第19章
伝道活動-「あらゆる人の心に触れるために」
「あらゆる人の心に触れるためには一つの方法があります。そして,皆さんが仕えるよう召されている人々の心に近づき,触れる方法を見つけるのは,皆さんの仕事なのです。」
ロレンゾ・スノーの生涯から
ロレンゾ・スノーはオハイオ州カートランドでバプテスマを受けた。そして,そこで預言者ジョセフ・スミスやほかの教会指導者と席を並べてヘブライ語を学んだ。いつの日か合衆国東部の大学で「古典語の教育」を受けたいと考えていた。1しかし,この目標に向かって努力するにつれ,別の目的に心引かれるのを感じ始めた。後に彼は次のように述懐している。
「わたしは心を開いて〔福音の真理〕を受け入れた。そして,そこにとどまらないと決心していた……。このすばらしい知識を受け入れたにもかかわらずその
様々な思いに
この決心をした後,ロレンゾ・スノーは1837年にオハイオ州で伝道した。後に,ミズーリ州,イリノイ州,ケンタッキー州,オハイオ州,またイングランド,イタリア,ハワイ諸島,合衆国北西部,ワイオミング州で伝道している。イングランドにいたときにおばにあてて書いた手紙の中で,進んで家を離れて宣教師として奉仕した理由について次のように説明している。「故郷や,幼少のころから慣れ親しんだ人々から7,8千キロ離れた場所にいることを考えると,ごく自然になぜ自分はここにいるのか……という疑問がわいてきます。わたしがここにいるのは,神が語られ,預言者をお召しになり,預言者を通して満ちみちる永遠の福音を回復されたからです。回復には,あらゆる
スノー大管長は,宣教師として主に仕える決心をしたことを,常に感謝していた。1901年9月,87歳のとき彼はこう語った。「宣教師として働いた日々を思い出すと,今でも心に喜びがわき起こります。この特別な経験を通して得られた思いは,わたしという人間の大切でかけがえのない一部となりました。」4〔210ページの提案1参照〕
ロレンゾ・スノーの教え
わたしたちは完全な福音を受け入れるとき,人々も同じ祝福を受けて喜べるように助けたいと望む
人が知識を受けるとき,それをほかの人にも分かち合うように促されます。人が幸福になるとき,その人を取り巻く
ですから,わたしたちは次のことを動機とし,目標としなければなりません。すなわち,役立つ者となれるよう努力すること,
出て行って,周囲の人々と友達になってください。あるいは,一人の人を選んでその思いや信仰や考えを高め,状況を改善し,啓発しようとしてください。彼らが罪人であるなら,罪から救い出すよう努力し,彼らが束縛の状態から逃れ,あなたが享受している光と自由を味わえるようにしてください。そうすることにより,主があなたに分け与えてくださった知識を使って善を行うことができるのです。6〔210ページの提案2参照〕
宣教師は,人々が真理を知ることができるよう助けるために進んで犠牲を払う
聖徒たちが〔ユタの〕この盆地に落ち着くやいなや,主の
わたしたちは貧困のただ中にありながら,この土地を人の住める場所にしようと必死に働いていました。しかし,福音を外国に広めるという義務をないがしろにすることはできませんでした。主が福音を世界の果てまで
開拓者が〔ソルトレーク〕盆地に入植してからわずか2年後,1849年10月に開かれた教会の総大会において,多くの長老たちが世界各地で伝道部を開設するよう召されました。十二使徒の4人がその先頭を切るよう任命を受けました。使徒エラスタス・スノーはスカンジナビアに,使徒ジョン・テーラーはフランスに,わたしはイタリアに,そして使徒フランクリン・D・リチャーズはすでに伝道部が設立されていたイングランドに召されました。厳しい状況下にあり,家族も困窮を極める中,わたしたちは大変な業に着手したのです。しかし,主に召されたからには,わたしたちはどんな犠牲が伴おうともそれにこたえるべきだと感じていました。7
わたしたちは,自らの命を顧りみず献身します。世の人々が,永遠の世界に神が存在されることを知るように,また神が人の子らの生活に現在も関与しておられることを人々が理解するように助けるためです。世の中では,不貞が過ちではないという意見に傾いています。キリスト教徒の中にさえも,自ら公言して不評を被るまではしないまでも,神は人の子らと関係があるとは信じていない人が何千,何万といます。人の子らが信仰と知識に到達できるよう,わたしたちは立ち上がり,犠牲を払わなければなりません。8
若い宣教師たちを地の国々に赴くように召すとき,彼らはこのことについて考え,思い巡らします。世界各地で宣教師として働いた人々の経験を聞き,自分たちが経験するであろう試練や困難を予想すると,あまり心躍るような事柄でないのは確かです。しかし,進んで
伝道については,若い長老たちにとって喜ばしいとは思えないことも数々あります。彼らは家で楽しみとしていたことを犠牲にしなければならないことに気づき,彼らが語ることを常に喜んで受け入れるわけではない人々のもとに赴くことを理解します。しかし,一方では,自分たちは永遠の命の種を手にしており,もし正直な男性や女性を見つけることができたら,主の
宣教師は,自分たちが善と喜びのおとずれを携えた天の使者であることを決して忘れてはならない
わたしたちは福音を
わたしたちは,〔宣教師〕の皆さんが大いなる成功を収めるだろうと感じています。なぜなら,皆さんは神から召されたことを感じ,知っているからです。人の知恵では,このような業は決して考えつかなかったでしょう。この業の偉大さを考えるとき,わたしは驚嘆します。今このときにまさに必要な業であると言うことができますし,皆さんは魂のすべてをかけて,その業に従事するであろうことを確信しています。御父から与えられたことでなければ,自分からは何事もすることができないと語られたイエスの精神を皆さんも養い育ててください〔ヨハネ5:30参照〕。
困難や一見失敗と思えることを決して気にしてはなりません。自分の関心事を捨て去りなさい。そうすれば,皆さんは偉大で栄えある成功を手にするでしょう。そして教会全体が皆さんの働きの成果を感じるでしょう。
皆さんが働きかける人々の中に無関心な人がいても,多少の落胆を感じても,決して気に留めてはなりません。主の
皆さんは完全な権能を与えられています。しかし,これについて話す必要はまったくありません。その必要がないことが分かるでしょう。なぜなら,主の御霊がその確認を与えてくださり,人々は皆さんがそれを持っていることを感じるからです。人々がそれを感じ,確認を受けることが,皆さんの権能になるのです。
自分は皆さんよりも多くを知っていると考える人々にも会うでしょう。しかし,皆さんが言われたとおりに務めを果たすなら,彼らは皆さんが彼らのもとを去る前に,皆さんが自分よりも少し多くを知っていると感じ,皆さんから祝福され,助けられたと,感じるでしょう。
自分が遣わされた地の人々に好かれ,受け入れられるように努力してください。皆さんが見せる
あらゆる人の心に触れるためには一つの方法があります。そして,皆さんが仕えるよう召されている人々の心に近づき,触れる方法を見つけるのは,皆さんの仕事なのです。 ……
わたしは心の中で,神が皆さんを祝福してくださるようにと祈ります。皆さんは出発する前に聖任されます。そしてわたしたちは皆さんのために祈り,深い関心を寄せ続けます。柔和な心を持ち,謙遜であってください。人々を見るとき,二つの思いが皆さんの中にわき起こり,行動を促すでしょう。一つは,上手に語り,語り手として聞く人々に良い印象を残したいという思い,そして二つめは,「なぜ自分はここにいるのか」という疑問です。聞く人々の心の中に永遠の命の種を植えるには,心の中で次のような祈りをささげなければなりません。「おお,主よ。
皆さんの霊の武具を磨くことに心を向けてください。わたしは,この世のことをすべてわきに置くとき,霊の事柄にひたすら目を向けることができることに気づきました。兄弟の皆さん,祈ってください。そして断食することをいとわないでください。……冗談が過ぎることのないようにし,御霊を悲しませないように注意してください。わたしは伝道に出て1,2週間で家を忘れることができました。すると神の御霊が支えてくださいました。御霊は自由で愉快な気持ちにさせてくれるものですが,浮かれすぎないようにしてください。……頭のてっぺんから足の先まで神の御霊を受けられるように,常に祈り続けてください。13
ぶどう園で働く長老たちは,自分たちが天から遣わされた使者であり,主を知らない人々に善と喜びのおとずれを携えて行く者であるということを決して忘れてはなりません。 ……
預言者ジョセフ・スミスが初めて宣教師を外国に送り出したとき,彼らがどのように人々に受け入れられるかを予見していました。彼らを神の
わたしは,業に働く長老の中から,……己を忘れ,世の誘惑の
人々が完全な福音を受け入れられるように助けるとき,わたしたちの心は喜ぶ
この業を成し遂げるために,わたしたちの側に必要なのは,忍耐と信仰,勤勉,粘り強さ,長く堪え忍ぶことを大いに実践し経験することが必要だと考えます。しかし,やがては何千という人々が福音を受け入れる町であっても,成果の伴わない働きが何か月も続いた後で初めて,人々が関心を示し,福音の原則に従い始めることがあります。……中には,数か月どころか,おそらく数年かかる地域もあるでしょう。しかし,わたしたちは確かに,信仰,祈り,働き,そして主の祝福によって,最終的にはこれらすべての困難を乗り越えて勝利を得,神の栄光をほめたたえることができると感じています。それに加え,わたしたち自身も,自分の務めを果たし,自分の衣がすべての人の血から清められたことを喜ぶことができるでしょう。15
イタリアに向かう前,わたしは〔イングランドの〕マンチェスター,マクレスフィールド,バーミンガム,チェルトナム,ロンドン,サウサンプトン,サウスカンファレンスを訪れたことがありました。……〔その8年前〕わたしが教会に導く助けをした多くの人々と再会する喜びにあずかりました。彼らとの再会がどれほど大きな喜びであり,それを思う度にどれほど心が喜びで満たされたかは言うまでもないでしょう。使徒ヨハネはかつてこのように語っています。「わたしたちは,兄弟を愛しているので,死からいのちへ移ってきたことを,知っている。」〔1ヨハネ3:14〕この教会の長老宣教師たちが,ほとんど見も知らぬ世の人々に対して抱いている愛と,人々が,自分たちのもとに福音のメッセージを携えて来た長老たちに対して抱いている愛は,それ自体が正直な人々を説得するに足りる
わたしは人生をかけて主に仕えてきました。わたしのすべてを祭壇にささげ,主を敬い,喜んで主の
研究とレッスンのための提案
本章を研究する際,またはレッスンの準備をする際に,以下の項目について深く考える。そのほかの提案については,ⅴ-ⅶを参照する。
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203-204ページを読み,「なぜわたしはここにいるのか」という問いかけに対するロレンゾ・スノーの答えについて考えてください。福音を分かち合う場面で,すべての教会員がこの質問を自分自身に問いかけるなら,どのような影響があるでしょうか。
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204ページから始まる項に書かれた,スノー大管長の勧告について深く思いめぐらしてください。だれかがほんとうに幸福になれるように助けなさいと言うこの勧告に,どのように従うことができるか考えてください。
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スノー大管長は福音を分かち合うために自分やほかの人々が払った犠牲について伝えています(205-206ページ)。あなたは,福音を分かち合うために犠牲を払った人々の,どのような模範を見たことがありますか。人々はなぜこのような犠牲を喜んで払おうとするのでしょうか。
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206-207ページに書かれている約束の言葉は,専任宣教師にとってどのような助けになるでしょうか。わたしたち一人一人が福音を分かち合ううえでどのように役立つでしょうか。伝道に出ることをためらっている人を助けるために,ここに書かれている教えをどのように用いることができますか。
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206-209ページに書かれているスノー大管長の勧告を読み,全教会員の生活にどのように当てはまるかを考えてください。例えば,「自分の関心事を捨て去る」とはどのような意味でしょうか。「あらゆる人の心に触れる」ために,どのような方法が思いつきますか。
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本章の最後の段落を読んでください。この中でスノー大管長は伝道活動によって得られる,永続する喜びについて語っています。これまでどのようなときに伝道の喜びを経験してきましたか。この喜びを十分に味わうまで,ときには忍耐が必要なのはなぜですか。