また会う日まで
安全への道
「助言の中に安全を見いだす」『聖徒の道』1997年7月号,28-31参照
与えられた警告が主からのものかどうかを知る一つの方法は,証人,それも権威ある証人の律法にかなっているかどうか考えることです。
わたしたちを安全に導こうとする救い主の願いには終わりがないようです。また,わたしたちに安全な道を示してくださるその方法には一貫性があります。救い主は複数の手段を用いて,進んで受け入れようとする人々にその道が分かるようにしてくださっているのです。そして,その手段にいつも含まれるのが,神の預言者の口を通してメッセージを送ってくださることです。これは,民が神の預言者を頂くにふさわしいときにはいつも行われてきました。権能を受けた僕たちは例外なく,民に警告を与え,安全への道を示す責任を与えられています。
ミズーリ州北部で緊張が高まった1838年秋,預言者ジョセフ・スミスは全ての聖徒たちに安全のためファーウェストに集合するように呼びかけました。当時聖徒たちの多くは,それぞれ別個に点在する農場や定住地に,ばらばらに住んでいたのです。ジョセフは特に,「ハウンズミル」と呼ばれた定住地の創設者であるジェーコブ・ハウンに勧告を与えました。当時の記録にはこうあります。「ジョセフ兄弟は製粉所の所有者であるハウンを通じてそこに住む兄弟たちに,そこを去ってファーウェストに移るように伝えようとしたが,ハウンはそれを伝えなかった。」(フィロ・ディブル,“Early Scenes in Church History,”Four Faith Promoting Classics〔1968年〕,90で引用)後に預言者ジョセフはこう記録しています。「今日に至るまで,神は勧告に従う人々を救う知恵をわたしに授けてこられた。わたしの勧告に従っていたら,誰一人命を落とす者はいなかったであろう。」(History of the Church, 第5巻,137)その後でジョセフは,人々が彼の勧告を受け入れ,それに従っていたら,ハウンズミルで罪なき者の命が奪われることはなかったとの悲しい真実を記しています。
わたしたちの時代においても,罪や悲しみから逃れる道を教える警告の声が発せられています。そうした警告の声を聞き分ける一つの方法は,警告は繰り返し述べられるという点です。例えば総大会において,わたしたちの預言者が前任の預言者の言葉を引用して第2の,時には第3の証人となるのを一度ならず耳にしたことと思います。 ……使徒パウロはこう書いています。「すべての事がらは,ふたりか三人の証人の証言によって確定する。」(2コリント13:1)与えられた警告が主からのものかどうかを知る一つの方法は,証人,それも権威ある証人の律法にかなっているかどうか考えることです。預言者の言葉が,あることを繰り返し述べていると思われるとき,その事実はわたしたちの心に深く刻まれるとともに,そのような祝福された時代に生を受けていることへの感謝の気持ちが胸に満ちるのです。 ……
天の御父はわたしたちを愛しておられます。御父は独り子を救い主として遣わしてくださいました。御父はわたしたちがこの世で重大な危機に直面することを御存じでした。その最たるものは,狡猾な悪魔からの誘惑です。救い主がわたしたちに神権の鍵を授けてくださったのはそのためです。聞く耳を持つ者,従う信仰を持つ者が安全な場所に行けるようにしてくださったのです。