だい59しょう ノーブーしんでんのかんせい (1845年10月-1846年9月) ノーブーにのこったせいともいました。主は,かれらにしんでんをたてるようにめいじられました。主にしたがいたいと思ったせいとたちは,しんでんをたてるために一生けんめいはたらきました。 (教義と聖約124:31) 多くのせいとはびょうきで,まずしい人がほとんどでした。せいとたちは,もうすぐノーブーをさることになるとは分かっていましたが,それでもしんでんはかんせいさせたいと思いました。 ついにノーブーしんでんはかんせいしました。せいとたちは,昼も夜も,ずっとしんでんではたらきました。せいとたちは,エンダウメントをうけました。しんでんができて,とてもしあわせでした。 のこっていたせいとも,とうとうノーブーをさる時が来ました。人びとは,すべてのもちものをにぐるまにつんで,ミシシッピ川をわたりました。 人びとは,川のむこうをふりかえって,ノーブーの町をながめました。おかの上にしんでんが見えました。ノーブーをはなれるのは,かなしいことでしたが,人びとには,しんでんをたてたというよろこびがありました。 せいとたちは,数日,川のほとりですごしました。十分な食ベものがなかったので,主は,うずらをおあたえになりました。せいとたちは,うずらをつかまえて食べました。 そのころ,ブリガム・ヤングからつかわされた人たちが,たすけにやって来ました。人びとは,その人たちにみちびかれて,ほかのせいとたちのいるところに行きました。