きよくなれ
日々悔い改めることで,聖霊を通して主の導きを識別することができます。
5歳くらいのころ,わたしはコートジボワールの小さな村にある教会の裏で友達とサッカーをしていました。救い主の来臨に備えて衣服を清めるようにと,牧師が会衆に呼びかけたことを鮮明に覚えています。幼かったわたしは,この呼びかけを文字どおりに受け止めました。わたしは自分の小さな足でできるかぎりの速さで家に帰り,幾つかの衣類をきれいにしてほしいと母に頼みました。そうすれば,汚れのない状態で次の日救い主の来臨に備えられるのです。母は救い主の再臨が間近に迫っていることについては半信半疑でしたが,それでもわたしのいちばん良い服を洗濯してくれました。
翌朝,わたしはまだ少し湿った服を着て,救い主の到着の知らせを心待ちにしていました。いくら待っても何も起こらなかったので,わたしは集会所に行くことにしました。わたしは教会が空っぽで救い主が来られなかったことを知って,とてもがっかりしました。とぼとぼと歩いて家に帰ったときのわたしの気持ちは,ご想像いただけると思います。
何年もの後,末日聖徒イエス・キリスト教会に加わる備えとして宣教師のレッスンを受けていたときに,次の言葉を読みました。「清くない者は,決して父の王国に入ることができない。したがって,信仰を持ち,罪をすべて悔い改め,最後まで忠実であることによって,わたしの血により衣を洗われた者のほかには,父の安息に入る者はいない。」
そのときに受けた説明は,何年も前にわたしが幼心には分からなかった重要な真理を理解する助けとなりました。あの牧師のメッセージは,霊的な清さの重要性を中心としており,彼は会衆に,悔い改めを求め,生活を変え,救いのために救い主に立ち返るよう強く勧めていたのです。
天の御父は,わたしたちの現世の旅路と,わたしたちの人生において罪は避けられないことを理解しておられます。わたしたちの罪悪を贖うために,神が救い主を与えてくださったことに深く感謝しています。救い主の贖いの犠牲を通して,わたしたち一人一人は悔い改め,赦しを求め,清くなることができます。福音の基本原則である悔い改めは,人生の困難を乗り越える際の霊的な成長とレジリエンスに不可欠です。
2022年4月の総大会で,ラッセル・M・ネルソン大管長は,日々の悔い改めの喜びを経験するようすべての教会員を招きました。大管長はこう述べました。
「悔い改めを恐れたり,遅らせたりしないでください。皆さんが惨めであるときにサタンは喜びます。それを断ち切ってください。皆さんの生活からサタンの影響を追い出してください。生まれながらの人を捨てることの喜びを,今日から感じてください。救い主は常にわたしたちを愛しておられますが,わたしたちが悔い改めるときは特にそうです。……
聖約の道からはるか遠くあるいは長く外れており,戻る方法がないと感じているとしたら,それは断じて真実ではありません。」
もし十分に悔い改めていないことがあれば,悔い改めを引き延ばさないようにというネルソン大管長の呼びかけに耳を傾けるようお勧めします。このプロセスに取り組むには勇気が必要かもしれません。しかし,心からの悔い改めからもたらされる喜びは,理解を超えたものであると断言できます。悔い改めを通して,罪悪感の重荷は取り除かれ,平安と平穏な気持ちが訪れます。熱心に悔い改めるとき,わたしたちは救い主の血によって聖められ,聖霊の促しや影響に対する感受性が増します。
わたしの永遠の伴侶には生まれつき聴覚障害があり,そのために補聴器を付けなければなりません。ほこりや汗はこれらの機器の性能に影響を与える可能性があるため,毎朝,補聴器を装着する前に接続チューブをこまめに掃除する彼女の姿を目にします。このシンプルでありながら一貫した習慣により,汚れ,湿気,結露が取り除かれ,効果的に聞き取り,コミュニケーションをとる彼女の能力が向上するのです。この毎日の作業を怠ると,彼女の聴覚能力は一日中損なわれます。話し言葉は徐々に消えていき,ついには聞こえなくなります。補聴器の掃除を毎日行うことではっきりと聞こえるように,日々悔い改めることで,聖霊を通して主の導きを識別することができます。
主の現世での務めが終わりに近づいたとき,ゲツセマネの園へ向かう前に,主は迫り来る試練に立ち向かうために弟子たちを備えられました。主は彼らに言われました。「しかし,助け主,すなわち,父がわたしの名によってつかわされる聖霊は,あなたがたにすべてのことを教え,またわたしが話しておいたことを,ことごとく思い起させるであろう。」
聖霊の本質的な働きの一つは,内なる優しい声に耳を傾けるすべての人に警告を与え,導くことです。補聴器の接続チューブがふさがれると本来の機能に支障をきたすのと同様に,わたしたちの天の御父との霊的なつながりも弱まったり,危険な思い違いや,御父の勧告に耳を傾けなかったりすることがあります。インターネットの出現により,情報にかつてないほどアクセスしやすくなりました。そのため,わたしたちは導きを求めて神ではなくこの世に頼るようになります。ラッセル・M・ネルソン大管長は次のように教えています。「導き,指示し,慰める,変わることのない聖霊の影響力がなければ,これから先,霊的に生き残ることはできなくなるでしょう。」
わたしたち一人一人が確認の儀式を受けるときに聖霊の賜物を受けられることに感謝しています。しかし,ダリン・H・オークス管長は次のように勧告しています。「聖霊の賜物を通して与えられる祝福は,わたしたちが祝福を受けるにふさわしい状態にあるという条件が付きます。〔また,〕『主の御霊は清くない宮にはとどまらない』のです(ヒラマン4:24)。」
意識的に預言者や使徒の導きに従うことを選ぶとき,聖霊を常に伴侶とする能力が高まります。聖霊は意思決定を明確にし,天の御父の御心に添った考えや印象を与えてくださいます。聖霊を常に伴侶とすることは,わたしたちの霊的な成長にとってきわめて重要です。
わたしは最近,ユタ州のソルトレーク・グレインジャー西ステークのステーク大会を管理する割り当てを受けました。この大会の中で,義にかなった生活と日々の悔い改めを通して聖霊の促しを識別する能力を勤勉に伸ばしているステーク会長に会いました。ミニスタリングの取り組みの一環として,わたしたちは調整して3つの家庭を訪問しました。最後の訪問を終えると,次の予定まで約30分ほどありました。ステークセンターに戻る途中,チェスナット会長はもうひと家族を訪問するべきだという印象を受けました。わたしたちは二人とも,この促しに従うことに同意しました。
わたしたちはジョーンズ家族を訪問し,そこでジョーンズ姉妹が病気で寝たきりになっていることを知りました。彼女が神権の祝福を必要としていることは明らかでした。彼女の許可を得て,わたしたちは彼女に祝福を施しました。出発の準備をしていたとき,ジョーンズ姉妹は,自分に祝福がすぐ必要だとどうして分かったのかと尋ねました。実際のところ,わたしたちには分かりませんでした。しかし,天の御父は彼女の必要を御存じで,彼女の家を訪問するようチェスナット会長に霊感を与えられました。静かな細い声の導きを受け入れるとき,わたしたちは助けを必要としている人々に,より効果的にミニスタリングを行う備えができるのです。
優しく愛にあふれた天の御父について証します。イエス・キリストは人類の救い主であり贖い主であられます。イエス・キリストの贖罪が真実であり,聖霊の導きに従うことを学ぶとき,聖霊はわたしたちが悔い改め,救い主の贖罪の力を生活の中で用いるように導いてくださることを証します。ラッセル・M・ネルソン大管長は主のまことの生ける預言者であり,今日地上にあるすべての神権の鍵を持っています。イエス・キリストの御名により,アーメン。