「3月24-30日:すべてのことを秩序正しく行わなければならない:教義と聖約27-28章」『わたしに従ってきなさい—家庭と教会用:教義と聖約 2025年』
「教義と聖約27-28章」『わたしに従ってきなさい—家庭と教会用:2025年』
3月24-30日:すべてのことを秩序正しく行わなければならない
教義と聖約27-28章
回復が進められていた時代の聖徒たちにとって,啓示はまだ比較的新しい概念でした。初期の教会員たちは,預言者ジョセフ・スミスが教会のための啓示を受けられることを知っていました。しかし,ほかの人もできるのでしょうか。このような疑問は,金版を見た八人の証人の一人であるハイラム・ページが自分は教会のための啓示を受けたと確信したときに,重要な意味を持つことになりました。多くの忠実な聖徒たちが,その啓示は神から与えられたものだと信じました。ところが主はそれに対して,主の教会では「すべてのことを秩序正しく……行わなければならない」(教義と聖約28:13)と教えられたのです。これは,教会全体に対する「戒めと啓示を受けるために任命される者」は一人だけであることを意味していました(教義と聖約28:2)。そうではあっても,ほかの人々は,主の業における自分の役割に対して個人の啓示を受けることができます。実際,オリバー・カウドリに対する主の次の言葉はすべての人に当てはまります。「あなたのなすべきことがあなたに示されるであろう。」(教義と聖約28:15)
「すべてのことを秩序正しく行わなければならない」『啓示の背景』も参照してください。
家庭と教会で学ぶためのアイデア
わたしはイエス・キリストの記念に聖餐を受ける
サリー・ナイトとエマ・スミスは1830年6月にバプテスマを受けましたが,暴徒たちによって確認の儀式が妨害されました。2か月後,サリーと夫のニューエルがエマとジョセフを訪れたとき,確認の儀式をその場で行い,皆で聖餐を受けることになりました。聖餐を行うためにワインを手に入れようと出かけたジョセフは,途中で天使に止められました。
教義と聖約27:1-4を読み,聖餐について天使が教えたことを見つけてください。この聖句は,救い主があなたにどのような態度で聖餐に臨むよう望んでおられることを伝えているでしょうか。「〔主の〕栄光にひたすら目を向けて」聖餐を受けるとは,どういう意味だと思いますか。ルカ22:19-20と3ニーファイ18:1-11を読みながら,これについて深く考え,聖餐についてそのほかにも分かることを見つけてください。(ビデオ「最後の晩餐」「イエス・キリスト,御自分の記念としてパンを祝福される」「イエス・キリスト,御自分の記念としてぶどう酒を祝福される」,「福音ライブラリー」も参照してください。)
聖餐を敬虔な気持ちで受けることについて学ぶには,D・トッド・クリストファーソン長老のメッセージ「天から下ってきた生きたパン」(『リアホナ』2017年11月号,36-39)を研究するとよいでしょう。聖餐を通して救い主と深いつながりを感じるために何をするようにと,クリストファーソン長老は教えていますか。救い主の贖罪の象徴である聖餐を取り,さらに敬虔な思いや目的をもって聖餐に臨むために,どのような備えができるか,深く考えてください。
聖餐の賛美歌を歌ったり,聴いたり,読んだりして,この神聖な儀式に参加することに対するあなたの気持ちを書き留めるとよいでしょう。
教義と聖約20:77,79;59:9-13;「トピックと質問」「聖餐」の項,「福音ライブラリー」;デビッド・A・ベドナー「いつも罪の赦しを保つ」の「儀式を通して罪の赦しを得,保つ」の項,『リアホナ』2016年5月号,60-62も参照してください。
主は御自分の僕たちに御自分の業を導く神権の鍵を与えられる
この聖句に出てくる預言者たちについて,あなたはどのようなことを知っていますか。『聖句ガイド』で,この預言者たちに関する情報を調べるとよいでしょう。これらの預言者が持っていた鍵を通して,あなたはどのような祝福を受けることができるようになっているでしょうか。
神の武具はわたしが悪に立ち向かうための助けになる
M・ラッセル・バラード会長はこう言っています。「霊的に自分を武装するためにできる,優れたすばらしい一つの行いなどというものは存在しません。真の霊的な力は,多くの小さな行いの中にあるのです。その一つ一つが絡み合って,あらゆる悪を防ぐ霊的な要塞の骨組みになるのです。」(“Be Strong in the Lord,”Ensign, July 2004, 8)
教義と聖約27:15-18で神の武具について学ぶとき,次のような表を作るとよいでしょう。神の武具をそれぞれ身に着けるために,あなたはどのようなことをしていますか。
武具の部分 |
保護される体の部分 |
その体の部分が象徴しているもの |
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武具の部分 正義の胸当て | 保護される体の部分 心臓 | その体の部分が象徴しているもの わたしの願望や愛情 |
武具の部分 救いのかぶと | 保護される体の部分 頭または思い | その体の部分が象徴しているもの |
武具の部分 | 保護される体の部分 | その体の部分が象徴しているもの |
武具の部分 | 保護される体の部分 | その体の部分が象徴しているもの |
エペソ6:11-18;ホルヘ・F・ゼバヨス「サタンに耐え得る生活を築く」『リアホナ』2022年11月号,50-52も参照してください。
イエス・キリストは御自分の生ける預言者を通して御自分の教会を導かれる
教会全体のためにだれでも戒めや啓示を受けられるとしたらどうなるか,想像してみてください。ハイラム・ページがそのような啓示を受けたと主張したとき,多くの教会員が戸惑いました。教義と聖約28章の中で,主は御自分の教会における啓示の秩序を明らかにしておられます。この章から,教会の大管長の具体的な役割についてどのようなことが分かりますか。神があなたをどのように導いてくださるかについて,どんなことが分かりますか。
デール・G・レンランド「個人の啓示の枠組み」『リアホナ』2022年11月号,16-19も参照してください。
レーマン人への伝道が重要であったのはなぜか
モルモン書の一つの目的は,「レーマン人が彼らの先祖についての知識を得,主の約束を知〔る〕」(教義と聖約3:20)ことです。これは,多くのモルモン書の預言者に主が与えられた約束と一致しています(例えば,1ニーファイ13:34-41;エノス1:11-18;ヒラマン15:12-13参照)。初期の教会員たちは,アメリカインディアンをモルモン書に出てくる民の子孫だと考えていました。(今日の教会の公式な見解では,「レーマン人もアメリカインディアンの先祖である」〔モルモン書の序文〕とされています。)
オリバー・カウドリによる,近くに住むアメリカインディアンへの伝道についてさらに知るには,「レーマン人への伝道」『啓示の背景』を参照してください。この伝道は,主と主の業についてあなたにどのようなことを教えているでしょうか。
子供を教えるためのアイデア
聖餐を受けるのはイエス・キリストを覚えるためである
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イエスはぶどう酒を用いられたのに,なぜわたしたちは聖餐に水を使うのか,子供たちは不思議に思うかもしれません(ルカ22:19-20;3ニーファイ18:1-11参照)。教義と聖約27:1-2を一緒に読み,聖餐を「〔神の〕栄光にひたすら目を向けて」(2節)受けるとはどういう意味か話し合うとよいでしょう。聖餐を取っている間,救い主に意識を向けるために何ができるでしょうか。
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子供は救い主に関する絵や聖句,歌の歌詞を持っていると,聖餐を取るときに主を思い出しやすくなるかもしれません。そのような絵や聖句,歌詞を載せた小冊子の作成は,子供たちにとって楽しい活動になるかもしれません。絵は自分で描いてもいいですし,機関誌『フレンド』から見つけても結構です。
神の武具はわたしを守ってくれる
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この概要や,『わたしに従ってきなさい—初等協会用:新約聖書 2023年』のエペソ人への手紙の概要の活動ページにある武具の絵を子供たちに見せるとよいでしょう。教義と聖約27:15-18を読みながら,絵の中からそれぞれの武具を子供たちに見つけてもらいます。神の武具は,「災いの日に耐え〔られる〕」(15節)ようになるためのどのような助けになるでしょうか。
預言者は教会のための啓示を受けることができ,わたしは自分の人生のための啓示を受けることができる
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子供が何人かいれば,「リーダーに従え(リーダーの動作をまねする遊び。間違えた人は脱落していき,最後まで残った人が次のリーダーになる)」というゲームをするのもよいでしょう。ただし,二人以上の子供に同時にリーダーになってもらってください。複数のリーダーがいると,どうなりますか。その後,ハイラム・ページについて学んでください(「だい14しょう:よげんしゃと教会へのけいじ」『教義と聖約物語』56-57,または「福音ライブラリー」の該当するビデオ;教義と聖約28章の前書き参照)。天の御父は初期の教会員たちの混乱をどのように正されましたか。主は今日,どのようにして教会を導いておられるでしょうか(教義と聖約28:2参照)。現在の預言者はわたしたちの時代に主の教会を導くために主から召されていることを,教師が証します。
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教会のための啓示は常に預言者を通して与えられますが,わたしたちは皆,聖霊の導きを受けることができます。子供たちに,以下の聖句を調べて聖霊が導いてくださる方法を書き出してもらいます:教義と聖約28:1,4,15;ヨハネ14:26;モロナイ8:26;10:4-5。聖霊からどのような導きを受けてきたかを互いに分かち合います。