だい8しょう イエス・キリストの教会を立てるじゅんび (1830年3月-4月) イエス・キリストのまことの教会は,もう少しで,ふたたびこのよに立てられるところまできていました。イエスは,人びとにじゅんびをしてほしいと思われたので,ジョセフ・スミスにけいじをあたえ,ふくいんについても,さらに多くのことをお話しになりました。 (教義と聖約20:1-4) イエスは,『モルモン書』にはふくいんがのせられている,とおっしゃいました。『モルモン書』はしんじつです。イエスは,人びとが『モルモン書』をしんじるようにのぞんでおられます。『モルモン書』は,神にしたがうのにやく立ちます。 (教義と聖約20:8-15) イエスはご自分について,人びとをたすけるために神からつはなかわされた,とお話しになりました。サタンはイエスにわるいことをさせようとしましたが,イエスは耳をかしませんでした。 (教義と聖約20:21-22) イエスは,人びとのわるい行いをかなしまれました。そして,すべての人にかわってちをながし,くるしみをおうけになりました。わたしたちはくいあらためるなら,そのくるしみをうけなくてすみます。 (教義と聖約19:16,18) わるい人たちは,イエスを十字架につけて,ころしました。 (教義と聖約20:23) イエスの友だちは,イエスをはかにおさめました。 (マタイ27:57-61) 3日目に,イエスはふっかつされました。よみがえられたのです。 (教義と聖約20:23) イエスがこのようになさったのは,くいあらためる人をたすけるためです。イエスは,しんじてバプテスマをうける人のためになくなられたのです。くいあらためる人はつみをゆるされて天国に行くことができますが,くいあらためない人はすくわれません。 (教義と聖約19:17;20:25) イエスは,バプテスマについてこう言われました。「バプテスマをうけたい人は,くいあらためて,わたしをあいし,わたしにしたがわなければならない。また,8才になっていなければならない。」このような人は,バプテスマをうけて,キリストの教会に入ることができます。 (教義と聖約20:37,71;68:27) イエスは,バプテスマの正しいほうほうもお教えになりました。パプテスマをほどこせるのは,アロンしんけんのさいしか,メルキゼテクしんけんをもっている人です。けんのうをさずけられている人は,バプテスマをうける人とともに水の中に入り,とくべつなおいのりをします。 (教義と聖約20:72-73) それから,バズテスマをうける人を水の中にしずめ,そしてふたたび水から出します。 (教義と聖約20:74) パプテスマをうけるとき,わたしたちは,イエスにしたかうことをやくそくします。パプテスマをうけた人は,よいことを語り,行わなくてはなりません。 (教義と聖約20:69) イエスは,赤ちゃんのしゅくふくについてもお話しになりました。メルキゼデクしんけんをもっている人は,赤ちゃんにしゅくふくをさずけることができます。赤ちゃんをだいて,一人の人が名前をつけ,しゅくふくをあたえます。 (教義と聖約20:70) イエスは,せいさんについてもお話しになりました。教会いんは,しばしばせいさんをうけなければなりません。わるいことをした時は,せいさんをうけるべきではありません。くいあらためるなら,うけることができます。 (教義と聖約20:75;46:4) せいさんをうけるのは,イエスのことをおぼえるためです。パンは,イエスの体を思い出させてくれます。パンを食べて,イエスがわたしたちのために,十字架におかかりになったことを思い出すのです。 (教義と聖約20:77) 水は,イエスのちを思い出させてくれます。水をのむことによって,イエスがゲツセマネのそのでちをながし,くるしまれたことを思い出します。 (教義と聖約20:79) せいさんをうけるとき,わたしたちは,イエスのようになることをやくそくします。どんな時にもイエスをおぼえ,いましめをまもることをやくそくするのです。このやくそくをまもるなら,イエスのみたまをうけることができます。 (教義と聖約20:77,79)