「癒しの必要性」『リアホナ』2024年10月号
末日聖徒の声
癒しの必要性
聖餐の賛美歌を通して,御霊はわたしに人を赦すことと,赦しを受け入れることについて教えてくれました。
ある日曜日,わたしは怒りといらだちを感じながら教会で座っていました。前の晩に夫のアーロンと口論をしていたわたしは,まだ気持ちが乱れ,動揺した状態で教会に来ていました。集会の冒頭から聖餐の賛美歌まで,ずっと夫に腹を立てたままで,「夫が謝るべきだ」と考えていました。
聖餐を受ける準備をしながら,会衆は賛美歌“As Now We Take the Sacrament”(「聖餐にあずかるとき」)を歌いました。1番の間,わたしの怒りは続いていました。そして2番が始まりました。「今,過去を振り返るとき,悔い改めなければならないことを知る。」
わたしは歌うのをやめました。夫や子供たち,ワードの会員たちが歌い続ける声に耳を傾けました。「主への道は義である——主がその命を賭された道。」
わたしの心は和らぎました。もしかすると,わたしの乱れた気持ちは,結局のところ夫のせいではなかったのかもしれません。もしかすると,原因はわたしにあるのかもしれません。
賛美歌は続きました。
赦しは主からの賜物
清い思いをもって求める。
主の業を行うと誓った手で
我らは聖餐にあずかる。
わたしは腹を立てていましたが,ほんとうに必要なのは,謙遜になって天の御父からの赦しを求めることでした。赦しは,御子イエス・キリストによって可能になっている賜物です。
列の横に目をやり,幼い子供たちを見ると,涙があふれてきました。感じていたすべての怒りと敵対意識,胸の中でこんがらがっていたすべての非難と憤りは消え去りました。その瞬間分かったのは,天の御父とイエス・キリストからの赦しを求め,それを受けられるように自分を変えるために,何をする必要があるかということでした。賛美歌を通して,御霊はわたしに赦しについて,また赦しを受けることと与えることの両方の必要性について,はっきりと教えてくれました。
ネルソン大管長はこう言っています。「主があなたを癒すことができるよう,主のもとに行くよう切にお願いします。悔い改めるなら,主は罪から癒してくださいます。悲しみや恐れから癒してくださり,この世の傷からも癒してくださることでしょう。」
その場に座り,賛美歌の歌詞に耳を傾け,聖餐を受けながら,わたしは癒しの必要性を感じ,自分がどこに向かうべきかが分かりました。その集会の間に赦しについて学んだ真理は,わたしを主と夫に近づけてくれました。