家庭訪問メッセージ
イエス・キリストの神聖な特質─慈愛と愛に満ちている
祈りをもってこの資料を学び,何を伝えるべきか分かるよう祈り求めてください。救い主の神聖な特質が理解できるようになると,救い主を信じるあなたの信仰はどれほど増し,家庭訪問を通してあなたが見守っている姉妹にどれほど祝福が注がれるでしょうか。詳しくはwww.lds.org/callings/relief-society?lang=jpnをご覧ください。
『聖句ガイド』では,慈愛は「最も気高く,尊く,しかも強い愛」と定義されています(「慈愛」の項)。それはイエス・キリストの純粋な愛です。イエス・キリストについて学び,主のようになろうと努力するとき,わたしたちは生活の中で主の純粋な愛を感じ,主がなさるように人々を愛し,彼らに仕えたいと思うようになります。トーマス・S・モンソン大管長は次のように言いました「慈愛とは,自分を失望させた人に忍耐することです。ささいなことに腹を立てないように気持ちを抑えることです。人の欠点や失敗を受け入れることです。人をありのままに受け入れることです。外見の奥にある,時が過ぎても衰えることのない特質に目を向けることです。レッテルを貼ろうとする衝動を抑えることです。」1
わたしたちはモルモン書から「御父が御子イエス・キリストに真に従う者すべてに授けられたこの愛で満たされるように,また神の子となれるように,熱意を込めて御父に祈り……,御子が御自身を現されるときに,わたしたちはありのままの御姿の御子にまみえるので,御子に似た者となれるように,またわたしたちがこの希望を持てるように,さらにわたしたちが清められて清い御子と同じようになれるよう,熱意を込めて御父に祈〔らなければならない〕」という偉大な真理を学びます(モロナイ7:48)。
その他の聖句
ヨハネ13:34-35;1コリント13:1-13;1ニーファイ11:21-23;エテル12:33-34
わたしたちの歴史から
「ある姉妹は,夫を亡くしたときにともに悲しみ,慰めてくれた訪問教師に感謝しました。次のように書いています。『わたしは誰かと話したくて,誰かに話を聞いてもらいたくてたまりませんでした。 ……彼女たちは聞いてくれました。慰めてくれました。一緒に涙を流してくれました。そして抱き締めてくれました。……独りぼっちになって最初の数か月間,深い落胆と絶望から抜け出すのを助けてくれました。』
別の女性は,訪問教師から真の慈愛を示してもらったときの気持ちを次のように述べています。『自分が彼女にとって単なる訪問記録の数字以上の存在であることが分かりました。大切に思ってくれていることが分かりました。』」2
これらの姉妹たちのように,世界中の多くの末日聖徒は,パッカー会長(1924–2015)の次の言葉が的を射たものであると証言することができます。「〔家族〕がどこに行こうと,教会員の家族が待ってくれていると思うと,どんなに慰められることでしょう。引っ越したその日から,夫は神権定員会に,妻は扶助協会に所属するのです。」3