わたしが神殿を愛する人になるまで
わたしは毎週金曜日に神殿に参入すると決めていましたが,ある朝,数センチの雪によって,その決意が試されることになりました。
わたしがブリガム・ヤング大学に通っていた1994年,ハワード・W・ハンター大管長(1907-1995年)が末日聖徒イエス・キリスト教会の会員に,「神殿に参入し,神殿を愛する民」となるよう勧めました。ハンター大管長は言いました。「時間的,経済的,個人的な事情が許すかぎり,頻繁に,速やかに神殿に行きましょう。」1
当時,わたしはユタ州プロボ神殿から歩いてほんの15分ほどのところにあるアパートに住んでいました。車は持っていなくても,自分には神殿に定期的に参入しない言い訳がないことはよく分かっていました。わたしは神殿参入を優先することを決めました。
授業のスケジュールを調整して,金曜日を空けるようにしました。そして,その日をわたしの神殿の日にすることを決意しました。その学期の毎週金曜日,雨の日も晴れの日も,わたしは午前7時半に神殿まで歩いて行き,死者のためのバプテスマを受けました。大きなレポートやプロジェクトの締め切りがあるときは,まず神殿に行ってから,残りの時間を学業に充てました。
ある冬の朝,目を覚ますと雪が数センチ積もっていました。カリフォルニア州中部出身のわたしは,雪に慣れておらず,神殿までの坂道を歩いて行くのがひどく恐ろしく感じられました。しかし,もっともらしい言い訳を考えて部屋にこもっているのはやめて,わたしは暖かいブーツをはき,教会用の靴を持って,神殿に向かって歩き始めました。
神殿に着くと,顔なじみの神殿ワーカーがあいさつをして,わたしが荒れた天候にもかかわらず歩いて来たことを喜んでくれました。中に入ると,達成感と感謝が入り混じった気持ちを感じました。わたしは気づきました。預言者の言葉どおり,自分は「神殿に参入し,神殿を愛する」人になったのだと。
あれから何年もたち,わたしの時間,収入,環境,そして神殿までの距離は何度か変わりました。しかしその度に,わたしは自分のスケジュールを調整して,引き続き神殿参入を生活の優先事項にできるようにしてきました。
そうすることによって,ハンター大管長が約束したように,わたしの人生にはずっと神殿の祝福がもたらされています。