第2課
神権の鍵
目的
神権の
導入
家のドアを開けるためには鍵が要る。鍵を持たずに,あるいは所有者の許可を受けずに家に入ることはできない。同様に,正しい夫または父親が自分の家族を祝福する場合を除き,神権者は適切な認可を得ずに神権を行使することはできない。例えば,祭司はほかの人をアロン神権のいずれかの職に聖任する権能を持っているが,監督または支部長の許可がないかぎりその儀式を執行できない。この許可を与える力を神権の鍵と呼んでいる。
「この権能の下に執行されるすべての事柄は,適切なときに,適切な場所で,正しく,秩序に従って行われなければならない。これらの働きを指示する力が,神権の鍵である。」(ジョセフ・F・スミス『福音の教義』132)
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は次のように説明している。
「これらの鍵とは管理の権能であり,地上で主の業のすべてをつかさどり,指示する力,権能である。これを保持する者は,ほかの人々が神権をもって働く仕事をつかさどり,制御する力を備えている。わたしたちはだれでも神権を持つことができるが,その神権は鍵を持つ者から指示と権能を与えられて初めて行使できる。」(「永遠の鍵と管理する権能」『大会報告1970-72』,321)
-
神権と神権の鍵との違いは何か。神権と神権の鍵との違いは何か。
神権は神の力または権能である。神権の鍵はこの力または権能を具体的に行使するための権限である。
だれが神権の鍵を有するか
イエス・キリストは,すべての神権の鍵を常に有しておられる。最初に十二使徒を召されたとき,イエスは彼らに神権を授けられた(ヨハネ15:16参照)。
-
視覚資料2-a「キリストは使徒たちを聖任し,彼らに神権の鍵を授けられた」を見せる。
十字架にかけられる前に,キリストはペテロ,ヤコブ,ヨハネの3人に神権の鍵をゆだねられた。これは
これらの神聖な鍵は,教会のすべての使徒と預言者に与えられてきた。現在の使徒と預言者もこれらの鍵を有している。
-
視覚資科2-b「ゴードン・B・ヒンクレー大管長」を見せる。
使徒はそれぞれ神権のすべての鍵を有しているが,主の計画によれば,一代にただ一人の人が教会のためにこれらの鍵を行使する。そのため,生ける先任使徒(年齢順ではなく聖任順)が十二使徒定員会により教会の大管長に聖任され,神権のすべての鍵を行使する権限が与えられる。大管長が死去すると,次席の先任使徒(十二使徒定員会会長)が教会の大管長として聖任され,使徒職の鍵を完全に行使できるようになる。
したがって,神権のすべての鍵を行使する権限を持つ人は,地上においてただ一人教会の大管長だけである(教義と聖約132:7参照)。しかし,大管長は教会の管理役員(伝道部長,支部長,神殿長,監督,ステーク会長,メルキゼデク神権定員会会長など)に特定の鍵を委任することができる。管理役員はその権能(鍵ではない)の一部を様々な職や召しに任命することによって自分のユニット内の男女に委任する。
ジョセフ・F・スミス大管長は次のように説明している。「すべての鍵は一時にただ一人の人,すなわち預言者であり,大管長である人だけが所有している。大管長はこの権威のいかなる部分でもほかの人に委任することができる。その場合,その人がその部分の鍵を所有するのである。それで,神殿長,ステーク会長,ワード監督,伝道部長,定員会会長はそれぞれ,その組織あるいは地域で行われる働きの鍵を持っているのである。しかし人の神権は先に述べたような特別な任命によって,増加するものではない。」(『福音の教義』132)
アロン神権またはメルキゼデク神権を受けると,幾つかの鍵が自動的に授けられる。それらの鍵は特定の権限から成り,その神権を保持するかぎり神権者に伴うものである。例えば,ある人がメルキゼデク神権に聖任されると,その人は父親の祝福,慰めを与える祝福,病人への
これに反して,限られた間だけ与えられる特別な力や権限もある。例えば,支部長が持っている支部の鍵は,支部長として召されている間だけのものである。その責任から解任されると,もはやそれらの鍵を持つことはできない。
神権の鍵の重要性
人が教会の教師や役員など一時的な責任に召される場合,その召しに「任命」される。その際,その召しにかかわる鍵を有する教会役員が,召しの範囲内で職務を遂行する権限を任命時にその人に与える。それ以後は,その人がほかの人の責任に関する義務を引き受けることができないように,だれもその人の召しを代わって果たすことはできない。この権限は,解任されるまでその人が保有する。管理役員によって責任から解任されると,その責任を果たす権限も取り去られる。教会員は教会の責任に任命されて,数週間,数か月間,あるいは数年間にわたり奉仕を行う。奉仕の期間は,必要性や達成度,管理役員が主から受ける導きによる。
召しへの「任命」は男女とも受けられるが,神権の職の「聖任」されるのは神権者だけである。執事,教師,祭司,長老,大祭司,監督,祝福師,七十人,使徒,これらはすべて神権の職である。これらの職に聖任されると,特別な方法で教会員に奉仕することができる。しかし,すでに述べたように,神権の鍵を有する人々からの許可が必要である。
次の話は,正しく神権の鍵を行使することにより教会の秩序が保たれることを表している。
教会初期の時代に,ハイラム・ぺージという会員がいた。彼は教会に対する主の言葉を明らかにする権能を自分が持っているかのように振る舞った。彼は自分の啓示を人々に語り始め,多くの教会員はその教えを信じた。預言者ジョセフ・スミスは,どうすべきか祈りによって主に尋ねた。主は答えて言われた。「わたしの
預言者ジョセフは,主から命じられた通りに行った。ハイラム・ぺージに会って,主が語られたことを伝えた。
-
一人の人だけがすべての神権の鍵を行使することは,なぜ大切なのだろうか。
主の教会は「秩序の家」である
神権は神聖なものであるから,慎重に行使するよう勧告されている。したがって混乱を避け誤用を防ぐために,神権は秩序正しい方法で制御しなければならない。「見よ,わたしの家は秩序の家であり,混乱の家ではない,と主なる神は言う。」(教義と聖約132:8)
このようにして秩序は,常に地上における主の王国の大切な一部を成すものであった。例えば,モーセはイスラエルを導くように召されてすぐに,秩序の必要性を学んだ。イスラエルの民は自分たちを一つにまとめてくれる指導者を必要とした。しかし,モーセは一人ですべての民を導くことは不可能であると知っていた。そこで,「有能な人で,神を恐れ,誠実」な人を選び,長として召した。それぞれ百人の長,五十人の長,十人の長として任命し,担当する民を管理する方法を教えたのである(出エジプト18:17-22参照)。
今日の神権指導者(監督,ステーク会長,地方部長,伝道部長,支部長,定員会会長)はそれぞれ神権の鍵を持ち,わたしたちが秩序正しく導かれ,福音の必要な儀式を受けられるようになっている。神権の鍵を有する神権指導者には以下のような責任がある。
-
儀式を受ける人と面接する。
-
儀式の重要性を説明する。
-
志願者が儀式を受けるにふさわしいか判断する。
-
必要な記録を保存する。
-
儀式を執行する人々のふさわしさを判断する。
-
教会における礼拝行事の管理を依頼する。
-
教会の会員に賛意の表明を求める。
父親は家族を祝福する鍵を有する
主は父親を家族の長として召された。父親が家族の霊的な頭として効果的にその務めを果たすには,神権を尊ぶ必要がある。そうすれば,愛と調和の中で家族を導き祝福する力が得られるであろう。
-
家長はどのような鍵を持っているだろうか。
-
それらの鍵によって,家族のために何ができるだろうか。
神権はわたしたちの生活に多くのすばらしい祝福をもたらしてくれる。H・バーク・ピーターソン監督は次のように述べている。「わたしたちがふさわしい生活をするならば,わたしたちが持つ神権は,問題の多い家庭に平安をもたらす天よりの力となり,また幼い子供たちに祝福と慰めをもたらす力となり,涙にぬれた目に夜の眠りを与える力となる。また……疲れた妻の高ぶる神経を鎮める力となる。当惑した,感じやすい10代の若者たちには,指針を与える力となる。娘には,初めてのデートの前に,あるいは神殿結婚の前に祝福を与える力となり,息子には大学や伝道にたつ前に祝福を与える力となる。……また病人を癒し,孤独な人を慰める力となる。」(「神権-その権能と力」『聖徒の道』1976年8月号,342)
韓国のキュルン・リー姉妹は,神権の祝福によって家庭で慰めを得た。そのときの経験を次のように語っている。
あれは今からおよそ7年前,最初の子供が10ヵ月になったばかりのことでした。わたしの夫は韓国地方部長会の会員で,週末にはほとんどわたしと娘のポー・ヒーを家に残して遠方に出かけ,教会の責任を果たさなければなりませんでした。その週は,土曜日に約400キロ離れた
ポー・ヒーは,普段と変わりなく土曜日と日曜日を過ごしました。
夫は子供とわたしを一緒に抱いて,何があったのか尋ねました。ポー・ヒーはぐったりしていました。わたしが今までの状況を話すと,夫はコートとスーツケースを置いて,聖別された油を取り出しました。そして,娘に癒しの儀式を行いました。そのときの言葉を完全に覚えてはいませんが,儀式の言葉に続いて次のように言いました。『父なる神様,日々の生活に感謝します。妻と子供に感謝します。この回復された福音と奉仕する機会に感謝します。神様,あなたは釜山とソウル東支部で教会の仕事をするためにわたしを遣わされました。わたしは咋日と今日,与えられた責任を果たしてまいりました。そして今,子供が重い病気にかかっています。あなたは,これまでいつもわたしを助けてくださいました。どうぞ,今晩もこのわたしをお助けください。』
祈りが終わる前に,赤ん坊は眠り始めました。顔を上げると,夫が目に涙を浮かべて立っていました。
その幼い娘も今小学校の2年生になり,健康で幸せな毎日を送っています。しかし,わたしは夫が主にささげたあの祈りの言葉を,今でもはっきりと思い出すことができるのです。『わたしは咋日と今日,与えられた責任を果たしてまいりました。』夫が主に対して常に従順であると言えるように,これからも夫を助けていきたいと思います。神権を尊ぶ夫を持つことは,何とすばらしい祝福でしょうか。」(“Our Baby, My Husband, and the Priesthood,” Ensign,1975年8月号,65)
-
視覚資料2-c「神権の祝福は家族全員にもたらされる」を見せる。
特別な神権の祝福は家族全員に与えられる。問題を抱えて悩む子供や,慰めや導きを必要とする妻は,家長に特別な祝福を求めて,主から必要な助けを得る。その際忘れてならないことは,多くの試練はわたしたちの経験のためにあることである。わたしたちは自分自身の力で問題を解決するために最善を尽くすべきである。しかし,そのうえに援助が必要であると感じたら,家庭内の神権者,ホームティーチャー,あるいはほかの神権指導者のもとに行き,特別な神権の祝福を求めるとよい。
神権を通して家族が受けた祝福について簡潔に話してもらう。
「父親というものは,何とか家族に祝福を与えたいと熱望し,主の前にへりくだり,神の言葉に思いをはせ,
このように家族を導く者としての責任のほかに,「メルキゼデク神権を持っている忠実な父親は,自分の子供に命名の儀式を施し祝福を与えるように勧められている。父親は家庭の中の病人に癒しの祝福を施し……子供たちに父親の祝福を与える。」
A・セオドア・タトル長老はこう語っている。「家族の長(祝福師)として,父親は家族に関する啓示者であり……この意味において,家族の福利と祝福のために主から啓示を受ける者である(「救いの教義」3:154参照)。」(Conference Report, “The Role of Fathers,” 1973年10月,86 Ensign,1974年1月号,66—67)また,ふさわしい父親は,自分の子供にバプテスマを施し,聖霊の
まとめ
神権者として一定の儀式を執り行う権能があるとはいえ,儀式を執行するには,教会指導者からの許可が必要である。この許可を与える権能が,神権の鍵である。預言者は神権のすべての鍵を持つ地上で唯一の人であるが,教会の各ユニットを管理する指導者に鍵の一部を委任している。そしてこれらの指導者が,わたしたち神権者に神権を行使する許可を与えるのである。
一方で,メルキゼデク神権に聖任される際に,わたしたちは父親としての鍵を授かる。この鍵によって自分の家族を祝福する場合,特別な許可を受ける必要はない。
チャレンジ
家族を祝福するために神権をどのように行使できるか祈りをもって考える。
参照聖句
教義と聖約65:1-6(神の王国の鍵が人に託された)
教義と聖約110:11-16(この末日の神権時代とほかの神権時代の鍵が授けられた)
教師の準備
レッスンの前に以下のことを行う。
-
1コリント12:12-28を研究する。
-
レッスンの中で話や聖句を読むよう生徒に依頼する。