2 アブラハムが行いの律法によって義とされたのであれば,彼は自分自身を誇って当然である。しかし,神のゆえではない。
3 聖文は何と言っているだろうか。「アブラハムは神を信じた。それによって,彼は義と認められた」とある。
4 行いの律法によって義とされる者に対する報酬は,恵みではなく,当然支払うべきものとみなされる。
5 しかし,行いの律法によって義とされることを求めないけれども,神を敬う者を義とされる御方を信じる者については,その信仰は義と認められる。
16 このようなわけで,あなたがたは信仰と行いにより,恵みを通して義とされるのである。こうして約束がすべての子孫に,すなわち,律法に立つ者だけでなく,わたしたちすべての者の父であるアブラハムの信仰に従う者にも保証されるのである。