あなたが改心したときには
福音を思いに記して理解を得,心に記して進んでを行えるように,キリストのによって神に嘆願してください。
この話は特に若い人々に向けたものですが,すべての人に役立てば幸いです。
何年も前,ステーク会長をしていたときに,ある男性が教会の教えに背いたことを告白しに来ました。わたしは驚きました。彼が長年活発な教会員だったからです。彼ほど経験のある人が,どうしてこのような罪を犯したのだろうと感じました。少し考えてから,彼は真の改心をしていなかったのではないかと思いました。教会には活発でも,福音が心にしみ込んでいなかったのです。彼にとって福音は表面的なものだったのでしょう。健全な場所では戒めを守れても,別の場所ではほかの力に行動を支配されていたのかもしれません。
どうすれば改心できるのでしょうか。イエス・キリストの福音を,単なる影響力ではなく自分をコントロールする影響力,つまり自分の人格の本質的な部分とするには,どうすればよいのでしょうか。古代の預言者エレミヤは,神の律法,福音を心に書き記すことについて語りました。エレミヤは末の日の民にかかわる主の御言葉を引用しています。「わたしは,わたしの律法を彼らのうちに置き,その心にしるす。わたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となる……。」1
皆さんはこのような改心がしたいですか。もしも本気でそう願うのであれば,その方法を教えましょう。心を開かなければ,福音を心に記すことはできません。聖餐会やクラス,教会の活動に参加しても,わたしが今日教えることを行ったとしても,心から願わなければ,さほど変化はないでしょう。しかし子供のように心を開き,2 熱心に行うというのであれば,改心する方法をお教えしましょう。
第1ステップとして,今日の世の中にはびこっている高慢を完全に捨てなければなりません。高慢とは人の生活を治めておられる神の権威を拒絶する態度です。主はジョセフ・スミスに高慢について説明されました。「彼らは主の義を打ち立てるために主を求めようとせずに,すべての人が自分の道を,自分の神の像を求めて歩む。」3 現代風に言い換えるとこうなります。「好きなようにやれよ。」「善悪は気分次第で決まるのさ。」このような態度は神への反抗であり,前世におけるルシフェルとまさに同じです。ルシフェルは,真理を宣言し律法を確立される神の権利を拒絶しました。4 サタンは過去も現在も,善悪を勝手気ままに宣言する力を望んでいます。愛する創造主は,御自身の権威を強引に認めさせようとはなさいませんが,進んでその権威に従うことが改心の第1ステップです.
さらに,福音が「心にしる〔される〕」ためには,福音が何かを知り,深く理解する必要があります。それは福音を学ぶということです。5「学ぶ」とは,読むこと以上の行為です。メッセージの全体像をつかむために,時々,聖典1冊を目標期間内に読むのは良いことです。しかし改心したければ,時間内に読む量よりも,聖文にどれだけ時間を割くかに心を向ける必要があります。時には,数節読み,深く考え,同じ節を注意深く読み返し,意味を考え,理解を求めて祈り,心に問いかけ,霊的な考えが浮かんでくるまで待ち,覚えたりさらに学んだりするために感じたことや理解したことを書き留める,そのような読み方をしている皆さんの姿が目に浮かびます。このような方法で学ぶとき,30分かけても多くは読めないでしょうが,心に神の御言葉を受け入れる場所を設け,神が語りかけてくださるのです。その感覚をアルマは次のように表現しています。「これはわたしの心を広げ,わたしの理解力に光を注ぎ,まことに,それはわたしに良い気持ちを与え始めている。」6 古今の主の預言者の言葉から心に良い気持ちを感じるにつれて,福音が皆さんの心に記され,心が改まっていることが実感できるでしょう。
聖文を学び理解するために祈りますが,ほかの目的でも祈る必要があります。モルモン書の中でアミュレクは,生活のあらゆることについて祈るよう勧めました。「自分の部屋でも,人目に触れない場所でも,荒れ野でも,あなたがたの心を〔神に〕注ぎ出さなければならない。」7 天の御父は,望みや恐れ,友人や家族,学校や仕事,そして周りの人々の必要について祈るように望んでおられます。とりわけ,キリストの愛で満たされるように祈るべきです。この愛は,イエス・キリストに真に従い,熱意を込めて祈り求める人に授けられます。8 この愛は命の木の実です。9 命の木の実を味わうことは改心の真髄です。たとえ少しでも自分に対する救い主の愛を知った人は,平安を得,心に主と御父への愛がはぐくまれるからです。御二方の御心を心から行いたいと思うようになります。自分の部屋,人目に触れない場所,荒れ野にしばしば行って祈ってください。祝福に感謝し,助けを求め,キリストの純粋な愛が注がれるよう祈ってください。時には断食が役立ちます。
祈りについて話した後,アミュレクは改心のもう一つの大切な要素,奉仕について話し,奉仕しなければ「あなたがたの祈りはむなしく,何の役にも立たない」10と述べています。つまり改心するには,心を開いて福音の知識や神の愛を受けるだけでなく,福音の律法を行う必要があるのです。実際に生活で応用するまでは,十分に理解し,その価値を知ることはできません。イエスは仕えるために来たのであり,仕えられるために来たのではないと言われました。11 皆さんもそのはずです。周囲を見て心を配るのです。情け深く,親しみやすく,分かち合い,小さな助けをたくさん与える人になりましょう。そうするうちに,イエス・キリストの福音が人格の一部となるのです。
もう一つの点について話しましょう。昔の民は,主を礼拝し,祝福を求めるときに,しばしば贈り物を持って来ました。例えば神殿に行くときには,祭壇に供えるささげ物を持って来ました。贖いと復活の後,救い主は,今後は動物の燔祭はんさいは受け入れないと言われました。現在主が受け入れられる贈り物や犠牲は「打ち砕かれた心と悔いる霊」12 です。改心の祝福を求めるならば,打ち砕かれた悔い改めの心,そして悔いて従順な霊を贈り物としてささげることができます。つまりその贈り物とは自分自身,今の自分と将来の自分です。
皆さんには清くない思いやふさわしくない思いがありますか。もしもそれを捨てるなら,救い主への贈り物になります。良い習慣または性質が欠けていますか。それを取り入れ,人格の一部とするなら,主への贈り物になります。13 難しいときもあるでしょうが,悔い改めと従順の贈り物が簡単だとしたら,贈り物に値するでしょうか。14 努力を恐れないでください。独りではないことを忘れないでください。ふさわしい贈り物となれるよう,主が助けてくださいます。主の恵みにより清く,聖なる者になれます。ついには主のようになり「キリストによって完全に」15 なるのです。
改心に伴い,皆さんは防護用の武具「神の武具」16 を身に着けます。聖なる御霊から与えられるキリストの御言葉は,なすべきことをすべて告げてくれます。17
1992年のある晩,クロアチアのザグレブで働く二人の姉妹宣教師がアパートに帰ろうとしていました。最後の訪問先は遠い所で,外は暗くなりかけていました。路面電車には口汚い人たちがいて,危険な雰囲気でした。姉妹たちは恐ろしくなり,次の停車駅で,だれもついて来れないよう,ドアが閉まる直前に下車しました。しかし一難去ってまた一難,二人とも自分たちがどこにいるのか分かりませんでした。辺りを見回すと,一人の女性が目に入りました。宣教師たちは道に迷ったことを説明し,道を教えてもらえないかと頼みました。彼女はアパートに帰る路面電車を知っていて,案内すると言ってくれました。途中,酒場のそばを通るとき,常連客風の男たちが暗い歩道に座っていました。やはり怖い感じの人たちです。しかしこの二人の若い姉妹は,彼らには自分たちが見えないと強く感じました。実際に通り過ぎても,この恐ろしい男たちには見えていないようでした。姉妹宣教師と親切な女性が停車駅に着くと,ちょうど路面電車が来たところでした。振り返って感謝しようとしましたが,その女性はもうどこにもいませんでした。18
この宣教師たちは危害から守られるために,道案内とその他の恵みを受けました。改心するにつれ,誘惑を避け,悪から逃れるために,同じような守りを受けることでしょう。19 悪の目から皆さんが隠されることもあります。皆さんの目から悪が隠されることで,守られることもあります。悪が目の前に現れたとしても,恐れずに,信仰をもって立ち向かうことができます。
これまで,望み,神への服従,学習,祈り,奉仕,悔い改め,従順について話しました。これらに加えて,教会での礼拝と活動を行うなら,証と改心がもたらされるでしょう。福音は単なる影響力ではなく,皆さんの人格となるでしょう。福音を思いに記して理解を得,心に記して進んで御心を行えるように,キリストの御名によって神に嘆願してください。20 この祝福を地道に忍耐強く求めるならば与えられます。神は「恵みあり,あわれみあり,……いつくしみが豊か」21 な御方だからです。イエス・キリストの御名により証します。アーメン。