述べている。「わたしたちが神権の召しを尊んで大いなるものとするには,少なくとも3つのことが必要である。1つは実行の動機となる望みを持つこと。もう1つは永遠の命の言葉を調べ,深く考えること。3番目は祈ることである。」(『大会報告1973-75』40ページ下線付加)
ロムニー副管長の言葉から,神権の召しを尊んで大いなるものとするうえで必要な3つの事柄とは何か。黒板に書き出す。
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望みを持つ
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聖典を調べる
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祈る
以上の事柄を実行して戒めを守るならば,神権の召しを尊んで大いなるものとするときに天の御父から必要な助けが与えられるであろう。
オーソン・プラット長老は,この約束を心から信じる偉大な宣教師の一人であった。彼が伝道に召された地は,国全体でわずか80人の教会員しかいないスコットランドであった。以前スコットランドで伝道した宣教師たちは,石やごみを投げつけられ悪口を浴びせられて退去を余儀なくされたのであった。1840年の初め,伝道地に到着したプラット長老は,その足で「首都エディンバラに……向かった。そして,着任した翌日に,自然公園の中央にあるごつごつした岩肌の丘に登った。丘の上からは,古風な大都市を一望の下に見渡すことができた。地元の人々はその丘のことを『アーサー王の玉座』と呼んでいた。しかし今日の末日聖徒はその丘を『プラットの丘』として呼んで親んでいる。プラット長老はそこで,200人の改宗者を与えてくださるよう主に嘆願した。主は彼の祈りを聞いて,それにこたえられた。」(ミューリエル・カスバート,“Strong Saints in Scotland,” Ensign,1978年10月号,36)
プラット長老は自分の召しを尊んで大いなるものとした。そしてほかの人々も彼の模範に従って祝福を受けた。プラット長老が丘に登って主に助けを求めてからわずか13年後の1853年までには,スコットランドにおける教会員数は3,291人に達していた。
まとめ
「主の祝福は,聖なる神権を持つ人々の働きによって聖徒たちだけでなく,全世界の人々にもたらされる。……神権を持つということを決して軽々しく考えてはいけない。わたしたちは,主の力と権能を扱っているのである。それは,主が今日諸天を開いてもたらしてくださったものであり,その結果人類は再びあらゆる祝福を受けることができるようになったのである。」(ジョセフ・フィールディング・スミス「神権の祝福」『大会報告1970-72』,265-66)
救い主は神権の誓詞と聖約によって,わたしたちが神権の召しを尊んで大いなるものとするならば,天の御父の持っておられるすべてを受けることができると約束された。神がわたしたちにくださる最も大いなるものは永遠の命である(教義と聖約14:7参照)。わたしたちは自らその永遠の命を受け,同じ祝福を得られるようにほかの人々を助けることができるという約束を受けている。そのために主が約束された大いなる祝福についてしばしば考える必要がある。そうすれば,主と交わした聖約を守ろうとする望みが強くなり,その望みがわたしたちを永遠の命へと導くであろう。
チャレンジ
神権の召しを尊んで大いなるものとすることを,今日決意する。霊感を受けるために聖文を研究し,助けを求めて熱心に主に祈る。神権の誓詞と聖約を常に心に留め,天の御父がすべてのものをあなたに与えたいと願っておられることをよく覚えておく。寛大な心で奉仕し,神権の職と召しを活用して人々の生活に祝福をもたらす。
参照聖句
『モルモン書』ヤコブ1:17-19(召しを尊んで大いなるものとする)
モーサヤ2:20-24(わたしたちは神に恩を受けている)
教義と聖約58:26-29(熱心に善いことに携わる)
教義と聖約121:34-36(神権は義の原則により制御する)
教師の準備
レッスンの前に以下のことを行う。
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教義と聖約84:1-48を読み,特に33-34節に精通する。
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レッスン中に読み,参照するために生徒に聖典を持参させる。
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黒板とチョークを準備する。
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レッスンの中で話や聖句を読むよう生徒に依頼する。