2022
まことの神でいますあなたを知ることであります
2022年11月号


10:49

まことの神でいますあなたを知ることであります

ヨハネ17:3

わたしの心からの願いは,皆さんが主の数多くの呼び名によってイエスを知り,主に似た者となることです。

数年前のことです。アリゾナのホームワードで聖餐を取っていたとき,人生が変わる経験をしました。聖餐の祈りで,わたしたちは進んで「〔イエス・キリスト〕の御名を〔自分自身に〕受け〔る〕」1ということを聞いたとき,イエスは様々な呼び名を持っておられることを,聖霊がわたしに思い起こさせてくださいました。それから,次のような疑問が心に浮かびました。「今週わたしは,イエスのどの御名を受けるべきだろうか。」

3つの呼び名が頭に浮かび,それを書き留めました。それらはキリストがお持ちの特質を伴っていて,わたしがもっと伸ばしたいと願っていたものです。次の週,わたしはこれらの呼び名に心を集中させ,それが表す特質や人格を身につけられるように努めました。それ以来,わたしは個人の礼拝の一部として,今も自分に同じ質問をしています。「今週わたしは,イエスのどの呼び名を受けるべきだろうか。」この質問に答え,キリストがお持ちの特質を伸ばすように努めることで,わたしの人生は祝福を受けてきました。

イエスはその大いなる執り成しの祈りの中で,この重要な真理について語られました。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。」2今日わたしは,数多くある主の呼び名によってイエス・キリストを知ることからもたらされる祝福と力について,お話ししたいと思います。

ある人を知る簡単な方法は,その人の名前を知ることです。「人の名はあらゆる言葉の中で,本人にとって最も心地よく大切な響きを持っている」という言葉があります。3これまでに,間違った名前で人を呼んだり,名前を忘れてしまったりした経験がありますか。妻のアレクシスとわたしは,時々,子供の一人を「ローラ」と呼んでしまいます。お気づきの方もいるでしょうが,ローラとは,飼い犬の名前です。良くも悪くも,名前を忘れると,恐らくその人のことをあまりよく知らないということをその人に伝えていることになります。

主は人々のことを知り,名前で呼ばれました。主は古代のイスラエルに,こう言われました。「恐れるな,わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ,あなたはわたしのものだ。」4復活の日の朝,キリストの復活に対するマリヤの証は,イエスが彼女の名前を呼ばれたときに,確固としたものとなりました。5同じように,神はジョセフ・スミスを信仰に満ちた祈りに答えて,名前で呼ばれました。6

イエスは,時にはその弟子たちに,彼らの性質や能力,可能性を示す新たな名前を授けられました。エホバはヤコブにイスラエルという新しい名前を与えられましたが,それは「神とともに勝利を得る者」,または「神に勝利を得させる」という意味です。7イエスは,ヤコブとヨハネにボアネルゲという名前を与えられました。それは「雷の子」という意味です。8またイエスは,シモンが将来指導者になることを見越して,岩という意味のケパ,すなわちペテロという名を,彼に授けておられます。9

ちょうどイエスがわたしたち一人一人を名前で御存じのように,わたしたちがイエスをさらに知ることができる一つの方法は,主の数多くある呼び名を知ることです。イスラエルやペテロという名前と同じように,イエスの呼び名の多くは,主の使命や目的,人格や特質を理解できるよう助けてくれる称号です。イエスの数多くの呼び名を知るようになると,主の神聖な使命や無私の人格がさらによく理解できるようになります。主の数多くある呼び名を知ると霊感が与えられ,人生に喜びと目的をもたらすキリストのような特質を伸ばすこと,すなわち主にさらに似た者となることができます。

数年前に,ラッセル・M・ネルソン大管長は,イエス・キリストに関連する聖句ガイドの聖句をすべて研究しました。10その後,ネルソン大管長はヤングアダルトにも,同じ聖句を調べるように勧めました。イエスの数多くの呼び名に関して,ネルソン大管長は次のように述べています。「主の様々な称号や呼び名が皆さんにとって個人的にどのような意味を持つか理解できるよう,祈り,熱心に求めてください。そうすることでイエス・キリストがどのような御方であられるかを学んでください。」11

ネルソン大管長の招きに従って,わたしはイエスの数多くの呼び名に関する,自分自身のリストを作り始めました。今では,このリストに300以上の呼び名が載っており,まだまだ見つけていない多くの呼び名があると確信しています。

イエスの呼び名の中には,主のためにだけ取って置かれたものもありますが12,わたしたち一人一人にも当てはまる,5つの呼び名と称号を紹介したいと思います。皆さんも皆さん自身のリストを作るようお招きします。主の数多くの御名により,イエスを知るようになるでしょう。そうするときに,主の聖約の弟子として自分の身に受けたいと願う呼び名が,それに付随するキリストの特質とともに,ほかにもあることに気づくでしょう。13

まず最初に,イエスは良い羊飼い14です。イエスはそのような御方として,御自分の羊を御存じであり15,御「自分の羊の名をよんで」16,神の小羊として,羊のために命をささげられました。17同様に,イエスはわたしたちに,特に家庭の中で,またミニスタリングブラザーやシスターとして,良い羊飼いとなるよう望んでおられます。わたしたちがイエスに愛を示す一つの方法は,主の羊たちを養うことです。18迷い出た羊のために,良い羊飼いは失われた羊を見つけようと,荒れ野に出て行きます。そして彼らが安全に戻れるまで,共にいます。19わたしたちは良い羊飼いとして,地元の状況が許す限り,人々の家庭でミニスタリングを行う時間をさらに取るように,努めるべきです。ミニスタリングにおいて,代用ではなく,個人的な接触を強化するためにメールやテクノロジーを活用すべきでしょう。20

第二に,イエスは,すでに現れた祝福の大祭司21です。御自分の十字架の刑が何時間か後に迫っていることを知りながら,イエスはこう言われました。「これらのことをあなたがたに話したのは,わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは,この世ではなやみがある。しかし,勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」22現代では,世の中がしばしば二極化し,分断されるため,わたしたちには,前向きな姿勢,楽観的な態度,希望を実践し,伝える必要が大いにあります。過去にどのような困難を経験していようと,信仰は常に希望に満ちた未来23を指し示しており,それによってわたしたちは,勇気を出しなさいというイエスの招きにこたえることができます。24喜びをもって福音に従った生活を送るなら,わたしたちもすでに現れた祝福の弟子となれるでしょう。

イエスのもう一つの称号は,昨日も,今日も,またとこしえに変わることのない御方25,です。一貫性は,キリストの特質です。イエスは常に御父の御心を行い26,主の御腕は変わることなくわたしたちを救い,助け,癒すために差し伸べられています。27さらに一貫性をもって福音に添った生活をするときに,わたしたちはよりイエスに似た者となるでしょう。28この世は振り子のように流行にあおられて大きな揺さぶりを受け,人々があらゆる教えの風に吹きまわされて,もてあそばれていますが29,一貫性をもって福音に従った生活をするなら,人生の嵐の中でも,確固として揺らがなくなるための助けとなります。30ネルソン大管長が勧めている「主のために時間を取る」31ことによっても,一貫性を示すことができます。大いなる霊的な力は,小さくて簡単なこと32からもたらされます。例えば,日々の祈りや悔い改め,聖文の勉強,人々への奉仕などの「holy habits and righteous routines(聖い習慣と義にかなったルーティーン)」33を身につけることです。

第四に,キリストはイスラエルの聖者です。34イエスの生涯は,清さの規範です。イエスに従うとき,わたしたちはイスラエルの中で聖なる者となることができます。35わたしたちは神殿に定期的に参入することで,聖さを増すことができます。神殿のすべての入り口の上には,「聖きを主に捧ぐ」と刻まれています。わたしたちが神殿で礼拝する度に,家庭を聖なる場所にするためにさらに大きな力を授かって帰ります。36現在,神殿に参入するための推薦状を持っていない方がいれば,ビショップと会って,その聖なる場所に参入する,あるいは戻る備えをするようにお招きします。神殿で過ごす時間は,わたしたちの人生に聖さを増してくれます。

最後に挙げるイエスの呼び名は,忠実で真実な者です。37イエスがまったく忠実で常に真実であったように,わたしたちもそれらの特質を生活の中で示すように,主は切に願っておられます。信仰が弱くなったとき,ペテロがガリラヤの荒れる湖面の上で沈みかけたときのように,わたしたちも「主よ,お助けください」とイエスに叫び求めることができます。38その日,主はおぼれる弟子に手を差し出されました。主は,わたしにも同じようにしてくださっており,皆さんにも同じようにしてくださいます。決してイエスを諦めないでください。主があなたを諦められることはないのです!

わたしたちが忠実で真実であれば,「わたしにつながっていなさい」というイエスの呼びかけに従うことになります。それは同時に「わたしのもとに留まっていなさい」という意味でもあります。39質問に対峙したとき,信仰をさげすまれたとき,この世の大きく広々とした建物にいる人々から指をさされあざけられたとき,わたしたちは忠実で真実でいることができます。そのようなときに,わたしたちはイエスの次の嘆願を思い出します。「あらゆる思いの中でわたしを仰ぎ見なさい。疑ってはならない。恐れてはならない。」40そのようにするとき,主は必要な信仰と希望,主のもとに永遠に留まる強さを与えてくださいます。41

愛する兄弟姉妹の皆さん,イエスはわたしたちに御自分を知るよう望んでおられます。救いが得られるのは,天下において主の御名によってのみだからです。42イエスは道であり,真理であり,命です。だれも主によらないでは,御父のみもとに行くことはできません。43イエスは,ただ一つの道なのです。そのために,主は「わたしのもとに来なさい」44,「わたしに従ってきなさい」45,「わたしとともに歩みなさい」46,「わたしに学びなさい」47と招いておられます。

心から,イエス・キリストのことを証します。主は生きておられ,皆さんを愛しておられ,皆さんを名前で御存じです。主は神の子であり48,御父のひとり子49であられます。主こそ,わたしたちの岩,わたしたちの城,わたしたちの避け所,わたしたちを救う者です。50主は,暗闇の中に輝いている光51であり,わたしたちの救い主52,贖い主53であり,「よみがえりであり命で」54あられます。わたしの心からの願いは,皆さんが主の数多くの呼び名によってイエスを知り,主の神聖な特質を生活の中で模範として示すことで,主に似た者となることです。イエス・キリストの御名により,アーメン。