2010–2019
御父の栄えある計画
2017年4月


11:18

御父の栄えある計画

神の神聖な計画により,わたしたちは誕生と死が,天の御父と永遠に住むことを目指す旅路の節目にすぎないことを知っています。

研修医になって間もないころ,わたしは若い母親の初めての出産を手伝う特権にあずかりました。彼女は落ち着きと集中力があり,幸せそうでした。赤ちゃんが生まれると,わたしは生まれたばかりのかわいい子供を母親に手渡しました。喜びの涙で頬をぬらした母親は,生まれたての赤ちゃんを腕に抱き,頭から爪先までをしげしげと見詰めました。母親らしく,彼女は赤ん坊をしっかりと愛情深く抱いていました。その部屋で,彼女といられたことは特権でした。

わたしたち一人一人の人生は,このようにして始まりました。しかし,誕生はほんとうに人生の始まりなのでしょうか。この世では,誕生と死が始まりと終わりであると理解されています。しかし,神の神聖な計画により,わたしたちは誕生と死が,天の御父と永遠に住むことを目指す旅路の節目にすぎないことを知っています。それは御父の計画に不可欠な部分であり,この世と天が交わる神聖な瞬間でもあります。今日は,長年医師として働き,また教会で奉仕する経験を通して誕生と死について学んだことを振り返り,御父の栄えある計画について証したいと思います。

「わたしたちは生まれる前,霊の御父であられる神とともに住んでいました。地上〔に住むわたしたちは皆,〕文字どおり神の家族を構成する兄弟,姉妹で」あり,一人一人が御父にとって大切な存在です。この世に生を受けるまでの長い間,わたしたちは学び,選択し,準備しながら御父と住んでいました。

天の御父はわたしたちを愛しておられるので,御自分が与えることのできる最も大いなる賜物,すなわち永遠の命という賜物を与えたいと願っておられます。しかし,御父がこの賜物を無条件に与えることはおできになりませんでした。わたしたちが御父に従い,御父の道を選ぶことを通して,自ら受ける必要があったのです。そのために,わたしたちは御父のみもとを去り,信仰と成長と向上という,すばらしい,しかし困難も伴う旅路を歩み出さなければなりませんでした。御父がわたしたちのために備えられた旅路は,救いの計画,あるいは幸福の計画と呼ばれています。

前世における大会議で,御父はわたしたちにその計画について話されました。その計画を理解したわたしたちは,声を上げるほど歓喜し,「明けの星は相共に歌い」ました。

計画は3本の大きな柱,つまり,永遠の柱の上に建っています。

第1の柱は,この世の旅路の舞台となる地球の創造です。

第2の柱は,地上におけるわたしたちの最初の両親であった,アダムとエバの堕落です。堕落によって,幾つかのすばらしいことがもたらされました。わたしたちは誕生し,肉体を受けられるようになったのです。母が,わたしと兄弟たちをこの世に迎え,神について教えてくれたことを永遠に感謝します。

神はまた,自分で選び行動する能力と特権,すなわち道徳的な選択の自由も与えてくださいました。わたしたちに良い選択ができるよう,天の御父は戒めをお与えになりました。日々神の戒めを守るとき,わたしたちは神への愛を示します。それにより,神はわたしたちの人生を祝福してくださるのです。

わたしたちがいつも良い選択をするわけではないこと,つまり罪を犯すことを御存じだった御父は,第3の柱,すなわち救い主イエス・キリストとその贖いを与えてくださいました。キリストはその苦しみを通して,肉体の死と罪の両方の代価を払ってくださったのです。主はこのように教えられました。「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである。」

イエス・キリストは常に御父の戒めを守り,完全な人生を送られました。イエス・キリストは永遠の真理を教え,「病人を癒し,目の不自由な人々の目を見えるようにし,死人をよみがえらせながら,パレスチナの道を歩まれました。」主は「よい働きをしながら…… 巡回され」,「すべての人々に,御自身が示す模範に従うよう熱心に勧められました。」

この世における最後の時に,キリストはひざまずき,こう祈られました。

「『父よ,みこころならば,どうぞ,この杯をわたしから取りのけてください。しかし,わたしの思いではなく,みこころが成るようにしてください。』……

イエスは苦しみもだえて,ますます切に祈られた。そして,その汗が血のしたたりのように地に落ちた。」

キリストは,御自分の受けられた苦しみの重要性をわたしたちがさらに理解できるように,預言者ジョセフ・スミスに語られました。

「神であるわたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い,人々が悔い改めるならば苦しみを受けることのないようにした。

しかし,もしも悔い改めなければ,彼らはわたしが苦しんだように必ず苦しむであろう。

その苦しみは,神であって,しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし自身が,苦痛のためにおののき,あらゆる毛穴から血を流し,体と霊の両方に苦しみを受けたほどのものであった。」

わたしたちの罪,病,苦痛,弱さの代価を支払ってくださる主の業は,ゲツセマネの園から始まりました。そのおかげで,主とともに歩むことを選ぶなら,わたしたちはそのような弱さにあっても決して独りになることはないのです。「イエス・キリストは捕らえられ,偽りの訴えによってとがめられ,暴徒の意に応じて有罪とされ,カルバリの十字架上での死刑を宣告されました。」その十字架上において,主は「全人類の罪を贖うために命をささげられました。……地上に生を受けるすべての人々のための偉大な身代わりの贈り物となられたのです。」

主はこう宣言されました。

「見よ,わたしはイエス・キリストであり,世に来ると預言者たちが証した者である。

見よ,わたしは世の光であり命である。わたしは,父がわたしに下さったあの苦い杯から飲み,世の罪を自分に負うことによって父に栄光をささげた。」

そして,週の初めの日に,主は二度と死ぬことのない,復活した完全な肉体をもって墓からよみがえられました。主が復活されたので,わたしたちも復活するのです。

キリストが確かに墓からよみがえられたことを証します。しかし,墓からよみがえるためには,まず死ななければなりませんでした。それはわたしたちも同じです。

わたしが人生で得たもう一つのすばらしい祝福は,死を迎える人々の傍らに座りながら,天を近くに感じてきたことです。数年前の早朝,がんを患っていた一人の信仰篤い,夫に先立たれた末日聖徒の病室に入りました。彼女のそばには二人の娘が座っていました。ベッドの傍らに近づくとすぐに,彼女はもう苦しんでいないことが分かりました。ちょうど亡くなったところだったのです。

その死の瞬間,部屋には平安が満ちていました。彼女の娘たちは悲しみながらも顔つきは穏やかで,その心は信仰に満たされていました。母親は去ってしまったのではなく,ふるさとに戻ったことを知っていたからです。深い悲しみのときも,時が止まったかのように人生が不公平に思えるときにも,わたしたちは救い主に慰めを見いだすことができます。主も同じように苦しまれたからです。その部屋にいられたことは,わたしにとって特権でした。

わたしたちが死ぬと,その魂は体を離れ,旅路の次の段階である霊界に行きます。そこは,学び,悔い改め,赦し,成長の場所,復活を待つ場所です。

将来訪れる,あの大いなる日に,これまでに生を受けたすべての者が墓からよみがえります。霊と肉体が再び結合して完全な形になります。「老いた人〔も〕若い人〔も〕,……男〔も〕女〔も〕,悪人〔も〕義人〔も〕」すべての者がよみがえります。そして,「すべてのものが……,その完全な造りに……回復され」るのです。

復活したわたしたちは,救い主の裁きを受けるという最高の祝福を得ます。主は言われました。

「すべての人をわたしのもとに引き寄せ,彼らが各々の行いに応じて裁かれるようにするのである。

さて,悔い改めて,わたしの名によってバプテスマを受ける者はだれであろうと,満たされるであろう。そして,最後まで堪え忍ぶならば,見よ,わたしはその者を,わたしが立って世の人々を裁くその日に,わたしの父の御前で罪のない者としよう。」

その後で,信仰を持ち,悔い改め,バプテスマと聖霊を受けて,最後まで堪え忍び,主に従うことを選ぶすべての人々は,キリストとその贖罪によって,自分たちの旅路の終わりが,「永遠の命を受け継ぐ者としての神聖な行く末」を受けることであると知ります。その人々は御父のみもとに帰り,御父とともに永遠に住むのです。わたしたちに,良い選択ができるようにと祈ります。

わたしたちの存在は,誕生と死の間に起こることをはるかに超えたものです。どうぞキリストのみもとに来て,キリストに従ってください。

末日聖徒イエス・キリスト教会のすべての会員にお勧めします。日々「キリストのもとに来て,キリストによって完全にな〔ってくだ〕さい。神の御心に添わないものをすべて拒み〔ましょう〕。……キリストの血が流されたのは……〔わたしたちが〕染みのない清い者となる」ためだからです。

まだこの教会の会員でない方にお勧めします。来て,モルモン書を読み,宣教師の話に耳を傾けてください。来て,信仰を持ち,罪を悔い改めてください。来て,バプテスマを受け,聖霊を受けてください。来て,幸福な,キリストに満たされた生活を送ってください。キリストのみもとに来て,その戒めを守るとき,騒々しいことの多いこの世にあって平安と目的を見いだし,「来るべき世において永遠の命」を受けられると約束します。

こうした真理をかつて経験したものの,その後何らかの理由で離れていった方がいたら,どうぞ戻ってください。今日,帰って来てください。御父と救い主はあなたを愛しておられます。キリストはあなたの質問に答え,その苦しみと悲しみを癒し,罪を赦す力をお持ちであると証します。わたしはこれが真実であり,これらすべてのことが真理であると知っています。キリストは生きておられます。これは主の教会です。イエス・キリストの御名により,アーメン。