だい14しょう
よげんしゃと教会へのけいじ
(1830年9月)
ジョセフとエマは,ニューヨークしゅうにうつりました。そこには,ハイラム・ページという人がいました。ハイラム・ベージは教会いんで,ある石をもっていました。そして,そのたすけによって,教会のためにけいじをうけることができる,と言っていました。
多くの教会いんは,ハイラム・ページのことばをしんじました。オリバー・カウドリさえまどわされました。ハイラムがよげんしゃだというものも出てきました。
(教義と聖約28しょうの前書き)
オリバーは,ハイラム・ページのことでジョセフにたずねました。ジョセフがおいのりすると,イエスは,オリバー・カウドリのためにけいじをおあたえになりました。そして,教会のためにけいじをうけられるのは,ジョセフ・スミスただ一人であると言われました。
わたしたちは,自分のためにけいじをうけることができます。しかし,教会のためにけいじをうけられるのは,よげんしゃだけなのです。オリバーは,ハイラム・ページのけいじがまちがいだということが分かりました。
オリバーは,イエスに言われたとおり,ハイラム・ページのところへ行って,かれがうけたけいじは神からのものでなく,サタンのものであると言いました。
オリバーからサタンにあざむかれたのだと言われて,ハイラム・ページはくいあらためました。
教会のためにけいじをうけられるのは,ただ一人の人です。その人がだいかんちょうです。だいかんちょうは,教会のしどうしゃです。神のよげんしゃでもあります。教会いんは,よげんしゃのことばにしたがわなくてはなりません。