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第3章:救いの計画


第3章

救いの計画

「天の御父は霊の子供たちのために救いの計画を立ててくださいました。この計画の目的は,霊の子供たちが進歩成長して永遠の命を得られるようにすることです。」

ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から

1901年4月29日,ジョセフ・フィールディング・スミスの妹アリスが長く患った後,18歳で亡くなった。ジョセフはちょうどイングランドで専任宣教師の務めを終えるところだった。アリスが亡くなったという知らせに対するジョセフの言葉から,家族への愛と救いの計画に対する ( あかし ) が伝わってくる。ジョセフは日記にこう書いている。「わたしたちは皆,大きな衝撃を受けた。妹が病気だということは知っていたが,それほど重い病気だとは分からなかった。2,3週間後には家族にも妹にもまた必ず会えるものと思っていた。しかし,神の 御心 ( みこころ ) が行われることを望む。このようなときにこそ,福音が与えてくれる希望が何より必要だ。わたしたちは皆,幕のかなたで再会し,一緒にいられる喜びと祝福にあずかる。そこでは家族のきずなはもはや絶たれることはなく,皆が一緒に生活して祝福を受け,天の御父の深い ( あわ ) れみがどのようなものかを悟る。自分が常に真理の道を歩み,与えられた名を尊び,親族との再会が自分にとって最も麗しく,とこしえに続くものとなるように,謙虚に祈るばかりである。」1

使徒として,また後には大管長として,ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は,福音を理解することによって得られる希望について繰り返し証した。大管長はこのように教えている。「わたしたちには救いの計画があります。わたしたちは福音をつかさどります。そして福音は世の唯一の希望であり,あらゆる国々にある不正を正し,地に平和をもたらす唯一の道です。」2

ジョセフ・フィールディング・スミスの教え

1

前世の霊界でわたしたちは天の御父の救いの計画を知って喜んだ

わたしたちは皆,天の御父の家族の一員です。この地の基が据えられる前に天の御父とともに住んでいました。御父の顔を見て,御父の愛を感じ,御父の教えを聞きました。御父は律法を定め,それに従うことによりわたしたちが進歩成長して,それぞれが永遠の家族を得ることができるようにしてくださいました。3

A galaxy in space.

「わたしたちはこの地の基が据えられる前に天の御父とともに住んでいました。」

天の御父は霊の子供たちのために救いの計画を立ててくださいました。この計画の目的は,霊の子供たちが進歩成長して永遠の命を得られるようにすることです。永遠の命とは,天の御父が送っておられるような生活を指します。この計画により,神の子供たちは神のようになり,神が持っておられる力と知恵と知識を持てるようになります。4

高価な真珠から次のことが分かります。天で会議が開かれ,主は霊の子供たちを招集し,一つの計画を提示されました。その計画とは,霊の子供たちがこの地上に来て,肉体を得て現世の生活を通して試しの生涯を送り,その後,御父の独り子イエス・キリストの ( しょく ) ( ざい ) を通してもたらされる復活を通じてより高い昇栄に進むという計画です〔モーセ4:1-2アブラハム3:22-28参照〕。死すべき生涯を送り,地上の人生の浮き沈みを乗り越え,現世における喜びだけでなく苦痛や苦悩,悲しみ,誘惑,苦難を通して経験を得た後に,もし忠実であれば,復活して神の王国で永遠の命を得,神に似た者となるのです〔1ヨハネ3:2参照〕。この考えを聞いて,霊の子供たちは喜びに満たされ,「喜び呼ばわった」のです〔ヨブ38:4-7参照〕。この死すべき生涯で得られる経験と知識は,決してほかの方法では得られないものでした。また,肉体を得ることは昇栄に不可欠なことでした。5

2

アダムとエバの堕落は天の御父の計画の一部であった

救いの計画は,現在イエス・キリストの福音として知られている法典であり,世の基が据えられる前に天で採択されたものです。そこでは,わたしたちの父祖アダムがこの地上へ来て全人類の ( かしら ) となるよう任命されました。アダムが禁断の実を食べて堕落し,その結果として苦痛と死を世にもたらし,最終的にはアダムの子孫のためになるようにとの計らいも,この偉大な計画の一部だったのです。6

堕落は人が死すべき生涯で試しに遭うために不可欠でした。……もしアダムとエバが木の実を食べなかったとしたら,死すべき生涯という大いなる ( たま ) ( もの ) を得ることはなかったはずです。さらに,子孫を持つこともなく,主から与えられた大いなる戒めが守られることもなかったでしょう。7

Adam and Eve walking together after leaving the Garden of Eden. There are storm clouds in the sky, and plant growth along the path they are walking. There is a waterfall in the background.

アダムとエバの堕落は,「苦痛や悲しみ,死をもたらしました。しかし……同時に祝福をもたらし〔ました〕。」

アダムの堕落は,死すべき生涯でのあらゆる浮き沈み,すなわち苦痛や悲しみ,死をもたらしました。しかし,同時に祝福をもたらしたという事実を見逃してはなりません。……知識と理解力,また死すべき生涯という祝福をもたらしたのです。8

3

イエス・キリストはわたしたちを堕落と個人の罪から救うために犠牲として御自身をささげられた

アダムの背きは霊の死と肉体の死という二つの死をもたらしました。すなわち,人は神の前から追放され,また死すべき状態となって肉体に伴うあらゆる病気にかかる身になりました。人が再び元の所に戻るためには,破られた律法が償われなければなりませんでした。正義がそれを要求したのです。9

過ちを犯した人がその代価を払うのはごく当然の正しいことです。これが罪を償うということです。したがって,アダムが律法に背いたとき,正義の要求として,ほかのだれでもなくアダム本人が罪に対する責任を取り,自分の命をもってその代価を払う必要がありました。しかし,アダムは律法を破ることによって,自分自身がのろいの下に置かれ,自分が行ったことを償うこと,または取り消すことはできませんでした。それはアダムの子孫もできませんでした。子孫もまたそののろいの下にあったからです。原罪を償うためには,のろいを受けていない人が償う必要がありました。さらに,わたしたちは皆,のろいの下にあるので,自分自身の罪を償う力もありませんでした。そこで,アダムの背きだけでなくわたしたちの罪をも ( あがな ) うために,御父は罪のない独り子をお送りになる必要がありました。この贖いを行うことは正義が要求するものでした。こうして,主は罪を贖うために犠牲として御自身をささげられたのです。十字架上の死によって,アダムの背きとわたしたち個人の罪の両方を身に負い,悔い改めを条件としてわたしたちをアダムの堕落と個人の罪から贖ってくださったのです。10

イエス・キリストの使命を教えることはわたしたちの務めです。主はなぜ来られたのでしょうか。主はわたしたちのために何をされたのでしょうか。わたしたちはどのような恵みを受けているのでしょうか。それを行うために主はどのような犠牲を払われたのでしょうか。主が命を,実際には命以上のものを犠牲にされたのは,なぜでしょうか。主は十字架にはりつけにされたほかに何をされたでしょうか。なぜ十字架にはりつけにされたのでしょうか。それは血を流すことによって,神の前から追放されるというこの最も恐ろしい罰からわたしたちを贖うためでした。主が十字架上で亡くなられたのは,わたしたちを再び元に戻してわたしたちの肉体と霊を再結合させるためでした。そのような特権をわたしたちに与えてくださったのです。もしわたしたちが主を信じ,主の戒めを守りさえすれば,自分の罪の ( ゆる ) しを受けられ,罪の代価を払うように求められることはありません。主がわたしたちのために亡くなられたからです。主が代価を払ってくださったのです。……

……主がわたしたちのために行ってくださったことは,ほかのだれもできないことでした。主は亡くなる必要はなく,拒むこともおできになりました。しかし,主は自ら進んでなさったのです。そうなさったのは,御父から命じられたからです。どのような苦しみを味わうかを御存じでした。それにもかかわらず,わたしたちを愛しておられたので,進んで行ってくださったのです。……

手足に ( くぎ ) を打ち込まれることは,救い主の苦しみのごく一端にすぎませんでした。主の大きな苦しみは釘で十字架につけられ,はりつけにされたことだと,わたしたちは思いがちではないでしょうか。世界史の中でもあの時代には,何千もの人がそのような苦しい刑を受けました。ですから,はりつけに関するかぎり,主の苦しみは同じ十字架の刑を受けたほかの人々の苦しみ以上のものではありませんでした。では,主の大きな苦しみとは,どういうものだったのでしょうか。主の大きな苦しみは十字架に向かう前に受けられたものです。この事実をこの教会の会員一人一人の心に印象づけることができたらどんなによいでしょう。聖文にあるように,主の体のあらゆる毛穴から血が滴り落ちたのはゲツセマネの園でのことでした。そして,主は苦しみもだえ,御父に叫ばれました。手足に打ち込まれた釘による痛みからではありません。それがどのようにして行われたのかわたしに聞かないでください。わたしには分からないからです。だれにも分かりません。ただ分かるのは,主が何らかの方法であのきわめて苦しい罰を御自分の身に受けられたことです。わたしたちの罪を背負い,代価を払われ,激しい苦痛を受けられたのです。

すべての人の重荷,すなわち苦痛をすべて背負われた救い主について考えてみてください。どのような方法で背負われたのか,わたしには理解できません。わたしに分かるのはただ,そのために救い主はきわめて激しい苦痛を受けられたということです。その苦痛に比べれば,手足に釘を打たれた苦痛はごく小さなものでした。救い主は ( ) ( もん ) しながら御父に叫ばれました。「もしできることでしたらどうか,この ( さかずき ) をわたしから過ぎ去らせてください。」しかし,過ぎ去らせることはできませんでした〔マタイ26:42マルコ14:36ルカ22:42参照〕。それについて主が言われた言葉を少し読んでみましょう。

「見よ,神であるわたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い,人々が悔い改めるならば苦しみを受けることのないようにした。

しかし,もしも悔い改めなければ,彼らはわたしが苦しんだように必ず苦しむであろう。

その苦しみは,神であって,しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし自身が,苦痛のためにおののき,あらゆる毛穴から血を流し,体と霊の両方に苦しみを受けたほどのものであった。そしてわたしは,その苦い杯を飲まずに身を引くことができればそうしたいと思った。

しかしながら,父に栄光があるように。わたしは杯を飲み,人の子らのためにわたしの備えを終えたのである。」(教義と聖約19:16-19

これを読むと,わたしは謙虚な気持ちになります。人類,すなわち世の人々に対する主の愛はあまりにも深かったので,主は,死すべき人がだれも負うことのできなかった重荷を進んで負い,ほかのだれも払うことができなかった大きな代価を払ってくださったのです。わたしたちがその重荷から逃れられるようにするためです。11

Jesus Christ kneeling as He prays and atones in the Garden of Gethsemane. Christ is depicted wearing red and blue robes. He has His hands clasped and is resting them on a large rock. A small stream of light coming through the darkened and cloudy background shines on the face of Christ. Light emanates around Christ's head.

「わたしたちの救い主イエス・キリストは,進歩と救いのこの偉大な計画の中心です。」

神の御子は〔こう言われました。〕「わたしが ( くだ ) って行って代価を払います。贖い主となり,人類をアダムの背きから贖います。世の罪を負い,悔い改めるすべての人を各自の罪から贖い,救います。」12

たとえで説明しましょう。ある人が道を歩いていて,穴に落ちました。あまりにも深くまた暗いため,地表に ( ) い上がって再び自由になることができませんでした。どうすればこの窮地から救われるのでしょうか。本人が幾ら努力してもできません。穴の中には脱出する手立てがまったくないからです。そこで,この人は助けを求めました。すると,親切な心の持ち主が助けを求めるこの人の叫びを聞いて,駆けつけました。そして,はしごを下ろして,この人が再び地表に這い上がる手立てを提供しました。アダムが禁断の実を食べたためにアダムと子孫が陥った状態は,まさにこういう状態でした。皆が一緒に穴の中にいたので,だれも地表に上がって仲間を救い出すことができませんでした。穴というのは主の前からの追放であり,肉体の死であり,体がちりに帰してしまうことでした。そして,すべての人が死を受けるため,だれも脱出の手立てを提供できませんでした。13

その穴の束縛を受けていない救い主が来て,はしごを下ろしてくださいます。穴の中へ降りて来られ,わたしたちが脱出するためにはしごを使えるようにしてくださるのです。14

限りない ( あわ ) れみに満ちた御父は,子供たちの叫びを聞いて,死の支配も罪の支配も受けない独り子を遣わして,脱出の手段を提供されました。独り子は無限の ( しょく ) ( ざい ) と永遠の福音によってこれを実行されたのです。15

わたしたちは〔救い主の〕大いなる深い憐れみに対して心を感謝の念で満たし,愛と従順を十分に示さなければなりません。主がわたしたちのために行われたことに報いるために,主から期待されている行いをしなくてはなりません。主は代価を払ってわたしたちを買い取られました。そして激しい苦痛を受け,十字架上で犠牲になって血を流されたのです。16

4

わたしたちは死すべき世にいる間に,イエス・キリストの ( しょく ) ( ざい ) の基の上に救いを達成する

わたしたちの救い主イエス・キリストは,進歩と救いのこの偉大な計画の中心です。17

贖罪の基の上に築かれる救いの計画は,以下の事柄から成り立っています。

第1に,わたしたちは主イエス・キリストを信じる信仰を持たなければなりません。主を神の御子として受け入れなければなりません。主を信頼し,主の言葉に頼らなくてはなりません。そして,主の律法に従うことによって頂ける祝福を得たいと望まなければなりません。

第2に,自分の罪を悔い改めなければなりません。世を捨て,信心深く正しい生活を送ろうと,無条件に決心しなければなりません。

第3に,地上でも天でも結ぶ力を持つ正当な執行者の手によって,水によるバプテスマを受けなければなりません。この神聖な儀式を通して,主に仕え,主の戒めを守るという聖約を交わさなければなりません。

第4に,聖霊の ( たま ) ( もの ) を受けなければなりません。再び生まれ,あたかも火で焼くかのように,罪や罪悪を心から焼き払わなければなりません。聖霊の力によって新たに創造されなければなりません。

第5に,最後まで堪え忍ばなければなりません。バプテスマを受けた後に戒めを守り,主の前に恐れおののいて自分の救いを達成しなければなりません。信心深い性質を身に付け,日の栄えの王国の栄光と驚異にあずかれる人になるように生活しなければなりません。18

さてわたしは,人が救いを得るために従わなければならない律法,すなわち,イエス・キリストの福音から成る律法が近代の預言者と使徒に啓示されてきたこと,また地上に再び設立されたイエス・キリストの教会によって律法が現在執行されていることを ( あかし ) します。19

わたしたちは,この死すべき世にいるわたしたちは皆,試しの時期を過ごしています。現世に送られた第1の目的は,不滅の霊が宿る幕屋〔体〕を得るためです。第2は,試練によって試され, ( かん ) ( なん ) を受けるとともに,永遠の福音の原則に従うという神聖な聖約を通して得られる大きな喜びと幸せを得るためです。リーハイが子供たちに述べたように,死すべき生涯は「試しの状態」です(2ニーファイ2:21)。この世においてこそ,わたしたちは試されるのです。永遠の御父のもとから閉め出されていながらも,永遠の命を得る方法を教えられるときに,御父を愛し,あがめ,御父の愛子イエス・キリストに忠実であるかどうかを見定めるために試されるのです。20

わたしたちがこの世へ来たのは,善と同様,悪に触れることによって試されるためです。……御父はサタンとその軍勢がわたしたちを誘惑するのをお許しになりました。しかし,主の ( ) ( たま ) の導きと啓示を通して与えられた戒めによって,わたしたちは自分自身で選択するよう備えられています。悪を行えば罰せられると約束されています。善を行えば義の永遠の報いを受けるでしょう。21

この死すべき試しの生涯は,永遠の過去と永遠の未来とをつなぐ短い期間です。しかし非常に重要な時期です。……現世はわたしたちの永遠の生活の中で最も重要な時期なのです。22

5

すべての人はイエス・キリストの ( しょく ) ( ざい ) を通して復活の祝福にあずかる

わたしたちは死ぬためにこの世に来ました。この世に来る前にそれを理解していました。それは計画の一部であり,人が地上に置かれるずっと前に話し合われ,定められたのです。……わたしたちは喜んでみずから進んで霊界の神のもとから死すべき世への旅に出ました。現世に付き物のあらゆること,すなわちこの世の喜びと悲しみを経験し,そして死ぬためにこの世に来たのです。死は誕生と同様に不可欠なものです。23

肉体は再び元素に戻るというのは事実ですが,肉体の死,すなわち死すべき人の死によって霊と肉の幕屋が永久に分離するわけではありません。それは一時的な分離であって,体がちりから呼び戻されて霊によって命を吹き込まれ,再び生きる復活の日に,その分離は終わります。人が現世にいるときに善良であったか邪悪であったかにかかわりなく,この祝福はキリストの ( しょく ) ( ざい ) によって万人に及びます。パウロは正しい者も正しくない者も復活すると言っています(使徒24:15)。また救い主は,墓の中にいる者たちが皆救い主の声を聞き,「善をおこなった人々は,生命を受けるためによみがえり,悪をおこなった人々は,さばきを受けるためによみがえって」出て来るであろうと言われました(ヨハネ5:29)。24

死によって肉体がどのようになろうとも,すべての肉体のあらゆる基本的な部分は,復活によって再びその適切な箇所に回復されます。肉体が火で焼かれようと,サメに食べられようと,関係ありません。肉体のあらゆる基本的な部分がそれぞれ適切な箇所に回復されるのです。25

骨肉の体がなければ,霊は完全になることはできません。この体と霊は復活によって不死不滅となり,救いの祝福を受けます。復活後に再び分離することはなく,体と霊は分離しないように結合して,人は完全な喜びを得ます。この世に生まれ,復活しなければ,霊は永遠の御父のようになることができません。26

6

忠実な者は天の御父のもとで家族と一緒に永遠の命を受け継ぐ

先祖が勤勉に働いたおかげで富を受け継ぐ人もいます。ほかの人よりも高い地位や権力,身分を受け継ぐ人もいます。自分の努力や忍耐により,この世の知識や名声を求める人もいます。しかし,あらゆるものに勝る価値のある受け継ぎは,永遠の昇栄を受け継ぐことです。

聖文によると,永遠の御父と御子イエス・キリストが持っておられる命である永遠の命は,神の最も大いなる ( たま ) ( もの ) です〔教義と聖約14:7参照〕。すべての罪から清められた者だけがそれを得ることができます。次のような者に与えられると約束されています。「信仰によって勝利を得,御父が正しくかつ真実な者すべてに注がれる約束の聖なる ( ) ( たま ) により結び固められている者である。彼らは長子の教会である。彼らは御父からすべてのものをその手に与えられた者である。」〔教義と聖約76:53-5552節も参照〕27

この救いの計画は家族が中心となっています。……〔その〕目的は,わたしたちが自分自身の永遠の家族を作ることができるようになることです。28

日の栄えの王国で昇栄を得る者は「とこしえにいつまでも子孫が……続く」のです。この人々は家族関係の中で生活します。29

家族の組織は,日の栄えの昇栄に関するかぎり,完全な組織になると,イエス・キリストの福音の中で教えられています。家族の完全な組織とは,親子が次の世代の親子と結ばれ,時の終わりに至るまで伸びていく組織のことです。30

永遠の受け継ぎというこの栄光ある祝福を受けるには……進んで戒めを守り,必要であればキリストと苦難を共にすることさえいとわない姿勢が求められます。言い換えれば,神の最も大いなる賜物である永遠の命を得たいと思う人は,もし求められるようなことがあれば,自分が持っているものすべてを祭壇にささげるように期待されます。ただし,たとえそのようにしたとしても,また大義のために自分の命を差し出すように求められたとしても,律法と戒めに従うことによって受ける,また約束されている豊かな祝福に対して十分な代価を払うことは決してできないのです。31

わたしたちがこの世に染まらずに,完全な福音を受けるとき,日の栄えの栄光を受ける候補者となります。いいえ,忠実であれば,単なる候補者にとどまりません。なぜなら,わたしたちは忠実であることによって日の栄えの王国に入れていただけると,主から約束されているからです。……

……自分の受け継ぐ場所が確保されるように生活しましょう。そうすれば,自分が送っている生活によって,御父のもとへ行って御父とともに住み,約束された完全な祝福を受けるということが分かります。末日聖徒の中に,わたしたちに約束されている完全な救い以下のものに満足する者がいるでしょうか。……わたしたちは 謙遜 ( けんそん ) になり,悔い改めの精神をもって,前進することが必要です。最後まで戒めを守ることが必要です。なぜなら,わたしたちの望みと目標は永遠の命であり,御父と御子のもとで生活することだからです。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」と,主は言われました〔ヨハネ17:3〕。32

わたしは人生のたそがれとも言うべき今ここに立っていますが,現世における管理人の職について報告するために召される日は遠くないことを知っています。……

わたしたちは皆主を愛していると,わたしは確信しています。わたしは主が生きておられることを知っています。主の顔を仰ぎ見る日を楽しみにしています。また,「わたしの父に祝福された人たちよ,さあ,世の初めからあなたがたのために用意されている ( ) ( くに ) を受けつぎなさい」と言われる主の声を聞きたいと願っています(マタイ25:34)。

わたしはこのような恵みがわたしたちすべてにそれぞれの時に与えられることを祈っています。33

研究とレッスンのための提案

質問

  • 「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」に引用された日記の文章を読み,あなたが救いの計画に対する自分の ( あかし ) に慰めを見いだしたときのことを考えてください。家族や友人がそのような慰めを受けるのを助けるには,どうしたらよいでしょうか。

  • 天での会議についてのスミス大管長の教えは,わたしたちが試練に直面するときにどのような助けとなるでしょうか(第1項参照)。

  • スミス大管長は次のように教えています。「アダムとエバの堕落〕が祝福をもたらしたという事実を見逃してはなりません」(第2項)。この真理を覚えておくことが大切なのは,なぜだと思いますか。堕落の結果として得た祝福には,どのようなものがあるでしょうか。

  • 第3項で,スミス大管長は穴に落ちた人のたとえを話しています。これはわたしたちの生活とどのような関連があるでしょうか。救い主が ( しょく ) ( ざい ) を通してどのようにあなたを救ってくださったかについてよく考えてみてください。

  • 第4項に書かれているスミス大管長の言葉は,地上におけるわたしたちの生活の目的について,どのようなことを示しているでしょうか。わたしたちが現世の試しの時を無事に通り抜ける助けとして,主は何を与えてくださいましたか。

  • スミス大管長は第5項の中で,「死は誕生と同様に不可欠なものです」と断言しています。ほかの人がこれを理解するのを助けるには,どうしたらよいでしょうか。復活の教義はあなたの生活にどのような影響を及ぼしてきたでしょうか。

  • 世俗的な富は救いの計画を通して得られる「永遠の受け継ぎ」とどのように異なりますか(第6項参照)。この相違を理解することは,永遠の命を得る備えをするのにどのような助けとなるでしょうか。

関連聖句

ヨブ38:4-72ニーファイ2:15-299:5-27アルマ12:20-35教義と聖約19:16-19モーセ5:10-12

教える際のヒント

「聖典と末日の預言者の言葉から教える助けとして,教会はレッスンテキストなどの資料を発行している。注解書や参考書はほとんど必要がない。」(『教師,その大いなる召し-福音を教えるための資料集』52参照)

  1. ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア,ジョン・J・スチュアート共著, The Life of Joseph Fielding Smith (1972年)117-118で引用

  2. 「英国の聖徒たちへ」『聖徒の道』1972年2月号,50参照

  3. “Pres. Smith Tells of Parents’ Duty,” Church News,  1971年4月3日付,10

  4. ユタ州ローガンインスティテュートでの説教,1971年1月10日,3;未刊原稿

  5. “Is Man Immortal?” Improvement Era,  1916年2月号,318。Doctrines of Salvation, ブルース・R・マッコンキー編,全3巻(1954-1956年)第1巻,58も参照

  6. Elijah the Prophet and His Mission and Salvation Universal (1957年)65-66

  7. Conference Report, 1966年10月,59

  8. “Principles of the Gospel: The Infinite AtonementRedemption, Salvation, Exaltation,” Deseret News,   Church欄,1939年4月22日付,3。Doctrines of Salvation, 第1巻,115も参照

  9. “The Atonement,” Deseret News,   Church欄,1935年3月2日付,7。Doctrines of Salvation, 第1巻,122も参照

  10. Elijah the Prophet and His Mission and Salvation Universal,  79-80

  11. Seek Ye Earnestly, ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア編,(1970年)118-120

  12. “Principles of the Gospel: The Infinite AtonementRedemption, Salvation, Exaltation,” 5。Doctrines of Salvation, 第1巻,123も参照

  13. Elijah the Prophet and His Mission and Salvation Universal,  80-81

  14. “Principles of the Gospel: The Infinite AtonementRedemption, Salvation, Exaltation,” 5。Doctrines of Salvation, 第1巻,123も参照

  15. Elijah the Prophet and His Mission and Salvation Universal,  81

  16. “Purpose and Value of Mortal Probation,” Deseret News,   Church欄,1949年6月12日付,21。Doctrines of Salvation, 第1巻,132も参照

  17. ユタ州ローガンインスティテュートでの説教,1971年1月10日,3;未刊原稿

  18. “The Plan of Salvation,” Ensign,  1971年11月号,5

  19. “I Know That My Redeemer Liveth,” Ensign,  1971年12月号,26

  20. Conference Report, 1965年4月,11

  21. Conference Report, 1964年4月,107-108

  22. “Purpose and Value of Mortal Probation,” 21。Doctrines of Salvation, 第1巻,69も参照

  23. “Services for Miss Nell Sumsion,” Utah Genealogical and Historical Magazine,  1938年1月号,10-11

  24. “What Is Spiritual Death?” Improvement Era,  1918年1月号,191-192。Doctrines of Salvation, 第2巻,216-217も参照

  25. Answers to Gospel Questions, ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア編,全5巻(1957-1966年)第5巻,103

  26. “The Law of Chastity,” Improvement Era,  1931年9月号,643。Doctrines of Salvation, 第2巻,85-86も参照

  27. The Way to Perfection (1931年)21-22

  28. Sealing Power and Salvation, Brigham Young University Speeches of the Year(1971年1月12日)2

  29. 個人的な書簡,Doctrines of Salvation, 第2巻,287で引用;斜体は正体にした。

  30. Conference Report, 1942年4月,26。Doctrines of Salvation, 第2巻,175も参照

  31. The Way to Perfection,  23

  32. Conference Report, 1922年4月,61-62

  33. “Let the Spirit of Oneness Prevail,” Ensign,  1971年12月号,136