だい51しょう
ふじょきょうかい
(1842年3月)
せいとたちは,ノーブーしんでんをたてていました。男の人たちのふくがいたんできているのを見て,女の人たちは何とかしたいと思いました。一人の人が,「わたし,男の人たちのふくを作るわ」と言いました。でも,その人には,ぬのを買うお金がありませんでした。
サラ・M・キンボールという人がいました。キンボールしまいは言いました。「ぬのはわたしが出しますから,ほかの人もたすけてください。」女の人たちは,キンボールしまいの家でしゅうかいをひらき,教会のじょせいのための会を作ることにきめました。
女の人たちはエライザ・R・スノーしまいにたのんで,その会のきそくを作ってもらいました。スノーしまいがそれをジョセフ・スミスに見せると,ジョセフはこう言いました。「とてもよくできていますね。でも,主はもっとよい計画をもっておりれまよ。」
1842年3月17日,ジョセフ・スミスは,女の人たちのしゅうかいをひらきました。そして,じょせいがそしきを作れるようにしんけんしどうしゃがたすけると話しました。しゅうかいには,じょせい18人があつまっていました。会長にはエマ・スミスがえらばれ,じょせいのための会は,「ふじょきょうかい」と名づけられました。
ジョセフ・スミスは言いました。「みなさんは,びょうにんや,まずしい人のせわをしてください。どんな手つだいでもしてください。何をしたらよいかは,かんとくが教えてくれるでしょう。」
女の人たちは,しゅうかいをひらいて,知っておくべきことを学びました。教会いんのたすけができて,みんな大よろこびでした。
女の人たちは,しんでんでつかうものを作ったり,しんでんをたてている男の人たちのふくをぬったりしました。
また,こまっている人のためにしょくじをとどけたり,びょうにんのせわをしたりもしました。いろいろなことをして,せいとをたすけたのです。
教会のじょせいは,ふじょきょうかいのしゅうかいに出ることができます。教会のじょせいは人びとをたすけます。また,ふくいんや,ほかの国の人びとについて学びます。よいしょもつや音楽やびじゅつ,よいかていを作るほうほうについても学びます。