2022
心の底から
2022年11月号


11:16

心の底から

わたしたちはイエスに従う者となって,主の弟子としての道を心の底から喜んで歩み続けるべきです。

これから何が起こるのかが分かると助かるときが,時々あります。

この世での務めが終わりに近づいたころ,イエスは使徒たちに,苦難の時が来ると言われましたが,「あわててはいけない」1とも言われました。確かにイエスは去られましたが,彼らを放ってはおかれませんでした。2主の御霊を送って,彼らが主を覚え,しっかりと立ち,平安を見いだせるようになさったのです。救い主は,御自分の弟子であるわたしたちとともにいるという約束を守ってくださいます。しかし,わたしたちは主がおられることを知り,喜ぶために,常に主を仰ぎ見る必要があります。

キリストの弟子は,常に苦難に遭ってきました。

親友が,アメリカ中西部のNebraska Advertiser(ネブラスカ・アドバータイザー)という新聞の古い記事を送ってくれました。1857年7月9日付けです。こう書いてありました。「今朝早く,ソルトレークを目指すモルモンの一行が通り過ぎて行った。(およそ華奢とは言えない)女性たちが獣のように手車を引いていた。と,そのうちの一人が黒い泥の中に転んでしまい,一行は小休止することになった。子供たちは,〔見たことのない〕異国風の服を着て,母親たちと同じ決死の表情を浮かべながら重い足取りで歩いていた。」3

わたしは,この泥まみれになった女性について,あれこれと考えました。なぜ一人で引いていたのか。シングルマザーだったのか。未知の砂漠の新しい住まいへと,時に人からあざけられながら,家財を全部積み込んだ手車を引いて泥道を進んだのです。こんな過酷な旅をするだけの内面の強さと根性と粘り強さは,どこから来ていたのでしょうか。4

ジョセフ・F・スミス大管長は,このような開拓者の女性たちの内面の強さについて,こう言っています。「これらの姉妹の一人でも,末日聖徒イエス・キリスト教会に対する確信に背かせることができるでしょうか。預言者ジョセフ・スミスの使命について抱いていた思いに影を落とすことができるでしょうか。神の御子であるイエス・キリストの神聖な使命がはっきり分からなくさせることができるでしょうか。いいえ,そのようなことはまったく不可能です。なぜでしょうか。姉妹たちはそれを知っていたからです。神がそれを姉妹たちに明らかにされ,姉妹たちはそれを理解していました。地上のどのような力も,これらの姉妹が真実であると知っていたことを覆すことはできませんでした。」5

兄弟姉妹の皆さん,そのような男女になることが,現代のわたしたちの召しです。荒れ野を歩くよう召されたら力を振り絞って手車を引き続ける弟子,神から啓示されたことを固く信じる弟子となり,イエスに従う者となって,主の弟子としての道を心の底から喜んで歩み続けるのです。イエス・キリストの弟子であるわたしたちは,3つの大切な真理を信じ,その中で成長することができます。

1.簡単でないときも,わたしたちは聖約を守ることができます

自分の信仰や家族や未来が危機に瀕したときや,全力で福音を実践しているのに人生がこんなにつらいのはなぜかといぶかるときには,苦難の時が来ると主が言われたことを思い出してください。苦難は計画の大切な部分であり,見捨てられたというわけではありません。苦難は主の弟子に付いて回るものです。6結局,主は「悲しみの人で,病を知っていた」7のです。

天の御父はわたしが快適に過ごすよりも,イエス・キリストの弟子として成長する方に関心をお持ちであることが,わたしには分かってきました。そうであってほしくないと思うときもありますが,実際にそうなのです。

楽な暮らしをしていたのでは力はつきません。日々の暑さに打ち勝つのに必要な力は主の力であり,その力は,主と交わした聖約から流れ込みます。8逆風の中を信仰をもって進むこと,つまり,行うと救い主に聖約したことを,日々心を尽くして行うよう努力するのです。たとえ疲れていようと,不安であろうと,疑問や問題で悩んでいようと,いや特にそのようなときにこそ,そうすることで,少しずつ主の光と力,主の愛,主の御霊,主の平安を受けるのです。

聖約の道を歩むのは,救い主に近づくためです。目標は救い主であって,完璧にできなくてもよいのです。これは競争ではないのですから,自分の旅をほかの人と比べてはいけません。たとえ転んでも,主がついておられます。

2.わたしたちは信仰をもって行動することができます

イエス・キリストの弟子であるわたしたちは,イエスを信じる信仰には行動が伴うことを理解しています。つらいときには特にそうです。9

昔のことですが,両親がカーペットを張り替えることにしました。新しいカーペットが届く前の晩,母はわたしの弟たちに,寝室から家具を出してカーペットをはがすようにと言いました。新しいカーペットを敷けるようにするためです。当時7歳だったわたしの妹エミリーは,すでに眠っていました。そこで弟たちは,妹が眠っているうちにベッド以外の家具を全部妹の部屋からそっと出して,カーペットを全部はがしました。そこで,兄たちがよくやることですが,いたずらをすることにしたのです。妹の持ち物をクローゼットから全部出し,壁にかかっていたものも全部外して,部屋を空っぽにしたのでした。そして,手紙を書いて壁に貼りました。「エミリー,わたしたちは引っ越しました。行き先は,何日かたったら手紙で教えます。愛しています。 家族より。」

翌朝,エミリーが朝食を食べに来なかったので弟たちが見に行くと,エミリーはドアも開けずに一人ぽつんと悲しそうにしていました。エミリーは後に,そのときのことをこう言っています。「がく然としました。でも,ただドアを開けさえしていたら,何が起こっていたでしょうか。何が聞こえたでしょうか。どんなにおいがしたでしょうか。自分が独りではないことが,分かったことでしょう。自分がほんとうに愛されていることが,分かったことでしょう。でも,その状況で何かをするなど,思ってもみなかったのです。ただただ諦めて,クローゼットの中で泣いていました。でも,ただドアを開けさえすればよかったのです。」10

妹は,自分の目に映ったことを基に憶測しました。でもそれは,事実とは違っていました。わたしたちもエミリーのように,悲しみや心の傷,落胆,不安,孤独,怒り,失望であまりにも意気消沈してしまい,ドアを開けたり,イエス・キリストを信じる信仰をもって行動したりするなど,何かをすることすら頭に浮かばないことがあります。これは興味深いことではないでしょうか。

不可能なことに直面したときにひたすら行動した男女やキリストの弟子たちの例は,聖文の至る所に出てきます。彼らは信仰をもって立ち上がり,行動しました。11

イエスは癒しを求めてきた重い皮膚病の人たちを見て,「祭司たちのところに行って,からだを見せなさい」と言われました。「そして,行く途中で彼らはきよめられた」12のです。

彼らはすでに癒されたかのように,祭司のところに体を見せに行きました。そして,行くという行動を取っている途中で,癒されました。

もう一つ言いたいのですが,つらくて行動に出るのが不可能と思われる場合は,どうか助けを求めるという行動を取ってください。友人や家族,教会の指導者,専門家に助けを求めるのです。それが希望への第一歩になるかもしれません。

3.わたしたちは心の底から喜んで献身的に働くことができます13

苦難の時が来たら,わたしはこの地上に来る前にキリストに従うことを選んだこと,そして信仰や健康や忍耐が試されるのはすべて,地上にいる目的を果たすためであることを思い出すようにしています。ですから,今日試練を受けたからといって神の愛を疑ったり,神を信じる信仰を捨てたりするなどということは一切考えてはならないのです。試練は計画の失敗を意味するのではなく,わたしたちが神を求めるようになるための計画の一部なのです。忍耐強く耐え忍ぶならば,わたしは主のようになっていきます。そして,主のように,苦しいときには,ますます切に祈るようになりたいと思います。14

イエス・キリストは,心を尽くして御父を愛し,どんな代価を払ってでも御父の御心を行う完全な模範であられました。15わたしも,イエスの模範に倣って同じことをしたいと思います。

わたしは神殿のさいせん箱にレプタ二つを投げ入れたやもめの,心を尽くし,精神を尽くす弟子としての行いに感銘を受けています。このやもめは,持っているものをすべてささげました。16

ほかの人の目には少額としか映らなくても,イエス・キリストは彼女が多くをささげていることを御存じでした。わたしたちにも同じことが言えます。主は足りない点を見て失格とせずに,信仰を働かせて成長する機会だと見られます。

まとめ

ともにイエス・キリストに従う皆さん,わたしは心の底から主の側に立つことを選びます。主が選ばれた僕であるラッセル・М・ネルソン大管長と使徒たちの側に立つことを選びます。彼らは主の代弁者であり,わたしと救い主を結んでくれる儀式と聖約の管理者だからです。

わたしは何度つまずいても起き上がり,イエス・キリストの恵みと,人に能力を授ける力に頼ります。主と交わした聖約を守り,疑問を感じたときには神の言葉の研究と信仰と,聖霊の助けによって解決します。わたしは聖霊の導きを信頼しています。小さな簡単なことを行うことによって,主の御霊を日々求めます。

これが,わたしの歩んでいる弟子の道です。

そして,死すべきこの世の日々の傷が癒える日まで,わたしは主を待ち望み,主を信頼します。主の時と主の知恵と,主の計画を信頼します。17

わたしは皆さんと手を携えて,永遠に主とともに立ちたいと思います。心の底からそう思います。わたしたちが心を尽くしてイエス・キリストを愛するならば,主はすべてを与えてくださいます。18イエス・キリストの御名により,アーメン。