わたしは聖文に喜びを感じる
毎日の聖文研究が習慣となっていない人は,今から始めて,学び続けてください。
新婚のころ,料理上手な夫の母に特製ロールパンの作り方を教えてほしいと頼みました。義理の母は笑みを浮かべながら,最高のロールパンを作れるようになるのに25年もかかったのよと答え,こう付け足しました。「すぐに始めた方がいいわね。」その助言に従ったおかげで,これまでたくさんのおいしいロールパンを家族で味わってきました。
同じころ,昼食会に招かれました。モルモン書か教会歴史に関する短い本を読み終えたワード扶助協会の姉妹たちが招待されるのです。当時,真剣に聖文を読んでいなかったわたしは,簡単で時間のかからない短い歴史の本を読んで昼食会に出席することにしました。食事をしていたとき,心に強く感じるものがありました。歴史の本はすばらしい本でしたが,わたしはモルモン書を読むべきだったのです。聖霊が聖文を読む習慣を変えるように促してくださいました。わたしはその日からモルモン書を読み始め,以来一日も欠かしたことはありません。聖文を知り尽くしているわけではありませんが,聖文を読むことがほんとうに大好きです。また,生涯続く聖文研究の習慣を作れたことに感謝しています。一度読み通しただけで,あるいは特定の聖句をクラスで勉強するだけで,聖文に含まれている教訓を学ぶことは不可能です。
パン作りは家庭におけるすばらしい技術です。焼く度に甘い香りが家中に漂い,自分で作ったものを分かち合うことで家族に愛を示すことができます。聖文を研究すると主の御霊が家中にあふれます。そして聖文から得た大切な知識を家族に伝えることで,家族への愛はいっそう深まるのです。主はわたしたちに「聖文を研究すること……に時間を費や」すべきであると教えられました(教義と聖約26:1)。また「『モルモン書』と聖文が〔わたしたちを〕教えるために……与えられている」とおっしゃいました(教義と聖約33:16)。女性は皆,家庭において福音の教義の教師となることができます。そして教会の姉妹は,指導者や教師となるために福音の知識が必要です。毎日の聖文研究が習慣となっていない人は,今から始めて,この世と永遠における皆さんの責任に備えられるよう学び続けてください。
パン作りや聖文研究を始めたころ,うまくいかないこともありました。しかし,だんだん簡単になりました。どちらの場合も,正しい技術を学び,適切な手順を理解する必要があったからです。成功の秘訣ひけつは何度でもやり直すことでした。聖文研究を始める良い方法の一つは,自分に「当てはめて」みることです(1ニーファイ19:23参照)。中には,『聖句ガイド』からさらに知識を深める必要のある項目を選んで研究する人もいます。また,聖典の始めから読み,読みながらある特定の教えを探す人もいます。
例えば,わたしは若い女性の指導者に召されたとき,新たに聖典を買いました。そして聖文を読んで印を付けながら,召しに役立ちそうな聖句を探していったのです。時には研究している項目やテーマ別に色紙を挟み,すぐに探せるようにしました。わたしは,悔い改めと贖いに関する好きな聖句に付箋ふせん紙を付け,すぐに見つけられるようにしています。毎週聖餐のときに深く考えられるようにするためです。また,学んだことについてメモを取るようにしています。聖典に書き留めたり,別のノートに書いたりもします。
時々新しいモルモン書を買うことがあります。新しい聖典を読み始めるときは,学んだことを記録するために余白にメモを書き込んでいきます。また,学んだことを忘れないよう関連のある概念を線で結びます。聖句に色を塗り,重要な言葉には線を引きます。関連のある概念を幾つか見つけると,それらを連結させるために聖句のリストを書き込みます(「関連聖句の連結」『教師,その大いなる召し』57参照)。わたしにとって聖典は学習帳であるため,しばしば特別な理解を得た場所や教えてくれた人の名前を書き込みます。そうすることで,後でその聖句を読むときに,そのときの経験が鮮明によみがえってくるのです。
皆さんの多くは,外国語を勉強していることでしょう。そのような人は,別の言語でモルモン書を読むこともできます。外国語で聖文を読むと,言葉の意味を新たに学ぶことができます。疑問に対する答えを探すことから学び始める人もいます。彼らは自分が何者であり,人生をどう生きるべきか知りたがっているのです。あるとき友達が,聖文の中で主がわたしたちに問いかけておられる質問を探して,それについて考えてみたらどうかと勧めてくれました(ジョン・S・タナー“Responding to the Lord’s Questions”Ensign,2002年4月号,26参照)。以来,「あなたは何を望んでいるのか」(1ニーファイ11:2)や「あなたがたはキリストをどう思うか」(マタイ22:42)など,大事な質問をたくさん見つけました。わたしはそれらの質問をリストにして聖典の後に書いています。そして静かな時間を見つけると,よく質問を一つ選んで考えます。深く考えることによって心が開かれ,「聖書を悟」れるようになるのです(ルカ24:45)。聖典が近くにないときは,暗記している教えを復習します。信仰箇条やほかの聖句を暗唱することで,それらをいつでも記憶にとどめておくことができます。
どのような方法で聖文を学び始めようと,重要な知識の扉を開く鍵は学び続けることにあります。わたしは,聖文に記された豊かな真理の宝を発見することに飽きることがありません。それは,聖文が「可能なかぎりはっきりした言葉で」教えてくれるからです(2ニーファイ32:7)。聖文はキリストについて証し(ヨハネ5:39参照),わたしたちがなすべきことをすべて告げ(2ニーファイ32:3参照),「救すくいに至る知恵を……〔わたしたちに〕与え」てくれます(2テモテ3:15)。
わたしは,聖文研究とそのときにささげる祈りを通して知識を得ました。その知識は平安をもたらし,永遠に価値のある事柄に勢力を向けさせてくれます。毎日の聖文研究を始めたおかげで,天の御父とその御子イエス・キリストについて,そして御二方のようになるには何をしなければならないかを学びました。また,聖霊について知り,聖霊を伴侶とするにはどうしたらよいかも学びました。自分が神の娘であることも知りました。そして何にも増して,わたしは自分が何者であるかを知り,なぜこの地上に存在していて,人生をどう生きるべきかを学んだのです。
預言者ジョセフ・スミスは少年のころ,重くのしかかる難問を抱えていました。聖文を読み始めたジョセフは,聖書(ヤコブの手紙1:5参照)の中に解決法を見いだしました。ジョセフはこう語っています。「この聖句が,このとき,かつて人の心に力を与えたいかなる聖句にも勝って,わたしの心に力強く迫って来た……。」そして「再三再四」その聖句について思い巡らしたのです(ジョセフ・スミス-歴史1:12)。ジョセフは,読んだ聖句に従って行動したため,天の御父と御子イエス・キリストと聖霊について学び,自分が神の子であることを知りました。ジョセフは自分が何者であり,なぜこの地上にいるのか,そしてこの世の生涯で何をする必要があるのかを学んだのです。
聖文は,ニーファイが命に代えても手に入れようとした大切なものです。ニーファイは自分で「見聞きし,また知りたいと思」いました(1ニーファイ10:17)。そして「〔聖文〕を調べて,それが望まし〔く〕……大きな価値のあるもの」であると分かったのです(1ニーファイ5:21)。「主がほかの地で昔の人々の中で行われたこと」を学んだのも聖文からでした(1ニーファイ19:22)。ニーファイは聖文の研究を始めてから天の御父と御子イエス・キリストと聖霊について学び,自分が神の子であるということを知りました。自分が何者であり,何をすべきか知ったのです。
わたしは教会の若い女性を心から信頼しています。毎日の聖文研究を習慣づけることにより,皆さんは「聖文,まことに書き記されている聖なる預言者たちの預言を信じるように」なります(ヒラマン15:7)。皆さんこそ,母親や指導者として,次の世代が福音を理解し,証を持てるように備える人です。皆さんの子供は,皆さんが聖文から教えることを基として,地上に神の王国を建設し続ける信仰深い男女となるでしょう。
聖文を読むことをまだ習慣としていない人は,今日始めてはどうでしょうか。おいしいロールパンを作るために,実際は25年もかかりませんでした。必要だったのは始める勇気だったのです。家族は自家製のロールパンをとても喜んでくれました。でも,何年も前に始めた毎日の聖文研究は,さらに大きな喜びを与えてくれました。多くの時間を聖文研究に費やすときもあれば,幾つかの聖句について思い巡らすときもあります。食事や呼吸によって体が支えられているように,聖文はわたしの霊を養い,息を吹き込んでくれるのです。わたしは今,ニーファイの言葉を繰り返します。「わたしは聖文に喜びを感じ……聖文について心に深く考え〔る。〕……見よ,わたしは主に関することに喜びを感じる。わたしの心は,これまでに見聞きしたことを絶えず深く考えている。」(2ニーファイ4:15-16)イエス・キリストの御名によって,アーメン。