第3章
時満ちる神権時代
末日聖徒には,最後の神権時代に神の王国を築き上げるという神聖な義務があります。
ウィルフォード・ウッドラフの生涯から
世界の歴史を通じて,主は様々な時代に福音の神権時代を確立してこられた。各神権時代において,主は一人あるいはそれ以上の
1834年の春,ウィルフォード・ウッドラフは,オハイオ州カートランドで開かれた神権会に出席した。その席でウッドラフは,この神権時代における教会の行く末について理解し始めた。後に次のように語っている。
「預言者は神権を持つすべての者を,当時教会がその地に所有していた丸太造りの小さな塾に呼び集めました。それは小さな家で,恐らく14フィート〔約4メートル〕四方だったでしょう。それでもその建物には,当時カートランドの町にいた末日聖徒イエス・キリスト教会の神権者が全員集まっていました。……わたしがオリバー・カウドリを見,話すのを聞いたのはそれが初めてでした。ブリガム・ヤングとヒーバー・C・キンボール,二人のプラット〔オーソンとパーリー〕,オーソン・ハイドやそのほか多くの人にも初めて会いました。当時,教会にはジョセフ・スミスとオリバー・カウドリのほかに使徒はいませんでした。わたしたちが集まると,預言者はイスラエルの長老たちに,この業について
ウィルフォード・ウッドラフは生涯を神の王国の建設にささげ,その後もジョセフ・スミスから教えを受けた。ジョセフが死んだ後でさえ,ジョセフから教えを受けたのである。示現を受けてジョセフ・スミスと話をしたウィルフォード・ウッドラフは,その経験を次のように語っている。「ジョセフは天の神殿の扉のそばにいました。ジョセフはわたしのところにやって来て,声をかけてくれましたが,とても急いでいて,ゆっくり話すことができないと言いました。次に会った人は,父スミス〔ジョセフ・スミス・シニア〕でした。彼も急いでいて,話ができませんでした。わたしは地上で高い地位にあった兄弟たち6人に会いましたが,ゆっくり話せた人は一人もいませんでした。皆,急いでいたのです。大変驚きました。やがてわたしは再び預言者ジョセフと会い,次の質問をする特権を得ました。
わたしはこう言いました。『ところで,急いでいる訳を教えてください。わたしも一生を通じてずっと忙しかったのですが,天の王国に入れたなら,その先は急ぐ必要はないだろうと思っていました。』
ジョセフは言いました。『お教えしましょう,ウッドラフ兄弟。かつて地上で神権を持ち,すでに日の栄えの王国に行っているすべての神権時代には,一定の務めがあります。救い主はやがて地上を統治するために降臨されますが,そのとき地上にともに行けるように,わたしたちも備えているのです。これまでのすべての神権時代には定められた務めを遂行する時間が十分ありました。しかし,わたしたちにはありません。わたしたちは最後の神権時代に属しており,果たすべき務めが山積しています。それを成し遂げるために急ぐ必要があるのです。』」2
ウィルフォード・ウッドラフの教え
世界が創造される前から,主と預言者は,この神権時代を待ち望んでいた
父祖アダムの時代からイエスの時代に至るまで,霊感を受けた人は皆,大いなる最後の「時満ちる神権時代」を多少なりとも理解していました。つまり,人の子が来臨し,義にかなった統治を始められるのに先立って,主が地と民を備えられる時代が来ることを知っていたのです。3
この……教会が創設以来ずっと進めている業は,天の御父の偉大な計画,創世の前に御父によって定められた計画の実行にほかならないのです。実際,神の預言者や霊感を受けた人はすべて,最大の関心をもってこの神権時代を見てきました。……
イザヤは示現を通してこの時代を見,この時代に対する思いを非常に力強く述べています。イザヤは次のように言いました。「天よ,歌え,地よ,喜べ。もろもろの山よ,声を放って歌え。主はその民を慰め,その苦しむ者をあわれまれるからだ。」しかしシオンは言います。「主はわたしを捨て,主はわたしを忘れられた。」そこで主は言われます。「女がその乳のみ子を忘れて,その腹の子を,あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても,わたしは,あなたを忘れることはない。わたしは,たなごころにあなた〔シオン〕を彫り刻んだ。あなたの石がきは常にわが前にある。」〔イザヤ49:13-16参照〕
神のシオンは,創世の前から常に主の前にあるのです。4
主はこの世界を成り行き任せに創造されたわけではありません。主はいかなる業も無計画に行われたことはありません。地はある目的のために創造されました。その目的の一つは,この末日において,主が統治される王国を
何が起ころうともこの教会の行く末は変わらない
この教会は発展を続けてきました。この教会は全地の
わたしたちはこう信じています。つまりこの教会は,キリストが王として降臨し統治を始められる日が来るのに先立って,道を備えているのだと。やがてこの教会は,すべてのクリスチャンが祈り求めている神の王国に発展するでしょう。そして,神の
この教会を破ることのできる力は地の面に一切存在しません。なぜでしょう。この教会が神の手の中にあるからです。この教会の創設者である神は,無数の預言者の口を通して,教会が存続していくことを約束しておられます。8
ジョセフとハイラムの命を奪った人々は「モルモニズム」を奪い去ることはできませんでした。神を信じる信仰を奪い去ることも,希望と慈愛を取り去ることも,神の宮の儀式を消し去ることも,聖なる神権の力を消滅させることもできませんでした。天の神がそのように定めておられたからです。9
神の王国は前進します。後退することはありません。10
末日聖徒であるかないかを問わず,この教会,この王国が後退するのを見たことのある人がいるでしょうか。……たとえわたしたちの状況がどのようなものであろうと,この王国は現在に至るまで常に前進し,向上してきました。この先いつか後退することがあるのでしょうか。いいえ,ありません。主のシオンは,あらゆる美と力と栄光のうちに全能の神の手に彫り刻まれ,絶えず主の前にあります。それは主が定められたことであり,だれも変えることはできないのです。11
あらゆる
末日聖徒にとって楽であった時期はなく,戦いと妨害は初めから今に至るまであります。しかし末日聖徒も世の人も「モルモニズム」について心を悩ます必要はありません。なぜならモルモニズムは主イエス・キリストが天の雲に乗って来られるまで決して途絶えることがないからです。13
金や銀は廃れ,家や土地は滅びるでしょう。物はすべて消滅しますが,神権,救い,神の王国は決して過ぎ去ることはなく,預言が成就せずに終わることは決してないでしょう。14
わたしたちはこの神権時代に神の王国を築き上げるため,霊界に取っておかれた
わたしたちは末日に肉体を持って立ち,神の王国を受け入れ,築き上げるように,幾千年もの間,霊界に取っておかれました。そのことを理解するとき,末日聖徒は何を思うでしょうか。わたしたちには戦うべき大いなる戦いがあるのです。暁の子ルシフェルとそのすべての衆群は,わたしたちと戦うために結束しています。末日聖徒は地に住む人の中のほんの一握りでしかありません。世のいずれの時代にも,悪を拒み主に仕えるほどの自立心を持つ男女の数は微々たるものでした。しかし末日聖徒は主の民として数えられるにふさわしいと見なされています。ですから,末日聖徒は今こそ立ち上がらなければなりません。今こそ目を覚まし,神の力と聖なる神権を身にまとい,神権を尊んで大いなるものとし,神権の祝福を得る時なのです。15
過去にこのような民は皆無でした。神が世界を造られて以来,このような業は存在しませんでした。確かに福音を説いた人はいました。しかし時が満ちて,今主が御自分の王国を確立する業に着手しておられるのです。今は最後の神権時代です。主は今御自分の業を行うために男性や女性をお立てになっています。度々話してきたことですが,末日聖徒の多くは,この世界が組織されてから,今この時代に至るまで,霊界に取っておかれたのです。16
聖書,モルモン書,および教義と聖約にある神の啓示が現在成就しつつあります。わたしたちが成就しているのです。ここにいる間に,神に忠実でありましょう。神とはすなわち偉大なるエロヒムであり,ユダヤ人の神でも異邦人の神でもあられます。神はほかのだれでもなく,わたしたちに期待を寄せておられます。末日聖徒に期待を寄せておられるのです。なぜでしょう。この完全な永遠の福音を受けている人は末日聖徒以外にいないからです。この王国を築き上げる業に着手している人はわたしたちのほかにいません。この件に関して,わたしは次のような信仰と確信を抱いています。すなわち,昔の使徒と同様に,末日聖徒は,肉体を得てやって来て,王国に関する責任を負うようにと,世界が存在する前に定められていたのです。ですから,聖徒たちはその責任を果たさなければならず,そうしなければ罰の定めを受ける,とわたしは信じています。これが
末日聖徒には携わるべき大いなる業がある
ジョセフ・スミスは……預言の成就として現れて,求められた事柄を成し遂げ,業の基を据え,神権の
心の目を開いて未来を見ることができるなら,そして,王国の将来を見,王国が成し遂げるべきことを見,さらに,わたしたちのなすべきことを見,避けられない戦いを見ることができるなら,目の前にある大いなる業がはっきり理解できるでしょう。19
わたしたちの特別な召しは,シオンを築き上げることです。そして,聖なる場所に立つよう民を備えることです。一方で,主の裁きは悪人のうえに注がれようとしています。20
神が末日聖徒に十分理解してほしいと望んでおられることがあります。それは,末日聖徒は神が人に与えられた大いなる最後の神権時代の中心に立っているということ,また,末日聖徒は最後の神権時代における働き人として,与えられている責任をよく理解しなければならないということです。そして,あらゆる
また神は末日聖徒に
……わたしたちは一つにならなければなりません。互いの幸福を求めなければなりません。世に対してだけでなく,息子や娘たちにキリストの福音の原則を教えなければなりません。主が啓示の中で語られた来るべき出来事に備えなければなりません。主はすでに御自分の業を始めておられます。イザヤが語った驚くべき業と不思議を,地に住む人々の中で始めておられるのです〔イザヤ29:14参照〕。御自分の目的が成し遂げられるまで,主は決してその手を引かれることはありません。21
わたしたちの前には大いなる業があります。この業を行うにはあらゆる努力と,才能と能力が求められます。神の
周囲に目をやって世の状況を見てください。また同時に,わたしたちのなすべき事柄についても考えてください。神の王国の行く末に関する預言を満たし,イエス・キリストの啓示を成就するために,王国はどのようなレベルに達していなければならないでしょうか。それが理解できたとき,王国を築き上げ,前進させることが,わたしたちの最も大切な目標となるはずです。……
……わたしたちは王国を築き上げることを望むべきです。自分の祝福を確保するだけでなく,シオンの山における人々の救い手となることを望むべきです。可能なかぎりあらゆる善を行うように努め,シオンの大義を推し進め,シオンに益をもたらすことであれば,どのようなことであっても,召しに応じて働かなければなりません。
この道に沿って歩み続ける人は,栄え,心に絶えず平安を保てるでしょう。主が言っておられるように,神の王国の義と祝福を求める人は,何一つ欠けることなくすべてを得るのです。……
……非常に多くの事柄が目前に迫っています。地の上に起こるべき変化が非常に多くあります。同時に,神の王国も発展を続けています。
恐れる必要はまったくありません。末日聖徒は,神と交わした聖約に忠実でありさえすればよいのです。シオンを築き上げるために従わなければならないと主が語られた諸原則に,完全に従いさえすればよいのです。
しかし,聖約を忘れ,主の教えから離れたり,教えをないがしろにしたりするなら,末日聖徒よ,肝に銘じておきなさい,わたしたちの立場は非常に危うくなるのです。神の目的がくじかれることはありません。しかし,そのような態度は懲らしめを受けます。そのような生き方を続ける人は,シオンに約束された祝福を何一つ受けず,すべてが奪い去られるでしょう。24
主は末日聖徒とともにおられますが,末日聖徒は与えられた特権を常に尊んでいるわけではありません。末日聖徒は一つの業を行うように求められています。主はこの業をわたしたちの手にゆだねられました。わたしたちは,与えられた才能,光,真理を用いてこの業を推し進めるという責任を,天と地の前に負っているのです。25
研究とレッスンのための提案
この章を研究する際,またはレッスンの準備をする際に,以下の項目について深く考える。さらに助けが必要な場合は,ⅴ-ⅸページを参照する。
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25-26ページを読んでください。ジョセフ・スミスの預言がどのように成就しつつあるか説明してください。ウッドラフ大管長の示現からどのようなことが学べるでしょうか。
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預言者たちがこの神権時代を心待ちにしてきたのはなぜでしょうか。末日聖徒にとって,自分が今,最後の神権時代の「ただ中に生きている」ことを理解するのはなぜ大切なのでしょうか(26-27ページ参照)。
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「わたしは『全地の面における唯一まことの教会』に所属しています」と
証 するとき,それは何を意味しているでしょうか(27ページ。教義と聖約1:30も参照)。その真理を謙虚に人に伝えるにはどうすればよいでしょうか。 -
教会の行く末に関するウッドラフ大管長の教えを研究して印象に残ったことは何ですか(27-29ページ参照)。
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28-29ページに目を通し,滅びるものと永遠に続くものを見つけてください。滅びるものと永続するものにはどのような違いがあるでしょうか。
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ウッドラフ大管長の教えの中から,わたしたちはこの神権時代に生を受けるために「霊界に取っておかれた」という部分を読んでください(29-30ページ)。この宣言について深く考えると,どのような気持ちがしますか。
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32ページの写真を見てください。この写真は神の王国を築き上げることとどのような関係があるでしょうか。ウッドラフ大管長によれば,神の王国を築き上げるに当たって,わたしたちにはどのような義務があるでしょうか(30-33ページ参照)。
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33ページの最後の段落を読んでください。わたしたちはこの神権時代にあってどのような特権を得ているでしょうか。「特権を尊ぶ」とはどういう意味だと思いますか。