明るい夜明けだ
わたしたちは何と栄光に満ちた時代をの当たりにしてきたことでしょう。全能の神の業の中にあって新たな時代が到来したのです。
実にすばらしい歌声でした。リリエル・ドミシアーノ姉妹と聖歌隊の皆さん,ありがとうございました。何と雄々しい信仰の宣言でしょうか。「主は生けりと知る。」感動的なすばらしい音楽に心から感謝しています。
世界中の会員の皆さん,またそのほかにもいろいろとお世話になった皆さん,まず始めに皆さんがヒンクレー姉妹とわたしに示してくださった,あふれんばかりの親切に感謝させてください。皆さんはいつも優しく寛大な心で接してくださいます。皆さんの親切にいつも心を打たれます。もし世界中のすべての人が同じような扱いを受けたとしたら,この世界は見違えるほどすばらしいものとなるでしょう。慰め,癒いやすために手を差し伸べられた主の精神でお互いを思いやることができたらと思います。
さて,兄弟姉妹の皆さん,パッカー長老は先ほど孫に向かって話すように皆さんに話してくれました。わたしは長老が提示してくれたテーマの中から一つを選び,さらに掘り下げて話したいと思います。わたしも,もう老人になってしまいました。信じられないかもしれませんが,あのパッカー長老よりも年寄りなのです。方々を旅して回るようになって長い年月がたちます。遠い異国の地まで足を伸ばしたこともあります。様々な世界を見てきました。静かに瞑想していると,ほとんどの国でなぜこれほど多くの問題や苦しみがあるのだろうと不思議に思います。現代は危険に満ちています。パウロがテモテに語った言葉がよく引用されます。「しかし,このことは知っておかねばならない。終りの時には,苦難の時代が来る。」(2テモテ3:1)パウロはさらに続けて,この世に蔓延する数々の問題について語っています。思うに,この末日が文字どおり危険に満ちた時代であることはだれの目にも明らかであり,かつてパウロが語ったとおりの問題が生じています(2テモテ3:2-7参照)。
しかし,危険は人類家族にとって今に始まった問題ではありません。黙示録にはこう記されています。「天では戦いが起った。ミカエルとその御使いたちとが,龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが,勝てなかった。そして,もはや天には彼らのおる所がなくなった。
この巨大な龍,すなわち,悪魔とか,サタンとか呼ばれ,全世界を惑わす年を経たへびは,地に投げ落され,その使たちも,もろともに投げ落された。」(黙示12:7-9)
危機的な状況だったことでしょう。全能の神御自身が暁の子と対戦されたほどの戦いでした。わたしたちもこの戦いの場にいました。きっと壮絶で困難な戦いだったことでしょう。しかし,結果は大勝利に終わりました。
天上でのこのような重大な出来事に関して,主はつむじ風の中からヨブにこう語られました。「わたしが地の基を据えた時,どこにいたか。… …
かの時には明けの星は相共あいともに歌い,神の子たちはみな喜び呼ばわった。」(ヨブ38:4,7)
そのときわたしたちはなぜ喜んだのでしょうか。それは善が悪に打ち勝ち,人類家族がすべて主の側がわに立っていたからでしょう。わたしたちはサタンに背を向け,神の軍勢に加わりました。そして神の軍勢が勝利を得たのです。
しかし一度そのような決定を下したにもかかわらず,なぜこの地上に生を受けた後も繰り返し同じ決定をしなければならないのでしょうか。
天で大きな戦いが起こったときに下した決定をこの現世で台なしにしてしまう人があまりにも多いのはなぜなのか,わたしには理解できません。
しかし,天での戦いに端を発する善と悪の戦いがまだ終わっていないことは明らかです。この戦いは現在に至るまで繰り返しやむことなく行われてきているのです。
天の御父は神の子供たちのことを嘆いておられるに違いないと思います。なぜならその多くが,創世の時代から今日に至るまで,御父から授かった選択の自由を用いて善の道よりむしろ悪の道に歩んでいるからです。
悪は,カインがアベルを殺した昔からこの世界に姿を現しています。この悪はノアの時代まで増長し,「主は人の悪が地にはびこり,すべてその心に思いはかることが,いつも悪い事ばかりであるのを見られた。
主は地の上に人を造ったのを悔いて,心を痛め〔られた。〕」(創世6:5-6)主はノアに箱船を造るよう命じられ,「わずかに8名だけ」が救われました(1ペテロ3:20)。
こうして地球は清められました。洪水は収まりました。正義が再び確立しました。しかし,それから程なく人類家族は,そのあまりにも多くが,以前の不従順な状態に戻ってしまいました。人間の陥った堕落の代表的な例として,低地の町々,ソドムとゴモラの住民を挙げることができます。その結果,跡形もないように,「神が低地の町々を〔完全に〕こぼたれた」と記されています(創世19:29)。
イザヤは声を大にして語りました。「あなたがたの不義があなたがたと,あなたがたの神との間を隔てたのだ。またあなたがたの罪が主の顔をおおったために,お聞きにならないのだ。
あなたがたの手は血で汚れ,あなたがたの指は不義で汚れ,あなたがたのくちびるは偽りを語り,あなたがたの舌は悪をささや〔く。〕」(イザヤ59:2-3)
旧約聖書に登場するほかの預言者も同様のことを語りました。彼らのメッセージの主眼は,悪に対する非難でした。また,その当時の危険は旧世界に限ったことではありません。モルモン書の中には,西半球でヤレド人の軍隊が死ぬまで戦ったと記されています。またニーファイ人とレーマン人の間にも戦いが起こり,おびただしい数の人が死に,モロナイは独り命の安全を得られる場所を求めてさまよい歩かざるを得ませんでした(モロナイ1:3参照)。モロナイの偉大で最後の嘆願は,現代に住む人々にあてられたものであり,義にかなったことを行うようにとの呼びかけです。
「さらに,わたしはあなたがたに,キリストのもとに来て,あらゆる善い賜物を得るように,また悪い賜物や清くないものに触れないように勧めたい。」(モロナイ10:30)
主はこの地上を歩まれたときに,「よい働きをしながら……巡回されました」が(使徒10:38),それと同時に,律法学者やパリサイ人の偽善を非難し,彼らを「白く塗った墓」と呼ばれました(マタイ23:27参照)。神殿にいた両替商を激しく非難し「『わが家は祈いのりの家であるべきだ』と書いてあるのに,あなたはそれを盗賊の巣にしてしまった」と言われました(ルカ19:46)。現代と同様その当時もまた,大きな危険をはらんだ時代でした。パレスチナはローマ帝国の属国でしたが,このローマ帝国の統治形態は過酷かつ圧制的であり,悪に満ちていました。
パウロはその手紙の中で,キリストに従う者が力を得て,サタンの道にそれないようにと嘆願しています。しかし,最終的には背教の精神が教会内にはびこってしまいます。
無知と悪が世界を覆い,その結果,暗黒時代として知られる時代が到来します。イザヤは次のように預言しました。「暗きは地をおおい,やみはもろもろの民をおおう。」(イザヤ60:2)何世紀にもわたって,疫病が猛威を振るい,貧困が蔓延しました。14世紀には「黒死病」でおよそ5,000万の人々が命を落としました。これもまた恐ろしい,危険に満ちた時代でした。よく人類は生き残れたものだと思います。
しかし,その長い暗黒の時代を経て,やっとのことでろうそくに火がともされました。ルネサンス時代の到来とともに学問,芸術,そして科学の時代が花開くのです。さらには大胆で勇敢な男女による運動が起こりました。彼らは,天を仰ぎ見,神と神の御子を認めようとしました。それがいわゆる宗教改革です。
そしてさらに幾世代もの人々がこの地上に生を受けました。その多くは争い,憎悪,暗黒,そして悪の中で生涯を送りました。しかしついに,回復というあの偉大な更新の時代が訪れました。御父と御子が少年ジョセフに御姿を現され,栄光に満ちた福音の時代の幕が切って落とされたのです。こうして世界は,時満ちる神権時代の夜明けを迎えました。過去のすべての神権時代に存在したすべての善なるもの,美しいもの,神聖なものが,この最も注目すべき時代に回復されました。
しかし,そこには悪も存在しました。その悪が形を取って現れたのが迫害でした。憎しみも存在しました。人々は,冬のまっただ中に追放や強行軍を幾度も経験させられました。
それはチャールズ・ディケンズがその著『二都物語』の冒頭で語った状況に似ています。「それはおよそ善き時代でもあれば,およそ悪しき時代でもあった。……光明の時でもあれば,暗黒の時でもあった。希望の春でもあれば,絶望の冬でもあった。」(中野好夫訳『二都物語』上巻,7,新潮社,読み仮名付加)
これらの時代に大きな悪が存在したものの,それから現在に至るまで,わたしたちは何と栄光に満ちた時代を目の当たりにしてきたことでしょう。全能の神の業の中にあって新たな時代が到来したのです。この業は発展し,力を増し,全世界に広がっています。今や何百万という人々の生活に良い影響を及ぼしています。そして,これはまだ始まりにすぎないのです。
この偉大な時代の幕開けは,結果として途方もなく大量のこの世的な知識をも世界にもたらしました。
寿命が伸びたことについて考えてください。現代医学のすばらしい進歩について考えてください。驚くべきことです。知識が増し加えられ,交通手段や伝達手段が奇跡的な進歩を遂げたことについて考えてください。天の神が霊感を与え,光と知識を注がれるかぎり,人の能力には限界がないように思われます。
世界にはまだ実に多くの争いがあります。恐ろしい貧困や病気,憎しみも絶えません。人に対する非人道的な扱い方もとどまることを知りません。しかしそれでもなおこの栄光に満ちた夜明けが存在します。「その翼には,いやす力を備えている」「義の太陽」が昇るのです(マラキ4:2)。神とその愛する御子が御姿を現されました。わたしたちは御二方を知っており,「霊とまこととをもって」礼拝します(ヨハネ4:24)。わたしたちは御二方を愛しています。敬いあがめ,その御心を行いたいと願っています。
永遠に続く神権の鍵が過去の牢獄の扉を開けました。
夜明けだ,朝明けだ
シオンの旗掲かかげよ
明るい夜明けだ
厳おごそかにあまねく,朝日は昇のぼり行ゆく
(「夜明けだ,朝明けだ」『賛美歌』1番)
今は危険に満ちた時代でしょうか。そうです。確かにこの時代は危険に満ちています。しかし人類は地球が創造される前から危険と隣り合わせで生きてきました。ともかくもあらゆる暗闇をくぐり抜け,かすかであっても美しい光のあるところまで到達しました。そして今輝きを増したこの光は全世界を照らしているのです。この光は神の幸福の計画を神の子供たちにもたらします。偉大で計り知れないほどすばらしい,贖い主の贖いの力をもたらしてくれます。
わたしたちは天におられる神にどれほど深い感謝の念を抱いていることでしょう。義にかなった生活を送るだけで,永遠の行く末に影響を及ぼすあらゆる危険を乗り越えさせ,救いの機会と神の王国における昇栄の祝福を神の子供たちに与えてくださる慈愛に満ちた心遣いに,どれほど深い感謝の念を抱いていることでしょうか。
兄弟姉妹の皆さん,この事実があるからこそ,わたしたち一人一人に,身もすくむほどの大きな責任が課せられているのです。ウィルフォード・ウッドラフ大管長は1894年に次のように語っています。
「全能の神がこの民とともにおられます。自らの務めを果たし,神の戒めを守るならば,必要な啓示はすべて必ず与えられるのです。……わたしは……命のあるかぎり,自らの務めを果たしたいと思います。すべての末日聖徒にも自らの務めを果たしてほしいと思います。わたしたちには聖なる神権が与えられています。……神権者には偉大ですばらしい責任が課せられています。神とすべての聖なる預言者の目がわたしたちに注がれています。わたしたちは世界の創造以来,常に語られてきた大いなる神権時代に生きています。わたしたちは……神の力と戒めによって……集合しています。神の業を行っています。……さあ,召しを果たそうではありませんか。」(ジェームズ・R・クラーク編,Messages of the FirstPresidency of The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints 6巻〔1965-1975年〕,第3巻,258で引用)
兄弟姉妹の皆さん,わたしたちには偉大で厳しいチャレンジが与えられています。これこそ常に行わなければならない選択です。幾世代にもわたる先駆者も同様の選択を行わなければなりませんでした。
主の方かたには 誰たれが立つや
恐れず聞かん 時は至る
特に強き われらの敵
目め覚ざめてあり いざ戦え
(「主の方には」『賛美歌』165番)
わたしたちはほんとうに理解しているでしょうか。与えられているものが持つ途方もなく大きな意味を理解しているでしょうか。それはまさしく幾世代も続いてきた人間の総括であり,ありとあらゆる人間の経験を締めくくる最終章なのです。
しかしだからといって,わたしたちがほかの人々よりも優れているというわけではありません。むしろ,謙遜にならなければなりません。「自分を愛するように,あなたの隣り人を愛せよ」と教えられた救い主の精神で(マタイ19:19),あらゆる人に思いやりをもって手を差し伸べるという弁明の余地のない責任が与えられているのです。独善を捨て,つまらない自己中心主義を克服しなければなりません。
主の業を推し進めるうえで必要とされるすべてのことを実行し,地上に神の王国を建設しなければなりません。啓示によって与えられた教義に関していかなる妥協も許してはなりません。しかし,時の初めから人とともに存在した,偽りの教義や論争,憎悪,危険に対抗しながらも,ほかの人々の信仰に敬意を払い,徳を称賛し,手を取り合って,ともに生き,働くことはできるはずです。
自分たちの教義を微塵みじんも曲げることなく,善き隣人として,援助の手を差し伸べ,親切で寛大な民となることができます。
この世代に生きるわたしたちは,すでに過ぎ去った全人類の最後の収穫です。ただ単にこの教会の会員として名を連ねるだけでは不十分です。厳粛な義務が課せられています。この義務を正面から受け入れ,取り組もうではありませんか。
すべての人を慈しみ,キリストに真に従う者として生活し,悪に対して善で報い,模範によって主の道を教え,主が指し示された広範囲にわたる奉仕の業を達成しなければなりません。
過去のすべての危険な時代を経てもたらされた,光と理解,そして永遠の真理という栄光に満ちた賜物にふさわしい生活を送ることができますように。これまで地上に生きたすべての人の中で,どういうわけか,わたしたちはこの特異な驚嘆すべき時代に生を受けました。常に感謝しましょう。そして何より,忠実であってください。これらのことをへりくだって祈るとともに,この業が真実であることを証します。イエス・キリストの御名によって,アーメン