歴代大管長の教え
経歴のまとめ


経歴のまとめ

以下の年表は,本書で紹介されているエズラ・タフト・ベンソン大管長の教えの歴史的な背景を簡単に紹介するものである。

1899年8月4日

アイダホ州ホイットニー近郊で,ジョージ・タフト・ベンソン・ジュニアとサラ・ダンクレー・ベンソンのもとに誕生する。

1912-1913年

父親が合衆国北部で伝道する間,家庭で多くの責任を担う。

1914-1919年

アイダホ州プレストンのオネイダステーク・アカデミーに在籍し卒業する。

1918年

ホイットニーのワードでスカウト隊副長(若い男性の指導者)として召されて奉仕する。

1920年

後に妻となるフローラ・スミス・アムッセンと出会う。

1921年

ユタ州ローガンのユタ州立農業単科大学(現在のユタ州立大学)に在籍する。

1921年7月13日

父親により長老に聖任される。

1921年7月15日-1923年11月2日

専任宣教師としてイギリス伝道部で伝道する。

1924年8月25日-1926年6月

フローラ,ハワイ島で専任宣教師として伝道する。

1924年秋

弟のオーバルと共同で,ホイットニーに農場を購入し家族で営む。

1926年春

ブリガム・ヤング大学を卒業する。

1926年9月10日

ソルトレーク神殿でフローラと結婚する。

1926年9月-1927年6月

アイオワ州立農工大学(アイオワ州立科学技術大学の前身)に在籍し,農業経済学の修士号を取得して卒業する。

1927年6月

ホイットニーで家族が営む農場に戻る。

1929年

アイダホ州フランクリン郡の郡農事指導員の職を引き受ける。農場を離れ,アイダホ州プレストン近郊に移る。

1930-1939年

アイダホ大学発展研究学科の農業経済学者兼スペシャリストの任に就く。

1935年1月-1938年11月

ボイシステークの会長会第一顧問として奉仕する。

1938年11月-1939年3月

ボイシステークの会長として奉仕する。

1939-1943年

ワシントンD.C.に本部を置く農業協同組合全国協議会の事務局長として働く。メリーランド州ベセスダで家族と暮らす。

1940年6月

ワシントンD.C.におけるワシントンステークの会長に召される。

1943年7月26日

十二使徒定員会会員に召される。

1943年10月7日

ヒーバー・J・グラント大管長より使徒に聖任され,十二使徒定員会の会員に任命される。

1946年1月-1946年12月

ヨーロッパ伝道部の会長として奉仕し,第二次世界大戦による荒廃を経験した末日聖徒に物質的,霊的な支援を行う。

1946年7月16日

福音をべ伝える地としてフィンランドを奉献する。

1953年1月-1961年1月

ドワイト・D・アイゼンハワー大統領の下で合衆国農務長官を務める。

1964年1月-1965年9月

ヨーロッパ伝道部の会長として再び奉仕する。

1966年11月10日

福音を宣べ伝える地としてイタリアを再奉献する。

1969年4月14日

福音を宣べ伝える地としてシンガポールを奉献する。

1969年10月26日

福音を宣べ伝える地としてインドネシアを奉献する。

1973年12月30日

十二使徒定員会会長に任命される。

1985年11月10日

末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長に任命される。

1986年10月24日

コロラド州デンバー神殿を奉献する。

1987年8月28日

ドイツ・フランクフルト神殿を奉献する。(大管長に在任中,9つの神殿が奉献された。)

1988年10月2日

総大会で最後の説教を直接行う。(1988年10月以降,体調が思わしくなかったため総大会で直接話すことができなかった。大管長会顧問が説教を代読するか,過去の説教を引用した。)

1992年8月14日

妻フローラの死を悼む。

1994年5月30日

95歳の誕生日の約2か月前,ソルトレーク・シティーの自宅で死去。