福音の言語
しっかりと教えることは家族として福音を保つために非常に重要であり,それには不断の努力が欠かせません。
中央幹部に召され,最初の割り当てを果たすため,家族とともにコスタリカからソルトレーク・シティーに移って来たわたしは,このアメリカ合衆国で,異なる人種的背景や文化を持つすばらしい人々と触れ合う祝福を受けてきました。その中には,わたしと同じようにラテンアメリカの国々で生まれた人たちが多くいます。
そこで気づいたのは,アメリカに住む第1世代のヒスパニックの多くが,第1言語としてスペイン語を話すと同時に,人々との意思疎通ができる程度に英語も話すということでした。そして,合衆国で生まれた,あるいは幼少期に合衆国に来て,ここで進学する第2世代の人々は非常に流ちょうな英語を話しますが,スペイン語は多少片言なようです。さらに,多くの場合第3世代になると,先祖の母国語であるスペイン語は失われてしまいます。
言語学用語で,これを簡単に「言語喪失」と呼んでいます。言語喪失は,自分の母国語が主要言語ではない外国に移住する家族に起こり得ます。これはスペイン系アメリカ人に限ったことではなく,世界中のどの民族でも,新しい言語が彼らの母国語に取って代わる場合に起こります。モルモン書の預言者ニーファイでさえ,約束の地へ向かう準備中,先祖の言葉が失われることを心配していました。「そしてまことに,これらの記録を手に入れるのは,神の知恵です。そうすれば,先祖の言葉を子孫に残すことができる」とニーファイは記しています。
しかしニーファイは,別の種類の言語を失うことにも不安を感じていました。次の節でこう続けています。「また,世の初めから現在に至るまで,すべての聖なる預言者の口を通して語られ,神の御霊と力によって語られてきた御言葉を,子孫に残すことができるのです。 」
わたしは,母国語の保持と,生活の中にイエス・キリストの福音を保つことには類似点があることに気づきました。
わたしが今日,たとえを使って強調したいのは,地球上のある特定の言語ではなく,家族が保持すべき,決して失ってはならない,永遠の言語についてです。イエス・キリストの福音の言語 についてお話しします。「福音の言語」とは,預言者のあらゆる教え,それらの教えに対するわたしたちの従順さ,そして,それに続く義にかなった慣習を意味します。
この言語を保持するための3つの方法についてお話ししましょう。
1.家庭でもっと勤勉に家庭のことに携わる
教義と聖約で主は,ニューエル・K・ホイットニーをはじめとする多くの主要な教会員に,家庭を整えるよう勧告されました。主は言われました。「わたしの僕ニューエル・K・ホイットニーも,懲らしめを受ける必要があり,また家族を整える必要がある。また,家族の者に,家庭でもっと勤勉に家庭のことに携わり,常に祈るようにさせる必要がある。そうしなければ,彼らはその場所から退けられるであろう。」
言語喪失に影響を与える一つの要素は,親が子供たちに母国語を教える時間を取らないことです。家庭でその言語を話すだけでは不十分です。母国語を保持したいと願うのであれば,教えなければなりません。母国語を保持するために意識的に努力する親は,それに成功する傾向があるということは,研究により分かっています。では,福音の言語を保持するための意識的な努力とはどのようなものでしょうか。
十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老は,「家庭で福音を教えることと模範を示すことが不十分である」ことが,教会で何世代も続く家族の継承を断ち切る大きな原因であると警告しました。
ですから,しっかりと教えることは家族として福音を保つために非常に重要であり,それには不断の努力が欠かせないと結論づけることができます。
わたしたちはこれまで幾度も,家族や個人の聖文研究を日課とするよう勧告を受けてきました。これを実行している多くの家族が日々祝福されて,きずなを強め,主と一層密接な関係を築いています。
では,いつ日々の聖文研究をすればよいでしょうか。両親が聖典を手に取り,愛をもって,集まるようにと家族に声をかける時です。これ以外の方法で聖文研究を実現させるのは難しいことです。
父親,母親の皆さん,このすばらしい祝福を逃さないでください。手遅れだという時点まで引き延ばさないでください。
2.家庭での力強い模範
母国語を保持することについてある言語学者は,「子供たちのためにその言語を生き生きしたものにする必要がある」と記述しています。教えることと模範を示すことが相まって「言語は生き生き」したものとなります。
若いころ,休暇中は父親の工場で働きました。わたしが給料を受け取ると,まず決まって父はこう尋ねました。「おまえはそのお金をどうするんだい。」
答えは決まっていました。こう返答しました。「什分の一を払って,伝道のために貯金するよ。」
働き始めて8年もの間,父の同じ質問に答え続けたので,きっと父はこれで什分の一の原則を教えることができたと思ったことでしょう。しかしわたしがこの大切な原則をある週末に学んだということを父は知りませんでした。わたしがどのようにしてこの原則を学んだかお伝えしましょう。
中央アメリカでの内戦に関連した幾つかの出来事が起こり,その後父の仕事は破綻に陥りました。200人ほどいた正社員は,家のガレージでの作業に必要な5人弱の縫製作業者のみになりました。そうした苦しい時期のある日,什分の一を払うべきか,それとも子供たちの食べ物を買うべきか話し合っている両親の会話を耳にしました。
日曜日,父がどうするかを見るために,わたしは父の後について行きました。集会後,父が封筒を取り,そこに什分の一を入れるのを見ました。でもそれは教訓のほんの一部だったのです。わたしには,食べ物はどうするのだろうという疑問がまだ残っていました。
月曜日の朝早く,数人が家の扉をたたきました。わたしが扉を開けると,彼らは父に用があると言いました。わたしの呼び声に父がやって来たとき,その人たちは可能なかぎり早く仕上げてもらいたい,緊急の注文があると父に言いました。非常に急ぎの仕事なので,この注文に関しては前払いするということでした。その日わたしは,什分の一の原則と,それに続く祝福について学んだのです。
新約聖書で,主は模範について述べておられます。主は言われました。「よくよくあなたがたに言っておく。子は父のなさることを見てする以外に,自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて,子もそのとおりにするのである。」
子供たちに神殿結婚,断食,安息日を聖く保つことの大切さについて語るだけでは十分ではありません。子供たちは,わたしたちがスケジュールを空けて,できるかぎり頻繁に神殿に参入するのを見なければなりません。わたしたちが定期的に断食し,安息日を一日中聖く保つというわたしたちの決意を子供たちは見る必要があります。もし青少年が,2食分の食事を断食することができず,定期的な聖文研究ができず,また日曜日にあるスポーツ大会のテレビを消すことができないなら,ポルノグラフィーを含む,現代の困難に満ちた世からの強力な誘惑に対して,抵抗できる霊的な自制心を持つようになるでしょうか。
3.慣習
もう一つ,言語が変化したり,喪失したりする原因に,ほかの言語や慣習が母国語と混じり合うことが挙げられます。
教会が回復された初期のころ,主は,多くの主要な教会員に自らの家を整えるよう勧告されました。その勧告は,家庭から光と真理が失われる二つの方法を示すことから始まっています。「あの邪悪な者が来て,人の子らから,不従順によって,また先祖の言い伝えによって,光と真理を取り去る。」
わたしたちは家族として,安息日を聖く保つことや家庭における日々の聖文研究と祈りを妨げる,どのような慣習をも避ける必要があります。ポルノグラフィーやその他あらゆる邪悪な影響につながる家のデジタル扉を閉めなければなりません。今日のこの世の慣習と戦うためには,聖文や現代の預言者の声を使って,子供たちが神聖な存在であること,人生の目的,そしてイエス・キリストの神聖な使命を彼らに教える必要があります。
まとめ
聖文には,「言語喪失」に関する幾つかの例を見つけることができます。例えば,次のようにあります。
「さて,当時の若者の中には,ベニヤミン王が民に語ったときにまだ幼い子供であったために,彼の言葉を理解できなかった者が大勢いた。彼らは,自分たちの先祖の言い伝えを信じなかった。……
また,彼らは自分の不信仰のために,神の言葉を理解できなかった。そして,彼らの心はかたくなであった。」
若者たちにとって,福音は未知の言語になってしまったのです。時折,母国語を保持することがどう役立つかについて論じられますが,救いの計画の観点から,家庭の中で福音の言語を失う永遠の結果については論じる までもありません。
神の子供であるわたしたちは完全な言語を学ぼうと努力している不完全な人間です。母親が自分の幼い子供たちに思いやり深くあるように,天の御父はわたしたちの不完全さと間違いに忍耐強くいてくださいます。御父はわたしたちの誠実で上手く話せないか細い声を,まるですばらしい詩であるかのように大切にし,理解してくださいます。わたしたちが初めて福音の言葉を口にするとき,喜んでくださいます。完全な愛をもってわたしたちを教えてくださいます。
この世において何を達成しようとも,たとえそれが重要と思えるものであっても,もしわたしたちが家族の中で福音の言語を失ってしまったら,それは何の意味もありません。常にわたしたちの母国語であった御父の言語を,そのより高いレベルのコミュニケーションが流ちょうにできるようになるまで,学ぶ努力をしようとするわたしたちを,天の御父が祝福してくださることを証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。