炎のように分かれた舌
「言語にかかわりなく、神の、すなわち聖霊は教会員一人一をを導くことがおできになります。」
皆さんは、お話をする召しをうけたわたしたちが、建物のすばらしさをしばし忘れてこの建物が建てられた本来の目的に集中することが可能だと思われるでしょうか。
それには、たとえと詩の紹介から始めるのが得策かもしれません。まず、あるたとえを紹介します。珍し、い宝石を探し求めていた商人がついにすばらしい真珠を見つけた。最高の職人に極上の宝石箱を作らせ、青のビロードで内張りをした。商人は自分の宝を人々に見せようと、その高価な真珠を展示した。彼はやって来た人々の様子を見ていたが、やがて悲しみに暮れてしまった。人々が称賛したのは真珠ではなく、宝石箱だったのである。
次に、ある詩を紹介します。
よく見なさい、そしで気づくのだ。
(どのような)計画であれ
それが人を高めるものでなければ
何の価値もないことに。
地球を創造された方について考えるに当たり、この地の裏側、ヨルダンの川岸にいた2,000年前のバプテスマのヨハネから始めましょう。ヨハネはこう説きました。「わたしは悔改くいあらためのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、……聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。」2
「そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。」3
「イエスは……水から上がられた。……天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。
また天から声があって言った、『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。』」4
それからイエスは荒れ野へ行かれ、ルシフェルがイエスを試しました。5 イエスは聖文を使って誘惑を退けられました。「「人はパンだけで生きるものでは〔ない〕」と書いてある。」6
「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある。」7
「「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある。」8
よく考えてみてください。滅びの子と対峙たいじされた際、主は聖文によって身を守られたのです。
イエスは弟子の中から12人を選び使徒に聖任されました。ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ、シモン、ユダ、ヤコブ、ユダです。彼らはパリサイ人から見れば「無学な、ただの人たち」でした。9
使徒たちは主に従い、教えを受けました。
主は使徒たちに対し、すべての国民に教え、信じる者すべてにバプテスマを施すよう命じられました。10
また彼らのもとを去る前に、こう約束されました。「助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、「あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。」11
十字架にかけられた主は、3日後に墓からよみがえられました。そして、使徒たちにさらなる指導を与え、昇天の前にこう言われました。「見よ、わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさい。」12
間もなくその力が授けられました。五旬節の日、使徒たちはある家に集まっていました。
「突然、激しい風が吹いてきたような音が……起っ〔た。〕… …
また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ〔た。〕」13
これによって、使徒たちは完全な力を授けられたのです。
その日彼らは、その場にいた人々それぞれの国の18に及ぶ言語で語り、皆を驚嘆させました。14
使徒たちは自分たちの言葉を信じる人にバステスマを施し始めましたが、悔い改めのバプテスマだけでは不十分でした。15
すでにバブテスマのヨハネからバプテスマを受けていた12人をパウロは発見し、こう尋ねました「あなたがたは、……聖霊を受けたのか。」彼らは「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えました。16
「人々は……主イエスの名によるバプテスマを受け」17、「パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだ」られました。18時の初めからあるように、範例が定められました。19「罪の赦しのために水に沈めるバプテスマ」によってイエス・キリストの教会に入り20、その後別の儀式で「福音を宣のべ伝え、その儀式を執行する権能を持つ者」によって聖霊の賜物が授けられます。21
妨げに遭いましたが、十二使徒はイエス・キリストの教会を設立し、迫害の中にあって、教会は発展しました。
しかし、数世紀がたち、勢いは衰えていきました。儀式は変えられ、廃止されていきました。神権の系統は断ち切られ、聖霊の賜物を授ける権能も失われました。世界中に背教という暗黒の時代が到来したのです。
しかし、時の初めからそうであったように、神の御霊はふさわしい人を感化しました。22
わたしたちは聖文を保存し翻訳した宗教改革者たちから多大な恩恵を得ています。彼らは失われたものがあることに気づいていました。彼らはそのわずかな光を守ろうと全力で努めました。彼らの多くが殉教しました。しかし抗議活動も力が及ばす、失われたものを回復することもできませんでした。
やがて、数え切れないほどの教会ができました。
備えがすべて整ったとき、御父と御子が森で少年ジョセフに現れ、ヨルダン川で語られた次の言葉が再び人に語られました。「これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい。」23
ジョセフ・スミスは回復の役割を担うことになりました。
バプテスマのヨハネは「天使の働きの鍵と、悔い改めの福音の鍵と、罪の赦しのために水に沈めるバプテスマの鍵を持つ」「アロンの神権」を回復しました。24
ペテロ、ヤコブ、ヨハネは、より高度な神権とともに使徒の職を回復しました。それにより、神聖な聖霊の賜物を授ける権能がもたらされたのです。25
1830年4月6日、末日聖徒イエス・キリスト教会が組織されました。兄弟たちは教えバプテスマを施し始めました。その9か月後、啓示が下りました。
「あなたは悔い改めのために水によってバプテスマを施したが、人々は聖霊を受けなかった。
しかし今、わたしはあなたに一つの戒めを与える。あなたは水によってバプテスマを施さなければならない。そうすれば、昔の使徒たちが行ったように、按手によって人々は聖霊を受けるであろう。」26
1か月後、再度戒めが与えられました。「あなたが水でバプテスマを施すすべての者に、あなたは手を置かなければならない。そうすれば、彼らは聖霊の賜物を受け〔る〕であろう。」27
この賜物は、老若男女を問わず悔い改めバプテスマを受けるすべての人に与えられるものです。わたしたちは、非常にすさんだ時代に生きており、良き日を祈り求めていますが、
そうはなりません。預言されているからです。教会、家族、個人は将来の試練を免れることはありません。家族、仕事、落胆、悲しみ、健康、老齢化、死にかかわる試練を免れる人は一人もいません。
では、わたしたちはどうしたらよいのでしょうか。これは五旬節の日、使徒たちにされた質問です。ペテロはこう答えました。「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」28
「この約束は、……あなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである。」29
預言者ニーファイも同じことを尋ねられましたが、彼の答えもまたペテロと同じでした。「バプテスマを受けることによって、キリストの名を……受ける〔ならば〕火と聖霊によるバプテスマを受ける。」30
「あなたがたは、聖霊を受けたら天使の言葉で語ることができるとわたしが言ったことを覚えていないのか。… …
天使は聖霊の力で語る。したがって、天使はキリストの言葉を語る。さて、わたしは、キリストの言葉をよく味わうようにあなたがたに言った。見よ、キリストの言葉はあなたがたがなすべきことをすべて告げるからである。
さて、わたしがこれらのことを述べても、あなたがたが理解できないとすれば、それはあなたがたが求めもせず、また、門をたたきもしないためである。それゆえ、あなたがたは光の中に導かれず、闇の中で滅びてしまうに違いない。
見よ、わたしは、もう一度あなたがたに言っておく。あなたがたがその道によって入り、聖霊を受けるならば、聖霊は、あなたがたがなすべきことをすべてあなたがたに示されるであろう。」31
将来を恐れながら生きる必要はありません。喜びを感じる理由は十分あり、恐れる理由はわずかしかありません。将来がどうであれ、御霊の促しに従うならば安全です。なすべきことを示されるからです。
キリストは「父は別に助け主を送」られると約束してくださいました。
「それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。」32
わたしたちの中には、主が次のように語られた人々があまりにも多くいます。「打ち砕かれた心と悔いる霊をもってわたしのもとに〔来た者が〕改心したときに……火と聖霊によるバプテスマを受けた。しかし、彼らはそれを矩らなかった。」33
「彼らはそれを知らなかった」のです。賜物を得ながらよく分からずにいる人は珍しくありません。
このたぐいまれな賜物が、プログラム、活動、計画、多くの集会のために損なわれているのではないかと懸念しています。騒がしい世にあっても、御霊の促しへの注意をおろそかにするほど奔走し、多忙を極めるようであってはいけません。
御霊の声は静かで細く、聞くというより感じるものです。それは、心に浮かぶ思いと同じように、精神に感じる霊的な声なのです。
世界中の普通の男性、女性、子どもたちは皆、自分に賜物が与えられており、各々の持つ御霊によって、自分たちが家族を祝福し、教え、導き、支えていることにはっきりと気づいていません。
言語にかかわりなく、神の御霊、すなわち聖霊は教会員一人一人を導くことがおできになります。悔い改めてバプテスマを受け、この聖なる賜物を受けるようすべての人が招かれています。
妨げを受けながらも教会は繁栄し、迫害の中でも発展するでしょう。
ジョセフ・スミスは「あなたの宗教は、ほかの宗教とどう違うのですか」と尋ねられた際、こう答えています。「そのほかの重要な事柄はすべて聖霊の賜物の中に含まれていることです。」34
聖霊の賜物は祈りにより喚起され、人々が「福音の律法と儀式に従うことによって」さらに高められます。35
また、過ちと不注意によってその力は弱まります。
わたしたちはすぐに、誘惑を起こす敵対者も聖霊と同じ方法でわたしたちの精神と心に働きかけ、悪事、怠惰、争い事を起こさせることに気づきます。サタンはわたしたちの思いを左右し、悪事を働かせようとします。
しかし、皆、選択の自由を持っています。そして光は常に闇を支配するのです。
ハプテスマと聖霊を授ける神権の権能が二度と失われることのないように神権が体系づけられ、わたしたちを教え正してくれる指導者と教師がいつも身近に召されています。わたしたちは聖霊の促しと悪魔の誘惑を識別し、聖霊からもたらされる霊感に従うことができるようになるのです。
何とすばらしい時代でしょう。どのような試練があっても、「どうしたらよいのでしょうか」という質問に答えを得ることができます。自分も愛する人たちも、導きと守りと、慰めを受けるでしょう。
主は言われました。「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」36
わたしたちが今この場にいるのと同じほど明確に、わたしはイエスがキリストであられることを知っています。主は生きておられます。神聖な霊の力である聖霊の賜物はそれを受ける人にとって常に伴侶となります。聖霊がこの証を皆さんの心に伝えてくださるよう、イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン。