2010–2019
「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである」
2014年4月


16:5

「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである」

選択の自由を使い従うとは,正しいことを行う選びをして,それに伴う結果を受け入れるということです。

兄弟姉妹の皆さん,わたしたちが救い主の生涯から学ぶ全ての教訓の中で,従順の教訓以上に明確で力強いものはありません。

救い主の模範

前世における天上の大会議で,ルシフェルは天の御父の計画に反発しました。ルシフェルに従った者たちは自らの永遠の進歩を終わらせたのです。誰に従うかは十分に気をつけなくてはなりません。

そのとき,イエスは従う決意を表してこう言われました。「父よ,あなたの御心が行われ,栄光はとこしえにあなたのものでありますように。」1主はその務めの間中,「数々の誘惑に遭われたが,それらを少しも心に留められ」ませんでした。2 そして実に,「さまざまの苦しみによって従順を学〔ばれ〕」たのです。3

救い主は従順であったため,わたしたちの罪を贖い,わたしたちの復活を可能にし,わたしたちが天の御父のみもとに帰る道を備えられました。御父は,わたしたちが死すべき世で従順を学ぶとき,間違いを犯すということを御存じでした。わたしたちは従うときに,救い主の犠牲を受け入れます。なぜなら,わたしたちは,イエス・キリストの贖罪により,全人類は福音の律法と儀式,また与えられた戒めに従うことによって救われ得ると信じるからです。4

イエスは,理解しやすい簡潔な言葉で,従うようわたしたちに教えておられます。「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである。」5そして「わたしに従ってきなさい。」6

わたしたちはバプテスマを受けるとき,「キリストの御名を受けて,」生涯の最後まで従うと「神と聖約を交わし」7ます。毎週日曜日に聖餐を受け,進んで戒めを守ることを証明することにより,そのバプテスマの聖約を新たにします。天の御父の御心に添わない思いや気持ち,あるいは行いについて赦しを求めます。不従順を避け,再び従い始めることを通して悔い改めるときに,わたしたちは御父に対する愛を示すのです。

従順の種類

福音に従って生活するとき,従順について理解が深まります。時折,わたしたちは「生まれながらの人の従順」とわたしが名付けたような従い方をするよう誘惑されることがあるかもしれません。この従順では,人は自分の知恵や望み,さらには大衆性を優先して,不従順にも神の律法を拒みます。非常に多くの人の間で広く行われているため,このゆがんだ従順が,わたしたちの文化や法律における神の標準を損なっています。

時折教会員は「えり好みの従順」を行っていることがあるかもしれません。つまり,神を愛し敬っていると主張しながら,わたしたちが完全に従うべき,神の戒めと教え,また神の預言者の教えと勧告の一部を抜き出して選んでいるのです。

えり好みで従う人々がいるのは,戒めがある理由を全部は理解できないからです。まるで,親が勧告を与え,規則を設ける理由を子供が必ずしも理解しないのと同様です。しかしわたしたちは預言者に従う理由を常に知っています。この教会がイエス・キリストの教会であり,主が全ての神権時代において預言者を導いておられるからです。

従順について理解が深まると,選択の自由の重要な役割を認識します。イエスはゲツセマネの園で3度天の御父に祈って言われました。「わが父よ,もしできることでしたらどうか,この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし,わたしの思いのままにではなく,みこころのままになさって下さい。」8 神は,救い主から選択の自由を奪い去ることはしませんでした。それでも,愛する御子を力づけるために深い憐れみをもって一人の天使を遣わされました。

救い主はゴルゴタでも試しに遭われました。ここで主は,御自身を十字架から下ろすために天使の軍団を呼ぶこともおできになりました。しかし,救い主は,最後まで従順に堪え忍び,たとえひどい苦難と死を受けようとも自ら贖いの犠牲を全うするという選びをされたのです。

霊的に成熟した従順は,「救い主が示された従順」です。それは天の御父と御子に対する真の愛に動機づけられています。救い主がされたように,わたしたちは進んで従うとき,天の御父の御言葉を尊んでいます。「これはわたしの愛する子,わたしの心にかなう者である。」9そして,天の御父のみもとへ行くときに「良い忠実な僕よ,よくやった。……主人と一緒に喜んでくれ」という御言葉を聞けることを心待ちにしています。10

選択の自由を使い従うとは,正しいことを行う選びをして,それに伴う結果を受け入れるということです。11これには自制を要します。そして自分に,また模範によって周りの人たちに,自信と,永遠の幸福と,達成感をもたらします。またそれには必ず,神権指導者を支持し,彼らの教えと勧告に従うという本人の強い決意が伴います。

結果

従うかどうか選ぶとき,自分の選択の結果を念頭に置くことは常に助けになります。ルシフェルと彼に従った者たちは,天の御父の計画を拒むことを選んだらどのような結果になるか理解していたでしょうか。もしそうであれば,なぜ彼らはそのような悲惨な選択をしたのでしょうか。自分自身にも同様の質問をしてみるとよいでしょう。「罪の永遠の結果を知っていながら,不従順であることを選ぶ人がいるのはなぜだろうか」と。聖文にその答えがあります。カインと,アダムとエバの子供の一部が不従順を選んだ理由はこうです。「彼らは……神よりもサタンを愛した。」12

救い主への愛は,救い主のような従順さを身につける鍵です。今日の世界で従順であろうと努めるとき,わたしたちは天の御父の全ての子供たちを愛し,敬っていることを表明します。しかし,人々に対する愛が,神の戒めを変えることはあり得ません。戒めはわたしたちの善のために与えられているのです。例えば,「あなたは……殺してはならない。これに類することをしてはならない」13という戒めは,胎児を含む,神の全ての子供たちを守る霊的な律法に基づいています。多くの経験から分かることですが,この律法を無視すると,計り知れない悲しみが生じます。ところが多くの人は,好みや都合を理由に胎児の命を絶つことは容認できると信じています。

不従順を正当化しても,霊的な律法や結果が変わることはなく,混乱と不安定を生じ,見知らぬ道に迷い込み,方向性を失い,苦悩を招くだけです。わたしたちはキリストの弟子として,神の律法と戒め,また受けた聖約を守る神聖な義務があります。

1831年12月,何人かの兄弟が,教会に対して生じていた悪感情を鎮める助けをするように召されました。預言者ジョセフ・スミスを通じて,主は彼らに,普通ではない,実に驚くべき方法で指示を与えられました。

「あなたがたの敵を言い伏せなさい。公にも,ひそかにも,あなたがたと会うように彼らに呼びかけなさい。……

それゆえ彼らに,主に反対するしっかりした論拠を示させなさい。

……あなたがたを攻めるために造られる武器は,まったく役に立たない。

また,もしだれかがあなたがたに反対して声を上げるならば,その者はわたしがふさわしいと思うときに打ち破られるであろう。

それゆえ,わたしの戒めを守りなさい。これらは真実であり,確かである。」14

聖文の中の教訓

聖文には,自らの経験から従順の教訓を学んだ預言者の例がたくさんあります。

ジョセフ・スミスは,支援者であり友であり,筆記者であったマーティン・ハリスの圧力に屈したことによって招いた結果を学びました。マーティンの懇願に応えて,ジョセフは主に願い,モルモン書の最初の116枚の原稿をマーティンに貸し,彼が原稿を家族に見せる許可を求めました。しかし,主は断るようにジョセフに告げられました。マーティンは再度主に伺うようジョセフに頼み込みました。ジョセフが3度目に願い求めた後,主は特定の5人に限って原稿を見せることを許可されました。「非常に厳粛な誓いを立てて,マーティンはこのことに同意しました。彼は家に着き,自分に対して圧力がかけられると,自分が交わした厳粛な誓いを忘れて,他の人々が原稿を見ることを許してしまいました。その結果,策略によって彼の手から原稿が失われてしまいました。」15 結果として,ジョセフは主から叱責され,モルモン書の翻訳を続けることは許されませんでした。ジョセフは苦しみ,圧力に屈するという背きを悔い改めました。しばらくして,ジョセフは翻訳の業を再開することを許されました。ジョセフは従順について価値ある教訓を学び,それが残りの生涯益をもたらしたのでした。

預言者モーセの例も挙げられます。モーセが従順にエチオピア人を妻にめとったとき,ミリアムとアロンは彼を非難しました。しかし,主は二人を叱責して,「〔モーセ〕とは,わたしは口ずから語〔る〕」16と言われました。主はこの驚くべき出来事を用いて,この神権時代に教会員を教えておられます。1830年に,ハイラム・ページは教会のために啓示を受けたと主張しました。主は彼を正し,聖徒たちにこう教えておられます。「あなたは,わたしが〔ジョセフ〕に与えることにアロンのように従順で……なければならない。」17「彼はモーセのように戒めと啓示を受けるからである。」18

従順は祝福をもたらします。「すなわち,神から祝福を受けるときは,それが基づく律法に従うことによるのである。」19

従順は模範によって教えられます。わたしたちは自らの生き方によって子供に教えます。「若いうちに知恵を得なさい。まことに,神の戒めを守ることを若いうちに習慣としなさい。」20

従順は,わたしたちを次第に強い者にし,将来の試しと試練に忠実に耐えられるようにします。ゲツセマネでの従順によって,救い主はゴルゴタで従い,最後まで堪え忍ぶように備えられたのです。

愛する兄弟姉妹の皆さん,アルマの言葉はわたしの心の思いを表しています。

「さて,わたしの愛する同胞よ,これらのことをあなたがたに語ってきたのは,神への義務感をあなたがたに自覚させ,あなたがたが神の御前を罪のない状態で歩めるように……するためである。

さて,わたしはあなたがたが謙遜であり,従順で素直であり,……いつも熱心に神の戒めを守るように……願っている。」21

わたしは特別な証を述べます。救い主は生きておられます。救い主が従順であられたので,「すべてのひざがかがみ,すべての舌が……贖い主が〔自分の救い主〕であられることを告白します。」22救い主を深く愛し,信仰をもって主を完全に信じることができますように。そしてまた,わたしたちも従順となり,主の戒めを守り,神の王国に戻って救い主といつまでも一緒に住むことができますように。イエス・キリストの御名により,アーメン。