熟考
かぼちゃを取るか,メロンを取るか
筆者はアメリカ合衆国ユタ州在住です。
どれを選んでも間違いではないことがあります。ただ選択肢があるだけという場合です。
父は非常に驚きました。前の年にまいたかぼちゃの種が,今年の夏,メロン畑の真ん中で芽を出したのです。メロンは非常に良く育ちました。かぼちゃもです。あまりによく生育したので,父はかぼちゃもそのまま育てようかと思ったほどでした。でも父は,そんなことをしたらかぼちゃのせいでメロンの生育が悪くなってしまうことを知っていました。
ですから,決断を下さなければなりませんでした。かぼちゃの苗を引き抜くか,そのまま育ててかぼちゃがメロンを押しのけていくのを見過ごすかです。引き抜けばメロンの生育は良くなるでしょうし,そのままにすればかぼちゃもメロンも収穫が悪くなりますかぼちゃを取るか,メロンを取るか。これは,二つの良いものの中から一つを選ぶという選択です。
両者を見比べて,父は生い茂るかぼちゃを引き抜くことにしました。芽を出すのが遅かっただけでなく,予想外に芽を出したかぼちゃよりも,計画的に植えたメロンの方を取ることに決めたのです。
この父の行動を見て,わたしは物事を選ぶことについて考えさせられました。特に人との関係でどちらかを選ばなければならないときのことです。家族や友達,雇用主との関係であろうと,交際相手または結婚相手との関係であろうと,二つの良いもののうち一つを選ばなければならず,特に選択を誤りたくない場合には,正しいもの,最高のものはどちらなのか,決めかねることがあります。選択を誤るかもしれないと思うと,怖くて決められなくなってしまうことがあります。恐れのために,信仰をもって前進することができなくなってしまうのです。しかし実際には,どれを選んでも間違いではないことがあります。ただ選択肢があるだけという場合です。父の場合は,大切にしたいと思う方を選びました。かぼちゃが枯れるのを見るのは忍びなかったのですが,後でメロンに悪い影響が出たら後悔することは分かっていました。
人生では,何を選んでも問題がない場合がよくあります。朝食に何を食べるかとか,今日は何色のワンピースを着ればよいか,というような場合です。二つの良いもののうちどちらかを選ばなくてはならなくなったら,父のように,「自分にとってどちらが大切か」を考えるとよいかもしれません。そのうえで,信仰をもって前進するのです。どこか間違っていたら主がそれを教えてくださると信じて。
しかし,非常に重要な選択もあります。トーマス・S・モンソン大管長「決断はいつもわたしたちの前にあります。賢明な決断には勇気,すなわち『いいえ,そうしません』と言う勇気と『はい,そうします』と言う勇気が必要です。決断が行く末を決めるのです。」(「選びについての3つのR」『リアホナ』2010年11月号,68)このように重大な決断を下さなければならない場合に自問すべきことは,「主は何を大切にしておられるか」です。この問いの答えが分かっていれば,わたしたちのなすべきことは,自分の価値観を主の価値観に合わせたうえで決断を下すことです。このようにすれば,常に正しい方を選ぶことができるでしょう。